228 許されざる者
2019/3/23 見直し済み
未だ周囲は暗く、朝といってもかなり早い時間だ。
しかし、拓哉の世界は真っ白だった。
目に映る全てが真っ白になり、頭の中までもが白色化していた。
――や、やっちまった……みんな……ごめん……
隣でスヤスヤと寝息を立てるキルカリアの姿を見て、拓哉は白色化した上に凍り付いていた。
拓哉に押し付けられた感触が異様に生々しい。そして、その心地よさが昨夜の出来事を思い出させる。
――な、なんで……なんで、やっちまったんだ?
今更ながらに、彼女の温もりを感じながら自問自答する。
一人用のシュラフに、二人が入り込んでいる所為で、彼女の裸体を目にすることはできないが、全身に張り付くしなやかで柔らかな感触が全てを教えてくれる。
「あら、ライアット、起きたの? おはよう。昨日はとても良かったわ」
――全然よくな~い。いや、めっちゃ良かったが……
拓哉の心の叫びを他所に、彼女は口付けをしてくる。
その様子は、まさに初夜を終えた新妻のようだ。
そんな彼女に、一応は不満を訴える。
「お、俺はライアットじゃないぞ! 拓哉だ」
「あら、ダメじゃない! これでどう? ライアット」
「うっ……おはよう。キルカ」
少しだけ顔を顰めたキルカリアが、フェロモンを全開にすると、拓哉は再びメロメロになってしまった。
「ふふふっ。いい子ね。でも、少し寒いわ。ライアット、朝の儀式で温めてちょうだい。もちろん、分かってるわよね?」
「ああ、分かってる。愛してるぞ! キルカ」
キルカリアがフェロモンを全開にした所為か、彼女に対する愛おしさが一気に跳ね上がる。
理由すら理解できないが、その気持ちを押し留めることもできずに、拓哉はシュラフのファスナを下げ、彼女の全てに口付けを始める。
「う、うん! あん、わ、私も愛してるわ」
彼女は拓哉の頭や背中に両手を這わし、感じた喜びを伝えてくる。
その仕草が誘いだと理解して、彼女と身体を重ねると、再び一つに交じり合う。
こうして白色化した頭で自問自答していたのも忘れ、拓哉は未だ暗い朝早くから、彼女と愛を確かめ合った。
絶望。
そう、それは絶望に近い気分だった。
――もうダメだ……クラレ達になんと言って詫びよう……
まるで透き通る海を泳ぐが如く、黒鬼神を大空に舞わせながらも、拓哉の心は下水の汚泥のように沈殿していた。
既に野営地から離れて、かなりの時間が経っていたのだが、未だに陰陰滅滅といった状態だった。
――いや、そもそも、なんで逆らえないんだ? キルカに言われると、それが当たり前みたいに思えてくるんだけど……
気分を沈ませつつも、思うが儘にされている自分を不可解に感じていると、その元凶が驚きの声をあげた。
「もうそれほど遠くないと思うのだけど――あっ」
その声と同時に、レーダーに映った機体を確認した。それもかなりの数だ。
――これは……完全に押し込まれてるじゃんか……
オーキッドからは、彼女達の敵味方識別コードを教えてもらっている。
そのお陰で、親愛の徒に属する機体を識別することができたのだが、もはや空前の灯と言える状況だと感じた。
ところが、それは、拓哉の勘違いだったようだ。
「おかしいわ……」
キルカリアの声で、拓哉もその不自然さに気付く。
そう、レーダーが示す反応では、どう考えても、味方の機体と敵機が戦っているように思えなかった。
というのも、敵機と味方機が近くに居るのに、どちらも消滅しないのだ。
少なからず、半壊状態で信号が発せられることもあるが、全く数が変わらないのは異常だ。
それ故に、現在の状況を訝しく思ったのだが、レーダーに映る機体は縦横無尽に移動を繰り返していた。
――これはどういうことだ? 全く意味が解らん……いや、それよりもコロニーはどうなってる?
そもそも、コロニーと呼んではいるが、そこはミラルダ地方西部にある小さな街であり、普通の人間も沢山住んでいる。
それを思い出し、不安に駆られ拓哉は、黒鬼神の速度を上げる。
街までの距離は、あと五十キロ程度だ。黒鬼神の速度ならあっという間だ。
『タクヤ、アタックキャストを使っていい? 街の様子が知りたいの。機体は街から十キロくらいのところで、止めておいて欲しいわ』
全く状況が解らないまま、街に向かうのが危険だと感じたのだろう。キルカリアはアタックキャストの使用許可を求めてくる。
「仕方ないか……連絡も全然つかないし、状況が全然理解できないもんな」
クラリッサの装備だけに、あまり使わせたくなかったのだが、この状況ではノーということもできない。
そもそも、ミラルダを出発する時には、なんの問題なかった通信コードで問い掛けても、全く反応がない。
それだけでも異常なのだが、現在の状況は、何が起こっているのか不透明だった。
レーダーを見る限りでは、戦闘を行っているように見えない。
拓哉としては、全く以て状況が掴めなかった。
――ミラルダを出発する時には、敵は到達していなかったはずなんだが……クラレ、悪いな……少し使わせてもらうぞ。
現状を不可解に感じながら、一応は心中でクラリッサに謝ってから安全装置の解除を行う。
「ありがとう。直ぐ準備に取り掛かるわ」
ウインドウモニターに映ったキルカリアの表情はとても嬉しそうなのだが、それを目にして、拓哉の心は再び深く沈んでいく。
――いや、気持ちを入れ替えないと、この調子では遣られてしまうぞ……
自分自身に喝を入れ、街から十キロの地点で黒鬼神を空中停止させる。
当然ながら、落下したりしない。ホバー機能で大空に漂う存在となっている。
「アタックキャスト射出!」
キルカリアの声と共にアタックキャストが射出されると、まるで水を得た魚のように、青空という大海原を縦横無尽に泳ぎ始める。そして、瞬く間に街に到達すると、モニターに街の状態を映し出す。
「なんだ……これは一体……なんなんだ!? 何をやってるんだ?」
映像を見た途端、拓哉は我を忘れた。
『どうして……こんなことに……』
キルカリアの震える声が聞こえてきたが、在り得ない――いや、在ってはならない光景を目の当たりにして、黒鬼神を降下させると、必滅で敵味方信号に関係なく狙いを定める。
『タクヤ!』
「うるさい! 許せない。許せないんだ! こいつらは生かしておいてはいけない。いや、俺が生かしてはおかない」
『ダメ。何かの間違いよ! 止めて!』
「何が間違いなんだ!? 俺の目に見えている映像は、質の悪いフィクションか?」
押し留めようとするキルカリアに罵声を浴びせ、ロックオンした機体から順に撃ち抜いていく。
『あ、ああ……なんてことを……』
キリルカリアの悲痛な呻き声が聞こえるが、拓哉は構わず撃ち抜いていく。
モニターに映し出された光景のように――無抵抗な女子供たちが虐殺されていたように敵機を葬っていく。
そう、モニターに映し出された光景は、敵味方信号関係なく、全ての機体が逃げ惑う人間を撃ち殺していたのだ。
まさに地獄絵図のようなその光景を目の当たりにして、怒り狂った拓哉は、レーダーに映る機体を次々に撃ち抜いていく。
「お前等なんて、クタバレ! 生きる価値なんてねーーーー!」
いつの間にか、モニターの映像が涙で滲み始めたが、気にすることなく罵声を浴びせながら葬っていく。
既に諦めたのか、怒れる拓哉を見ても、キルカリアは何も口にすることなく、何かを思案しているようだった。
そんな彼女を気に掛けることなく、次々に敵を葬っていると、オープンチャンネルでの通信が入り込んできた。
『こちらはヒューム軍、第三司令官のテロンだ。そこの黒い機体、聞こえているか。聞こえているなら応答しろ』
「うるさい! クタバレ! いや、俺が始末してやる! さっさと出てこい!」
全く感情の篭らない声を聞いて、怒声を吐き散らす。
『それ以上の抵抗をするなら、ここに集めた者を皆殺しにする』
「はぁ? 俺が何をしようと皆殺しにするんだろ? ふざけんな。お前等は、俺が消滅させてやる。根絶やしにしてやる。あのミラルダを襲った奴等みたいに、跡形もなく灰にしてやるからな」
『話にならんようだな』
「話す気もね~よ!」
拓哉が敵の言うことを聞いても、間違いなく、そこに集められた者は助からない。
先程の虐殺を見て、そう理解した拓哉は、屈するつもりはなかった。しかし、後部座席に座るキルカリアは、そうでなかったようだ。
「何が望みなの!?」
『ああ、そこにいらっしゃいましたか。我らの望みはあなたですよ』
キルカリアが声を発すると、テロンは彼女自身を所望してきた。
――何を言ってるんだ! 渡す訳がないだろ! 直ぐに始末してやる。
心中で烈火の如く怒りを燃え上がらせながら、拓哉はすぐさまレーダーに映る機体を全てマークしていく。
ところが、キルカリアは冷静だった。
「分かったわ。私がそちらに行けばいいのね」
『そうして頂けると、こちらも手が省けて助かります』
「その代り、もう誰一人として殺めてはダメよ。もし、そんなことをしたら、私は自分の命を絶つわ」
『勿論、約束は守りますよ。それが私達のルールなのだから』
「どこに行けばいいの?」
『ふむ。では、その先にある噴水の場所でお願いします』
「分かったわ」
「何を言ってるんだ! キルカ、お前が奴等のところに行けば、また泥沼になるだけだ」
交渉を終わらせたキルカリアに向けて、取引の無意味さを伝えるのだが、モニターに映る彼女は黙って首を横に振る。そして、拓哉を無視して、敵に問いかける。
「蘭はどうなったの? なぜ、彼女の配下の者が街の人々を襲ってるの?」
『蘭? ああ、オーキッドですか。彼女なら捕らえましたよ。彼女さえ捕えてしまえばあとは簡単ですからね。命令系統信号を発動させれば、他の者達は反抗できませんから』
この時の拓哉は、何を言っているのかさっぱり解からなかった。
しかし、キルカリアからすれば、全てが理解できたようだ。
そう、ヒュームには指揮系統用のプログラムがあって、配下の者達がそれに逆らえないのだ。
ただ、拓哉が知っていても、やることは何一つ変わらないだろう。なにしろ、それは無差別殺戮のスイッチと同義なのだ。
「彼女を捕らえたですって!? あなたにそんな事ができるはずは……あっ、解放したのね……アレを世に解き放ったのね」
『ご名答。さすがは、姫様です』
――アレとはなんだ? 一体、何を話してるんだ?
「タクヤ、指定の場所に向かって」
「だが――」
「無理よ。それに大丈夫。彼等は約束を守るわ。そういうプログラムが成されているはずよ」
神妙な表情を作ったキルカリアが指示してくるが、拓哉は黒鬼神を動かすことはない。
なぜなら、ヒュームと交渉する気がないからだ。
頭に血が上っている拓哉は、それがどういう結果を引き起こすかも考えられず、集められた者達の命を軽んじてしまった。
キルカリアにとって、それが許せなかったのか、静かな怒りをみせる。
「あなたは、彼等を見殺しにするの? それこそ、何のために戦ってるの? 自分の大切な者を守りたいだけなら、彼女達を連れてどこかに引きこもりなさい。さあ、ライアット、指定の場所に向かうのよ」
彼女の言葉は、拓哉の呼吸を止める。
ミラルダで起こした惨事を全く反省できていなかったからだ。
そう、問題は攻撃力ではない。味方を守ることが大切なのだ。
――俺は馬鹿なんだな……こんなことでは……
己を戒めながらも黒鬼神をゆっくりと指定の場所に移動させる。
いつの間にか太陽は落ちかかり、周囲を映すモニターが朱く染まっていく。
敗北者のように項垂れる拓哉にとって、それは、まるでボロボロとなった街全体が血濡れたようでもあり、苦痛に呻いているようにも思えた。