179 狂う心と勝手な口
2019/3/3 見直し済み
それは、クラリッサにとって気分の滅入る話だった。
その証拠に、彼女の顔色は蒼く、酷く強張った表情となっていた。
しかし、拓哉の意識は、その件に向いていない。
彼の思考は、将軍から紹介されたキルカリアで埋め尽くされている。
彼女の存在は、ヒューム側の反乱組織である『親愛の徒』を束ねる者だ。
キルカリアの横には、一人の少女が立っている。その雰囲気からして、彼女の側近だと判断した。
彼女は自己紹介でオーキッドと名乗ったが、キルカリアは必死に蘭だと言い張っていた。
現在は、今日の戦闘状況や軍の被害、明日の戦闘に対する作戦が話されていた。しかし、拓哉の意識はずっとキルカリアに釘付けとなっている。
――いったいどういうことだ? この感覚はなんなんだ? 彼女を知っているような気がする。でも、全く覚えがない。だけど、妙に血が騒ぐ。
拓哉は自分自身の気持ちが解らなくなっていた。いや、自分を制御できなくなっていたといった方が良いかも知れない。
それでも必死に自制することで、何とか大人しくすることができた。
ただ、その気持ちは拓哉だけではなかったのか、キルカリアがチラチラと視線を向けてくる。そして、その視線が重なる度に、無性に彼女を求めてしまいそうになる。
そう、拓哉の中で、何かが叫び続けているのだ。
あれは自分の女だ。自分のものだ。今すぐ手中に入れるんだと、意識が訴えかけてくる。
――俺はどうしちまったんだ? おかしい……これは、おかしいぞ……
狂ってしまったかのような自分の心を必死で胸の奥深くに押し込む。
「タ、タクヤ、大丈夫なの? さっきからおかしいわよ?」
まるで泉から沸き起こる水を押しとめるが如く、己の衝動を押さえつけているのだが、それは他から見ても異様に見えたようだ。クラリッサが不安げな表情を向けた。
彼女の声で、自分が顔を俯けていたことに気付く。
「あ、あ、クラレ……いや、何でもないんだ。大丈夫だ」
「ほんと? 顔が真っ青よ? 医務室に言った方がいいかも」
「いや、本当に大丈夫だ」
心配するクラリッサに問題ないと告げるのだが、彼女の眼差しは「それは嘘よね」と語っている。
バツが悪くなって視線を外したところで、既に会議は終わったことに気付く。
「ですが、明日の戦いのこともありますし、診てもらった方が良いですよ」
視線を巡らせる拓哉に、いつの間にか現れたルルカが詰め寄った。
その表情は、クラリッサと同様に不安を露わにしていた。
そう、自制に集中していた拓哉は、会議が終わったことどころか、ルルカが来ていたことすら気付いていなかったのだ。
「いや、もう大丈夫だ。うん。明日にも影響ない。うぐっ――」
「あの、ホンゴウさん。少しいいですか?」
焦って場を取り繕うのだが、拓哉の心臓が跳ね上がる。
拓哉の心を掴んで離さないキルカリアが、笑顔で話しかけてきたのだ。
慌てて頷く拓哉だったが、声を出す前に、クラリッサが割って入った。
「いえ、タクヤは今調子が優れないようなので、次の機会にしてもらえませんか」
何があったのか、普段では見せないキツイ口調で、キルカリアの要望を拒否してしまった。
――く、クラレ? どうしたんだ? どうして彼女の頼みを断るんだ? ほら、あんなに驚いているじゃないか!
クラリッサの剣幕に、拓哉は負の感情を抱いてしまう。
拓哉は完全に狂ってしまっているが故に、クラリッサの気持ちすら解からなくなっていた。
そんな拓哉を知ってか知らでか、キルカリアの横に立っているオーキッドは、クラリッサのつっけんどんな物言いに顔を歪ませた。
「失礼な奴だ! キルカリア様の頼みを無碍にするとは!」
「ちょっと、蘭、喧嘩はダメよ。それに、私はお姫様じゃないんだから、頼みを断っても失礼でも何でもないわ。それぞれに事情があるでしょうし」
「ですが……ひめ――」
「蘭!」
オーキッドが腹を立て、容赦なく噛みつくのだが、それはキルカリアによって遮られた。
それに不満のあるのだろう。オーキッドは食い下がる。しかし、それもキルカリアの一声によってねじ伏せられる。
キルカリアの強い口調に抵抗できなかったのか、それども彼女の表情に反応したのか、オーキッドは渋々と押し黙った。
しかし、キルカリアはその表情をすぐさま和らげる。
「では、また調子の良い時に」
まるで何もなかったかの如く、キルカリアは踵を返して、そのまま拓哉の前から立ち去った。
クラリッサとオーキッドの間で一触即発の事態に、誰もが少しばかり恐れを感じていた。
しかし、それからは特に問題も起こっていない。
ただ、拓哉にとって、暫くの間は、何もかもが朧げだった。
会議が終わったあと、クラリッサやルルカと明日の細かな作戦の調整をすませ、キャリックと食事をしたのだが、どんな話をしたのかも覚えていない。いや、頭には入っているので、思い出す気になれば、いつでも取り出せる情報ではある。
その後は、機体の確認をして欲しいという話で、黒鬼神が収まる格納庫に行った。
ただ、そこでの光景が印象的で、一気に意識が覚醒した。
その覚醒の要因となったのは、男が泣き叫ぶ姿だった。
「畜生! おい! お前等! 直ぐにオレの機体と装備を修理しろ! 明日も出撃するからな! おらっ! 黙ってないでなんとか言え! いや、さっさと仕事にかかれ!」
それは三十代ぐらいの男だ。両目からは滂沱の涙を流しながら怒鳴っていた。
しかし、整備士達は首を竦めたまま沈黙して動かない。
叫ぶ男――グエンは、さらに大きな声で怒鳴り始める。
「なんだ!? なんだ!? 何事だ!?」
その声を発したのは体格の良い厳つい男だった。
グエンの声を気にしてやってきたのか、はたまた、誰かに呼ばれてやってきたのか、厳つい男は大声を発すると整備士達に視線を向けた。
「あ、あの~、グエン少尉が自分の機体と武器を直せと……」
「ああ、奴の機体か……」
厳つい男は説明を聞くと溜息を吐く。そして、大きな声で怒鳴った。
「グエンのバカ野郎! 大切な機体をこんなに壊しやがって! こんなもん直る訳ないだろ! ボケッ! お前は機体の壊し過ぎだ。乗る機体なんてね~! 自室で大人しくしてろ!」
「なんだと! お前等、直してなんぼだろうが!」
グエンはすぐさま厳つい男に食って掛かる。
しかし、厳つい男は有無も言わさずに、グエンを強烈なパンチでぶっ倒した。
「ばっきゃろ~~! オレ達が直せないほど壊してくる奴が悪いんだ! 見てみろこの有様を!」
厳つい男はそう言って腕を後ろに振る。
そこには、両腕がなくなり、脚は片方が残っているものの、それもズタズタになった機体があった。
それは、搭乗者の無事が疑問に思えるほどの状態だ。
グエンは上半身だけを起こし、自分が搭乗していた機体の有様に目をやる。
途端に、号泣しながら床を殴り始める。何度も、何度も、何度も。
「畜生! 畜生! みんな、みんな死んじまいやがって……くそっ! 絶対にゆるさね~ぞ!」
「おい! 止めさせろ! 手がぶっ壊れるぞ!」
泣き叫びながら激しく床を殴りつけるグエンを止めるべく、厳つい男が整備士に顎をしゃくる。
命じられた整備士達が力尽くで抑え込むと、グエンは涙を流しながら懇願し始める。
「なんでだよ! 戦わせてくれよ! オレは仇を討ちたいんだよ! どうせ、ここに残っても明日はみんな死ぬんだろ!? だったら、戦わせてくれよ」
整備士に揉みくちゃにされながらグエンは泣き叫ぶ。
しかし、厳つい男は受け入れない。
「ばっきゃろ~! そう簡単に死ぬなんていうんじゃね~! それに、心配すんな! 鬼神が来たんだ。お前が死線を駆け巡る必要なんてね~。だから、安心して休んでろ。だいたい、相棒はぐったりしてるじゃね~か、見ろ!」
「は? 鬼神? 鬼神がなんだよ! 何様だってんだ! 餓狼と恐れられたオレに敵うってのか?」
「あほか! 鬼神はな。艦隊を葬り去る男だぞ! お前なんて足元にも及ばね~さ。いや、お前も良くやった。聞いたぞ。とんでもない撃墜数だったらしいじゃないか」
「うっせ~~! あんなの序の口だ!」
その悲しい光景を目にした拓哉は、ふと両隣に視線を向ける。
そこでは、クラリッサとルルカが暗い表情を作っている。
戦友をなくしたグエンの悲しみは、見ている者達の心まで蝕む。
本来なら、それを知らない拓哉は、黙ってこの場を立ち去るべきだろう。しかし、どうしてもそれができなかった。
泣き叫ぶグエンに向かって足を踏み出す。
「な、なんだよ! ここはガキのくるところじゃね~ぞ! さっさと帰れ!」
拓哉に気付いたグエンは、座り込んだまま腕を振って追い払おうとした。
しかし、厳つい男を始めとした整備士達は、誰もが直立不動で敬礼をする。
「な、なんだ! なんだ? なんでこんなガキに敬礼してんだよ!」
グエンは周囲の態度を目にして戸惑うが、拓哉の口が勝手に動き始める。
「俺にどれだけのことが出来るか分かりませんが、見ていてください。必ずあなたの大切な仲間の仇を取ってきます」
「はぁ? なに言ってんだ? お前みたいなガキに、何が、ぐっ、ふごふご!」
拓哉の口が勝手に約束する。そう、仇を討つと。
それを自分でも信じられないでいたのだが、グエンはガキの戯言だと切って捨てようとした。しかし、厳つい男にすぐさま口を封じられた。
「大尉、失礼しました。こいつは、今日の戦闘で少し気が高ぶってるんです。許してやってください。お、お前は黙れ。いや、謝れ! こちらはホンゴウ大尉だぞ」
グエンの首根っ子を押さえつけると、厳つい男は拓哉に頭をさげた。それと同時に、グエンに叱責の言葉を放つ。
「ホンゴウ大尉? 誰だ、それ」
「ばっきゃろ~! 黒き鬼神だ!」
「はっ? こんなガキが? てか、なに笑ってんだよ ぐはっ! いてっ!」
どうやら、グエンにとっては、拓哉が唯のガキに見えたのだろう。
それが可笑しくて、クスクスと笑ってしまったのだ。
――そうだよな。どう見ても唯のガキだ。それは事実だからいい。でも、こんな悲しいことを早く終わらせたいと思う程度には、心が育ってるんだよな。
罵声を浴びせてきたグエンに憤りを感じるどころか、拓哉は込み上げてくる笑いを抑えるので必死だった。
「タク~~~! おせ~ぞ! いって~~~~~~~!」
「こら! クロ! 呼び捨てとは何事だ! ホンゴウ大尉と呼べ!」
全く空気を読んでいないのか、それともこの騒ぎに気付いていないのか、クロートがいつもの調子で拓哉を催促する。しかし、そんなクロートの頭にデクリロのゲンコツが落ちた。
「タクヤ大尉。申し訳ありません。プログラム系の調整を手伝ってもらえませんか」
デクリロに怒られるクロートの横で、トニーラが手を振りながら拓哉を呼んだ理由を告げた。
「分かりました。直ぐ行きます」
「ホンゴウ大尉も、それじゃ駄目だぞ! もう少し威厳を持ってくれよ」
今まで通りに対応する拓哉に、デクリロが顔を顰めながら苦言を述べてくる。
しかし、そうは言っても、そう簡単には変わらないのが習慣というものだ。
「す、すみません。でも、直ぐには無理ですよ」
「しゃ~ね~な。でも、舐められないようにしないとな」
デクリロは笑顔で拓哉の背中を叩いた。
「いって~~~!」
その痛さに思わず悲鳴を上げる拓哉の後ろでは、グエンが呆けた顔を厳つい男に向けている。
「なあ、あれが黒き鬼神なのか?」
「そうだぞ! ディートで落とした戦艦の数を聞いたか? ぶったまげるぞ?」
「それにしては、頼りないんだが……」
「……た、確かに……大丈夫かな……ちょっと不安だ……」
グエンと厳つい男のやり取りを耳にした拓哉は、大尉の威厳というのも大変そうだと感じる。