35 模擬戦前
2019/1/4 見直し済み
『サイキックシールドシステムが起動します』
そんな機械音声が流れると、第一訓練場の周囲にサイキックシールドが張られていく。
その大掛かりなシールドを展開するために、いったいどれだけの能力者が力を費やしたのかと、誰もが思うことだろう。
しかし、これはリカルラ博士が軍の技術開発部と共に作り上げたシステムであり、片手で収まる数の能力者で行われている。
これを発動するためには、大掛かりな増幅システムが必要であり、それを機体に載せることは叶わなかった。
それ故に、PBAに関しては小型のサイキック増幅装置しか装着されておらず、その殆どは操縦者の力によって賄われている。
――これほどの力がPBAに備われば、相手がヒュームだったとしても、そう簡単に負けないと思うのだけど……ない物ねだりをしても仕方ないわね。
クラリッサが嘆息する間も、凡そ三百メートル四方のグランドの周りに、やや透明度の低い障壁が張られていく。
この障壁が張られると、内部からは当然のこと、外部からのいかなる干渉も不可能となる。
唯一、内側に出入りが可能なのは、入出場口だけとなるのだが、その扉は未だ固く閉ざされたままだ。
――ふっ~。負けるはずがないとは思っていても、どうしても緊張してしまうわ。
クラリッサは早まる鼓動を感じ、その豊かな胸に手を置く。
しかし、それだけで鎮まるはずもない。彼女はグランドの正面となる観覧席に腰をおろしたまま瞑目する。
そんなクラリッサの周囲はといえば、なぜか、唯一カティーシャが退屈そうにしているだけだ。
「ね~、まだ始まらないのかな?」
「ん~、色々と準備があるのよ。裏工作のね」
カティーシャの愚痴の返事として、クラリッサは意味深な言葉と一緒に不敵な笑みを返した。
「早く、そいつらの驚く姿を拝みたいよね」
――その考えは少し悪趣味よ。でも、今回に限っては、少なからず賛成だと言っておきましょうか。
人の悪い笑みを浮かべるカティーシャに向けて、クラリッサはコクリと頷いた。
しかし、そこで彼女は表情を引き締めて周囲を見渡した。
「それよりも、カティ。もちろん防音シールドは張ってあるわよね?」
「もっち、のロンだよ! そうそう話題を提供する気はないからね」
カティーシャに頼んで、盗聴サイキックを防止する障壁を張ってもらっているのだ。
もちろん、目に見える壁が出来上がっている訳ではなく、音声を遮るための見えない振動が働いているだけだ。
ただ、そうでもしないと、何も話せなくなってしまう。なにしろ、この訓練校には多くのサイキッカーが集まっているのだ。
「それはそうと、クラリッサ。今回のことは誰が裏に居る思う?」
カティーシャは周囲を気にしながらも、こそこそとクラリッサに問いかける。
そう、カティーシャにはラッセル=ボーアン副校長の件を伝えていないのだ。
というのも、なるべく秘密にするようにとキャリックから釘を刺されているのだ。
それに、クラリッサ自身、副校長以外のものについては、全く教えてもらっていない。
ただ、彼女は教官や訓練生にも共犯者が居ると確信していた。
「さあ、分からないわ。というか、もし分かっても、ここでは口にできないわ。音声シールドがあるとはいえ、口の動きで読まれる可能性もあるし、その話はもう止めましょ」
「確かに、そうだね。ボクが迂闊だったよ」
クラリッサに窘められたカティーシャは、顔を顰めつつも素直に謝った。
それは、自分の言動が迂闊だったこともあるが、大きな理由は別にあった。
そう、二人は全てではないにしろ、少しばかり和解したのだ。
クラリッサはあれから男の性について調べ、自分達の行動が拓哉に負担をかけていることを知った。
それは、彼女にとって驚く事実であり、申し訳なさで落ち込みもした。
ただ、そのままで終わらないのがクラリッサの素晴らしいところだろう。
彼女はすぐさまカティーシャに和解を申し入れた。
少なからず、彼女の中に不満もあったが、拓哉の負担を減らすためならカティーシャと仲良くするのも吝かではなかった。
すると、拓哉の苦悩に気付いていたカティーシャも素直に応じた。
こうして、二人は名字ではなく、名前で呼び合うようになったのだ。
――これでタクヤの負担が減れば良いのだけど……
ホッと安堵の息を吐きつつ、クラリッサは隣をチラリと見やる。
そこには、両手を後頭に回し、椅子に座った状態で両足も伸ばしているカティーシャが居る。
何とも行儀が悪いのだが、今は男の子の振りをしているのだから、これで丁度良いのだろう。
クラリッサとしても、それを理解しているのか、特に苦言を口にすることはない。
ただ、彼女が嘆息していると、そこで声が掛かった。
「や~。ご機嫌は如何かなクラリッサ嬢。あと、カティは少し行儀が悪いね」
クラリッサが声の発生源に視線を向けると、そこには三回生のクーガー=モルビスが立っていた。その横にはパートナーであるベルニーニャ=ミロットの姿もあった。
「あ、こんにちは」
「ああ~、気にしなくていいから、気軽にしてくれ」
クラリッサがゆっくりと立ち上がって挨拶をすると、カティーシャの兄であるクーガーではなく、なぜか隣のベルニーニャが手を振りながら答えてきた。
――確か、彼女は三回生ナンバーワンと言われるナビゲーターだったわね。いえ、クーガーは実力を隠しているようだけど、叔父様の話では、三回生ナンバーワンドライバーだったわね。
少し警戒心を高めて対応したのだが、当の本人――クーガーは気まずそうな表情で頭を掻いた。
「そんなに警戒しないでほしい。私は君達……いや、ホンゴウ君の敵ではないからね。それに弟の最愛の相手だし、っていうのは少し変か……まあ、いつかは義理の兄弟になるのだし、仲良くしたいと思ってるのだよ」
「いえ、彼は私の夫になるので、恐らくモルビス先輩の兄弟になることは無いと思います」
義理の兄弟になるという台詞でカチンときたクラリッサは、思わず対抗意識を燃やしてしまった。
――ダメよ。これがタクヤのストレスに繋がるんだから、少しは我慢しないと……
少しでも拓哉の負担を減らしたくて、自分を抑えようとしていると、クーガーが笑みを見せた。
「あははは。カティから噂は色々と聞いているよ。まあ、これからも大変だろうけど仲良くしてやって欲しい」
その言葉を耳にした途端、カティーシャに鋭い視線を向ける。
しかし、カティーシャはといえば、全く悪びれなく明後日の方向に視線をむけて口笛を吹いている。
どうやら、知らぬ存ぜぬで事を済ませる気らしい。
――まあいいわ。取り敢えず、和解した訳だし、少しは大目に見ましょう。でも……
「仲良くするのは吝かではありませんが、カティ、口が軽いのは身を滅ぼすわよ?」
取り敢えず場を取り繕うために頷いたクラリッサだったが、カティーシャに釘を刺すのも忘れない。
途端に、カティーシャは顔を引き攣らせた。おまけに、そこでクーガーはクラリッサに味方した。
「そうだね。ちょっと口が軽いのと、お行儀が悪いのは治した方が良いかもね。帰ったら母上に報告しておこうかな」
「お、兄様、こ、これは、仕方ないのです。演技なのです。ママに報告なんて――」
――あれっ? いつもと口調が違うわ。もしかして、これが彼女の素なのかしら。
カティーシャは椅子から立ち上がって必死に抗議するが、クーガー方はニコニコとしている。
そんな二人の横からベルニーニャが割って入ると、面倒くさそうに口を開いた。
「どうでもいいけどさ、座らないか? 立っているのも疲れるし。いいよな? バルガン」
「どう――」
どうぞと言おうとしたクラリッサだったが、ベルニーニャは返事をもらう前から腰かけてしまった。
その言動からして、彼女は短気で面倒臭がり屋というのが分かる。
それを学習しつつ、クラリッサは呆れた様子で肩を竦めると、カティーシャも同じように肩を竦めた。
ただ、その横では、クーガーが申し訳なさそうな面持ちで溜息を吐いている。
ところが、そんなところに、観覧席に設置されたスピーカーからアナウンスの声が発せられた。
「あ、あ~、こちらはナビ科三回生が行う模擬戦実況班です。今回の模擬戦が異例の事態ということで臨時で結成させて頂きました。という訳で、本日の模擬戦における実況を担当します。解説は――クーガー=モルビスとベルニーニャ=ミロット。ゲストは、リカルラ=ビーン、ララカリア=マークスとなっております。では、解説者とゲストは直ぐに中央放送席まで来てください」
「なんだそれ! クーガーが了承したのか?」
「いや、私も初耳だよ」
放送を聞いたベルニーニャが慌てて立ち上がると、クーガーに食って掛かったのだが、どうやら彼も寝耳に水だったらしく、キョトンとした表情で呆けていた。
しかし、そこは大財閥の御曹司、一瞬で表情を切り替えてベルニーニャの背中を軽く叩く。
「まあ、偶にはサービスもいいんじゃないかい? 行くよベル」
「あ、あ、でも、ベル……うん」
騒ぎ立てていたベルニーニャは、愛称で呼ばれた途端、まるで借りてきた猫のように大人しくなった。
それもそのはず、いつものクーガーは彼女を愛称で呼ばない。それを不満に思っているベルニーニャは、愛称でよばれたことで一気に乙女モードに突入してしまったのだ。
――どうやら、ベルニーニャがクーガーに惚れているのでしょうね。
ベルニーニャの態度を見て、クラリッサはニヤリとするのだが、自分がどう見られているかは考えていないようだ。
「実況がはじまるってことは、そろそろかな」
クーガーとベルニーニャが放送席に移動するのを眺めていると、カティーシャが身を震わせた。
そう、クラリッサだけではなく、彼女も緊張しているのだ。
戦うのはあくまでも拓哉なのだが、まるで自分の事のように感じているのだ。
「そうね。集中していないと、あっという間に終わるわよ?」
「そうだね。それはありそうだし、その方が面白いけどね。みんな、ぶっ魂消るだろうね」
確かに二人が言う通り、拓哉が操る機体を初めて見たら、誰でも腰を抜かすほどに驚くだろう。
――ただ、気になるは、裏で画策している輩が、このまま引き下がるかという問題よね。
「あ、そろそろ始めるみたいだよ」
放送席を眺めていたカティーシャが、いよいよ放送が開始されると判断したようだ。
その言葉が正解だと言わんばかりに、機体の入場に関する放送が始まった。
――さあ、いよいよね。タクヤ! 愚かな者達に、目に物見せてあげなさい!
クラリッサの心の叫び声が届いたのか、機体の入出場口の扉が開かれた。
彼女の想いを叶えるかのように、この日、この時、後世に残る拓哉の伝説が今まさに始まろうとしていた。