167 役目は種付け?
2019/2/25 見直し済み
他に誰も居ない部屋が、男の声で満たされる。
それは会話であるはずなのだが、一方的な話にしかならない。
その男――キャリックは携帯端末を手に、暫くご無沙汰となっている彼女――リカルラと情報の連携を行っているのだ。
もちろん、ご無沙汰というのは、夜の営みも含めてのことだ。
「そうか。それはよかった。ああ、問題ない。むざむざとやられるつもりはない。そもそも、ワシひとりの命ではないのだからな。ああ、分っている。それじゃ、後を頼む」
通話を終わらせると、キャリックは室内に目を向ける。
その部屋は、慣れ親しんだ訓練校の校長室ではない。ミラルダ方面軍の基地に設置されている執務室だ。
執務を行うのに何の支障もない部屋であったが、それ以外には何も与えてくれないほどに何もなかった。
喜びも、悲しみも、楽しさも、ありとあらゆる人間の心を引く物が存在しない無機質な様相だ。
ある意味で、虚無の部屋といっても過言ではないだろう。
――人類の進歩とは、ある意味で味気なさを産み落とすものなのかもしれないな。
機能重視の殺風景な部屋の様相を眺め、思わずそんなことを考えてしまう。
なにゆえ、突然そんなことを思ったのかは解らない。
もしかしたら、先のないと感じた心が、そう思わせたのかもしれない。
あと三日もすればヒュームが大挙してやってくる。そして、この街にその凶悪な牙を突き立てることになるだろう。
しかし、そう簡単にやられてやる訳にはいかない。
奴等は戦闘員と非戦闘員の区別なく術を滅ぼしてしまう。感情というものを持ち合わせない彼等は、弱き女子供関係なくその鉄槌を打ちおろすのだ。
それ故に、奴等を倒すか追い返さなければ、街の住民がシェルターに隠れていても何の意味も持たない。
――最低でも残った住民は助けたいな。そのためには……
これから始まろうとしているヒュームとの戦いを前に、自分の成すべきことを考えていると、インターホンが来客を告げた。
「入ってくれ」
執務室の扉に掛かっている鍵を解除すると、年若い女性士官が頭を一つ下げてから入ってきた。
――彼女は、まだ二十代前半だったな。死なせる訳にはいかないな……
入室してきた女性士官は、リカルラよりも年下なのだが、少し老けて見えた。
それは、彼女が緊張で顔を強張らせているからかもしれない。
数日後には、ヒュームが攻めてくるのだ。緊張するのも仕方ないだろう。
「バルガン将軍、間もなく作戦会議が始まります」
「ああ、分った」
キャリック専属の女性士官――リスファアは、どういう訳か、彼を英雄視していた。
その理由はキャリックが、ここミラルダ方面基地の司令官室にいることに起因する。
そのリスファリアが、少しだけ表情を緩めた。
「あと、将軍、純潔派の兵士は、全て逃亡しました」
――まあそうなるだろうな。奴等がこの街のために戦うとは思えんし、居ても邪魔なだけだ。さすがに、生贄とする訳にもいかんだろう。
「そうか。それは行幸だ。返ってスッキリしたな」
「さすがです。素晴らしいです。私は将軍と共に、最後までこの街のために戦います」
キャリックが本心を有りの侭にすると、何を考えたのか、リスファアが瞳をキラキラさせながら、己の意思を露わにした。
それは、キャリックにとって、少なからず好ましいものだった。
別に、彼女に奮戦して欲しいとは思っていない。ただ、いつまでも顔を強張らせていると、士気にかかわるからだ。
「そうだな。その意気だ。ワシ等が死ねば、街の者の命はあるまい。だから、絶対に奴等を食い止めなければならん」
「はい!」
キャリックの想いが本望だったのか、彼女は元気よく頷いた。
健気な部下を目にして、嬉しく思う反面、逃走組に負の感情を抱く。
――逃げ出した奴等は、この女性士官の前に手を突いて兵士のあるべき姿を教えて貰うべきだな。
それこそ、逃げ出したこの基地の司令官達に、彼女の爪の垢でも煎じて飲ませたいと考える。
本来であれば、この街を守るための策を考えるべき司令官や士官の一部は、ヒュームがこの街に侵攻してくると聞いた途端、さっさと逃げ出してしまったのだ。
当然ながら、残った士官や兵士達が困り果てた。そして、彼等は考えあぐねた後に導き出した。それは、キャリックをこの基地の司令に就けることだ。
キャリックが彼等の願いを快諾し、街を救うべく様々な対策を立てると、一気に英雄を見るかのような眼差しを受けるようになったのだ。
「それで、ディートの方はどうなったのですか? この世界の害虫が押し寄せていると聞いたのですが」
「害虫か……くくくっ。確かに君の言う通りだ。その害虫は駆除されたぞ。火炎の鋼女と殲滅の舞姫が大活躍したらしい。ああ、ウチの訓練生達も戦果を挙げたときいているぞ。特にホンゴウ君は、鬼神と呼ばれる所以を見せつけたらしい」
「凄いですね。さすがは二つ名持ちということですね。あと、鬼神とは黒き鬼神ですか? 確かミラルダ初級訓練生だと聞きましたが、そんなに凄いのですか?」
事実を告げると、リスファリアはその綺麗な瞳を大きく見開いて感動していたのだが、どうも拓哉のことが気になったようだ。
「ああ、トップガンだ。恐らく人類で彼に敵う者は居まい。なにしろ、火炎の鋼女や殲滅の舞姫にも勝ったそうだからな」
「あっ、対校戦ですか? 凄いですね。話しに聞けば、まだ十六歳だと言うじゃないですか」
どうやら、拓哉に興味津々のようだった。
瞳を輝かせながら、夢見る少女のような表情を浮かべている。
おそらく、今頃はクラリッサが嫌な予感を抱いているところだろう。
そうなると、クラリッサの叔父であるキャリックとしては、無情とも思える言葉を口にしなければならなくなる。
「そうだが……駄目だぞ。彼はワシの姪と婚約しているからな」
「えっ、えっ、えっ!? しょ、将軍! そ、そんなつもりじゃないんです。えへ、えへへ」
女性士官らしくキリッとしていたリスファアの様子が、途端に怪しくなりはじめる。
照れ笑いで必死に誤魔化すのだが、どうやら本性が現れたようだ。
――どうやら、こっちが素の姿のようだな。これはこれで可愛いのかもな。娘が居たら、こんな感じなのか。クラレは隙がなさ過ぎて、娘という感ではないからな……
「あっ、そんなことよりも、会議です。会議!」
煙に巻こうとしていたリスファアだが、直ぐになすべきことを思い出したらしい。
「分かった。では、行くとするか」
元気なリスファアを自分の娘のように感じつつ、キャリックは司令官席から立つと、基地に残った上位士官である武官達の待つ会議室に足を向けた。
そこは、おそろしく賑やかな様相を呈していた。
それを賑やかというか、お祭り騒ぎというかは、見た者の判断だろう。
ただ、拓哉の目からすれば、活気あふれる気持ちのよい光景だと言えた。
誰もが疲れているはずなのに、驚くほどに元気が良かった。
――まあ、現状を考えれば、このお祭り騒ぎは当たり前だな。
「凄いわね。整備士なんて寝ずに働いていたはずなのだけど……」
東側の艦隊を葬ってモルビス財閥のPBA生産工場に戻ると、もの凄い歓喜や歓声で迎えられた。
ディートに襲い掛かった純潔派の大艦隊が沈んだのだ。この街の誰もが喜びを隠せないだろう。
ミルルカの火炎の鋼女の名を叫ぶ者達の声。ガルダルの殲滅の舞姫の名を叫ぶ者達の声。空気が張り裂けんほどの大合唱となっていた。そこに拓哉が舞い戻ると、爆発的な歓声の渦に巻き込まれた。
それは、空気が震え、地が揺れそうなほどの喝采の声と足踏みだった。
明るい表情を見せる者達の誰もが連呼する。そう、黒鬼神の大合唱だ。
「手でも振ってあげたら?」
「いやいや、のこのこと遅れて登場して、弱った敵を片付けてきただけだ。偉そうなことなんてできないよ。ここは、ミルルやガルダルが称賛されるのが相応しいさ」
リップサービスをしないのかというクラリッサに本心を告げる。そして、黒鬼神を格納庫に移動させる。
敵の攻撃は全く受けていないが、それなりに負担を強いていた。出発する前に万全の状態にしておきたいのだ。もちろん、行く先はミラルダだ。
黒鬼神を格納庫に移動させると、喝采の声をあげていた人々がモーセの十戒よろしく、波が道を作るが如く機体の通り道を作った。
そんなタイミングだった。どうしてこんなと所に居るのかは解らないが、小さな少女が道の真ん中に出てきた。小さな花を手にした腕を差し出している。
「どうやら、花をもらって欲しいみたいよ。私をもらってという歳でなくて良かったわね」
クラリッサが茶化してくるのだが、拓哉としてはシャレにならない。なにしろ、なんだかんだで、未来の嫁は五人になっているのだ。
少しばかり焦りを感じつつも、頬を掻く拓哉は、黒鬼神の歩みを止めてハッチを開ける。そして、昇降ケーブルで地面に降りる。
途端に、耳を劈くほどの喝采が響き渡った。
「うあっ!」
その爆音とも思える歓声に、慌てて耳を塞ぎそうになるのだが、直ぐに少女が近づいてきた。
「お兄ちゃん。まちをまもってくれてありがとう。これ!」
五歳くらいの少女は、握りしめていた三本の白い花を差し出してきた。
その気持ちが嬉しくて、無意識に微笑んでしまう。
「ありがとう。街が助かって良かったな」
少女はその言葉に頷くと、何を血迷ったのか、嬉しそうな表情で勢いよく飛びついた。
「うわっ」
突然のことに慌てるが、殺気を感じることはなく、直ぐに危険な状況ではないと判断する。
しかし、その考えが間違いだったことに気付いたのは、抱き着いてきた少女が、両手で彼女の身体を支える拓哉の唇を奪った時だった。
「あたし、お兄ちゃんとケッコンする!」
そう、拓哉は喝采の渦の中で、幼女ともいえそうな少女からプロポーズされたのだ。
「これは強敵が現れたわ……」
実際、少女の戯言だと感じていたのだろう。
いつもなら発狂するクラリッサは呆れた様子をみせるが、無理やり引き剥がすようなことはしなかった。
ところが、そこに現れたカティーシャが眦を吊り上げた。
「むむむ。何やってるんだい? コレット。なんでこんなところに居るのかな? ママはどこなの?」
「ぬっ! カティ姉様……」
「カティ姉様じゃないよ。独りで出歩いちゃダメだって言われてるよね?」
「もう子供じゃないもん」
――というか、話の内容からするとカティの姉妹なのか?
その少女は、コレティカ=モルビス。拓哉が考えた通り、カティーシャの妹だった。
ただ、拓哉に抱き着いたままのコレティカは、カティーシャが睨み合ったままだ。
――おいおい、どうするんだ? それにしても、よく似てるな……
威嚇し合う姉妹を見比べていると、助け船がやってきた。
「こら、コレティカ! 独りで先に良くなっていっただろ!」
後ろにクーガーを従えたベルニーニャが、仁王立ちで睨みつけていた。
コレティカはクーガーとベルニーニャが連れていたのだが、拓哉が戻ったところで、姿をくらましたのだ。
「カティ。この子、お前の妹か? それともベルニーニャさんの?」
「そうだよ。これはコレティカ。二番目の妹なんだ」
「コレットって呼んでね。旦那様! きゃは!」
「こら! 旦那様じゃないよ。タクはボクの相手なんだから。コレットは他を探すんだね」
コレティカがマセたことを口にすると、一気に険悪な空気が漂い始めたのだが、拓哉は全く違うことを考えていた。
――二番目の妹って、他にも妹が居るのか……ということは、カティは四人兄妹なのかな?
彼女の家族構成を想像していたのだが、その考えを読み取ったのか、クーガーが少しばかり情けない表情をみせた。
「うちは六人兄妹なんだ……なんとも元気な両親でね……」
「「六人!?」」
予想外の説明に、拓哉とクラリッサが発した驚きの声が重なる。
「凄いわね。貧乏子沢山とは聞くけど、金持ち子沢山なのね」
クラリッサが率直な気持ち露わにする。その横では、拓哉は睨み合う姉妹を眺めながら、あの肩身の狭いミッシェルのことを思い出し、再び不安を抱いた。
「もしかして、入り婿の役割って、雑用と種付けなのかな……」