03 再会
2018/12/24 見直し済み
――目覚まし時計の音がうるさい。息の根を止めてやりたい。水曜日の大ゴミに出そう。いや、とにかく、奴を鎮めなくては……
少年は布団を頭から被ったまま、手探りで目覚まし時計を捜索する。
ところが、捜査中止の声が響き渡る。
「拓哉、いい加減に起きなさい」
どうやら、目覚まし時計よりも先に、彼の安眠に終止符が打たれたようだ。
――ああ、俺の安眠よ、さようなら。
「もう、早くしなさい。私も、もう大学に行く時間なんだから」
そう言って、少年の姉は安眠アイテム一号である布団を取り上げる。
「もうちょっとだけ……」
そんな温い言葉が通用しないことを知りつつも、安眠アイテム二号である枕を抱いたまま、最後の抵抗を試みる。
しかし、結果は敢え無く玉砕。仕方なく、渋々と起き上がる。
ただ、下半身は仕方なくではないらしい。
――若いって素晴らしいよな……
「ばか! 早くトイレに行きなさい」
起き上がった別物を目撃した姉が、無情にも、引き剥がした布団をぶん投げる。
流石に体裁が悪いのか、そのまま布団をベッドへ放ると、そそくさとトイレに向かう。
朝から親ではなく、姉に起されたのには理由がある。とはいっても、それほど勿体ぶった話でもない。
両親は共働きで、朝が早いだけではなく、帰ってこないことも多々あるからだ。
そんな親の代わりに彼の面倒みてくれているのが、五つ年上の姉だ。
もはや、姉というより母に近いかもしれない。
では、失格の母親はというと、ゲームデザイナーであり、旦那がそれのプログラムを組んでいたりする。いや、組んでいたと言った方が良いだろう。どうやら、ここ最近の移動でプログラムから企画に変わったらしい。
そんな両親だが、彼としては思う処がある訳ではない。寧ろ感謝していると言っていいだろう。
なぜなら、捨て子の彼を引き取って、ここまで育ててくれたからだ。
彼自身覚えていないことだが、当時五歳の姉が、籠に入れられて公園に捨てられていた拓哉を拾って来たらしい。
どうも、両親も交番に届けたのだが、姉貴はウチで飼うと言い張ったらしくて、最終的にこの家で育てられる事になったのだ。
話だけを聞くと、まるで捨て猫や捨て犬のような出来事だが、これが事実だと教えられた。
まあ、普通なら教えたりしないのかもしれない。ところが、彼の両親はそういったことに無頓着なようで、中学の頃にサラリと告げた。
それを聞いた彼はといえば、特に驚くことなく受け入れた。というのも、理由は解らないが、彼自身そんな気がしていたからだ。
ただ、両親は彼のことを姉と分け隔てなく育てた。この放置振りは、血が繋がっていないという理由ではないのだ。
トイレを済ませてリビングに入ると、姉が茶碗にごはんを装っているところだった。
そんな姉を眺めつつ、ダイニングテーブルの自席に座り、視線を大型テレビに向ける。
特に見たい番組がある訳ではないが、毎朝、星占いを見るのが密かな楽しみなのだ。
『今日のワーストは! はいっ! ふたご座のあなた……』
――ガーーーン! マジかよ……ワーストだってよ。もう続きを聞く気が無くなった……
ショックを受けているものの、その誕生日は推定のものなので、全く当てにならない。
ワーストと知ったところで、視線をテレビから食卓へ向けようとして、彼はあることに気付いた。
「なあ、あれ、オヤジが持って帰って来たのか?」
「ああ、あれね。新型のテスト機みたいよ」
あまりゲームに興味のない姉は、本当にどうでも良さそうに答える。
ただ、彼女の表情からすると、どうやら続きがあるみたいだ。
「お父さんが、拓哉に伝言を残してたわよ」
――ふ~ん。伝言ね~。何となく想像がつくけど……
薄々どんな伝言かは気が付いたのだが、一応は確認してみる。
テレビのリモコンを操作し、伝言板を表示させると、そこには父親が残したコメントが刻まれていた。
「なになに、新しいゲーム機だから、今入っているゲームをクリアして感想を残せだと!? おいおい俺はテスターじゃね~ぞ!」
彼が悪態を吐くと、姉がツッコミをいれる。
「いいじゃない。拓哉はゲーム好きだし。放っておいてもやる癖に。その熱意を勉強に注いで欲しいくらいよ」
――ああ、これ以上は藪蛇になるから、黙って飯を食おう。
そう、母親代わりの姉は、色々とうるさいのだ。
だが、そんなにプンプンしてると、嫁の行き場がなくなるぞ。なんて、口が裂けても言えない。
黙したままテレビの前に移動すると、スマホを取り出してゲーム機に繋ぎ、マニュアルのダウンロードを実行したところで食卓に戻る。
飯を食べている間にマニュアルをダウンロードするつもりなのだ。
「んも~、拓哉遅いわよ。お姉ちゃん出るからね。洗い物は流しに浸けといてよ」
「ああ、分ったよ。いってら~!」
姉はプンプンとしているが、こんな遣り取りは今日に限らず、毎日の日課のようなものだ。
――さて、飯も食ったし、面倒臭いが学校に行くか。
ゲーム機からスマホを外し、ダウンロードが完了しているのを確認して部屋に戻る。
後は、さっさと着替えて……「ぬぬ、歯を磨くのを忘れていた」という訳で、慌てて洗面所に駆け込む。
まあ、これも毎朝の日課の様なものだと言えるだろう。
自宅を出てから二十分。彼の通う高校は異常に近い。
何を隠そう、近いという理由だけで選んだ高校だ。
というのも、将来の目的がある訳ではないし、勉強が好きな訳でもない。更に言えば、一緒に通いたかった女の子がいた訳でもない。故に、近いという条件が優先事項となったのだ。
まあ、それは考えれば考えるほど、彼が哀れに思えてくるので、この辺りで止めておこう。
そんなことよりも、拓哉は昨日の女の子が無性に気になっていた。
彼女は紫髪の美少女だったのだが、雰囲気的にレイヤーには思えず、なぜ紫色になんて染める気になったのか、興味を抱いたのが理由の一つだ。
そして、もう一つの理由が、彼女の瞳だった。
まるで、拠り所を探すかのような悲しい瞳をしていたと感じていた。
カラーコンタクトをしている所為かもしれないが、何故か助けて欲しいと訴えかけてくるような瞳だったように思ったのだ。
そう、拓哉はそれが素の瞳だとは思っていなかった。さすがに紫の瞳なんて、そうそうお目に掛るはずがないからだ。
「お~す!」
昨日の美少女のことを考えながら歩いていると、小学からの腐れ縁が後ろから背中を叩いてきた。
「うい~す!」
この腐れ縁の親友も同じ高校に入ったお蔭で、知らない者ばかりが集まるクラスで孤独を感じることなく過ごせている。
そんな親友は朝から暗い顔をしていた。
「如何したんだ暗い顔して」
親友の少年は、拓哉の背中をひと叩きすると、苦言を漏らしてきた。
「お前はいいよな! 勉強ができるし、綺麗な姉ちゃんが居るし、くそっ、こんちくしょう! お前、忘れてんだろ! 来週から中間だぞ」
――ああ、そういや、そんなもんがあったな……
親友の言葉で、来週から中間テストが始まる事を思い出す。
普段からあまり勉強に勤しむことのない拓哉は、テスト期間というものをあまり意識したことがない。
実をいうと、それには理由があるのだ。
「オレも、お前みたいな脳みそが欲しかったぜ」
親友がこぼしたように、拓哉の脳みそは少しばかり特殊だった。
というのも、一度覚えたものを忘れないという優れモノなのだ。
特に覚えようとしなくても、一度目にしたものは必要だと思った時に思い浮かんでくるのだ。
本人もこの脳みそには重宝しているのだが、その理由は解明できていないし、周りに話すと大変なことになりそうなので、極力口にしないようにしている。
「お前はいいよな~、問題を見たら答えが思い浮かぶんだから」
「おい、でかい声で言うなよ」
「誰も分かりやしね~よ」
悪態を吐く親友を戒めるのだが、全く堪えた風ではない。
白眼を突きつけるが、親友は口笛を吹きながら素知らぬ顔をしている。
挙句の果ては、拓哉の白眼をスルーして、ゲームの話を始める始末だ。
「そういえば、お前のオヤジの会社、今度新型を出すんだろ?」
「今、ウチにテスト機があるぞ」
「まじか! やらせてくれよ」
親友の態度に溜息を吐きながら、それを肯定する。
恐らく父親が持って帰って来ていたゲーム機で間違いないだろう。それを教えてやると、すぐさま食いついた。
――まるで、養殖場の魚みたいだな。
「いいぜ」
「やりーーーーーぃ!」
呆れつつもOKを出すと、親友が大はしゃぎを始めた。
来週から中間試験があるというのに、良いのだろうかと思うのだが、今は何を言っても無駄なので、その事に触れるのは止めておく。
その後もゲームの話で盛り上がりながら、学校へと辿り着いたのだが、そこで意外な光景を目にする。
そこには何処の高校でも然して違いの無い校門があるのだが、今日に限ってはそうそうお目に掛かれない代物が存在していた。
そう、紫髪の美少女が立っていたのだ。しかし、それは異様な光景でもあった。
なぜなら、あれだけ派手な髪の毛で、ちょっとその辺りではお目に掛かれないほどの美少女なのだが、誰一人として彼女を気にする者が居ないのだ。
それに疑問を感じて、拓哉は即座に隣の親友に目を向けるが、全く気にしている様子が無い。しかし、そんな筈がないのだ。この少し騒がしい親友は、可愛い女を見逃すような甘い男ではない。
――これって、どういうことだ?
もちろん、その美少女はクラリッサであり、紫髪は地毛なのだが、拓哉が知る由もない。
親友に限らず、多くの生徒が見向きもせずに美少女の前を通り過ぎる。
クラリッサの方もそれを気にする様子はない。ただ、やたらキョロキョロと周囲を見回している。時折、腕時計らしき物を見ては、肩を落としている。
そして、クラリッサが顔を起した途端、拓哉と目が合う。
彼女は何かを呟くと、すかさず拓哉の所まで走り寄ってくる。
それでも、隣の親友はその少女を意識する事無くゲームの話を続けている。
結局、不思議なことに誰一人として見向くことなく、クラリッサは拓哉のもとに辿り着くと、真剣な表情で話しかけた。
「少し話があるの!」
そう言うが速いか、彼女は拓哉の手を引いて走りだす。
周囲からは、腕を引かれて走り出す拓哉の様子に、怪訝な表情を向けている。
だが、拓哉はもっと気になることがあった。
そう、彼女の口の動きが、言葉と全く一致していなかったことだ。
それが何を意味しているのかを考えながら、拓哉は引かれるがままに彼女の後について行く。