145 許嫁参上
2019/2/14 見直し済み
本当に青い空だった。
それは、人間の醜い心など我知らずと言わんばかりに、清い青で空一面を塗り潰している。
青だけの空というのも、少し味気ないように感じるが、これから戦いが始まることを考えると、荒む心が洗われるような気がしていた。
そんな青空の下、ミリアルから解放された拓哉達は、施設のラウンジから格納庫に移動していた。
移動中の話題はといえば、もちろん、カティーシャの両親についてだった。
「なあ、カティ。なんで、お前の母ちゃんが仕切ってたんだ?」
それまで口に出したりしなかったが、拓哉にとっては、ずっと気になっていたことだった。
そして、当然ながら、本人たちの前で聞く訳にもいかないネタだ。
「ああ、それはね。うちは女系家族なんだよ。だから、パパは入り婿なんだ」
――ああ、なるほどな。それで立場か弱いのか。普通なら嫁に殴られたら大変なことになりそうだが、そういう裏があったのか。
納得のいく理由に頷いていると、キャスリンが首を傾げる。
「じゃ、クーガー先輩は?」
「私は七代振りの男子なんだよ。私が生まれた時は、それはもう上へ下への大騒ぎだったらしいね」
キャスリンから放たれたご尤もな疑問に、クーガーが説明してくれた。ただ、その表情は優れなかった。
「どうしたんですか? クーガー先輩、顔色が悪いですよ?」
いつも笑顔を絶やさないクーガーだけに、誰もが怪訝に思う。
しかし、拓哉が尋ねてみても、答えることなく黙ったままだった。すると、彼の横を歩いていたベルニーニャが、渋い顔で肩を竦めた。
「どうも、許嫁が来ているらしいんだ」
――えっ!? クーガーの彼女って、ベルニーニャじゃないのか?
てっきり彼女とデキているものだと考えていた拓哉は、驚きのあまりに足を止めてしまった。いや、拓哉だけではなく、カティーシャを除く全員がキツネにつままれたような表情で、クーガーとベルニーニャを交互に見ていた。
すると、何を考えたのか、突如としてクーガーが頭を下げた。
「すまない、ベル。やるべきことを済ませたら、必ず両親に君のことを紹介するから」
「別に構わんぞ。どうせ、うちは田舎者だし、貧乏な家の娘だからな。御曹司の妻になれるなんて考えてないし……」
クーガーの謝罪に、ベルニーニャが少し歯切れの悪い返事をする。
そのやり取りで、拓哉達は自分達の考えが間違っていないことを理解した。
そう、ベルニーニャが彼女であることは間違いないのだ。そして、説明を受けることなく、誰もが事情を察した。
ただ、クーガーとしては、彼女に申し訳ないと感じているのか、焦って弁解する。
「許嫁といっても、向こうが勝手に思い込んでるだけなんだ。私は彼女と結婚する気なんてないのに……」
クーガーの弁明を聞いて、拓哉は自分が思い違いをしていたことに気付く。
許嫁と言われて、親同士が決めたものだと、勝手に考えたのだが、それとは違った事情があるようだった。
ただ、そんなタイミングで、目の前に車が飛んできた。
車が飛んできたと言うのもおかしな表現だが、それは比喩ではなく、現実的に飛んできたのだ。
拓哉としては、驚きを禁じ得ない乗り物だが、この街では全ての車が低空飛行車両であり、一般的な乗り物だったりする。
その空飛ぶ車は、何を考えたのか、拓哉達の眼前に急停止した。そして、運転席から一人の男が降りると、後部座席の扉を開け放った。
そう、開け放ったと言いたくなるような勢いで、人間が飛び出してきたのだ。
「クーガー様~~~~~~~!」
ロケットの如く放たれた人物は、ソプラノ歌手かのような声で高らかとクーガーの名前を叫ぶと、猛然と抱き着かんとした。
「ぐあっ! ローレ! な、なんでこんなところに……」
これほどまでに狼狽えるクーガーを見たのは初めてだった。
それは、拓哉だけではなく、誰もがドン引きしている。
しかし、ローレと呼ばれた女性は、全く周りが目に入っていないようだ。一直線にクーガーへと突撃する。
その勢いに怯んだのか、はたまた危険を感じたのか、クーガーは無意識に数歩さがる。
――いつも冷静沈着なクーガーが……この女はいったい何者だ?
怪訝にする拓哉に気付いたのか、カティーシャが素早く隣にやってくると、コソコソと耳打ちする。
「やっぱり、噂をすれば影というのは本当なんだね」
「じゃ、これが許嫁か?」
その女性が許嫁であると知り、思わず凝視してしまう。
――おいおい、マジかよ。縦ロールのお姫様ヘアとか、初めて実物を見たぞ。完全にベルサイユの薔薇じゃんか……
クーガーの許嫁であるローレは、どこのお姫様だよと言いたくなるような縦ロールのロングヘアで、白を基調としたふんわりとしたドレスを着ていた。
雰囲気的には、まさにお姫様かお嬢様であり、スタイルもなかなかだ。特に、胸の大きさはミルルカと対決できるだろう。
マリーアントワネットもかくやといった見た目に、思わず中世ヨーロッパを主題にした漫画を思い出す。
そんな彼女はといえば、完全に周りが見えていないのか、クーガーに駆け寄ると、胸の前で両手を握りしめ、瞳をキラキラさせている。
「クーガー様、お久しぶりで御座います。ローレは、ずっと、ずっと、あなた様のお帰りを待ち遠しくしておりました」
「あ、ああ。そ、そうか」
彼女の勢いに押されて、怯むクーガーが辛うじて返事をする。ただ、その顔は思いっきり引き攣っている。
ただ、ローレはそれに気付かないようだ。それでも、呆気に取られる周囲の目には気づいたようだ。拓哉達を見渡して首を傾げた。
「ところで、クーガー様。この猿たちは何なのですか? 従者か何かでしょうか? もしそうであれば、少し趣味が悪いと思いますわ。わたくしの方でもっと真面な者をお付けしますわ」
――猿……行き成り猿扱いかよ……なんて女だ! 見た目は美人でボインだから、なかなかの女だと思ったが、こりゃ~、相当にイカレた女だぞ。
一瞬にしてローレの評価を下げると、拓哉に冷たい視線を向けていたクラリッサが、その冷たい眼差しの標的を変えた。
その行動からすると、どうやら拓哉が女性と接するのを禁忌だと考えているようだ。しかし、ローレの言動で考えを変えたらしい。
「ローレ、その発言は失礼だよ。直ぐに謝りなさい」
クーガーにおいても、ローレの発言は看過できなかったようだ。すぐさま彼女を窘める。ところが、当の本人は全く気にすることなく、クーガーに抱き着く。
「やはり、クーガー様の胸は最高です。さあ、参りましょう」
――うわっ! こいつは宇宙人だ。全く言葉が通じないタイプだぞ。
拓哉のみならず、誰もがローレの言動に呆れたようだ。
特に、ベルニーニャに至っては、開いた口が塞がらないのか、呆然とローレを眺めている。
そんな彼女を見やり、クーガーは必死にローレを突き離そうとする。
そもそも、拓哉達だけでなく、クーガーも色々と忙しいのだ。ローレの相手をしている暇はない。
「参りますって、どこにだい? 私は忙しいんだよ。申し訳ないが、今は君と一緒に居られる時間がないんだよ」
「さあ、美味しいお茶と菓子を用意させてますのよ。ささっ」
拓哉達を猿呼ばわりしたローレは、クーガーの台詞も全く聞かずに、強引に引っ張っていく。
その非常識な行動が、思わず災いを生む。
「何なんだ? この女……」
最悪の女を見て、拓哉は思わず声に出してしまった。そして、それが拙かった。
「この女? 今の台詞を口にしたのは誰ですか? というか男の声でしたから、そこの猿ですね」
彼女は指を突き付けて、拓哉を猿呼ばわりしてきた。
そう、この場で男と言えば、クーガー以外には、拓哉しかいないのだ。
というか、クーガーの言葉を全く受け付けなかったのに、自分のことには敏感だった。
――くそっ、クーガーには悪いが、なんかムカついてきたぞ。
猿呼ばわりされて、拓哉の機嫌が急速にわるくなる。いや、自分が猿と言われるのはまだいい。未来の嫁達まで猿呼ばわりされたのが気に入らないのだ。
「俺だが、それがどうしたんだ?」
「今すぐ謝罪しなさい」
――自分の事を棚の上にあげて、良く言うぜ!
この女呼ばわりが気に入らないのだろう。ただ、拓哉からすれば、言われて当然の行動だ。おまけに自分の発言を失礼だと感じていないところが、腹に据えかねる。
「なんでだ? お前がこの女と思われるようなことをしているからだろ? 言われたくなければ、自分の態度を慎めばいいんじゃないのか?」
「お前……猿如きが、わたくしをお前呼ばわりとは、なんて失礼な」
「何が失礼なんだ? 俺達を猿呼ばわりする方がよっぽど失礼だろ?」
ローレの言葉がいちいちムカつく。しかし、よくよく考えるとローレは宇宙人なのだ。話して分かる存在ではない。
「猿に猿と言って何が悪いのですか?」
「じゃ、俺達を猿呼ばわりする根拠を教えてくれよ」
「話になりませんわ。言葉の通じない猿には、態度で示すしかなさそうですね」
――いやいや、話にならないのは、お前だろ!? てか、ダメだな、これは……ん、態度でって、何をやるきだ?
勝手に話を切り上げたローレは、背後に視線を向ける。
そこには、車のドアを開けた男が立っていた。そして、その男は頷くと、ローレと拓哉の間に割って入った。
途端に、ローレが勝ち誇ったかのような笑みを見せる。
「これは、わたくしに失礼な発言を行ったお仕置きです。さあ、ガリラ、遣っておしまいなさい」
「がしこまりました」
ローレが勝手にお仕置きを決定すると、そのゴツイ男が両手を揉みほぐし、間接の音を鳴らす。
「お前は、お嬢様にしつでいを働いた。だがら、オデが始末する」
――おいおい、始末って……それじゃ、お仕置きではなくて、殺人じゃんか。
「なにしているんだ。やめないか!」
「大丈夫ですよ」
呆れる拓哉を他所に、ガリラが一歩踏み出すと、慌てたクーガーが止めに入った。
しかし、拓哉は首を横に振った。
拓哉自身もムカついているのだ。ここで退くつもりはなかった。
それを見て納得したのか、クーガーが押し黙る。もしかしたら、ローレにお灸を据える必要があると考えたのかもしれない。
クーガーが黙ったのを見て、ガリラは有無も言わせず襲い掛かってくる。
拓哉は、迎え撃つべく体勢を整える。ところが、ガリラは、あと一歩というところでよろめいたかと思うと、そのままうつ伏せに倒れた。
「速いね! タイムストップでも使ったのかな?」
あまりに呆気ない結末を目にして、カティーシャがボソリと感想を漏らした。
しかし、それは彼女の勘違いだ。
「いや、俺は何もやってないぞ?」
あまりにも不自然な状況に、拓哉はガリラの傍らに膝を突いて容態を確認する。しかし、その結果は最悪だった。
「おいおい、死んでるぞ? 脳卒中か? それとも、心筋梗塞か?」
この世界に脳卒中や心筋梗塞があるかどうかは知らないが、ボケではなく本気でそう思う。次の瞬間、ガルダルが慌てて口を開いた。
「敵です! シールドを展開してください」
どうやら、彼女が何かを察知したらしい。
ところが、周囲を見る限り敵が居る様子はない。
そう、これが拓哉達を襲ってきた暗殺者の得意とするサイキックなのだった。