191 誕生
2019/3/9 見直し済み
静まり返る第一会議室。
真面目な話で呼ばれたことは薄々感じていたが、予想していたものとは別の緊張感がその場を支配していた。
いまだ本題に入っていないのに、会議室の空気は張りつめて感じられる。
ケルトラの一言がきっかけとなり、クラリッサが剣呑な空気を作り出しているのだ。いや、彼女は会議室の温度を低下させた。
この寒気を感じさせる姿こそが、彼女が氷の女王と呼ばれる所以だ。
それは比喩でなく、実際に空気を凍らせているのだ。
「これって、サイキックですか? 室内温度がどんどん低下? 噂通りですね」
腕に巻かれた多機能型の時計を確認したルルカが、表情を強張らせる。
彼女の空気を読まない性格に呆れるが、それよりもクラリッサの起こした冷却を気にする。
――寒気がすると思ったら、実際に温度が下がってたんだな。もしかして、これまでもそうだったのか? つ~か、これじゃ、本当に氷の女王じゃんか……
これまでも何度か寒気を感じることはあった。
ただ、その時は、単に彼女がサイキックで起こしたことだなんて、全く想像しなかった。
そして、今更ながらに、彼女が持つ二つ名の所以を知って、ドン引きしていた。
しかし、当の本人は全く気にしていない。険悪な表情でキルカリアに食ってかかる。
「ねえ。キルカ! どういうこと!?」
「クラレ。よさないか! 失礼だぞ」
クラリッサの態度は、協力関係にあるキルカリアに対して失礼だ。
当然の如く、キャリックが窘めた。
ところが、彼女は鋭い視線を自分の叔父に向けた。
「叔父様は黙っていてください」
「だ、だがな……」
こうなると将軍の威厳も形無しだ。
それを考えれば、拓哉の持つ大尉の威厳など、いのままでも、なんの問題ないように感じられる。
ただ、キルカリアのことが気になって視線を向けるのだが、彼女は涼しげな表情で頷く。
「そうね。少し話しておいた方がいいかも。ただ、その話は長くなるけどいいかしら?」
クラリッサの態度に気を悪くしていなかった。それどころか、納得している風でもある。
そして、クラリッサが頷くと、彼女は自分のことを語り始めた。
何らかの要件があって呼ばれたはずなのだが、ひょんなことからキルカリアの話に替わってしまった。
しかし、彼女は望むところだと言わんばかりだった。
「私について話すには、私を生んだノルン博士のことを少し話さなければならないけど、構わないかしら」
キルカリアが前置きをすると、誰もが黙ったまま頷く。
それに頷きで返した彼女は、淡々と身の上話を始めた。
キルカリアを生み出したノルン博士は、ヒューム誕生に関わる人物であり、生体学と遺伝子学の権威だった。
彼女はヒュームの食事となるエネルギーや身体を構成する生体組織に関わる研究と開発を担当していた。
その能力は、業界で右に出る者など居ないと言わしめたほどであり、誰もが彼女の研究に驚き、感嘆し、時として慄いた。
そんな彼女には、最愛の夫と二歳になる愛娘がいて、研究と家庭の両方でとても充実した生活を送っていた。
しかし、その幸せは一瞬にして崩れ去る。
彼女の夫と愛娘が、事故で亡くなってしまったのだ。
それが原因で、彼女の狂気が始まることになった。ヒュームの開発をそっちのけで、自分の研究に没頭し始めたのだ。
その研究こそが禁断の科学であり、禁忌とされる研究だった。
というのも、彼女が始めたのは生体アンドロイドではなく、新しい人間を作り出すことだった。
それこそが、キルカリアの出生に関わる話なのだ。
ノルンは自分の娘を作り出すことを考えていたらしい。
ただ、今度は絶対に死なせたくないと考える。そして、ありとあらゆる技術を注ぎ込んだ。
遺伝子改造、強化細胞、病気や怪我に対する対抗組織の組み込み、そして、ナノマシンによる細胞拡張。
それは、この世界において禁忌とされている人体の改造だ。いや、それはどんな世界でも同じだろう。倫理に反する行為だ。
それ故に、誰もが人間を強化するのではなく、人間に近しい存在を作る方に注力してきた。しかし、彼女はその禁を破って自分の娘を作り出した。
夫も亡くなっているが故に、自分が腹を痛めて出産した訳ではない。体外受精による人工授精で生み出したのだ。
そして、その技術の結晶が、キルカリアなのだ。
「それじゃ、キルカは禁忌の科学で作られたってこと?」
あまりに桁外れの話だったのか、問いかけるルルカの顔は強張っている。
空気の読めない彼女においても、尋常ではないと感じたのだろう。いや、もしかしたら、キルカリアの存在に恐怖しているのかもしれない。
しかし、キルカリアは全く気にしていないようだ。
「そうよ」
全く以て動じることなく頷く。
彼女としては、そのことを責められても仕方ない。なにしろ、自分が望んで生まれてきた訳ではないのだ。
そして、特殊な存在であることは、自分自身が一番分かっているのだ。
「もしかしたら、あの身体能力とか、頭の回転の速さとか、それも禁忌の科学の産物なのかしら」
――あっ、その顔は……ズルしたから、勝は没収とか考えてるわね!
キルカリアは一瞬にしてその表情からクラリッサの考えを読み取る。
「そうよ。でも、それも含めて私自身だから、別にズルをした訳じゃないわよ?」
「あう……」
クラリッサは不服そうにしたものの、奇異の視線を向けることはなかった。
それは、彼女に限らない。ルルカ以外は、普通に受け止めていた。
――あら? 私が怖くないのかしら。
想像以上に驚かない周囲の反応を見て不思議そうにする。しかし、その理由については、直ぐに予測できた。
――そうね。ここに居る人達は、私達と同じで、生あるものに壁を作りたくないと考えているのよね。そういう意味では、素晴らしい志を持った人達だわ。
奇異の視線を向けられることが多かったキルカリアは、目の前に居る者達の人格を称賛する。
ただ、ここまでの話では、質問に対する答えになってない。
「ここからが本題ね。そう、私が祭り上げられた理由」
それまでの話が衝撃的だったのか、はたまた単に本題を忘れていたのか、拓哉がキョトンとする。
――ふふふっ。可愛いわね。食べちゃいたいくらいよ。
拓哉の仕草が悦に入ったのか、彼女はニヤリと笑みを見せる。
しかし、話の腰を折ることなく続ける。
「私がヒュームに崇められる理由は簡単よ。なんといっても、彼等の製造技術とエネルギー生産技術を私が握っているからよ」
ノルンとしては、キルカリアの存在を隠しておきたかった。
しかし、キルカリアが物心をつくと、周囲が驚愕するほどの能力に目覚めた。
それもあって、ノルンの意思に反して、彼女の解析能力に目を付けた研究所の者達によって、仕事を手伝わされることになった。
初めての体験だったこともあり、当初は面白がっていたが、そのうち興味をなくしてしまった。その辺りは、ただの子供と変わらない。
駄々をこねて仕事の手伝いを嫌がるようになったのだが、それは余談なので置いておくとして、その仕事というのが、ヒュームとエネルギーの製造についてだったのだ。
「ということは、キルカは彼等とそのエネルギーの製造方法を全て記憶してるのか?」
拓哉の反応が気になったが、さすがのキルカリアも、完全記憶能力の存在など毛ほども考えていなかった。
「それは無理よ。いくら私でもそれを全て記憶するのは不可能よ。情報はデータベースに入ってるわ」
「それじゃ、どうやって奴等から奪われないようにしてるんだ?」
拓哉の質問は尤もだ。情報を奪ってしまえば、彼女の必要性や価値なんて、簡単になくなってしまうのだ。
「プロテクトが掛かってるの。それも不正が行われると、データが初期化されてしまう最悪のものよ」
「そのカギを持っているということ?」
「そう。私がカギをもってるの」
「それなら、鍵を盗まれたら一巻の終わりなんだ……」
クラリッサの問いに頷くと、ルルカが深刻な表情を見せる。
しかし、キルカリアは笑みを崩さない。
「ふふふっ。大丈夫よ。鍵は簡単に盗まれたりしないから。いえ、奪われても使えないから」
「よほどの自信ですね」
キルカリアのドヤ顔が気になったのだろう。カリナが興味津々といった様子だ。
当然ながら、鍵の所在はどこかなんて、不躾な質問は起こらない。
ただ、誰もが気になって仕方ないという表情だ。
それを目にしたキルカリアは、なぜかご満悦だ。
「まあ、ヒューム達は知っているし、特に隠す必要もないことだから教えてあげましょう。私自身が鍵なのよ」
ヒュームの反乱が起こった時、ヒュームの研究者は、彼女を使ったプロテクトを掛けたのだ。
その時には、既にノルン博士は存在せず、キルカリアは隔離されていたのだが、彼等は絶対に破られないためのプロテクトとして、彼女を選んだのだ。
――でも、どうして情報を破棄しなかったのかしら……
研究者としての気持ちを理解できないキルカリアには、それが未だに理解不能だった。しかし、そのお陰で彼等を縛る武器となったことに感謝している。
「そうなると、キルカリア殿を奪われることが、我らにとって最悪の事態ということですか?」
キルカリア自身がカギだと知ると、何を思ったのか、ケルトラの表情が険しくなった。
しかし、彼女からすれば、その問題もクリアだった。
「大丈夫よ。私を奪ってなんとかなる問題じゃないわ。プロテクトの解除には、私の意思が必要なのよ」
「でも、その情報がなくても、今いる存在から逆計算で作り出したりするのでは? 彼等の演算能力なら難しくないと思いますけど」
カリナから発せられた指摘は、誰もが思い至るところだ。
ヒュームといえば、実際は戦闘よりも計算の方が得意なのだ。
「そうかもしれないわね。でも、簡単には無理だと思うわ。だって、彼等には解析能力はあっても想像力がないもの。恐らく失敗を繰り返すだけでしょう」
どうやら納得したのだろう。カリナはホッと一息吐いた。
ただ、質問は続く。なにしろ、誰もがヒュームに関する情報得たいのだ。
もちろん、それはキャリックにとっても同じだ。
「そうなると、現在はヒュームとエネルギーの生産が止まっているということでいいのかな?」
「そうよ。だから、放って置けば彼等は消滅するでしょうね」
「それにどれくらいの時間が掛かるんですか?」
返事を聞いたキャリックが何やら聞きたそうにするが、それはリスファリアに横取りされた。
当然ながら、放っておけばヒュームに勝てると聞けば、誰でも次に気になることだ。
しかし、キルカリアの望んだ未来は、そこには存在しない。
「ハッキリと言えるわけじゃないけど、このまま戦闘をしないでいれば百年くらいかな? 当然、戦って命を落とせば個体数が減るから、もっと長く持つ可能性があるわ。ただ、私は彼等を始末したいとは思ってないわよ?」
「百年……あっ、別に彼等を消滅させたいと思ってる訳じゃないですから」
今更ながらに、キルカリア達――親愛の徒が掲げる目的を思い出したのだろう。ルルカが慌てて弁解した。
――まあ、初めは居なかった存在だし、居なければ居なくても問題ないと思うけど、既に生まれた者を死なせてしまうのは、少しばかり非人道的よね。
そんなキルカリアの想いを知ってか知らでか、拓哉が頷く。
「いいんじゃないか? 別に殲滅する必要はないだろ? 人間と共存できるのならそれが一番だと思う。種別は違えども、同じ命なんだから。それはキルカ、お前も同じだ。襲い掛かってくる者には容赦なく銃を突きつけるが、そうでないのなら差別なんてしないぞ」
拓哉が発した言葉は、彼女の心を熱くする。
ただ、それが拙かったのかもしれない。自制が利かなくなってしまう。
「タクヤ。今すぐベッドにいこう!」
そう、キルカリアは周囲の視線を憚ることなく、思わずベッドインしたいと口にしてしまった。