229 己の中の狂気
2019/3/24 見直し済み
モニターに映る街の光景は、瓦礫以外の何物でもない存在だった。
建物は倒壊し、砕けた建材が道に転がっている。
焼けこげ、削り取られ、崩れ落ち、破砕された建造物。
それだけであれば未だしも、所々に無残な骸が無念の叫びをあげているようで、モニターから目を背けたくなる。
男も女も、大人も子供も、全て関係なく、人間だというだけで殺されてしまったのだろう。しかし、そのバラバラとなった骸からは、それを区別することは困難だった。
拓哉は、その惨状を注視することすらできなかった。
ただ言えることは、全てを朱く染める夕日が何もかもを抽象化し、朱い光景に変えているお陰で、なんとか正常な精神を保つことができていた。
――くそっ……こんなことになるなんて……なぜ、こんなことをする必要がある? この者達が何をしたというんだ? 許せない……絶対に……
正常な精神は激しい怒りを生み、不滅の炎を燃え上がらせる。そして、留めない憤りが今にも吹き出さんとするが、それを必死に抑え込み、この悲惨な状況について思考する。
――なぜだ? ヒュームが非道なのか?
「なぜ、こんなことができる?」
怒りのあまりに、心の声が口から零れる。
「前にも言ったかも知れないけど、年若いブロンズやシルバーは、可哀想という気持ちを理解できないわ。いえ、ゴールドタイプにすら欠落しているでしょう。でもね、ちゃんと接すれば理解できるようになるのよ」
零れ出た言葉にキルカリアが反応するが、それは、なんら意味のない言葉だった。いや、意味はあったと言えるかもしれない。
――それなら、ヒュームが理解できるようになるまで根気よく我慢しろということか? その間にいったいどれだけの人間が命を失うんだ? ダメだ。ヒュームと人間は共存できない。だって、いつ爆発するかもわからない危険物と生活するようなものじゃないか。ならば……
「タクヤ、もしかしてヒュームを根絶やしにしようと考えてるの?」
拓哉が結論に達した時、キルカリアはそれを読み取った。
もしかしたら、表情に感情が映し出されていたのかもしれない。
「そうだな。命令一つでこれを実現できるのなら……生きてはいけない存在だと思うぞ」
「やはりそう感じるのね……でも、彼等も生きているし、それを創り出したのは人間だわ。だから、人間がその責任を負うべきなのよ」
「何を言ってるんだ? あの道に転がる小さな手の持ち主に、何の責任があると言うんだ? 教えてくれよ! 至る所に転がる焼けこげた骸に何の責任があるんだ?」
押し留めていた怒りが吹き出してしまう。しかし、彼女には彼女の考えがあるのだろう。
「そうね。この街の者達に、何の責任もないわ。でも、ヒュームが悪であるのなら、悪を創り出したのは人類なのよ。だから、人類が何とかすべきで、私やあなたが介入してはいけないと思うの」
「俺が造られたのかどうかは知らない。だが、人間と共に生きてきて、人間として生きてきて、知らんふりなんてできる訳がないだろ」
「じゃ、ライアット――タクヤはどうするつもりなの?」
「滅ぼすべきだ。いや、少なからず人に害を加えられないように管理すべきだ」
「まさに人間的発想ね。やっぱり、人間の中で生きてきた所為かしら……」
拓哉が自分の意思を伝えると、彼女は溜息と共に愚痴を零した。
それは、拓哉の怒りを更に燃え上がらせる。
「俺は地球で捨て子だった。それを優しく迎え入れてくれた家族がいた。口煩いが、優しい姉。放置気味だが、きちんと俺のことを気にしてくれた母。仕事の手伝いだといって色んな試作品を持ち込んだ父。そんな家族が、人間が大好きだ。だから人間の味方をするという訳じゃない。でも、罪もない者が無碍に殺されるのは許せない」
怒りのままにぶちまけると、彼女は押し黙ってしまった。しかし、そんな彼女に向けて疑問を投げつける。
「キルカ、お前はどうするつもりなんだ? どうしたいんだ?」
「私は……」
彼女は眉間に皺を刻み、その綺麗な眉を下げ、エメラルドグリーンの瞳を伏せつつ声を漏らした。しかし、そこで押し黙ってしまった。
暫くして、そのキラキラと輝く瞳を持ち上げると、ゆっくりと己の気持ちを吐露した。
『私は彼等を独立させたいと思っているわ。もちろん、人類粛清なんて止めさせるのが前提だけど……彼等と人類を共存させるには、恐らく長い年月が必要となると思うの。もう蟠りができちゃってるしね……もしくは、全く介入せずに見守るしかないわ』
少なからず、彼女の考えは、間違いでないと感じた。
ただ、それまでの間、人間が殺されないとも限らない。いや、前提である人類粛清を止めさせることが、一番困難に感じるのだ。
「キルカの気持ちや考えは解ったよ。でも、とても実現できるとは思えないし、見守るなんて論外だな」
「だから、あなたに手伝ってもらいたいのだけど……いえ、あなたが介入するとバランスが大きく崩れるわ……やっぱり逃避行した方が……」
「それは、どちらも無理だ……」
キルカリアが瞳を潤ませて己の気持ちを伝えてくるが、拓哉はゆっくりと首を横に振る。
彼女の気持ちは分からなくもない。しかし、黙って見ているなんて、できるはずがない。
クラリッサ、カティーシャ、キャスリン、ミルルカ、ガルダル、それだけではない。ララカリア、リカルラ、バルガン将軍にクロートやトニーラ、デクリロ、まだまだ他にも居る。いまの俺には、数えきれないほどの大切な仲間が居るのだ。その者達が死に物狂いで戦っているのに、それを見ているだけなんてできるはずがない。
「無理だ。キルカの気持ちは理解できるが、それは不可能だ」
嫁や仲間の事を思い出し、キルカリアの誘いにノーと答えた時だった。
レーダーに新たな味方反応が写る。その途端、ヘッドシステムに聞き馴れた声が届いた。
『タクヤ、大丈夫なの? コロニーの状況は?』
「クラレ……くるな! 待機していてくれ」
高速で近寄ってくる機体に気付くと同時に、クラリッサの声が聞こえてきた。しかし、彼女を巻き込みたくなかった。かなり拙い状況なのだ。
それ以前に、拓哉は、この光景を彼女に見せたくなかった。
きっと、昔のことを思い出して嘆き悲しむはずだからだ。
『えっ!? 戦闘はしていないみたいだけど……』
どうやら、彼女もレーダーを見てこちらの様子を悟ったらしい。
そこに、再びヒュームからの通信が入り込む。
『ああ、新しい敵ですね。もちろん、手出し無用に願いますよ』
「解っているわ」
テロンの言葉を聞いて、キルカリアが直ぐに応答を返すと、すぐさまクラリッサに連絡する。
「今、込み入った状況なのよ。戦闘は避けてほしいの」
『えっ!? どうなってるの?』
「理由は後で話す。今は戦わないでくれ」
『タクヤがそういうなら……ひっ! な、なんてこと……』
キルカリアの言葉で混乱するクラリッサだったが、街の様子を見てしまったのだろう。突然の呻き声と共に、震える声が聞こえてきた。
――彼女に、この惨状は見せたくなかったんだけど……
顔面蒼白になっているはずのクラリッサを想い、首を横に振る。そんな拓哉の目に、ただただ水が溢れる瓦礫となった噴水が映る。
――ちっ、到着しちまった……キルカは、本当に交渉に応じるつもりなのか?
未だに彼女の考えを読み切れない。そもそも、彼女が本気で交渉するとは思ってもいなかった。
「タクヤ、ハッチを開けて」
「えっ!? まさか……」
「何をいってるのよ! 私が行かなければ、この街の住民が皆殺しになるわよ?」
「だが……」
「んも~っ! ハッチ解放!」
躊躇する拓哉に苛ついたのか、キルカリアは勝手にコックピットハッチを開けてしまう。
「お、おい! キルカ!」
解放したハッチからそそくさと降りるキルカリアに驚いて声を上げるが、彼女は気にすることなく黒鬼神から降りてしまった。
「ま、マジかよ!」
思わず信じられない気持ちを漏らすが、慌ててキルカリアの後を追う。しかし、彼女はスタスタと歩いていくと壊れた噴水の上に登ってしまった。
そんな彼女の姿は朱い夕日に焼かれ、真っ赤に染まる。
それが、まるで死に至る病気のように感じられて、拓哉の鼓動が止まりそうになるが、その気持ちを抑え込んで、彼女に走り寄る。
当然ながら、拓哉の心境が彼女に伝わることはない。瓦礫に登った彼女はゆっくりと振り向くと、無邪気な声で問い掛けてきた。
「ねえ、タクヤ。私が向こうに戻っても戦いを続けるの?」
その答えはイエスだ。しかし、それを口にできず押し黙る。
その沈黙を肯定と受け止めたのだろう。彼女はその笑顔を一変させて叫び声を上げた。
「どうして! どうしてよ! なぜ、私達が戦う必要があるのよ! 私とあなたは同じ存在よね!? それなのに、どうしてよ! タクヤ」
彼女は何時からその輝くような雫を零していたのだろうか。
それは朱い夕日を浴びて、まるで宝石が零れ落ちるかのように瓦礫へと到達する。しかし、それは硬い宝石とは違い、飛び散ることなく瓦礫に染みていく。
――違う……キルカ、お前が戻る必要はないんだ。でも、ここで逆らえば住民の命が……
キルカリアの言葉を否定したいのに、あの無残な骸を思い出して、彼女を引き止める言葉が出てこない。
――何か方法はないのか……
今更ながら懸命に打開策を模索するのだが、今度はその美しい顔に笑みが浮かぶ。彼女は猫なで声で己の気持ちを伝えてくる。
「ねえ、私と一緒にいこうよ。戦争のない所で一緒に暮らそう? 二人で静かに楽しく生きて行こう!? ねえ、ライアット!」
その声を聞いた途端、拓哉の中で思考が入れ替わった。
――そうだ。彼女と二人でどこかに行けば、幸せになれるんじゃないか?
いったいどういう原理なのかは解らない。しかし、彼女の声に逆らえなくなる。そして、ありもしない妄想に駆り立てられる。
彼女との楽しい生活、緑が豊かな森で静かに、そして、楽しく暮らす二人。そんな理想の楽園が脳裏に描かれた時だった。
突然、拓哉の腕が引っ張られた。
「駄目よ! 惑わされては駄目! 私のタクヤを誘惑しないで!」
その声に視線を向けると、そこには紫の髪を真っ赤に染めたクラリッサが、悲痛な表情を張り付けていた。
朱い夕日で真っ赤に染め上げた彼女の表情は、これまでに見たことがないほどの悲しみと憎しみを刻み込まれて、まるでキルカリアが悪であるかのように睨みつけた。しかし、拓哉の視線に気付くと、直ぐにその美しき相貌を崩して懇願してくる。
「タクヤ、あなたは、私の希望なの。いえ、私達人類の希望なの。だから、行かないで。お願い……もし、あなたが居なくなったら、私は……」
彼女の悲しみ、彼女の憎しみ、彼女の喜び、彼女の微笑み、全てを思い起こし、拓哉の気持ちが引き戻される。
――そうだ……キルカと二人で逃げても、この世界に平和が訪れる訳じゃない……なぜだ? なぜ……
自分の不安定な感情や気持ちを疑問に感じていると、再びキルカリアからの声が耳に届いた。
「タクヤ……いえ、ライアット、私と一緒にいこう。ねっ!」
視線をキルカリアに戻すと、両手を広げた彼女が佇んでいる。それは、まるで拓哉を誘い込む儀式のように感じられた。しかし、それを不思議とも感じずに、思わず一歩踏み出す。
ところが、それは腕に縋るクラリッサによって妨げられる。
「駄目よ。タクヤ……」
可愛くも美しい恋人。そんなクラリッサの必死な表情を目にして、心が壊れんばかりにせめぎ合う。
――どうすればいいんだ……キルカの考えも解からなくはない。上手くいけば平和への近道かも知れない。しかし、だからといって、クラレ達を見捨てることはできない。ここで俺が居なくなれば、間違いなく純潔派が襲い掛かるだろう。そうなれば、いくらヒュームを押し留めても、何の意味もない。いや、クラレ達に不幸が訪れるのは許せない。
それが起こったのは、拓哉の中で様々な考えが入り乱れ、結論を出せずに混乱している時だった。
轟音が鳴り響いたかと思うと、物凄い速度で接近する機体があった。
その機体は、夕日で朱く染まっているのかと思いきや、どうやら違ったらしい。
「朱い死神……」
拓哉に縋りつくクラリッサが、憎悪の表情を作り出す。
――これが朱い死神なのか……
初めて見る死神の存在に、拓哉は唖然と見上げてしまう。すると、朱い機体は構うことなく銃口を向けてきた。
それに恐怖する間もなく、瓦礫の上に立つキルカリアから怒りの声が発せられた。
「やめなさい! ここで手を出せば……解っていますよね?」
ところが、朱い機体は彼女を気にすることなく、銃の引き金を引こうとする。
それを目にしたキルカリアは、まるで庇うかのように拓哉と銃口の射線に移動した。
「あなたは、何しに来たのかしら? 私が死んでも問題ないの?」
キルカルアが震えることなく銃口の前に立ちはだかると、朱い機体がゆっくりと銃を下ろした。次の瞬間、身も凍るような声が届く。
『姫、迎えに参りました。皆が待っております。姫が戻らねば、即座に全機出撃するとの連絡を受けております』
その言葉を耳にした時、拓哉の中で狂気が暴れ始めた。