32 仲直り
2019/1/3 見直し済み
頭上に広がる透き通るような青空。
それは、誰が見ても美しく綺麗な空だと言うだろう。
ところが、このところ疲れ気味の拓哉に取っては、曇り空とさほど変わりないように思えた。
「はぁ~」
拓哉が美しい空を眺めながら溜息を吐いていると、背後から罵声が投げかけられた。
「タク! 幸せ者がそんな溜息を吐くんじゃね~よ!」
クロートはそう言って拓哉の背中を叩く。
それを見ていたトニーラが率直な意見を述べる。
「タクヤ君は少し贅沢なんだよ。僕ならクラリッサ嬢から構ってもらえるだけで、浮かれちゃいそうだよ」
二人の気持ちは分らなくもない。いや、それは正常だといえる。
なんといっても、クラリッサは、非の打ちどころがないほどの美人であり、可愛くもある少女なのだ。
さらに、均整の取れたスタイルといい、豊かな胸といい、男なら振り向かずにいられないほどに魅力的だ。
それなのに、拓哉は溜息で返してしまう。
「はぁ~」
――そうなんだけどさ~。ただ、俺にはもう一人の相手が居るんだよ。それも、本人曰く、「これでボク達も許嫁だよね」なんて言っている少女が……その二人が毎日のように喧嘩するんだ。誰でも頭を抱えるってもんだろ?
拓哉自身も贅沢な悩みだということは理解していた。ただ、毎日のように板挟みになっていると、精神的に病んでくるのだ。
そして、その事実を口にできない理由もあり、周りに相談できないのも、彼の苦悩が和らがない要因となっていた。
「まあ、そうなんですけどね。色々とあるんですよ」
「おっ、それは夜の営みか?」
内容を言えないが故に曖昧な回答を口にすると、クロートがすかさず食いついてきた。
クロートからすれば、男と女の悩みとなれば、それしかないのだろう。嫌らしい笑みを浮かべている。
しかし、相手がクロート達といえども口には出来ないのだ。それに、そんなエロい話ではないのだ。
「それなら、何の問題もないんですけどね……」
溜息混じりに否定する。
すると、その反応から拓哉の苦悩を察したのか、トニーラが心配そうな表情を見せた。
「てか、最近のタクヤ君って少し疲れてるよね。大丈夫?」
「少し……少しだけ疲れてますかね……」
拓哉は少しだけ肩を竦める。その反応からして、明らかに普通ではない。
実際、トニーラが指摘する通り、拓哉は少し疲れていた。いや、かなり疲れていた。
なにしろ、校長公認のクラリッサと父親公認のカティーシャが、毎晩のように部屋に来てはバトルを始めるのだ。疲れないはずもないだろう。
そんな、拓哉を見やり、トニーラは別のことが気になったのだろう。直ぐに話を代えた。
「明後日は模擬戦だよ。そんな体調で大丈夫なの?」
――大丈夫か、大丈夫じゃないか、そんなことは、俺にも解らないんだが……
拓哉はもう一度肩を竦めるが、何も答えない。
なぜなら、彼にも分からないからだ。いや、彼自身に判断する材料がないのだ。
そう、未だに模擬戦の内容が決まっていなかった。
それは拓哉に隠しているだけなのかも知れない。ただ、言えることは、何も知らされていないということだけだ。
クラリッサやキャリックの事を考えれば、隠されているとは考えづらい。そうなると、単に決まっていないだけかもしれない。
どちらにしても、何も知らない拓哉からすれば、大丈夫かどうかと尋ねられても、解らないとしか答えられないのだ。
「まあ、機体のプログラムは完了してますし、戦闘自体は大丈夫だと思いますよ」
「あの機体を動かすタクに敵う奴なんて、そうそう居ないね~って!」
取り敢えず、取って付けたような返事をすると、すぐさまクロートが頷いた。
あの機体――拓哉の操縦技術を知っているクロートからすれば、初めから負けることなど想像もしていないのだろう。
それでも、さすがに現状の流れがおかしいと感じているのか、二人は怪訝な表情を見せた。
「それにしても、今回の模擬戦はおかしいですよね」
「ああ、幾らなんでも二日前に対戦内容が決まってないのは異常だぞ」
トニーラの言葉に賛同するクロートだが、拓哉は逆に通常の模擬戦が気になる。
「いつもはどんな感じなんですか?」
「どんな感じと言われてもな~。校内模擬戦なんて普通にやることだし、そんな特別なことはないぞ」
「そうですね。大抵は一対一か多対多の戦闘ですよ」
クロートとトニーラが答えてくる。その内容は、拓哉が凡そ予想したものだった。
――まあ、それなら、どちらになっても問題ないかな。いや、気を引き締めないと……
拓哉はホッと安堵の息を吐く。
というのも、一対一なら負ける気はしないし、多対多でも生き残った方が勝ちだというのなら、何の問題も無いと思える。
ただ、拓哉が経験してきたのは、飽くまでもゲームの中だ。それ故に、実機だと思うと、不安が拭えない。
「タ~ク~!」
拓哉が模擬戦について思考していると、後ろからカティーシャの声が聞えてきた。
振り向くと、そこには元気に手を振るカティーシャの姿と、それを冷たい視線で突き刺しているクラリッサの姿があった。
「もう授業は終わったのか?」
「うん。もう終わりだよ。今日は評価試験しないの? ボク、今度こそ頑張るから」
「いえ、あなたは絶対に乗せません。ナビシートの掃除がどれだけ大変だったか理解しているのかしら」
授業の終わりにつてい尋ねると、カティーシャが機体に乗りたいと言い出す。
それに対してクラレが爆弾を投下した。
「そ、そ、それは言わない約束だよ……」
その爆弾でカティーシャ号は一気に撃沈されるが、その元ネタを知らないクロートとトニーラは首を傾げている。
しかし、当の本人は、さすがにショックを隠せず、拓哉に泣き付いた。
「うわ~ん! タク~、バルガンさんがボクを虐めるんだよ」
実際、虐めというよりも、単に事実を告げただけなのだが、この場合は、少しばかり可哀想だと言えなくもない。
拓哉としては、さすがに今のはちょっと可哀想だと感じたようだ。
クラリッサに半眼を向けて窘める。
「クラレ! それは……」
「あ、ごめんなさい。ちょっと言い過ぎたわ」
素直に謝ったものの、クラリッサはわざとらしく澄ました表情を見せた。
強かな彼女の態度に、拓哉は肩を竦める。
あからさまに悪意のある態度を執るクラリッサに、棘のある視線を向けたカティーシャは、怒りのあまりに隠形を始めた。
次の瞬間、風もないのにクラリッサのスカートが見事に捲り上がる。
クラリッサは驚きで目を瞠り、拓哉は眼福で目を瞠ったのだった。
明日はいよいよ模擬戦だ。
その内容に関しては、ついさっき通達があったばかりだ。
「幾らなんでも遅すぎない?」
カティーシャが苦言を口にしつつ、クラリッサに冷たい視線を向けた。
その態度の理由は、校長がクラリッサの叔父であるせいだろう。
しかし、それは彼女の責任ではない。彼女に冷たく当たるのは間違っている。
そう感じた拓哉は、直ぐにカティーシャを窘める。
「カティ、別にクラレが悪い訳じゃないだろ? そんな態度を取るのは良くないぞ」
「あうっ、ごめん」
「俺に謝っても仕方ないだろ?」
カティーシャは素直に謝ってくるのだが、それが向けられたのはクラリッサではない。
そのことに、拓哉は溜息を吐くが、クラリッサはあまり気にした風でもなく、お茶をいれながら何食わぬ顔をしている。
「ん? 大丈夫よ、タクヤ。そんなことなら慣れっこだし、特に気にしてないわ」
彼女はお茶を拓哉の前に置きながらそう告げる。しかし、拓哉としては色々と不満なのだ。
というのも、ここは拓哉に割り当てられた私室であり、いつものように二人がいがみ合っているのは、さすがに心が休まらないのだ。
そう感じて、今日は敢えて二人にハッキリと話すことにした。
「あのさ、ちょっと話があるんだけど、二人ともちょっと聞いてくれないか?」
そう前置きをすると、二人とも真面目な表情で拓哉に顔を向けた。
ただ、どちらも口を開くことはない。それが何を示しているのかは解らないが、拓哉は取り敢えず話を進めることにした。
「俺はお前達二人に好かれて、とても嬉しい。それにこうやって部屋に来てくれるのもとても嬉しい。でも、二人が険悪で居られるのは、ちっとも嬉しくない。何が言いたいか解るか?」
途端に、カティーシャが項垂れた。数秒前の件があったからか、グサりときたのだろう。
「ごめん。バルガンさんもごめん」
彼女は直ぐに自分の非を認めて、拓哉とクラリッサに頭を下げた。
すると、クラリッサは驚いた表情を見せたが、直ぐに平静を装って頭を下げる。
「それは私もだわ。ごめんなさい。タクヤ、モルビスさん」
クラリッサが素直に頭を下げたことで、拓哉はホッと胸を撫でおろす。
というのも、どちらかと言えば、クラリッサの方が険悪な態度を執りがちだからだ。
そんな彼女が素直に謝罪してきたことで、拓哉は安堵したのだ。
「二人ともありがとう。理解してもらえてとても嬉しいよ」
拓哉が笑顔で喜びを露わにすると、二人も嬉しそうに笑顔で頷く。
そんな二人を見て、拓哉はこれからのことに想いを馳せる。
――これで、少しは真面になるだろう。二人が喧嘩さえしなければ、最高に幸せな生活になるはずだ。
二人が理解してくれたことで、想像以上に気分が軽くなった拓哉だったが、世の中とはそんなに甘くないと思い知る。
「じゃ、俺はちょっと風呂に入ってくるから、二人で仲良くしていてくれよ」
「あ、タクヤ、風呂なら私が背中を流すわ」
「あ、だったらボクが前を流すね」
風呂発言が拙かったのか、それとも二人が理解できていなかったのか、行き成りどっちが前を洗うかで揉め始め、火花を飛ばす勢いで睨み合いを始めた。
「いやいや、前は自分で洗うから」
「だめよ! 私が洗います」
「何を言ってるんだい。ボクが洗うに決まってるじゃないか」
――つ~か、自分で洗う事を禁じられても困るんだが……
拓哉は今にも取っ組み合いを始めそうな二人を眺めつつ、さっきの返事はどうなったんだとか、明日は模擬戦なのにとか、ボソボソと呟きながら大きなため息を吐いた。