40 初日
2019/1/5 見直し済み
昨夜は、予想通りに大変な一夜になった。
だからといって、拓哉が大人の階段を登ったという話ではない。
細かくは説明しないが、大量の盗聴器および盗撮器を撤去したあと、ご想像の通り三人で風呂に入ることになり、トイレにいくとカティーシャが使用中だったり、大きなベッドで両サイドから押し迫られるように寝たりと、拓哉にとって心休まらない一晩だった。もちろん、ぐっすりと眠れようはずもない。
そう、ただただ只管に欲求不満を蓄積させるような出来事が連発しただけだ。
その辺りが、拓哉的にかなり辛いところだ。
いっそ、やっちゃえば良いのではないかと自分でも思うのだが、その度胸がない所が、彼が彼である所以かも知れない。
――はぁ、この無限貯蓄をどうすればいいんだ?
溜息を吐きつつも携帯端末で通達を受けた通り、自分の編入すべきクラスへ向かう。
「たしか、クラスは1D5だったわよね。それなら、この階よ。私達は上の階だから何かあったら直ぐに連絡してね」
不安そうにするクラリッサが、まるで心配性の母親が子供を送り出すような雰囲気で見送る。
「ああ、大丈夫だと思う。まあ、何かあれば連絡するさ」
クラリッサに軽く返事をすると、左側を歩いているカティーシャが残念そうに呟く。
「う~ん、フロアが違う……でも、仕方ないか……」
ドライバー科とナビゲーター科ではクラスが違うし、階すら違う。
当然と言えば当然かもしれないが、座学における学習内容も異なる。
ただ、実機訓練は合同で行われるし、申請すれば専属ドライバーやナビゲーターも認めてもらえる。
専属に関しては、少しばかり特殊ではあるが、その背景には使える兵を育てたいという考えがあるのだ。
もちろん、クラリッサはすぐさま専属登録を済ませるつもりだ。
「あ、タクヤ、今日の講義後に専属申請を出しに行くわよ」
「えっ!? 駄目だよクラリッサ、タクはボクとペアになるだよ」
即座にカティーシャが眦を吊り上げて食らいつく。
――うぎゃーーーー! 早速始まったぞ……
「じゃ、じゃぁ、俺は教室に行くから」
「あ、タクヤ!」
「あ~、タク! 逃げた~~~」
カティーシャの言葉ではないが、拓哉はまさに逃げるようにして自分のクラスのある教室に向かった。
クラリッサ達と別れた拓哉は、自分の教室を見つけ、少し緊張しながら扉を開いた。
拓哉が通っていた高校も割と綺麗な建物であり、教室も先進的ではあったのだが、ここは全く異なる様相だった。
そして、その異様な光景に、首を傾げてしまう。
――なんだこれ。全員で反省会なのか?
思わずそんな感想を持ってしまうのも無理はない。なにしろ、真っ白な机はあるものの、椅子がないのだ。
ところが、訓練生がどうしているかというと、全員が空気椅子の如く何もない宙に座っているのだ。
ただ、誰も辛そうな顔をしていない。
――見えない椅子でもあるのか?
不思議に思いつつも教室に入るのだが、それまでガヤガヤと賑やかった空気が一瞬で凍り付く。
――おいおい、俺の存在は凍結魔法か?
誰もが凍り付いたように凝視したままとなっているのだ。
クラスの硬直振りに、思わず心中でツッコミを入れるが、直ぐにどうしたものかと考える。
――どうすっかな~~、この凍り付いた状態を解除すべきだろうか。いやいや、ここは無言で席に着くべきだろう。
色々と思案した結果、拓哉は視線の集中砲火を無視して、端末を確認して自分の席に向かうことにした。
ただ、行き着いた先で更に困り果てる。
――つ~か、どうやって座るんだ?
自分の席に辿り着いたのは良いが、どう見ても椅子がない。
それを訝しく思いながらも、こっそりと周囲を確認する。
当然ながら、嫌がらせ椅子を隠されている訳ではない。教室には椅子という存在が全くないのだ。
困惑しながらも周囲を確かめるが、やはりクラスの訓練生は宙に座っている。
その事から、拓哉はクラスの者がサイキックを使って座っているのだと気付くが、それが分かったからと言って、自分に同じことができる訳ではない。
――ぬぬぬ、どうしよう……サイキックは使えないし……
まるで罰ゲームのような雰囲気なのだが、座ることのできない拓哉は立っているしかない。
しかし、そんなタイミングで拓哉に声が掛かった。
「なあ、お前、タクヤ=ホンゴウだろ?」
その声は隣から発せられた。
拓哉が視線をそちらに向けると、そこにはやや体格のガッシリした金髪の男がニヤリとした表情で、興味有りげな視線を向けていた。
「そ、そ、そうだけど?」
その男の意味深な視線に、拓哉は思わず引き気味になってしまうが、なんとか返事を返す。
すると、凍り付いていた時が動き始めた。
「うそ! やだ! 可愛いじゃない」
「あれが、黒き鬼神なの? マジ? 始めて間近で見たけど、結構いいじゃない」
「もっと、荒ぶれたイメージだったんだけど、普通だよな」
「てか、あの戦闘をあいつがやったのか?」
「実はミス・ララカリアの機体が凄いだけじゃないのか?」
時が流れだすと、教室内は一気にそんな囁き声で埋め尽くされた。
――お前等、俺を何だと思ってるんだよ! でも、女子訓練生からの熱い眼差しは悪くないかも……って、ごめん! だから怒るなって!
クラス内のコソコソ話を耳にして、女子訓練生の言葉で少し鼻の下を伸ばしていたのだが、脳裏にクラレとカティが激怒している表情が浮かんで、思わず心中で謝ってしまう。
二人の存在は、既にトラウマとなっているようだ。
「なあ、なんで座らね~の?」
隣から声を掛けてきた男は、いつまでも突っ立っている拓哉を見て首を傾げた。
しかし、拓哉としては座りたくても、どうすれば良いのかも解らない。
ただ、その男は何か気付いたのか、はは~んという顔を浮かべた。
「そういえば、サイキックを使えないとか言ってたよな。だったら、その机に設置されている空間ディスプレーを呼び出して、椅子の利用を選択すればいい」
助言を聞き、拓哉は眼前にある机に視線を向ける。
――ふむ。おお、すげ~! マジで空中ディスプレだよ……てか、これかな? つ~か、この空中ディスプレってどうやってタッチポイントを認識してるんだろう? いや、それはいい。取り敢えず椅子を選択だ。
「うむ、それだな!」
拓哉がディスプレから椅子を選択しようとすると、助言してくれた男が親切にも教えてくれる。
――この男、始めは少し不審に思ったが、思ったよりも良い奴かも知れないな。
隣の男に対する印象を見直しながらも、椅子を選択することに成功する。
途端に、何もない床が開いて四角い椅子が静かに出てくる。
――さすがは先進技術だな。日本じゃ考えられないぜ。
たかが椅子一つに感動していると、先程から世話を焼いてくれている隣の男が話しかけてきた。
「オレはリディアル=ミンクス、リディと呼んでくれ。これから同じクラスだし、よろしく頼むぜ」
「ああ、知ってると思うけど、俺はタクヤ=ホンゴウだ。タクヤでいいよ」
リディという隣の男に自己紹介を済ませると、彼は物凄い勢いで質問攻めを始めた。
「それにしても凄かったぜ。あの戦いは度肝を抜かれたぞ! どうやったらあれだけ自由自在に機体を動かせるんだ? オレに教えてくれよ。てか、女王と出来てるって本当か? いや、カーティスとの噂もあるな。もしかして両刀使いなのか?」
「ぬあ~~~! 両刀使いじゃね~~~! 俺はノーマルなんだ~~~!」
マシンガンのように撃ち出される質問自体は問題ではない。
ただ、両刀使いの一言で拓哉は完全に壊れてしまった。
せっかく出した椅子にも座らず、両手で頭を抱えて絶叫してしまった。
「あのな~~」
――ぐあっ、カティの件は内緒だったんだ……うぐっ……
クラリッサの件なら、出来ていると言われようとも、男女の関係だとか言われようとも、あまり気にならないのだが、さすがに両刀使いの噂は辛すぎる。
すぐさま否定しようとするが、そこでカティーシャから秘密だと言われていたことを思い出した。
「取り敢えず、そんな関係じゃない」
「ふ~~~ん! そっかそっか!」
リディはといえば、全く信用していないぞと言わんばかりの表情で頷いている。
――くそっ、これじゃまるで俺が嘘つきみたいだ……
他の訓練生からも冷やかな視線を浴びて、拓哉は頭を抱えて苦悩する。
その間も教室の中は、拓哉の話題で持ちきりなのだが、入口から教官が入ってくると一気に静かになる。
「よし、講義を始めるぞ!」
教官は点呼なんてことはせずに、教壇に上がると即座に講義を始めた。
しかし、何を思ったのか、ふと拓哉に視線を向けるニヤリとした。
「ああ、話題のホンゴウか! クラスではあんまり暴れるなよ! ああ、それと無暗に手を出すなよ? あとで自分が困るだけだからな」
教官はそう言うと、ニヒルな笑みを浮かべて講義に取り掛かるのだが、後半は明らかに女性関係を揶揄しているのだろう。
それを口にする教官の眼差しが、あからさまに生温かいこともあって、拓哉はさらに居心地の悪い想いをすることになるのだった。