172 任命書
2019/2/27 見直し済み
とても残念なことだが、ヒュームは着実に侵攻してきていた。
その距離は、僅か三百キロとなっている。
それは、一日で簡単に到達できる距離であり、目と鼻の先と言っても過言ではない。
それもあって、キャリックは何度目となるかも分からない作戦会議の最中だった。
「将軍、正直言って、私達はヒュームと戦ったことがないのです。どう対処すれば良いのかも、全く理解できていないのです」
基地における上位者はさっさと逃げ出し、残った士官は若い者ばかりだ。その中でも、多少歳上に見える男が厳しい表情を浮かべていた。
キャリックにとって、その気持ちは解からないでもない。
これまで様々な案が提出されたのだが、議論が空中戦となったところで、対策の決定が頓挫していた。
「彼等が夜襲を行わない。正攻法でしか攻めてこない。それどころか、飛空艦による攻撃や降下作戦も行わず、正面から向かってくるというのは本当ですか?」
信じられないと言わんばかりに尋ねてくる士官だが、キャリックとしては頷くほかない。それが事実だからだ。
「そうだ。奴等は効率しか考えない。夜は視界が聞かないが故に効率が悪く、相手の裏を掻くことにはリスクがある。生産能力の低い彼等には、潤沢な軍事設備も整っていないのだ。随って、間違いなく飛空艦からの砲撃などは行われない。そもそも、彼等はサイキック能力を持たないのだ。だから、彼等の技術にサイキックを使用したものは全く存在しない。ただただ殺戮を主とした攻撃を仕掛けてくるだけだ」
人間側における軍事設備に使われているサイキック技術の多くは、リカルラが発案した物が多い。
サイキック技術が発達したのは近年であり、ヒューム側には存在しない技術だった。
なにしろ、ヒュームにはサイキック能力がないからだ。それ故に、彼等にとってサイキックを利用した軍備は無用の長物なのだ。
その他では、個体数が少なく、生産性が低いことが上げられる。
資源の少なさもあって、皮肉なことに、彼等が使用する武器に関しては、原始的なものが多い。
もちろん、砲弾や銃弾もある。しかし、その生産は止まっており、全ての機体に銃を装備することなど不可能だった。
故に、唯一自分達が作り出した高周波ブレードのみで戦うのだ。
「そうなると、遠距離から弾幕を張ることで、進攻を防げるのではないですか?」
一通りの情報を再度確かめると、若い士官が正攻法を進言した。
ヒュームには近接戦闘しかないのだ。対策としては間違っていない。
「そうだ。いや、こちらの攻め手は、それしかないとも言えるだろう」
「それほどまでに、奴等は強いのですか?」
「うむ。奴等の能力は、人間の三倍以上だと思って欲しい」
若い士官の言葉を言い換えると、すぐさまヒュームの能力に対して疑問の声が上がった。そして、キャリックから返答を聞いた者達がざわつく。
「奴等は迂回したりしないのですか? 正面から戦えば、向こうも被害が大きいはずですが」
「思い出して欲しい。奴等の目的は人類の撲滅だ。それ故に、奴等は全てを滅ぼすために戦っている。人間のように街を落としたら勝ちだという訳ではないのだ」
改めてヒュームの目的を思い起こした面々が息を呑む。
「みんな、再度肝に銘じてほしい。奴等は街を襲って荒したりはしない。ただひたすらに人を始末して回るのだ。その行為に、女子供は関係ない。生ある人間は、誰それ構わず息の根を止められるだろう」
何度目かになるかも分からないヒュームの行動原理を聞かされ、誰もが歯噛みする。
その中には、キャリックに付き従うリスファリアの姿もあった。
「それなら、市民をシェルターではなく、他の街へ避難させた方が良いのではないでしょうか」
彼女の意見は尤もだ。隠れても無駄なのだ。ヒュームは生体反応がある限り、殺戮という作業を停止しない。
しかし、誰もが首を横に振った。
「君の言うことは尤もだ。だが何十万も居る市民を移動させる手段がない。もちろん、受け入れる側の体制もな。一応はモルビス財閥からディートにと誘いを受けてはいるが、向こうも大変な状況だ。恐らく大混乱になるだろう」
リスファアは、同僚である士官から事実を聞かされて肩を落とす。
キャリックにしても、彼女の気持ちは痛いほどわかる。しかし、ことはそう簡単ではないのだ。
「そういう訳で、第一次防衛ラインは、街の五十キロ先に設置する。第二、第三は、それから十キロ置きに設置する案で良いだろう。あと、出来る限り移動可能な遠距離攻撃設備を各防衛線に配置してくれ。とにかく、弾幕を張るしか対策がないのだ。それと、飛空艇の空爆準備を進めて欲しい。場合によっては拡散弾を使っても構わん」
キャリックが最終決定を下すと、拡散弾が条約違反の武器であるのにも拘わらず、士官たちは敬礼と共に了解の返事をしてきた。
拡散弾には様々な種類があるが、ここで用意されるのは、大規模爆撃用の砲弾であり、地球に存在するキャニスター弾など比にならないほどに凶悪なものだ。それ故に、周辺における被害も尋常ではない。
キャリックとしては、さすがに核融合弾を使用する訳にはいかないが、電磁パルス弾を使用したいところだった。
電磁パルス弾を使用すれば、敵の機体のみならず、ヒューム自体も行動不能にできるのだ。しかし、その兵器や開発は、大陸国家統一の時点で完全に凍結されていた。
――まあ、条約違反と言っても人類側のルールだからな……市民を守るためなら何でもやるぞ!
そんな決意をしつつ、キャリックは誰もが慌ただしく立ち去った会議室を後にした。
その行為は、殺人的といえるだろう。
それこそ、ちょっとした悪戯では済まされない。
さすがに、拓哉とクラリッサであっても、意識を手放すほどではないが、その重圧に嘔吐しそうになる。
なにしろ、拓哉達は電磁レール式の加速器で空に撃ち出されたのだ。
「いくらなんでも、これは、冗談や悪戯では済まされないわ」
物理的にも、精神的にも、苦痛を味わったクラリッサが憤りを露にする。
「いったい、何を考えているんだ?」
余りにも理不尽な対応に、拓哉も不満を隠すことができず、二人は落ち着いた船内で、グチグチとララカリアに対する不満を垂れ流していた。
射出時は恐ろしいほどの重圧を感じたものの、巡行状態となると、船内を歩くことすらできるのだ。
それでも、地球の乗り物では考えられないほどの速度が出ている。
「よくあれで生きてるよな!? さすが、PBAパイロットは半端ないな」
「ですよね。僕なら今頃は病院に担ぎ込まれているか、棺桶の中ですよ? というか、デクリロさんは、未だに気を失ったままですねどね」
簡単や呆れの様子を見せたのは、黒鬼神の専属整備士となったクロートとトニーラだった。
「二人とも突貫で作業をしてくれたんでしょ? ありがとうございます」
二人から話し掛けられると、クラリッサはすぐさま頭をさげた。
そもそも、予定よりもかなり早く出発できたのは、彼等が頑張ったお陰だ。
「おいおいおい! クラリッサ嬢から感謝してもらったぞ!」
「クロートさん、浮かれてますけど、僕達は自分達の仕事を全うしただけですからね」
浮かれるクロートを真面目なトニーラが窘めた。
ただ、拓哉は専属と聞いた時から疑問を抱いていた。
「クロートさん、トニーラさん、ありがとう。でも、ミラルダはこれから戦場になるんですけど、良かったんですか?」
この高速飛空艇が向かっている先は、今まさにヒュームに襲われんとしているミラルダだ。
それを考えると、黒鬼神の専属整備士とは、何かの罰ゲームなのではないのかと思えてしまう。
しかし、二人は全く異なる考えを持っていた。
「何を言ってるんだ! 黒鬼神あるところ勝利ありじゃね~か!」
「そうですよ。タクヤくんと共にあることが僕らにとって一番安全ですからね」
クロートとトニーラは、お互いに顔を突き合わせて肩を竦めたあと、正直な気持ちを伝えてきた。
ただ、拓哉としては、その返事に怯んでしまう。
なにしろ、勝てると決まった訳ではないのだ。
しかし、クラリッサは納得の表情で頷く。
「二人が言うことが尤もね。そうよね。タクヤが戦っている限り、負けることはないもの。なんてたって無敗伝説を作るのだしね」
――無敗伝説……なんかプレッシャを感じるな~。まあ、死にたくないから頑張るけど……てか、それよりも聞きたいことがあったんだ。
三人からベタ褒めされて頬を掻いていたのだが、そこで彼等に対する別の疑問を思い出す。
「二人は耐圧スーツを着てましたけど、この射出に関して、なにか聞いてたんですか?」
「ああ、この件か。なんか移動時間を短縮させるためにレールガン射出させるって言ってたけど、オレっちには分からんわ。ただ、命が惜しければ耐圧スーツを着ろって言われてたぞ。だから、お前等を見た時には、正気の沙汰じゃないと思ったが……別に問題なさそうだな」
――いやいや、問題大ありだ! なんだ、その命が惜しければって……
「そういえば、ララさんが、実験だからって、二人には内緒にしてると言ってましたね」
「実験……」
クロートが肩を竦めると、トニーラが事実を暴露した。
拓哉としては、その内容に絶句してしまう。
しかし、クラリッサは別のことが気になったようだ。
「短縮って、どれくらい早くなるかとか聞いていますか?」
「おっ、おぅ! た、確か半日は早くなるって言ってたかな」
物凄い勢いで喰いついてきた彼女に怯みつつも、クロートは自分の知っている範囲で情報を連携した。
すると、彼女は大きな溜息を吐いた。
「半日……死ぬ思いをしたのだから、せめて一日は早くなって欲しかったわ」
どうやら時間を気にしているクラリッサであっても、あの苦痛は忘れられないのだろう。眉間に皺を寄せた状態で心中の想いを吐露した。
ただ、拓哉としては、ララカリアの考えが気になり始める。
「実験が何か知ってますか?」
「いえ。僕が聞いたのは、実験とだけですね」
大した情報を得られずに肩を落としたのだが、クロートが割って入った。
「でもよう! リカルラ博士となんか色々話してたぞ?」
――ぬぐっ! またもやリカルラか……てか、まさか彼女から昨夜の件を聴いて企んだ、なんてことはないよな?
リカルラの名前が出たことで、実験ではなく唯の罰ゲームではないのかと思い始める。
そんな裏読みをしていると、一人の女性が現れた。
小柄なこともあって、軍服を着ているものの、拓哉からすると、その雰囲気は少女のように思えた。
「あ、あの、タクヤ=ホンゴウ大尉で宜しいでしょうか?」
「はっ? 大尉? なにそれ」
「大尉なんだ……」
「おいっ! 大尉だってよ! オレっちなんて整備三級軍曹なのに」
「なに言ってるんですか。僕なんて整備伍長ですよ?」
突然の階級発言に、拓哉が目を泳がせると、クラリッサが肩を竦め、クロートとトニーラが愚痴をこぼした。
すると、拓哉の反応が意外だったのか、目の前の女性は首を傾げる。
「あの~、ホンゴウ大尉で間違いないですよね?」
「いや、ちょっと待ってくれ。確かに俺はタクヤ=ホンゴウだが、大尉ってなんだ? てか、クロートさんやトニーラさんは、元々軍属だから分かるけど……なんで俺が大尉?」
拓哉としては軍に属した記憶がない。確かに、訓練学校はなくなったし、ミクストルのメンバーにもなったが、行き成り大尉という階級を持ち出されて、納得できようはずもない。
しかし、彼女は然して気にしていないようだ。
「知らなかったのですね。ミクストルが正式に旗揚げされました。それに伴い、正式な組織としての体制が発表されたのです」
彼女は簡単に説明を済ませると、二枚の紙を差し出してきた。
一枚は拓哉宛であり、もう一枚はクラリッサあてだった。
金で縁取られた用紙に『任命書』と書かれており、そこには、拓哉の名前と大尉に任命するという文字が書かれてあった。拓哉がとなりに視線を向けると、クラリッサの名前と少尉という文字が目に入った。
「わ、私は少尉なのね……まあ、どうでもいいけど、行き成り将校なのね」
クラリッサとしては、大して興味がなかったのか、それほど感銘を受けていない。
――まあいいか。俺としても、自分のやりたいことができればいいだけだし……
「ありがとう」
突然の階級に驚いたものの、拓哉は然して気にすることなく、軍服の女性に礼を述べる。
ただ、そこで女性の行動に疑問を感じる。
というのも、任命書を手渡した軍服の女性が、いつまでもそこに立っているからだ。
そのことに嫌な予感を抱いた拓哉が、怪訝な表情を浮かべると、その女性は姿勢を正して敬礼してみせた。そして、爆弾を投下した。
「私はルルカ=マクアイアと申します。今日からホンゴウ大尉の側近として働くことになりました。以後、宜しくお願いします」
彼女から放たれた爆弾は、これからの波乱を感じさせられるものだった。