61 暗躍
2019/1/12 見直し済み
広い演習場に二機の機体が縦横無尽に動き回る。
確かに広いとはいえ、全長が十メートル以上ある機体が動き回るのだ。立て続けに移動を繰り返せば直ぐに障壁まで辿り着く。いや、この場合は追い詰められたと言った方が適切かもしれない。
「ホンゴウ君の才能は理解していましたが、教える力まであるとは……いっそ、教官にしてみてはどうですか?」
『おいおい、リカルラ。周囲の耳があるのだ。迂闊なことを口にするなよ。それでなくても厄介なことになっているのだ。少し謹んでくれないかな』
リカルラの空気を読まない発言を聞き、隣に座るキャリックが顔をピクリと動かす。
そして、周囲で観戦している副校長や教官たちが、白眼を向けてくるのを見ない振りを装いつつ、テレパスで彼女を窘める。
彼女は全く堪えた風ではなかったが、直ぐに会話をテレパスに切り替えた。
『ところで、初級訓練機を使えないようにしたと聞きましたが、どういった考えからでしょうか?』
――また面倒なことを聞いてくる。
面倒だと思いつつも、キャリックは表情を変えない。
さすがにテレパスを使っているとはいえ、それを表情に出せば、密かに会話していることがあからさまになるからだ。
それ故に、キャリックは視線を戦闘に向けたまま答える。
『今回の件で、随分と膿となっている者達を絞ることができたよ。そういう意味でもホンゴウ君には感謝だな』
直接的な回答をさけ、得られた結果だけを伝えた。
そう、以前から不穏な動きをしている連中がいるのは理解していた。
中核は副校長のラッセル=ボーアンであることは分かっている。ただ、早々に対処しては膿が残る。
いっそのこと不穏分子は纏めて排除したいのだ。それもあって、未だに釣り糸を垂らして楽しんでいる段階なのだ。
『もしかして、楽しんでらっしゃるのかしら? 頑張るのは夜だけでいいのですよ? キャリック?』
――うぐっ。痛いところを突いてくる……
男女の仲であるリカルラの発言で、キャリックは思わず顔を顰めそうになるが、なんとかそれを堪えた。
なにしろ、彼女の発言は恐ろしいほどの嫌味だ。このところ無沙汰になっていることに対するツッコミなのだ。そう、夜の営みをもっと頑張れという。
――少し放置しすぎたかな……今夜は久しぶりに頑張るとするか……
キャリックは自分の負けを認め、素直に謝ることにした。
もちろん、慰謝料たる奉仕も付け加えて。
『わ、悪かった。今夜は空けておくからな』
『夜の件については分りましたわ。それで、これから如何するおつもりですか?』
大人の情事が確約されると、彼女は和やかな表情となったが、どうやら話の本命は不穏分子についてだったようだ。
当然ながら、キャリックもさすがに夜の件だけとは思っていない。
すぐさま、それについて簡単に説明する。
『対校戦までにはカタを付けるさ。そもそも、奴等は上級訓練校の回し者だからな。そろそろ退場ねがおうか』
『本当に困ったものですわね。スカウトくらいで我慢すれば良いのに、色々と策略を巡らして、目障りです』
リカルラの言う通り、不穏分子の出所は上級訓練校なのだが、青田刈りも行き過ぎれば害でしかない。
おまけに何を血迷ったのか、拓哉に茶々を入れ始めた。
その理由はというと、彼のナビゲーターであるクラリッサだ。
彼女を上級訓練校に引き入れようと考えている輩がいるのだが、当の本人は拓哉にご執心だ。
その結果、排除すべきは拓哉という結論に至ったのだ。
そう、策略を企てている輩は、未だに拓哉の実力を認めていないのだ。
――本当に愚かな奴等だ。彼はこの世界の戦いを変える事が出来るかもしれないのに……まあ、ワシの本心ではないがな。
キャリックにはキャリックの企みがあった。
過剰なほどにクラリッサを拓哉とくっ付けたがる理由はそこにある。
実のところ、キャリックにとって、クラリッサの恩讐は頂けなかった。
彼としては、幸せな人生を送って欲しいと願っていた。それが今は亡き弟の供養になるとかんがえていたのだ。
ところが、彼女はヒュームと戦うこと、いや、朱い死神を滅することを望んでいる。
それは、キャリックの願いとは逆行していた。
ところが、ひょんなことで拓哉という存在が現れ、クラリッサが変わり始めたのを知った。
それが、それこそが、神の救いだと感じたのだ。そう、クラリッサが恩讐を忘れ、一人の女としての幸福を得られるチャンスだと直感したのだ。
そう感じた彼は、職権乱用と言われようとも、強引な手段で拓哉とクラリッサに干渉した。
それで間違いが起っても構わない。クラリッサに告げた通り、子供を作ってくれた方が良いと思っていた。
そうなれば、少なからず彼女が戦場から遠ざかると考えたのだ。もちろん、女としての幸せを掴み、両親を亡くした痛みを癒せるとも考えている。
ただ、彼にも誤算があった。
一つは、拓哉が優れたドライバーだったことだ。
クラリッサとの関係を深めるために、ドライバー科へと編入させたが、さすがの彼も拓哉の技術には驚かされてしまった。そして、失敗だったかと考え込むようになった。
それでも、子供さえできればと、必死にお膳立てをしたのだが、ここでも拓哉を見誤った。
というのも、二人を認知し、同じ部屋にぶち込めば、あっという間に男女の関係になると思ったのだが、予想に反して拓哉が奥手だったのだ。
これも、キャリックからすれば信じられないことだった。なにしろ、これが彼の若い頃なら、初日から食いついたはずだからだ。
あれだけの可愛い娘と同室になりながら、あそこまで進展しながら、最後の一歩を踏み出さない拓哉を不能者かと疑ったほどだ。
それもあって、リカルラに色々と検査させたのだが、そっちは問題ないとの返事をもらって首を傾げた。
そう、実はサイキックの睡眠学習は建前で、その間に色々と検査されたのだ。
そして、最後の問題が、カティーシャの存在だった。
――ワシの若い頃なら、二人や三人なんて、なんともなかったのだが……
キャリックは奥手な拓哉を思い出し、思わず溜息を吐きそうになる。
本来であれば、財閥の令嬢に手を出すなど論外なのだが、モルビス家は問題ないと連絡を入れてきた。
その背景には、拓哉の能力がある。
おそらく、クーガーが色々と報告した結果、婿に取りたいと考えたのだろう。
――まあ、もう一人がモルビスの愛娘だからな。なかなか進展しないのも仕方ないか。あのクソガキの娘だしな……
実をいうと、モルビスの現当主は、キャリックの若かりしときの部下だった。
それはそれは、ヤンチャ過ぎて大変だったようだ。
――でもまあ、時間の問題だろう。とにかく、ホンゴウ君、頼むぞ。クラリッサを女にしてくれ。
異世界の人間とはいえ、キャリックは拓哉のことを気に入っていた。
真面目だし、賢い。思った以上に誠実そうだし、なによりもクラリッサが明るい少女に変貌した。
それまでの彼女は、研ぎ澄まされた刃物のようにいつも鋭敏で、まさに氷の女王に相応しき様相だった。
ところが、最近は沢山の笑顔を見せるようになり、怨讐に憑りつかれていたのが嘘のようだと思えるようになった。
まさに、拓哉さまさまだといえる。
――これで子供でも出来て、戦うことを諦めてくれたら良いのだが……ワシは二人の夜の営みを推奨するぞ。どんな手を使ってでもな!
『あんまり遣り過ぎると、可愛い姪から嫌われますわよ?』
――なに! ワシの心を読んだのか? もしや、ワシにもナノマシンを……
心中を悟ったかのようなリカルラの言葉で戦慄する。
ところが、彼女は至って冷静な表情で付け加えてきた。
『キャリック。あなたの考えていそうなことなど、直ぐに分かりますよ。何年の付き合いだと思っているのですか。というか、人のことよりも、自分が頑張るべきです。そうでないと、どんな手でも使いますよ?』
――うぐっ、いつのまに仕込んだのだ。
否定の言葉を口にするリカルラだったが、キャリックは直ぐに嘘だと見抜く。
間違いなくナノマシンが仕込まれていると判断した。しかし、それに対して文句を言うことはなかった。
というのも、彼女とは結婚すらしていないが、もはや夫婦同然だったからだ。
キャリックとリカルラは、かなり年齢に開きがある。
その所為か、キャリックはこんな悪戯をするリカルラのことを可愛いと思っていた。
『そんなことよりも、五組目の試合が終わりましたよ。まあ、一回生の完勝ですが……』
その可愛い彼女が、試合の終了を伝えてきた。
正直言って、試合開始から数分でこうなることが解っていたので、見ている振りこそしているが、真面に観戦していないのが事実だ。
そして、何気ない表情を演習場に向けている裏で、キャリックは様々な展開に対処すべく手を考えていた。
『まあ、そうなるだろうな。不穏分子の考えが理解不能だ。邪魔をしてもなんの意味もない。というか、今回の妨害は完全に墓穴を掘ったな』
『彼等は知能指数が低いですから……いえ、ちょっと細工もしましたけど』
――なんだって! リカルラ、いったい何をやったのかな?
不敵な笑みを浮かべて辛辣な毒を吐くリカルラに、ダメだと思いつつも視線を向けてしまう。
彼女が吐いた悪辣な毒に驚かされた訳ではなく、奴等に仕込んだ毒が気になったのだ。
彼女の怪しい笑みを眺めながら、こんな恐ろしい女と長年連れ添っている自分に慄き、今更ながらに自問することになった。
試合終了のサイレンが鳴り響く。
勝者には祝福の鐘であり、敗者には弱者の烙印を告げる知らせだ。
「少し心配していたけど、どうやらタクヤの考えに間違いはなかったようね」
「そうだな。偉そうに言ってみたが、もし負けたらどうしようかと思ったよ」
試合が拓哉の言う通りに運んだこと、その言葉に偽りがなかったこと、クラリッサはそれに安堵する。
隣では、少し自信なさげな拓哉が頬を掻いている。
その雰囲気は唯の少年であり、それこそが拓哉の本質なのだと感じる。
それでも、一回生を強化することを、容易くやってのける。まるで神の如しだと感服する。
――偶然だったのだけど……きっと、必然だったのね。これも神様の思し召しかも……
拓哉には申し訳なく思いつつも、この世界へと連れてきたことを、彼女は神に感謝する。
なにしろ、拓哉がいれば、彼女の願いが叶うかもしれないのだ。
それは、キャリックの思惑に外れるものだった。
そう、キャリックは思い違いをしていた。クラリッサの想いは、その恩讐は、それほど生易しいものではないのだ。
彼女は、朱い死神を倒すという念願を忘れていない。いや、今も夢の中で苦しんでいるのだ。
――どうも、叔父様は、私が拓哉にうつつを抜かして、メロメロになれば、怨讐が消えて無くなるとでも考えているのだと思うけど、それは甘いわ。超絶、激甘よ!
おそらく、クラリッサが拓哉と結ばれて子供が出来たとしても、この怨讐を失ったりしないだろう。
実際は、出来てみなければ解らない話だが、彼女はそう感じていた。
――拓哉には申し訳ないけど、私の怨讐に付き合ってもらうわ。その罪滅ぼしなら何でもするつもりよ。それが、例えエッチなことだって……何でも受け入れてみせるわ。そう、何でも……私って最低かもね。
彼女はそれが自分本位な考え方だと理解していた。
それでも忘れられない。許せない。ヒュームもだが、なによりあの朱い死神を必ず葬ると誓った。
その結果、自己嫌悪に落ちようとも、拓哉に嫌われようとも。
そして、今現在、自己嫌悪で胸を痛める。それと同時に罪滅ぼしの光景を想像し、顔を赤らめてしまう。
「さあ、俺達の番だ。みんな勝ってるんだ。格好悪いところは見せられないぞ。てか、クラレ、顔が赤いぞ? 熱でもあるのか?」
――拙いわ……エッチな事を想像していたのがバレてしまうわ。
「な、なんでもないの。いたって正常よ」
間違いなく正常だ。エッチなことを考えて心拍数が上がるのは正常な証だ。
ただ、それをサラリと誤魔化せるほど大人でもなかった。
慌てて返事をすることになる。
拓哉は暫く首を傾げていたが、結局、理解できなかったようだ。
「それならいいんだが……ほんとに大丈夫か?」
――というか、理解されると恥ずかしいじゃない……
毎晩お風呂を共にしていることを考えると、今更恥ずかしがることもないのかも知れない。それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。そういう意味では、まだまだ乙女の恥じらいが残っているのだ。
しかし、彼女は直ぐに思考を切り替える。
――今は戦闘に集中する必要があるわ。タクヤの言う通り、いつも偉そうにしているのだから、格好悪いところは見せられないわ。
「じゃ、行きましょうか」
クラリッサが気を取り直して機体に脚を向ける。
その横では、腕組みをした拓哉が未だに頭を捻っていた。