25 切っ掛け
2018/12/31 見直し済み
既に全ての講義が終わり、研修生は夕食を待つだけといった時間帯だ。
頭上高く昇っていた陽は、既に地平線に沈み込もうとしている。
そして、明るさを失いつつある陽が、武骨な装甲を朱く染める。
そのシルエットは、拓哉からすれば日本の武者を思い起こさせるものだったが、各部に取り付けられた装甲や装備により、悪魔の化身のようにも感じられた。
「次っ!」
拓哉はその朱く染まった機体を我物のように動かし、立体映像の敵を右手に持つ高周波ブレードで切り伏せていく。
反対側の手には、縦二メートル横一メートルほどのエネルギーシールドを持ち、敵の遠距離攻撃をそれで巧みに捌く。
本来、エネルギーシールドは、その効果を最大限に発揮すると三倍くらいの大きさになるのだが、その使用方法では激しくエネルギーが消費されることから、長時間の稼働が難しくなる。それ故に、敢えて最小限のサイズで使用しているのだ。
「敵、あう、ああああ。うきゃ~~~~~」
ナビゲーターからの指示――悲鳴をバックミュージックに次々と敵を倒していく。
正直言って、拓哉の能力からすると、この程度の戦闘ならば、ナビゲーターなど必要ないのだ。
強いて言えば、ナビゲーターが役に立つとすれば、機体の状況把握くらいだろう。
拓哉はいつもと同じように、鼻歌混じりに戦闘を熟しているのだが、どうやらナビゲーターシートでは大変なことになっているようだ。しかし、戦闘訓練中だけあって途中で止める訳にもいかない。
拓哉としては、とても申し訳ないのだが、現在のカーティスを確認する暇もない。
――ん? なんか怪しい臭いがするんだが……
コックピット内の微妙な臭いの変化を感じとるが、怪訝に思いながらも、次の敵を倒すべく機体を加速させる。
「ぐぎゃ―ーーーーーー!」
――仕事はしなくていいから、もう少しだけ静かにして欲しいんだが……
加速に合わせて、ナビゲーターが効果音を付加してくれるのだが、さすがに少し鬱陶しく思い始める。
「タク、タク、た、タクぎゃーーーーー!」
一気に敵へと接近し、急旋回で死角へと回り込む。
――なんか、俺を呼んでいるような気がするが……
名前を呼ばれたような気がして、ピクリと眉を動かすが、拓哉は気にせずに戦闘を続ける。
なにしろ、現在は戦闘中だ。もし呼ばれているのがハッキリ聞こえても、構っている暇はない。
というか、彼はタクヤであってタクギャではない。
――まあいい。カティには荷が重すぎたというのが解っただけでも成果だよな。これで、クラレとカティの抗争にも収まりがつけば、俺としては万々歳さ。
見事なほどに何の役にも立たないナビゲーターの悲鳴を聞き流しながら、拓哉は何事も起きていないかのようにサクサクと戦闘を熟す。
特殊素材で作られた、歪な装甲を持つ右手を振り切る。即座に厳つい作りの両足を巧みに使って旋回する。
駆動モーターが悲鳴をあげるほどの急操作で、恰も幻かのような変幻自在の動きを機体に強いる。
その動作で、機体の彼方此方から悲鳴のような音が聞こえてくるが、今日に限っては後ろの席というか、ヘッドシステムから聞こえてくる悲鳴で掻き消されているように感じていた。
「これで、ラスト! それっ!」
最後の敵を簡単に倒して戦闘を終了させた。
ホッとと息を吐きつつ、拓哉はナビゲーターシートに座るカーティスに声を掛ける。
「カティ、大丈夫か? 終わったぞ……カティ?」
呼べども呼べども返事がない。
先程までとは打って変わって、今度は無音を貫くカーティスを心配に思い、マイモニタと呼ばれる右下のモニタで後部座席の様子を確認すると、彼は見事に夢の世界へと飛び立っていた。
「う~む。少しやり過ぎたかな? わるい。でも、自分が言い始めたことだぞ?」
心中でカーティスに詫びながらも、自業自得ではないかと考える。
そして、自分の責任ではないと言い聞かせ、それほど悪びれることなく、ぐっすりとお休みモードに突入したカーティスを映すマイモニタを眺める。
そんな拓哉に、ララカリアからの無線連絡が届く。
『よし。終了だ。格納庫へ戻ってミーティングをやるぞ! ああ、それとあの坊やはどうだった? って尋ねるほどのこともないか……多分、機内音声記録は奴の悲鳴で埋まっているだろうからな』
どうやら、向こうでもカーティスの音声を拾っていたようだ。
間違いなく、クラリッサが「ナビたる者が……」なんて苦言を並べているはずだ。
「了解しました。戻ります」
拓哉は速やかに機体を格納庫へと移動させるのだが、そこで想像もしていなかった事態に目を白黒させることになる。
何時もの如く、颯爽と機体を専用ガレージへと格納すると、戦闘記録の採取も放置してナビゲーターシートに座るカーティスの様子を直接確かめたのだが、見事なほどに逝ってしまっていた。
逝ってしまっていると言っても、別に死んだりはしていない。スヤスヤと夢見心地となっているだけだ。
「カティ! カティ! おいっ! カティ!」
拓哉が遠慮がちにカーティスの頬を軽く叩くが、全く反応がない。
「こういう場合、唯の屍のようだと言えばいいのか?」
古いネタを持ち出しつつも溜息をひとつ吐き、小柄なカーティスを抱き上げる。
「さすがに、小柄で華奢だと言っても、ひと一人の重さは結構くるよな」
女性に対して一言でも口にしようものなら、間違いなくモミジ印を与えられそうな言葉を口にしつつ、乗降ケーブルで下に降りたのだが、そこで拓哉は何かに気付いた。
――どうもカティの身体が湿っているような気がするんだが……ああ、これは汗だ。冷や汗でも掻いたんだろう。このままだと風邪をひくかも……
嫌な予感に襲われつつも、拓哉はそれが汗だと言い聞かせる。少しばかり気になる異臭を放っていたものの、それも汗だと断言した。
ただ、拓哉は知らなかった。この世界では、風邪などという病気が発達した遺伝子学により、既に撲滅されていることを。というか、そもそも風邪という病気は、地球でも存在しない。
ただ、そんな事を知らない拓哉は、カーティスを抱えたまま格納庫の床に降り立つ。
そこに、ニヤニヤしたララカリアと不機嫌そうなクラリッサがやってきた。
「別の意味で中々面白い結果になったな」
「はぁ~」
悪趣味なララカリアの発言に溜息で答えると、続けてクラリッサが鬼の首を取ったよう勢いで言ってのける。
「口程にもない。だから駄目だと言ったのよ。やっぱり、タクヤのナビは私にしか務まらないわね」
真面目な表情で言ってのける彼女は、それはそれはもう、豊かな胸を自慢するかの如く、これでもかと張っている。
――う~む。今頃になって気付いたんだけど、クラレって思った以上に胸が大きいんだな……
思わずクラリッサの胸に釘付けになっていると、渋い表情を浮かべたララカリアが拓哉の尻を蹴りあげた。
「露骨に見過ぎだ! あたいへの当てつけか! ふんっ! ん? というか、変な臭いがしないか?」
不満を露わにするララカリアだったが、突然、鼻をクンカクンカと働かせ、臭いについて言及してきた。
――そう言われると、確かにコックピットでも変な臭いがした……いや、これは汗だ……そのはずだ。
もしやと思いつつも、拓哉は自分自身に言い聞かせる。
なにしろ、カーティスを抱えた所為で、自分も濡れているような気がしているからだ。
ところが、そこでクラリッサが叫び声をあげた。
「あーーーーっ! もしかして!」
彼女はそう言うや否や、拓哉が抱くカティに鼻を近づける。そして、その綺麗な顔を顰めた。更に慌てて一〇七号機の乗降ケーブルでコックピットに上がる。
その途端、コックピット内に入り込んだクラリッサから激怒の声が上がった。
「ななな、なんてことするのよ! ナビ席がびちょびちょじゃない。ここでお漏らしするなんて最低だわ。どうするのよこれ!」
そう、カーティスはナビ席でやっちゃったのだ。それも思いっきりやってしまったのだ。
びちょびちょなのはその所為で、それを抱く拓哉までカーティスのおしっこ塗れになっているのだ。
――うぐっ……マジかよ……知りたくなかった……
事実を知った拓哉は、思わずカティを放り投げそうになってしまったが、それをなんとか押し留める。
すると、鼻を摘まんだララカリアが指示を出した。
「さっさと着替えてこい。その坊やもだ。これは命令だぞ!」
ララカリアに命令されたこともあるが、拓哉自身も気持ち悪くなってさっさと自室へと戻ることにしたのだが、そんな彼の後方では、未だにクラリッサの「どうするのよ! これーー!」という怒号が響き渡っていた。
カーティスをどうしたものかと色々悩んだ拓哉だったが、保健室――医療室に運ぶと、また問題になりそうなので、致し方なく自分の部屋で着替えさせることにした。
「くそっ、こりゃ体力不足がモロに出てるな。ゲームじゃなくて実機を動かすなら、身体も鍛える必要がありそうだな」
カーティスをここまで運んだことで、己の限界を知った拓哉は、思わず独り言を口にしながら、彼を自室のバスルームの前に横たえた。
というのも、何がどうなったのかは知らないが、下半身のみならず全身が濡れているのだ。
それ故に、できることならリビングに横たえるのを止めたいと思うのは、悲しいかな普通の人としての心情だろう。
それに、どうせシャワーを浴びるのだ。それなら近い方が体力を使わなくていいと判断した結果だ。
「さてと、まずは、カティからだな」
一息ついた拓哉は、風呂場の前に横たわるカーティスのパイロットスーツを脱がし始めた。
「くは~! パイロットスーツって着るのが糞面倒臭そう。てか、スーツの下は服を着ないのかよ……」
始めて確かめるパイロットスーツに、ああでもない、こうでもないと四苦八苦しながらも、何とか脱がし始めたのだが、スーツを脱がしている最中に違和感を抱き始める。
「おいおい、カティって男の癖して貧弱な身体だし、胸が少し膨らんでいるんだな」
そんな独り言を口にしたのだが、本来ならこの時に気付くべきだったのだ。
「えっ!? な、ないぞ? ああ、この世界の人間だからな、俺達地球人とは違うんだろう」
完全にボケ捲っている拓哉だが、この時にも気付くチャンスがあったはずだ。
「あう……あの~、この世界の男には割れ目があるんですか? それとも小さくて見えないだけとか?」
この男は阿保だ。そんなことなどあるはずがない。
しかし、未だ気付かない拓哉は、興味津々で色々と確かめてみた。
そこで初めて自分の間違いに気付く。ハッキリ言って遅すぎる。ここにクラリッサが居れば、即座に蹴りを食らったことだろう。
「だって、男だって言って……たよな? 一人称がボクだし……でも、このツルツルてんの股間にあるものは……いや、ないんだ……あるべきものが……ないんだ」
そう、哀れなことに隅々まで確かめられたカーティスは、彼ではなく彼女だった。
胸こそ薄いが、見事なほどに女の子であることが判明した。
――いや、もっと早く気付くべきだったよな……だって、解ってみれば胸の膨らみも女の子らしいし……顔だって男には思えないし……
そんな時だった。不幸にも神の鉄槌が下る。
「ん、ん、う~ん、あ、あれ? ボク、気を失ってたの? ごめんタク」
そう、起きてしまったのだ。ずっと、寝ていれば何とか誤魔化せたはずなのだが、最悪のタイミングで起きてしまったのだ。
――なんでこのタイミング……せめて俺が目撃したことの証拠を隠滅するまで寝ていればいいのに……
「お、俺の方こそ。ごめん。ごめんなさい」
ここは素直に謝るしかない。この世界の男の身体が地球人の女性の身体と同じだというオチではない限り、拓哉はひたすら謝るしかない。
自分が悪いと理解している拓哉は、行き成り謝罪した。思いっきり土下座した。ところが、彼女は未だに気付いていなかった。
「なんでタクが謝るのさ……くしゅん! ちょっと、寒いかも……って、あれ? ぐぎゃ!」
寒気を感じたところで、初めてカーティスは自分の姿に気付く。
――ヤバイ、噴火が起こるぞ! 直下型の地震が起こるぞ! モミジが炸裂するぞ!
まるで、死刑囚のような気分で、ガクガクブルブルと刑の執行を待っていたのだが、何も起こらない。
それを訝しく思った拓哉が視線をカーティスへと向けると、彼……彼女は完全なる氷の彫刻となって、拓哉の部屋を飾る置物となっていた。