219 魔獣ベヒモス
2019/3/21 見直し済み
ルーリル条約。
大量破壊を目的とした兵器の使用及び製造を禁止する。
――ふっ……とても素晴らしい条約だけど、誰も守ってないのよね……
ミリアルは愚かな人間の行為に溜息を吐く。
約束事を作っても、守らなければ何の意味もない。
逆に言えば、約束を守ることができる人間だからこそ、ルールというものを作るのだ。
しかし、そのルールを守らない者達が居る。そうなると、その者達を人間として扱うことが無駄なように感じてしまう。
ベヒモスがルキアスの街に到達した。
深度はおよそ五百メートル。
街の造りの所為で思ったよりも深度を下げたようだ。しかし、ミリアルにとって、もはやどうでも良かった。
それは諸手を上げた訳ではなく、どれほど深度を下げようと、これからやることに大差はないからだ。
「東区の住民は、全て避難したかしら?」
「はい。東以外の区画は、都市の出口で足止めとなっている人達がいますが、東から街の中央にかけては、もぬけの殻になっているはずです」
「まあ、残っている者が居るとすれば、空巣くらいのもね。まあ、その人達には命を懸けてもらいましょう」
結局のところ、都市の住民を一人残らず避難させることはできなかった。
そもそも、一時間程度で万単位の住人を残らず避難させるなんて不可能だ。
それは、ミリアルも理解していた。そして、対策も考えてあった。
不届き者の末路を想像していると携帯端末が震える。それに気付き、端末の小さなモニターを確認すると、そこには優れたメイド長の名が刻まれていた。
「私よ。ええ。そう。なら、そのままディートに送ってもらえる? ええ、それでいいわ。ありがとう」
トーラスの報告を聞き、少し安堵しながら通話を終わらせた。
――無事でよかったわ。本当に可愛い子ね。まかせなさい。あとはこちらの仕事よ。私の命に代えても何とかしてみせるわ。
可愛い婿殿が無事であることを聞いて、ホッと胸を撫でおろしたミリアルは、すぐさま対抗策の準備に取り掛かる。
そう、拓哉の一撃はベヒモスを葬り去ることができなかった。
ただ、ミリアルは、そんな必死な拓哉を愛さずにはいられなかった。
「射出してちょうだい」
「はい。デコイ、射出します」
ベヒモスの存在は、もちろん知っている。
当然ながら、それをモルビス財閥で作る気はない。
モルビス財閥では、大量破壊兵器を作らないのがポリシーなのだ。
実際、黒鬼神のように結果的に大量破壊を可能にしてしまう代物もあるが、あれは兵器の問題ではなく、操縦者の力で引き起こしているので、モルビス財閥の所為ではないという見解だ。
そのモルビス財閥では、大量破壊兵器の製造を行わないのだが、研究を行わない訳ではない。対抗策を考えるために、さまざまな研究をしている。そして、その中でも、このベヒモスは最悪だった。
なにしろ、設定した深さを維持して目標地点に向かうのだから、どうにも止める術がない。
もし、あれを地上から破壊しようとするなら、それが引き起こす結果は、ベヒモスが起こす破壊と大差ないものとなるだろう。
それ故に取られた対策は、とても消極的な方法だった。それこそが、今射出したデコイだ。
「デコイ、予定ポイントに到達、誤動作用信号の発信を確認しました」
オペレーターを務めるメイドから、デコイの発動が告げられる。
「上出来だわ。あとは奴がそれに喰いてくれるかよね」
「実験では成功率八十パーセントですから、ちょっと不安です」
八十パーセントと言われると、かなりの高確率のような気がするのだが、命を懸けるとなると不安な数字だ。
――確かに、八十パーセントは微妙な数字ね……二割なんて起こってもおかしくない確率だわ。
誰もが二割に怯えているのだが、どうやらベヒモスは節操がないらしい。ものの見事に食らい付いた。
「やりました。魔獣が停止しました」
――よし! それじゃ、ここからが本番ね。
「反振動杭、射出して」
「はい! 反振動杭、射出します」
――さて、これが上手くいくといいんだけど……
不安は尽きないが、いまは自分が抱えている研究員を信じるしかない。
射出した反動杭が地中深く潜っていく。それは、浸透率の高い液体を散布することで、振動を抑える力を発揮する仕組みだ。ただ、実験でもあまり良い結果が出ていない。
「さあ、鬼が出るか蛇が出るか、開けてビックリ弁当箱ね。ん? なにかおかしいわ? トラ箱だったかしら?」
愛婿に教えてもらった諺を口にしつつも、それに疑問を感じてしまう。
そんな場違いな疑問に首を捻っていると、メイドから新たな報告がもたらされる。
「ベヒモス、起動を確認。震動波、きます!」
「反振動杭、予定ポイントまで到達できていません」
――あっちゃ~~~! 大失敗だわ……でも、街の東側で発動させただけでも成果よね?
「到達ポイントに達してなくても構わないわ。今すぐに液体を散布させなさい」
「了解しました。散布します」
今回のことで、流れの悪さが露呈した。そして、仕様の見直しを余儀なくされる。
――はぁ、奴を止めてから杭打ちという流れは大失敗ね。これは作戦プロセスの見直しが必要だわ。
溜息を吐きながらも、街を映し出すモニターから目を離さない。
もはや、状況を見届けるか、神に祈るか、もしくは、逃げ惑うくらいしか出来ることはないのだ。
――まあ、どうなるか見届けましょう。これも、考えの甘い私が引き起こした結末なのだから。
腹を据えて街の東側を映すモニターを凝視していると、物凄い振動が伝わってきた。
何を隠そう、ミリアルはホテルに造られたシェルターに居るのだ。
メイド達には悪いが、飛空船からのんびりと見ていられる心境ではなかったのだ。
そのミリアルがいるホテルは、街の北側にあり、震源地からはかなり離れている。それにも拘わらず、その震動は何かにつかまりたくなるほどだった。
――まあ、これくらいなら問題ないわね。というか、もし、ベヒモスがデコイで止まっていなかったら、慌てて逃げ出すことになったのだけど……
未だに揺れているシェルター内で、少し冷や汗を掻きつつも、モニターを食い入るように見詰めていると、そこに映る東区の建物が、ベヒモスが起こした振動だけで、ガラガラと崩れさった。
――あらあら、ちょっと脆すぎるでしょ……これは建築基準が甘すぎるんじゃない?
そんな場違いな感想を抱きつつも、崩壊していく街の様子を見届ける。
すると、暫くして震動が止まった。
「エネルギー波きます!」
――さあ、これからが正念場ね……というか、ここは大丈夫よね?
実際、攻撃は地中からだ。シェルターが安全であるはずもない。それでも、建物の崩壊からは守られると考えて、ここに場所を移したのだ。
ただ、次の瞬間には、後悔の念に襲われる。
ぐっとお腹に力を入れて、エネルギー波に備えていたのだが、どうやら無駄な足掻きだったようだ。
「きゃ!」
「うひゃ~!」
「あいや~~!」
「あうあう!」
余りの揺れに、ミリアルと生死を共にすると誓ったメイド達が、シェルターの中を転がりながら悲鳴をあげる。
もうパンツ丸見えで笑えそうな状態だったのだが、ミリアル自身も転がりそうな状況であり、必死に固定された指令席にしがみ付くのがやっとだ。それこそ、他人を笑っている状況ではなかった。
――震源地からかなり離れたこのホテルで、この威力なの? これを作った人は気が狂ってるわ……
愚痴を零しつつも、なんとか必死で堪えるのだが、今更ながらに後悔する。
――こんな事なら、上空から指揮するんだった……
自分の判断を愚かだと感じつつも、なんとか衝撃をやり過ごすと、床で息絶え絶えといった様相のメイド達に命じる。
「被害状況を確認して、まずは避難が遅れていた地域から」
「「「「はい!」」」」
生きているのが不思議だと思えるほどの衝撃を耐えたメイド達は、ミリアルの声を聞くと、すぐさま立ち上がって自分の役割を果たすべく持ち場に戻る。
――ふむ。この子達には、臨時ボーナスを弾んであげないとね。
ぶっちゃけ、それを期待しているメイドもいるのだが、ここに残っているのは、ミリアルに対する信頼だ。
それを理解しているミリアルが、必死に状況確認を進めるメイド達を眺めて感心する。
「北側には、軽傷者こそ居るものの、死者は出ていません」
「南側、重傷者が三名。軽傷者が多数出ています。死者は……衝撃のショックでお年寄りが数名……」
「西側に死者、重傷者は居ません……ただ……」
「ただ?」
歯切れの悪い報告が、ミリアルの鼓動を揺さぶる。
「自宅が崩壊したのを見た者が、数名、泡を吹いて倒れたようです……」
――あうあう……まあ、それは仕方ないわね。でも、お年寄りには気の毒なことをしたわ。ただ、逝ってしまった者には申し訳ないけど、都市破壊兵器を食らって、被害がこの程度で済んだのは、行幸と言わざるを得ないわね。
復帰したモニターを眺めつつ、安堵の息を吐く。
なにしろ、震源地である東地区は、完全に瓦礫と化していたからだ。
「それじゃ、街の被害状況を確認してちょうだい。ああ、東地区はいいわ。全壊なのは見れば分かるから」
「「「「はい!」」」」
見事に崩れ去った東地区を眺めつつ、次の指示を送ると、メイド達はキーボードを叩きながら、自分達専用のモニターで状況を確認していく。
「ああ、それと、メインモニターに各地の状態を順番に映してもらえるかしら」
「了解しました!」
ミリアルの要求は直ぐに反映する。正面モニターの映像が変わった。
――これは、北地区で震源地に割と近い場所ね……ここも全壊だわ……
サブモニターに映された状況を東地区と比較しながら、被害の状況を確認していくのだが、もはや溜息か出てこなかった。
――駄目だわ……この街は終りね……
「北地区で火災発生」
「南でも、二次災害が起きています」
「人的被害は?」
なんとか持ちこたえたのは良いが、何よりも恐ろしいのは、二次災害だ。
「住民は避難していて、その地区に生存反応はありません」
「だったら放置で良いわ。この街は終わりよ」
ミリアルが結論を告げると、別のメイドから嫌な話を聞かされる。
「モルビス財閥、ルキアス工場が爆発しました。ただ、避難済みで人的被害はありません」
――あう……大損害だわ……保険が利くかしら……
次から次に報告される被害内容に頭をもたげる。
――はぁ……厄日だわ……
既に溜息すら尽きかけていたところに、今度は最悪の知らせが舞い込む。
「あの~」
「どうしたの? 今更、何を聞いても驚かないわよ」
ミリアルからすれば、もはや最悪の状態だった。
確かに、住民の多くを守ることはできたのだが、この街は再起不能なほどの被害を受けたのだ。
もはや、何を告げられても、動揺する気力さえ残っていない。
「ホテルが崩壊して、シェルターの出口が塞がりました……」
――はあ? なによ、それ!
もはや、開いた口が塞がらなかった。ただ、少しばかり思うところがあった。
「シェルターの設計に判を押したのは、誰?」
「えっと、社長です……」
――ミッシェーーーーーーーーーール! 帰ったら覚えておきなさいよ!
シェルターの設計を許可した夫に強い憤りを感じながら、心中で罵声を吐くミリアルだったが、結局、脱出するのに大騒動となり、ホテルに残ったことを周りの者からしこたま叱られる羽目になるのだった。