142 圧倒
2019/2/12 見直し済み
今まで、これほどまでに重い空気を体験したことがあっただろうか。
まるで鉛の中に浸かっているかのような気分だった。
その重たい空気を作り出しているのは、両隣に腰を下ろすクラリッサとカティーシャなのだが、彼女達の気持ちを考えれば、仕方ないと思えてしまう。
現在の拓哉はディート基地に到着して、モルビス家からやって来た迎えの車に乗っていた。
拓哉達が到着すると、まるでそれが当たり前だと言わんばかりに、白いリムジンが飛空艦の直ぐ傍までやってきた。
普通であれば考えられないことなのだが、モルビス財閥の本拠地であるここディートでは、ごく普通のことだ。もちろん、一般的な訳ではない。
ただ、その事実は、リムジンを普通に眺めて「迎えが来たね」と、当たり前のように告げてきたクーガーを見れば一目瞭然だろう。
しかし、拓哉にとっては、そんなことはどうでも良かった。それよりも目の前に現れたリムジンに衝撃を受けていた。
というのも、そのリムジンにはタイヤがなかった。いや、車輪がなかったと言うべきだろう。
そう、リムジンは地上五十センチぐらいの高さを滑空してきたのだ。
――スゲ~! PBAにも驚いたが、空飛ぶ自動車だぞ!
この世界に来て様々なことに驚かされたものだが、これは極め付けだった。
実際、PBAに比べれば、空飛ぶ車なんて些細なことなのだが、初めて目にすると、やはり驚いてしまうのも当たり前だろう。
ただ、空飛ぶ車はミラルダでも存在するのだが、訓練校から出たことのない拓哉が知らないだけだった。
「空飛ぶ……」
日本では未だに実現していない乗り物なだけに、拓哉は思わず感嘆の声を漏らしそうになるのだが、その言葉は途中で止まってしまった。
というのも、両隣に立つ二人の少女が、鳥肌級のオーラを放っていたからだ。それも負のオーラを全開にしているのだ。とてもではないが、そんな二人の少女の前で燥ぐ訳にもいかない。いや、そんな気すら起こさせないほどに、見えない力が働いていた。
そんな訳で、リムジンから降り立つ厳つい老紳士――モルビス家の執事ゲイルのインパクトすらサラリと流して、簡単な自己紹介を済ませると、促されるまま飛行自動車に乗り込んだのだった。
リムジンに乗り込むと、ゲイルは手慣れた様子で飲み物を用意していたのだが、それを終わらせると、にこやかな表情と力強い口調で話し掛けてきた。
「クーガー様、カーティス様、ご健在でしたか」
「ゲイル、ここに居る者達は、カティの事情を知っているから、カーティスと呼ぶ必要はないよ」
カティが俯いたまま口を閉ざしていると、ララカリアの隣に座っているクーガーが笑顔で頷いた。すると、ゲイルは微笑みつつ拓哉に視線を向けた。
「そうでしたか、それほどまでに信用のおける方々なのですな。そういえば、ご婚約されたと聞きましたが、こちらのホンゴウ様で宜しいですかな?」
自分の口から「はいそうです」と言うのもおかしな気がして、その対応にどうしようかと迷う。チラリと視線を隣に向けるのだが、カティーシャは沈黙したままだ。仕方なく自分で返事をすることにした。
「先程も自己紹介をしましたが、拓哉=本郷です。宜しくお願いします。それと、『様』は止めてください」
年上の者から様付けされることに慣れていない。というか、初めてのことで、とても居心地が悪い。
それもあって、様付けを止めてもらうつもりだったのだが、ゲイルはゆっくりと首を横に振ると、片手を胸に当てて話し掛けてきた。
「そうは参りませんぞ。カティーシャ様と結ばれるということは、モルビス家の家族となることです。となれば、執事である私にとって、使えるべき主となりますな。故に、敬称を付けるのは当然のことですぞ」
穏やかな表情ながらも、力強く告げられた言葉からは、否定を許さない強制力を感じさせられた。
――ダメだな……てか、このゲイルという執事さん。ちょっと怖いんだけど……昔はプロレスラーだったとかいうオチじゃないだろうな。
その表情に恐怖を感じさせるところはないのだが、その豪快で力強い口調に逆らい難い印象を受け、その言葉を否定することなどできなかった。
ただ、婚約者と言われたことで疑問を抱く。
確かに、全員を嫁にすると宣言したのだが、五人を正式な嫁にする訳にはいかないと考えたのだ。
当然ながら、日本であれば重婚であり、間違いなく犯罪者の仲間入りになってしまう。
しかし、現在の空気を考えると、それを口にできる状態ではない。そう感じて、胸の内に留めるのだが、その重い空気を察したのだろう。ゲイルがカティーシャに向けて微笑む。
「お嬢様、そんなに心配しなくても大丈夫ですぞ。このディートはモルビス財閥の本拠地であり、軍に多大な設備を提供しているのも当然ながら、それ以外にも強力な防衛設備を整えておりますゆえ、大艦隊が来ようともビクともしませんぞ。そもそも、こうなることは、既に分かっておったのです。ですから、それ相応の準備をしてあります。そんなに落ち込む必要はありませんぞ」
――う~ん、なんか、この執事だけでも勝てそうな気がしてきたぞ……
自信満々に告げるゲイルの言葉に圧倒されていると、カティーシャがゆっくりと顔を上げた。
「ゲイルはいつも元気だね。そうだね、少し安心したよ」
「ははは! そうですぞ! わたくしに掛かれば大艦隊なんて、台所のネズミのようなものですぞ」
――いやいや、ネズミはかなり厄介だと思うんだが……いや、それよりも……
豪快に高笑いするゲイルに対するツッコミはさて置き、拓哉はこれからについて考え始める。
クラリッサとカティーシャが暗い顔をしている理由は簡単だ。
それは、ディートとミラルダが、同時に戦場となる所為だ。
ディートにはあと二日もすれば大艦隊が押し寄せるだろし、ミラルダに関しても、二週間も掛からずにヒュームの侵攻軍が姿を見せることになる。
その状況は予想されたものであり、少なからずそれに対する作戦も考えていた。
ただ、できることなら、ディートが片付いてからミラルダに向かいたかったのだ。
ところが、状況は最悪の展開に向かっている。
――機体の完成具合にもよるが、ここに居られる時間はどれくらいかな……
作戦を思い起こして頭を悩ませる。しかし、自分までもが考え込んでしまうのは拙いと感じる。
現状の空気を打開することを考え、ララカリアに視線を向ける。
「ララさん、機体の完成度はどれくらいなんですか?」
彼女は手元の端末を確認しはじめる。
ディートに到着したことで、彼女の端末には進捗状況が随時連携されている。
「機体自体は完成している。プログラムの方がもう少しで……武器が……」
プログラムはまだしも、装備の方が全く間に合っていないようだ。
実際、プログラムに関しては、ララカリアであれば、あっという間に終わらせてしまうだろう。しかし、武器がないのではどうにもならない。それこそ訓練校の機体と同じだ。
「武器の方は、どれくらいなんですか?」
「ん~、五十パーセントというところか……さすがに、このまま戦場に出すには辛いな」
渋い表情を見せるララカリアだったが、拓哉はそれほど悲観する状況ではないと感じた。
――五十パーセントなら戦えなくはないな。よし、なんとかなりそうだ。
希望の兆しを感じて、拓哉は思わず笑みを見せる。
「それなら、プログラムの調整さえ済ませれば戦えますよ。その間に、武器の完成を急がせてもらえますか?」
我儘のような要求だが、ララカリアは嫌な顔をすることなく頷いた。
「分かった。その流れでいくか……ただ、もしここで戦えたとしても、一日だぞ?」
「構いませんよ。その一日で向こうの戦力をゴッソリ削ってみせますよ」
「おお! 聞いた話では、火炎の鋼女や殲滅の舞姫をも打ち破ったと聞きましたが、さすがは黒き鬼神と呼ばれるお方だ。心強い」
「うぐっ……」
「……」
クラリッサやカティーシャを元気付けるために、敢えて大口を叩くと、ゲイルが大袈裟に褒め称える。
ただ、その内容は、少しばかり空気を読んでいないと言えるだろう。
なにしろ、ここには火炎の鋼女ミルルカと殲滅の舞姫ガルダルがいるのだ。
ミルルカは顔を引き攣らせ、ガルダルは端整な眉を下げた。
「まあまあ、ゲイルさん。それよりもララさん、ミルルとガルの機体はどうなのですか?」
「タクヤ様。わたくしめの事は、ゲイルとお呼びください」
取り敢えず、ミルルカとガルダルの存在を意識させようと思ったのだが、ゲイルは違うことに気を取られたようだ。
ゲイルの反応を見て、失敗だったと頭を掻くのだが、ララカリアが良いタイミングで反応してくれた。
「クアントの機体は、かなり出来あがってるぞ。なにしろ、タクの機体よりも先に着手しているからな。その代り、ミーファンの方は間に合いそうにないな。お前は、今の機体を調整して出撃する他なさそうだ」
「そ、そうか! 出来上がってるのか! よしよし!」
「私の方は問題ありません。今の機体でも十分に戦えると思いますから」
ララカリアから機体が出来あがっていると聞いて、ミルルカが飛び上がらんばかりに喜ぶ。ガルダルはといえば、特に問題ないと考えているのか、首を横に振りつつ笑みを見せた。
確かに、装甲や武器をパージした状態のミルルカの機体とは異なり、ガルダル機体は完全武装状態で回収したので、そのまま戦いに使用するのに問題ない。
ただ、機体のことよりも、ガルダルの微笑みがいつもよりも柔らかいと感じて、拓哉はホッと胸を撫でおろす。
「到着しましたぞ。さあ、参りましょう」
そうこうしている内に、目的地に到着したようだ。ゲイルは到着を告げると、先に車から降りて、全員の下車のために複数のドアを開いた。そして、その場で畏まる。
マッチョが礼を尽くす姿に圧倒されつつも、促されるままに車を降りたところで、拓哉は脚を止めてしまった。
そこには、メイド服を着た女性がズラリと並び、その前にクーガーに似た年配の男とカティーシャに似た年配の女性が立っていたのだ。
「凄いですニャ。本物のメイドですニャ」
「そういえば、ミルルのメイド姿をまだ見てないんちゃ!」
その光景を目にして、二次元大好き少女のレナレが感嘆の声をあげると、妖精トトが思い出したかのように、敗戦したミルルの罰ゲームを口にした。
そして、トトの台詞に苦い顔をしたミルルカが、口を開こうとした時だった。
「カーーーーーーーーーーティーーーーーーーーーーー!」
突如として、クーガーに似た年配の男が叫ぶ。さらには猛烈な勢いで接近してカティーシャに抱き着こうとした。
――ん? もしかしてカティの父親か? てか、父親もサイキッカなのか。
その動きの素早さに驚きを隠せないでいたのだが、父親が抱き付く寸前に、カティーシャは消えてしまった。そう、隠密スキルを発動させたのだ。その結果、猛烈な勢いを殺すことのできなかった父親は、慣性の法則のままにリムジンに向かってダイブする。
その勢いは相当なもので、リムジンのクオーター――トランク側面が激しい音と共に潰れ、男は地面に転がってしまった。
――リムジンが……いや、それよりも、その男は生きてるのか?
あまりの衝撃に、生死を気にしてしまったのだが、男は何事もなかったかのようにムクリと起き上がると、情けない声を発した。
「カティ~、それはないよ~。パパは楽しみに待ってたんだぞ~」
カティーシャの父親は、絶望的な表情を浮かべる。それこそ、今にも泣き出しそうだった。
しかし、愛娘は情け容赦なかった。
「もうボクも大人なんだから、抱き着くなんて止めて欲しいんだよ。それに、ボクにはもう旦那様が居るんだからNGなんだよ?」
カティーシャが発した言葉は、どうやらNGワードだったようだ。父親は鋭い視線を拓哉に向けてきたかと思うと、やたらと興奮し始めた。
「ここここ、こ、この男が……」
何が言いたいのか、なんとなく察した拓哉は黙って頭を下げたのだが、その次の瞬間には、ものの見事に吹き飛ぶことになった。
「タ、タクヤ!」
「タク!」
「タクヤくん!」
「タクヤ!」
「たっくん!」
宙を舞う拓哉の耳に、五人の声が聞こえてくる。
それは、未来の嫁であるクラリッサ、カティーシャ、キャスリン、ミルルカ、ガルダルのものなのだ。
そう、ガルダルは拓哉のことを「たっくん」と呼んでいた。
――ちっ、油断した! てか、サイキックで殴り飛ばされるとは思わなかったぞ! おいっ! 瞬時にシールドを張ったからダメージはなかったけど、真面に食らったら死んでるぞ。
物凄い勢いで吹き飛ばされた拓哉だったが、即座にサイキックを使って空中で体勢を整える。
これについては、鍛錬の賜物だ。今や難なく熟せる体術であり、ミルルカにはとても感謝していた。
少しばかり憤りを感じながらも、なにもなかったかのように着地する。そして、一言くらいは文句を言ってやろうと意気込んだのだが、次の瞬間、カティーシャの父親が吹き飛んでいた。
「あれ? なんでカティの親父さんが吹き飛んでるんだ?」
その不可解な光景を不思議に思ったのだが、その理由は直ぐに判明した。カティーシャによく似た年配の女性が拳を突き出していたからだ。
彼女は姿勢をゆっくりと戻すと、眦を吊り上げて叱責の声を発した。
「婿殿に何をするのですか! この愚か者! あなたは、後でお仕置きですわ」
――はっ? この人って……奥さんじゃないのか?
あまりの出来事に唖然としていると、いつの間にか姿を現したカティーシャがその女性に抱き着いた。
「ママ、ただいま~~!」
「お帰りなさい。カティ。相変わらず、あなたの隠密は冴えているわね。ところで、あの方でいいのよね?」
男を叱責した時とは打って変わって、優しげな表情を見せたその女性は、カティーシャに問い掛けつつも、視線を拓哉に向けてきた。
「そうだよ。彼がタクヤ=ホンゴウ。黒き鬼神だよ」
それを聞いた母親は、抱き着くカティーシャをゆっくりと離すと、ゆっくりと上品にお辞儀する。
「初めまして、カティの母親で、ミリアルと申しますわ。愚かな夫がトチ狂ってしまって本当にごめんなさいね。後でしっかりとお仕置きしておくから許して頂戴ね。ああ、私のことはママ、もしくは、お母様と呼んで欲しいわ」
――おいおい、このタイミングでママはないだろ! てか、お母様も勘弁してくれ……
目的地に到着した早々、カティーシャの両親と対面したのだが、拓哉はあまりにもインパクトの強い二人の言動に度肝を抜かれてしまった。