209 愛しているから
2019/3/18 見直し済み
そこは、一生涯日の当たることのない暗黒の世界。
その暗闇は、不快な異臭を充満させ、見るも悍ましい生き物を増殖させる。
そこには、誰もが口を塞ぎ、目を背けたくなる光景が広がっていた。
――この時ばかりは、高性能の暗視システムが恨めしくなるわ……
それが映像だと知りつつも、ガルダルは本能的に口を塞ぎ、呼吸を止めたいという衝動に駆られてしまう。
そう、そこは暗くジメジメした下水道だ。
そこでは、ネズミや名前を呼びたくない虫達が、我こそが王者だと宣言するかのように蠢いている。
本来であれば、その悪臭やひんやりとした感覚、更には蠢く生き物によって背筋を凍らせるはずだ。
しかし、今現在において彼女自身がそこに存在する訳ではなく、鉄の塊が肩代わりしている。
彼女達には、その光景が映像としてモニターに表示しているだけだ。
――良かった……仮に機体に乗っていたとしても、あの中を進むのは身も心も凍りそうだわ……というか、ドールは戻ったら高圧洗浄機行ね。
モニターに映る悍ましい光景を眺めつつ、然して艶やかでもない腕をザラつかせる。
そんな自分の腕を摩ることで、未だに治療中である美しき友人を思い出してしまった。
――ミルルって、ああ見えても、とても綺麗な肌をしてるのよね……羨ましいわ……
女であるガルダルが惚れ惚れするくらいに、ミルルカは肌理の細かい美しい肌をしている。
あの男勝りな態度と口調を止めれば、花束を持って現れる男が後を絶たないはずだ。
それは、クラリッサに至っても同様だ。同じくらいに綺麗な肌をしているし、彼女の場合は、それに若さが加わっている。氷の女王なんて二つ名がなければ、声を掛けてくる男で道が埋まるのではないかと思ってしまう。
――そんな美しき二人に傷を……
二人のことを考えていると、必然的に彼女達の痛々しい姿まで思い出してしまう。
それは、彼女の中で燃え上がる炎に油を注ぐ。
――許せないわ。それが私の勝手な正義だとしても、この世を正すために戦っている彼女達を傷付けるなんて……況してや、たっくんを……
サイキック復旧カプセルで眠る拓哉を見た時は、心臓の鼓動が完全に活動を停止したかと思った。
その光景は、それまで感じていた怒りすら無に帰すほどの衝撃で、ガルダルの心臓を握り潰した。そして、拓哉が無事だというリカルラの言葉を聞いて安堵したのも束の間、留めない怒りで全身が燃え上がった。
その時、ガルダルは自分の気持ちを悟った。
拓哉は彼女の宿木だと、自分の心の拠り所であり、自分に必要な存在だと。
そんな恋しい拓哉の話をキルカリアから聞かされたのは、その後だった。
話を聞いていたガルダルは息を呑む。それと同時に、拓哉の激情が理解できた。
愛する者を傷付けられて怒り狂う拓哉の姿が、目に浮かぶようだった。そして、拓哉の行動を想像した。
自分が傷ついても同じように怒りを露にするのだろうかと。
ただ、それは考える間でもない。拓哉のことだ。間違いなく燃えるが如き怒りで敵を殲滅するだろう。
いつもは頼りなさそうに見えるが、自分の大切な者に何かあれば、鬼神の如く天誅をくだすのだ。
――ああ、愛してるわ……たっくん! 心底あなたを愛してる。あなたを苦しめた奴等は、私が必ず成敗してみせるわ。だから……だから、今はゆっくりと休んでいてね。
拓哉のことを想うと、不思議と心が温まってくる。
しかし、それが彼女の中で燃え盛る炎を消すことはない。ただ、それでいて幸せを感じさせてくれる。
その存在に気付いたのは、そんな至福を感じている時だった。
それは、一瞬だが、モニターの隅にチラリと見えた。
――いまのは……見間違いじゃない。あれは……確か……拙いわ。
その物体の利用用途を思い出した時、迷うことなく警笛を鳴らす。
「拙いわ。監視ビーコンが飛んでた。間違いなく察知されてるわ」
『えっ!? 了解しました。直ぐに指示を送ります』
管制の担当者は、慌てた様子で折り返すと告げていたが、彼女は構うことなく先に進む。いや、更に速度を上げた。
――ここまで来て中止はないわ。ここで止めれば、最悪の事態すら在り得るもの。
「レッド隊各員に次ぐ。察知されたわ。直ぐに戦闘になるわよ。最優先事項は、会議参加者の保……護?」
隊員に優先事項を告げようとしたのだが、そこで言葉を失ってしまった。
なぜなら、レーダーの表示では、キルカリアの機体を示すコードが既に会議場に辿り着いていたからだ。
――ちょっと……どうやって? というか、仲間を置き去りにしてるじゃない……
余りの速さと、隊員を置き去りにしている状況に、思わず唖然とする。
それでも、急ぐことには変わりない。
なにしろ、彼女一人がどれだけ頑張っても、全てを守り切れる訳ではないのだから。
「とにかく、急ぐわよ。予定は変更。まずは会議場の安全を確保」
『『『『『了解!!!!!』』』』』
隊員の返事が聞こえてきた途端、進行方向からエネルギー弾を浴びせ掛けられる。
「ちっ、アンチレーダーシステムね。全く反応がないわ。でも、この機体ならアームズが装備するサイキック銃くらい、私一人で防げるわ」
シールドを強化して全ての攻撃を防ぎつつ、発射ポイントに向けて突進する。
――愚かね。それだけ連射したらレーダーに映らなくても、場所がまる解りよ!? はい! マーク! そして、お次は撃墜!
発射ポイントを元に敵を次々にマークし、ドールの右手に持たせたサイキック銃を撃ち放つ。
「後に続きなさい!」
返事を待つことなく、的確に敵を仕留めながら前進する。
『凄い!』
『なんて正確な射撃……』
『それに、一人で全てを防いでるし……』
『これが舞姫と畏怖される所以なのね』
『こら、感心してないで、私達も攻撃するわよ。せっかく、ガルダル様がマークを連携してくれているのだから、外したら夕ご飯は抜きよ』
呆気にとられる隊員達をリーダー格のメイドが叱りつける。
夕食が抜きになるのは、相当に堪えるらしい。次々に攻撃を着弾させていく。
その射撃は見事なものだ。訓練校の同僚たちとは、比べ物にならないほどの技量だ。
――メイド達に感心してる場合ではないわね。
自分に喝を入れていると、ヘッドシステムから管制の声が聞こえてきた。
『作戦続行! 繰り返す。作戦続行!』
――遅いわよ! もう将軍達は、何をやってるのかしら……まさか、オセロなんてやってないでしょうね。
彼女は、将軍達がオセロに夢中なのを知っていた。
その将軍達がくしゃみをしているとも知らず、ガルダルは敵を駆逐しながら会議場に機体を加速させた。
さすがは、殲滅の舞姫と言いたくなる。
――ボクも、もっと学ばなきゃ……
監視ビーコンに全く気付かなかった自分を戒めながら、カティーシャは機体を走らせる。
「キャス! ボクが攻撃するからシールドは任せたよ」
『ラジャ!』
自分で言っていて、何故か不自然な気がする。
そもそも、キャスリンはドライバーであり、カティーシャはナビゲータだ。
――なんか、役割が反対じゃないかな?
本来ならば、キャスリンが攻撃で、カティーシャが防御を担当するのが妥当だろう。
そうは思いつつも、沸点をとっくに超えているカティーシャとしては、この留めなく溢れ出てくる猛烈な怒りをぶつけるのに、この上ない状況だった。
――さあ、今回は、お人好しのボクでも手加減はできないよ。いや、するつもりもないけどね。みんな痛い目にあってもらおうかな。ほら! 逝っちゃって!
実をいうと、拓哉からもらったパワーが残っている。きっと、当たれば痛いでは済まされないだろう。
キャスリンの方も、お腹の中に残弾在りのようだ。一人で敵の攻撃を弾き飛ばしていた。
――タクは本当に凄い存在だよ。本人も鬼のように強いけど、ボク等にまで力を分け与えることができるんだから。
改めて自分の夫となる者の凄さに感動しつつも、緩めずに敵を葬っていく。
『カティお嬢様……』
『お嬢様が、これほどとは……』
『みんな、これじゃ、私達の存在意義が危ういわよ』
『確かに、お嬢様に総取りされてるわ』
「何言ってるんだい? ボクが君達に負けるはずがないだろ? なんてたって、鬼神の花嫁だよ? それとも、おしゃべりをしながらボクに勝てるとでも?」
夫となる男を自慢しながらも、遠回しにおしゃべり雀達に釘を刺す。
彼女達は、おしゃべりし始めたら集中力が極端に低下するのだ。
――ほ~ら、静かになった途端、命中率が上がった。
メイド達は叱責されて静かになった。
ただ、事実は少しばかり違っていた。
優秀な夫を先に見つけられたことが、悔しくて、口惜しくて、悲しくて、泣きたくなって、口を閉ざしたのだ。
それでも、命中率が上がるのは良いことだ。
ただ、夜な夜な丑の刻参りをする者が現れるかもしれない。
もちろん、この世界に丑の刻参りなどは存在しない。
それはそうと、敵はレーダーに表示されず、そこに映し出されるのは味方だけだ。
そのレーダーには、ガルダルとキルカリアが既に会議場に到達していることを知らせている。
カティーシャとしては、後れを取ったことに歯噛みしたくなる。ただ、ガルダルは良いとして、キルカリアなんて酷いものだ。なにしろ、仲間を置き去りにして会議場に乗り込んでいるのだ。
それでも、早期に発見されたというのに、被害が出ていないのは、彼女のお陰だろう。
ただ、どんな手を使ってあの速さで辿り着いたのかが不思議だった。
もしかして、造られた人間とは、それほどに飛び抜けて優れているのだろうかと考える。
キルカリアに対しては色々と思うところもあるが、出来るだけ考えないようにしていた。いや、本能的に考えまいとしていた。
多分、拓哉の嫁なら誰でも察しがついているだろう。
それでも、誰もそれを口にしない。
その理由も解かっている。それを口にして、今の関係に支障が出るのが怖いのだ。
誰もが拓哉を愛しているが故に、溝ができることを恐れているのだ。
――ふんっ! 関係ないよ! タクがどんな存在でも、ボクの愛は不変だからね。
カプセルの中で眠っている拓哉を思い出しながら、前方の敵を殲滅したカティーシャ達は、遅ればせながらも会議場に突入した。