38 戦慄
2019/1/5 見直し済み
場内は静寂に包まれている。
ついさきほどまで騒がしかった観覧席では、誰もが息を止め、まるで時が止まったかのように固まっている。
誰一人として言葉を発さない。そんな静けさの中に響き渡るのは、硬い物がぶつかるような打撃音と巨大な物が地に倒れた時に発せられる衝撃音だけだ。
――やはり……こうなるわよね。でも、思ったよりも過激だわ。もっとスマートな戦い方をするものと思ってたのだけど……
苛烈に、そして、容赦なく蹴りを見舞う機体を眺め、クラリッサは少しだけ疑問を抱く。
第一演習場で行われている模擬戦だが、戦闘開始のサイレンの音が響き渡った後は、誰も口を開くことなく瞳ばかりを大きく見開いている。
もちろん、それは拓哉の機体の動きに度肝を抜かれたものだ。ただ、今やその狂気に、誰もが声を発することができないほど戦慄していた。
ただ、その「誰もが」の中に、拓哉の能力を知っているはずのクラリッサやカティーシャも含まれているのは、些かお粗末な話かもしれない。
――ここまで容赦ないとなると、何かあったのかしら。
クラリッサの視線の先では、黒い機体がグレー色の機体をまるでデク人形であるかの如く、蹂躙し続けている。
その動きは、見る者に、洗練、迅速、苛烈、的確、など、様々な印象を与える。
そして、クラリッサが感じたのは、神技。いや、天罰だった。
――タクヤの能力は嫌と言うほど知っている。彼の性格も随分と理解できたと思っていた。でも……この戦いを目の当たりにして、全く解らなくなってしまったわ。
蹂躙劇を目にして、クラリッサは動揺していた。
そう、目に映る戦闘が、拓哉のものとは思えなかったからだ。
「クラリッサ……タクに何が起こったのかな?」
隣に座るカティーシャが擦れるような小声で問いかけるが、クラリッサは首を横に振ることしかできない。
なにしろ、彼女自身が理解できていないからだ。
異常な程の戦闘能力を持っているのは理解している。しかし、ここまで容赦なく相手の息の根を止めるかのような戦いを、全く以て予想していなかった。
――あれでは搭乗者が死んでしまうわ……どうしたのタクヤ……
「拙いね。ちょっと過激にやり過ぎだよ」
どうやら、カティーシャも彼女と同じ危機感を持ったらしい。
でも、その声に耳を傾けながらも、クラリッサは戦闘に向けている視線を外すことができない。
すると、何が原因で息を吹き返したのかは解らないが、これまで沈黙を守っていた解説者の震える声がスピーカーから放たれた。
『お、お、鬼です……黒い鬼がPBAを、何もかもを粉砕してます!』
この解説者は、完全に呑まれていた。いや、恐怖の体現者となっているのだろう。しかし、別の意味で沈黙を守っていた者も居たようだ。
そして、それは解説者の声で目覚めた。
『あはははは! もっとだ! もっとやれ! タクーーーーーー!』
その声は誰が聞いても、直ぐにララカリアだと解るだろう。
どうやら、彼女は周囲の者達と違って、感動が過ぎて声が出なかったようだ。
ただ、彼女の喝采は、観戦者たちの意識を覚ましたようだ。
あちこちから、畏怖の声や悲鳴のような声が上がる。
なにしろ、これは戦闘というより、もはや蹂躙――虐殺に近いかもしれない。
「あっ、終わりだね」
終了のサイレンが鳴らされると、それを耳にしたカティーシャが終了を口にした。
しかし、クラリッサはその言葉に肩を竦めた。
――そんなことは、サイレンが鳴る前から一目瞭然だわ。だって、五機のPBAが屑鉄になって転がっているんですもの……さあ、タクヤの処へ急がなきゃ。
彼女は拓哉に思いを馳せ、即座に席を立ってこの場を後にした。
そんな彼女の耳に様々な声が届く。
「あれ、本当に十五歳か? どこからか特殊な兵士を連れてきたんじゃないのか?」
「怖い……怖いわ。あの容赦なさは……」
「あんなのと一緒に訓練するのか? ちょっと怖すぎるんだけど……」
「解説者が鬼だとか言ってたけど……あれは、まさに鬼神だな」
「うむ。黒い鬼神か……オレ、二回生でよかったわ」
「うぐっ、同じクラスになったらどうしよう……」
「でも、ちょっとカッコイイよね。異世界から来たエースドライバーよ。トップガンだわ……唾を付けちゃおうかな」
「何言ってるの。もう女王が唾どころか身体ごと頂いているわよ」
――ちょっと、なによその身体ごとって……まあ、かなり近い状態ではあるのだけど……
「凄いね。もう二つ名までついてるよ。黒い鬼神だってさ。かっこいい~」
噂話を聞いたカティーシャが嬉しそうにしている。
――確かに、もう黒い鬼神が定着しそうな勢いよね。カティと同感なのはちょっと癪だけど、カッコイイわね。
クラリッサが笑みを見せた時、丁度、校長の居る場所の近くを通った時だ。副校長であるラッセルが立ち上がって必死に何かを訴えているが聞こえた。
「校長、幾らなんでもあの戦闘は非道です。相手は既に戦闘できる状態ではなかったはずです。それなのに過剰な攻撃を加えていた。私は彼をドライバー科へ編入させることに反対です」
――どうやら、この副校長は意地でも拓哉を阻害したいみたいね。でも、その言動は上手くいくのかしら。
クラリッサがほくそ笑む。
すると、それまで黙って聞いていた校長が、チラリとクラリッサに視線を向けた。そして、何事もなかったかのように副校長に視線を戻した。
「ラッセル君、君は何か勘違いをしているようだね。ここは普通の学校ではないのだよ。飽く迄も軍の施設であり、苛烈な戦闘に耐えうる兵士を作るための訓練校なのだ。逆に言うと、容赦なく戦える戦士を作り上げる場所ではないのかね?」
「うぐっ……」
――その通りだわ。だから私は率先してここへ来たのよ。ここは仲良し学校でないのだから、副校長のそんな温い言い分なんて通用するはずがない。もし、それが通用するのなら、私はこんなところなんて直ぐに出て行くわ。それこそ私兵を持つ企業にでも入った方がマシだもの。
「あれ、黒幕じゃないだろうけど、なんかありそうだね」
クラリッサが脚を止めたことで、一緒になって聞いていたカティーシャが眉間に皺を寄せた。
――同感だと言わざるを得ないわね。そうなると……
クラリッサは真剣な表情を浮かべ、隣のカティーシャに視線を向ける。
「ねえ、カティ、あなたって隠密サイキック持ちよね。探れる?」
「え~~、面倒臭いよ~」
「それがタクヤのためになるとしても面倒なのかしら」
「それなら話は違うよ。やるよ。何を探ればいい?」
――ほ~ぅ。拓哉のためなら何でもやりそうな勢いね。
カティーシャの覚悟を察したクラリッサは、今後の方針を彼女と話し合うと、それぞれの役割を決めて、急いで格納庫に向かった。
相変わらず雨漏りでもしそうな格納庫へとやってくると、既に機体の格納し終えた拓哉が戦闘記録を持って降りてくるところだった。
ただ、それを出迎えているのは、いつの間にか戻ってきたララカリアなのだが、その隣にはなぜかリカルラまでいた。
「タク! よくやった。さすがだ!」
ララカリアは恐ろしいほどのはしゃぎっぷりで、拓哉の腕をパンパンと何度も叩いている。
そんな拓哉の背中をデクリロやクロートも最高の笑顔で叩いている。その横ではトニーラが拍手をしながら喜びを露わにしていた。
「タクヤ、今日はスッキリしたぜ! PBA班の奴等、今夜は徹夜だぞ~~! 愉快! 愉快! くはははは!」
「さすがだぜ、タク! 木っ端微塵じゃね~か! くは~~~! 思わずイキそうだったぜ。いひひひひ!」
普段から蔑みの視線を向けてくるPBA班の不幸を笑い飛ばすデクリロ。
クロートがはしゃぎながら感嘆の声を上げている。
――嬉しいのは解るし、その気持ちは解らなくもないけど、少し……いえ、かなり露骨で下品だわ。
クラリッサの感想を他所に、目をキラキラと輝かせたトニーラが拓哉に詰め寄る。
「タクヤ君……僕……君なら何もかも捧げられるよ!」
――ちょっと、ヤバいわ……私のタクヤを誘惑しないで欲しいのだけど、それも男色の道なんて絶対にダメよ。あっ、まさか、トニーラが女だったなんて、カティみたいなオチはないわよね?
トニーラの態度に不安を抱くが、クラリッサはそこで拓哉の様子がおかしいことに気付いた。
「タ、タクヤ、どうしたの? そんなに険しい顔をして」
そこで始めてクラリッサの存在に気がついた拓哉が驚きを露わにする。しかし、直ぐに表情を沈ませた。
その態度がクラリッサの不安を駆り立てる。
隣に居るカティーシャも何が何やらといった表情で首を傾げている。
すると、拓哉は無理に笑顔を作ってみせた。
「な、何でもないんだ。悪いな、気を遣わせてしまって」
――何でもないようには見えないわよ。何があったのかしら。もしかして、それがあの苛烈な戦いに関係しているのかしら。
拓哉は理由を話さないし、しつこく聞くのも気が引けてる。
クラリッサの中で形のない不安が広がっていく。
そんな時だった。ララカリアの隣に居たリカルラが、ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。
「実はね。あの機体に乗っていた訓練生たちが、下種なことを口にしたのよ」
「あっ、な、なんで……てか、どこに盗聴器を仕掛けてるんですか」
リカルラの台詞に被せるようにして拓哉が詰問するのだが、クラリッサにとっては全く意味が解らない。
しかし、今はリカルラの話の方が気になる。
「た、タクヤ、少しリカルラの話が聞きたいわ」
「だが……」
クラリッサがお願いすると、拓哉は何か言いたそうにしていたが、そのまま押し黙ってしまった。
――ごめんね。タクヤ。でも、真相を知りたいのよ。
押し黙る拓哉を眺めていたリカルラに視線を向けると、彼女は一つ頷いてゆっくりと話し始めた。
「あいつ等はね。クラリッサを犯して調教するとか言っていたのよ。だからホンゴウ君はキレたのよ。それであの結末という訳よ」
リカルラの言葉を聞いて、クラリッサは一瞬だけ怒りが込み上げてくる。しかし、拓哉がキレたと聞いて、胸を熱くした。
――やだ、頬が火照ってきた……タクヤ……
クラリッサが真っ赤になった顔を向けると、拓哉は恥ずかしそうに頬を掻いている。
ただ、彼女は今の話がおかしいことに気付いた。
「ねえ、どうしてタクヤが対戦相手の会話がわかったの? それに、リカルラはどうしてそれを知ってるの?」
リカルラの話は、事情を知らないクラリッサにとって、とても不自然だった。
「ああ~、対戦相手の話が聞えたのはあたいの仕掛けさ。奴等がこっちの機体に細工をしやがったんで、ちょっとしたお返しさ」
ララカリアが悪びれることなく言ってのける。
――それじゃ、リカルラがその事を知っている理由は? ああ、拓哉が言っていた盗聴器ってその話なのね。でも、彼女にそんな仕掛けなんて無理だろうし……
「そうですよ。どうやって知ったんですか?」
クラリッサが怪訝に思って首を傾げていると、拓哉が再びリカルラを問い質した。
すると、リカルラは歳も考えずに、「てへっ」と舌を出したかと思うと、おずおずと話し始めた。
「実を言うとね。ホンゴウ君に打った注射はサイキックナノマシンなのよ。だからあなたが感じたこと、口にしたこと、耳にしたこと、何でもかんでも私に伝わるようになってるの」
「ぐはっ!」
とんでもない事実を聞かされて、拓哉は目眩を起したかのようにふらつく。
「た、タクヤ!」
「た、タク、大丈夫かい」
よろめく拓哉をクラリッサとカティーシャが慌てて支える。
――この女、本当にヤバいわ……
クラリッサは拓哉を支えながらも、リカルラという女がどこまでも恐ろしい存在だと思い知る。そして、それは現在進行形であり、その恐怖がこの先も続くことを考えて、思わず身震いするのだった。