176 女神との遭遇
2019/3/1 見直し済み
――なんてこった!
それがグエンの率直な感想だった。
その理由は至極簡単であり、恐ろしく最悪なものだった。
第一次防衛ラインを撤退したグエンだったが、二時間もしないうちに第二次防衛ラインを撤退することになったのだ。
「おいおい、防衛ラインは、次が最後だぞ? この調子じゃ、今日中に街を落とされることになりかねんぞ?」
「だよな。第一次防衛ラインよりも、第二次防衛ラインの方が装備的にも充実していたはずなんだが……」
――マジかよ! そんな話は初めて聞いたぞ?
相棒の言葉に慄く。ただ、ナナちゃんの件で驚きを使い果たしたのか、拙い状況だと感じながらも驚愕するほどではなかった。
「奴等が定時退社するのは知ってるが、これじゃどうしようもないぞ。司令部は何を考えてるんだ?」
「さあな。確かに十八時で奴等が撤退するとしても、振り出しに戻る訳じゃないからな。明日は無防備の状態でタコ殴りされるだけか。降伏して何とかなる相手じゃないし、参ったな……」
相棒の考えが尤もだ。グエンの疑問は、誰もが考えることだ。
ヒュームは、ただ侵攻している訳ではない。
防衛線の設備は間違いなく破壊されている。
十八時で撤収したとしても、防衛線を全て破壊されたら、明日は街で待ち構えるしかなくなる。それこそ死に体だ。
「因みに、第三次防衛ラインの設備は?」
「第二次防衛ラインに毛が生えた程度だったかな」
「駄目じゃね~か!」
「そうだよ。だから、第二次防衛ラインで食い止める必要があったんだ」
その後も、撤退するPBAの後部座席に座る相棒から、ことの顛末を聞かされることになった。しかし、グエンの耳に聞こえつつも、頭には全く入ってこない。
――ヤバいぜリスファア。せめてお前だけでも逃がしてやりたいが……
末期状態だと感じたグエンは、年の離れた妹のことを考える。
早くに亡くした母親に誓ったのだ。妹のリスファアだけは、必ず幸せな家庭生活を送らせると。
グエンとリスファリアの兄妹は、南の街から疎開した一家だった。
父親は彼等を逃がすために亡くなり、母は疎開後に過労と病に倒れてしまった。
その時、これだけ進んだ科学を持ってしても治らない病気があるのだと知り、グエンはこの世界を憎んだ。
しかし、歳を重ねるにつれて、全てヒュームが原因なのだと考え始めた。
それ故に、サイキックがあると知った時には、嬉々として訓練校に入った。ただ、施設に残した妹に申し訳ないことをしてしまったと、今でも後悔していた。
その妹も、いまや立派なレディーになり、グエンが守る必要などないほどに力を付けている。
それでも、母との約束は絶対に守るつもりだった。
――今回は、意地でも守ってみせるぜ。
過去のことを振り返ったグエンは決意する。
ただ、彼一人では、間違いなく犬死するだろう。
それは、彼自身が一番分かっていた。
「なあ。悪いが、次は最後まで付き合ってくれないか?」
「ん? ああ、いいぜ。オレも次は腹を決めてるからな。てか、もう機体を壊すなよ。いざという時に戦えなくなるぜ。くくくっ」
「ぐはっ! わ、分ってるさ」
第三次防衛ラインでは、絶対に戦うつもりだ。
相棒はその決意を快く受け入れた。
途端に、グエンの胸の奥が熱くなる。
――本当にいい奴だぜ! 相棒!
後部座席の相棒に感謝しながら、グエンは機体を第三次防衛ラインに移動させる。
想像以上の殲滅力に、自分の失策を認識していた。
それは、第一次、第二次防衛ラインを早期撤退させたことだ。
出来る限りの人的被害を避けるために、自動システムによる攻撃を選択したのだ。
しかし、それは物の見事に裏目となった。
自動システムは、精密思考を繰り広げるヒュームにとって、脅威とはならなかった。
第一次防衛ラインで自動システムのアルゴリズムを解読されてしまったのか、第二次防衛ラインは異様な速さで陥落してしまった。
「将軍、第二次防衛ラインの味方が、第三次防衛ラインに集結しました。ただ、第二次防衛ラインは、既に壊滅状態です」
指令室の前部に座るオペレーターから、撤退完了と第二次防衛ラインの結末が知らされた。
――クラレ……状況は思いのほか最悪の状態だ。できれば来て欲しくなかったが……いや、こんなことでは駄目だな。意地でも奴等を追い返さねば……それが例え私の命がなくなるとしてもだ。
自分の姪だけでも助けたいという虫のいいことを考える。
ただ、それでも最後まで戦い抜くことを誓い、俯けていた顔を上げる。
「攻撃アルゴリズムを変更したのですが、それも直ぐに見破られたようです」
「仕方ないさ。演算で彼等に勝とうというのが土台無理だったのだ。これからは少し辛い戦いになるぞ」
「もちろん覚悟してます」
リスファアのみならず、指令室に居る誰もが頷く。
「敵の第三次防衛ラインへの到達予測、二十分後になります」
防衛ラインの間隔が近いこともあって、敵の進攻は早い。
第二次防衛ラインが突破されたばかりだというのに、一日にして最終防衛ラインまで到達してしまう。
こうなると、もはや人的被害云々などと言ってはいられない。
「最終爆撃部隊に連絡。即座に敵を殲滅せよ」
「了解しました。爆撃部隊。第十から第十五部隊まで、全てに攻撃指示がでました。速やかに敵の迎撃にあたってください。繰り返します――」
爆撃部隊に指示を出している通信士を他所に、次の命令を下す。
「戦闘機も全て投入しろ。PBA部隊は第三次防衛ラインの前面に展開し、突破してきた敵を討て。遠距離砲は自動システムではなく手動に切り替えろ。狙いは絞らなくてもいい。とにかく撃ち捲れ」
「戦闘機部隊は全て発進! 繰り返します。戦闘機部隊は――」
「PBA部隊、第零一から三十まで、全て防衛線の前に展開。展開位置は予め作戦会議で通達のあった場所です。繰り返します――」
「砲手は遠距離砲に搭乗してください。繰り返します――」
これまで受け身で、どちらかと言えば静かだった指令室が、急激に慌ただしくなる。
一気に騒がしくなった指令室を眺め、キャリックは前線に出る者達に感謝する。
なにしろ、前線に出た多くの戦士は戻ること叶わない。まさに決死隊だ。
ヒュームとの戦いは、それほどに苛烈だ。
しかし、感謝の気持ちを感じつつも、更なる命令を下す。
「爆撃と戦闘機の攻撃は、長距離砲とタイミングを合わせろ」
それは難しい注文だ。しかし、そうしなければ、それぞれが単独で戦っても、ヒュームの脅威にはなり得ない。
それを感じ取った通信士は、難しいと知りつつも、次々に今の命令を伝えていく。
しかし、思いのほか芳しくない。いや、当初から予想された通り、劣勢に立たされる。
「第十から第十三爆撃が撃墜されました」
「攻撃機の十パーセントが被弾、撃破されました」
「敵は第二次防衛ラインの遠距離砲を使っているようです」
「直ちに第二次防衛ラインの遠距離砲を自壊させろ」
皮肉なことに、自分達の武器でやられている。
ただ、それはキャリックの作戦でもあった。
すぐさま狙っていた策を伝える。
そう、ヒュームが遠距離砲を乗っ取ることは分かっていた。
故に各箇所に自壊用の爆発物を設置していた。
本来であれば、第一次防衛ラインで行いたかった策だが、第二次、第三次に仕掛けるだけで精一杯だった。
「第二次防衛ラインの爆発を確認。向こうも被害が出ている模様です」
「やった!」
「よっしゃ」
「ざまーーー!」
遠視観察部隊からの報告で、壊滅した基地に残った敵の被害状況が伝わると、指令室に歓喜の声が上がる。
ただ、基地を爆破して敵を葬るのは最終手段なのだ。
その手段は、既にミラルダ側が追い詰められていることを敵に知らせる様なものであり、ここからの戦いがより苛烈になると予想される。
「進攻してくる敵の被害が十パーセントを超えました」
吉報が舞い込むが、たかが十パーセントでは話にならない。残りの敵の数は、九百に及ぶのだ。
「手を休めずに弾幕を張るんだ。やつらが三十パーセントも残れば、街が滅ぶぞ」
「了解しました」
キャリックのキツイ指摘を聞いて、歓喜していた者達が表情を引き締め、すぐさま自分のやるべきことに集中する。
――今日で全てが終わることはないかも知れない。だが、この状況だと、明日は死に体で敵を迎えることになってしまう。そうなると、いくらホンゴウ君でも、どうにもならないだろう。せめて敵の数を二十パーセント以下にしておかなければ……
明日のことを考えたのが拙かったのか、まるで嘲笑うかのように続々と被害が拡大していく。
あまりの被害状況に悲観したのだろう。一部の兵士が恐怖に囚われて悲痛な叫び声を上げ始めた。
「なんて奴等だ。まるで大人と子供の戦いじゃないか!」
「そもそも無理だったんだ。あんな奴等に勝てる訳がないんだ」
「畜生! こんなことなら……」
絶望的な表情を浮かべた兵士は、間違いなく後悔していた。そう、逃げればよかったと。
しかし、その態度が看過できなかったのだろう。リスファアが怒りを露わにした。
「駄目よ! 最後まで諦めずに戦うのよ! 逃げたって同じよ。いつか奴等に滅ぼされるんだから」
彼女の言葉に感銘を受けたのか、それとも鬼気迫る迫力に負けたのか、表情を強張らせていた者達が、すぐさま申し訳なさそうにした。
「そ、そうだな。す、すまん」
「わ、悪かった」
「そ、そうだな……悪かった。もう弱音は吐かない」
――どうやら、彼女にはファンが沢山いるようだな。まあ、この可愛らしさなら、男達を魅了してしまうのも仕方ないか。
最悪の状況下で場違いなことを考えていると、最悪の報告が次々と聞こえてくる。
「敵の被害が二十パーセントに達しました。ですが……こちらの被害は四十パーセントを超えました」
「PBAが接敵しましたが……あ、あう……物凄い勢いでやられてます……」
「絶対に一対一で戦うなと伝えろ。必ず四機から五機で戦え」
「了解しました」
――くそっ! これまでか……PBA部隊が戦う段階になったらもう終わりだな……仕方ない……
「全ての部隊を撤退させろ。奴等に砦に取りつかせるのだ」
「ま、まさか、爆破ですか?」
苦肉の策を口にすると、リスファアが奥の手の正体を明かした。
「仕方あるまい。PBA部隊では、やられるだけだ」
「そ、そうですね」
リスファアが残念そうに呟く。これまでの戦闘で、彼女にも分かったのだ。ヒュームとは異次元の強さを持った者達だと。
そして、奴等を葬るには、自滅作戦しか残っていないと思い知る。
ところが、そのタイミングでレーダー士から驚きの声が上がった。
「た、大変です。ほ、北西から別部隊が現れました」
「な、なんだと!? 在り得ない。奴等が部隊を分けるはずがない」
キャリックは己が耳を疑った。
これまで、ヒュームの作戦行動など聞いたことがなかった。
しかし、状況を確認していた兵士が戸惑いを見せた。
「北西からの部隊は、ヒュームを攻撃してます。も、もしかして、援軍?」
――いや、北西からくる援軍など居ない。いったい何が起こっている?
北西からの援軍と聞いて、全く理解不能になってしまう。そこに通信士からの声が届いた。
「こちらに向けた秘匿回線の通信を傍受しました。どうしますか? 繋ぎますか?」
秘匿回線ときいて、キャリックはピンときた。そう、それこそが北西から現れた存在だと。
「繋いでくれ」
「了解しました。映像と音声、出ます」
次の瞬間、指令室の誰もが声をなくす。
正面のモニターに、美しき女性が映し出されたのだ。
あまりの美しさに、その存在が女神ではないかと感じてしまう。
しかし、その女神とも思える美しき女性は、にこやかな表情で話し掛けてきた。
「初めまして、私は『親愛の徒』を率いるキルカリアと申します。なんとか間に合って良かったです」