123 恨みはないが
2019/2/4 見直し済み
こういう状況を最悪と表現すればよいのだろう。
クラリッサのお陰で、朦朧としていた意識を正気に戻し、PBAの弾幕をはじき返したまでは良かった。
しかし、拓哉の身体からは、水が零れるかのように力が抜けていく。
――くそっ、どうなってんだ? 身体に力が入らない……思考も……くそっ、このままじゃ……
未だ放たれるPBAからの一斉掃射を何とか食い止めているのだが、これ以上は無理だと判断してクラリッサに逃げるように伝える。しかし、彼女は首を横に振る。そして、キャスリン、ティート、リディアルが残ると言い始めた。
リディアルに関しては、少し怪しい反応だったが、現状の事態を考えるとそれもやむを得ないだろう。
それでも、事態が改善する訳ではない。いや、最悪な状態だったのに、舞姫ことガルダル=ミーファンまでが登場した。
絶望的な展開だと感じた。
唯でさえ、生身の人間対PBAの戦いという不利な――無謀なのに、アタックキャストを使う舞姫が敵に回ったのとなると、もはや、起死回生のチャンスすらないと感じた。
そう、アタックキャストに死角はない。逃げ出しても、間違いなく追ってくるだろう。
ちっ、どうする……くそっ、身体に力が入らん……拙い、拙い、拙い……
薄れゆく意識の中で、最後まで諦めるつもりのない。拓哉は必死にこの状況から逃れる手段を考える。
しかし、無情にも、あの厄介な舞姫の武器が振り上げられた。
朦朧とした意識の中で、ガルダルが操る機体を睨みつける。その時――
――えっ! ちょっ、と……クラレ……
今まさに舞姫の攻撃が降り注ぐかと思ったタイミングで、何を考えたのか、クラリッサが抱き着いて唇を重ねてきた。
拓哉はその行動の意味を悟る。そう、最後の瞬間なのだと。
「愛しているわ……タクヤ……ごめんなさい」
――ああ、これが最後なんだな……
彼女が発した愛の囁きと謝罪を受け入れる。しかし、それを理解しても納得した訳ではない。
口付けを拒むことなく受け入れるが、仲間を含めた最小範囲に精一杯の障壁を展開し、次の瞬間には、クラリッサの腕を解き、舞姫が操る機体に向けて全力で走り始めた。
クラリッサの声は届かない。
何故なら、拓哉が残った力を振り絞って時を止めているからだ。
「やるなら! 俺が相手だ! クラレ達を絶対やらせねーーーー!」
拓哉一人が普通に動ける時間の中で、舞姫の搭乗する機体に向かってそう叫ぶのだが、きっと誰の耳にも届くことはないだろう。
それでも、拓哉は機体の前に躍り出ると、右手を突き出してサイキックを発動させようとする。
しかし、そこで異変を察知して発動を止めてしまった。
舞姫の乗った機体の右腕が、ゆっくりと振り下ろされている。しかし、その軌道を目にして、拓哉は悟った。
――そうか……そうなのか……
この状況を理解した拓哉は、安堵のせいか、そのまま意識を失ってしまった。
身が凍るような感覚だった。いや、心さえ凍り付いたかと思ってしまった。
彼女が口付けをした次の瞬間、拓哉は消えてしまったのだ。
それこそ、幻のように消えてしまった。
「た、タクヤ? どこ? タクヤ!」
腕の中から消えてしまった拓哉の名を呼びながら周囲に視線を巡らせる。
すると、彼は一人で舞姫の機体の前に立っていた。
クラリッサ達を助けるために、一人で向かっていったのだ。
その姿は、まるで物語に出てくる巨大な竜に立ち向かう勇者のようだと感じた。
しかし、彼女の心は、直ぐに絶望で塗り潰されてしまう。
――無茶だわ……今のタクヤが生身でPBAと立ち向かうなんて、況してやそれが舞姫だなんて……
無謀だと感じたクラリッサは、あらん限りの力を使って駆け出す。
――私も戦うわ。あなた一人になんてさせない。
全力で走りながら、心から拓哉を助けたいと願ったのだが、無情にも、舞姫が操る機体の右腕は、彼女が辿り着く前に振り下ろされた。
「やめて!」
その声は、クラリッサの斜め後ろから発せられた。
それは間違いなくキャスリンだと感じた。しかし、振り向く余裕すらない。今の彼女は、拓哉のところに行くことだけを考えていたからだ。
ところが、振り上げられた武器は、拓哉にではなく、別方向に振り下ろされた。
「どういうことだ?」
「仲間割れか?」
ティートとリディアルが驚きの声が耳に届く。
そう、舞姫の機体が持つ特殊な武器は、隊列を組むPBAに猛威を振るったのだ。
「な、なにをする」
混乱するPBAの部隊から抗議の声があがるが、それはガルダルの攻撃で一蹴された。
「ごめんなさい。あなた達に恨みはないんだけど……もう、うんざりなの。少しだけ休憩していて欲しいわ」
その言葉から、ガルダルの気持ちが伝わってくる。
彼女が渋々ながらに従っていることは、カティーシャから聞かされていた。
――そう……彼女も決意したのね。
彼女の戦いぶりは、さすがだった。それは、幾千もの積み重ねで鍛え上げられたような攻撃であり、殲滅の舞姫の二つ名に恥じないものだった。
ガルダルがあっという間にPBA部隊を片付ける。その行動で安堵したのも束の間、クラリッサの心臓は鼓動を止めてしまいそうになる。
「タクヤ! どうしたの!?」
思わず声をあげたクラリッサが、止めていた脚を再び急がせる。
舞姫が敵機を潰してくれたのは、願ってもない援助だった。ただ、それを眺めている間に、拓哉が倒れてしまったのだ。
慌てて床に横たわる拓哉の身体を起こし、必死に呼びかける。
「タクヤ、大丈夫なの? どうしたの? ねえ、眼を覚まして――」
動揺したクラリッサは、脈拍や呼吸を確かめることもせずに、必死に拓哉の身体を揺さぶる。
すると、何時も平静を保っているカリナが横にやってきた。
そして、直ぐに拓哉の容態を確かめ始めたのだが、その表情を険しいものにかえた。
「拙いですね。脈拍が乱れています。それに心肺機能も異常値を示しています。早く治療をしないと、取り返しのつかないことになるかもしれません」
拓哉の腕に取り付けた特殊な器具を確認しながら、カリナが厳しい表情を見せる。
彼女の言葉は、鋭い剣となってクラリッサの胸に突き刺さる。
――やはり、そうなのね。幾らサイキックの能力が高くても、身体はそれに耐えられないのね……私達の所為で……私にもっと力があったら……
「とにかく、急いで飛空艦へと運びましょう。リカルラ先生なら何とかしてくれるはずです」
意識のない拓哉を抱き、この状況に陥った原因である自分の弱さを嘆いていると、カリナが急ぐ必要があると伝えてきた。
それに頷き、即座にサイキックで拓哉を抱き上げたのが、そこに大きな手が差し出された。
「皆さん、手の上に乗ってください」
それは、ガルダルが操る機体の手だった。
まるで数年ぶりに青空を見たかのような気分だった。
それこそ、新天地を得たような気分だった。
それをもたらしたのは、小柄な少女。ただ、事前に得ていた情報からすると、少年だったことを思い出す。
ウンザリするほどに大嫌いな会長と副会長が立ち去ったあと、思いっきり塩を撒きたい心境だったガルダルに、どこからか話し掛けてくる声があった。
その声の持ち主の姿は、どこにもない。そのことで、それが隠密による姿の隠蔽だと、直ぐに気付いた。そして、警戒の色をみせたガルダルは即座に身構えるが、その声が発した言葉で、彼女は固まってしまった。姿なき者の言葉が、あまりにも魅力的だったからだ。
「色々と大変そうですね。でも、今なら三食昼寝付きとまでは言えないけど、三食鰹節ご飯と差別のない環境は用意できますよ」
「さ、三食鰹節ご飯ですかニャ? マジですかニャ?」
カティーシャの誘いに、レナレは即座に食いついた。間違いなく鰹節のご飯の誘いに食いついた。しかし、ガルダルはそういう訳にもいかない。というか、彼女自身は、鰹節ご飯を好物にしている訳ではない。
「あなたは、誰かしら? 姿を見せない者の誘いに、誰が乗るの?」
「ガル、直ぐにいくですニャ。鰹節ご飯がウチを待ってるですニャ!」
――あぅ……この子の鰹節好きにも困ったものだわ……
ガルダルが用心深く侵入者と駆け引きをしているのだが、レナレの所為で何もかもがぶち壊しだった。
ただ、それは、レナレの本能だったのかもしれない。
「ガル、あんな奴等より、こっちの少女の方が信用できるですニャ」
「な、なんで……」
「えっ!? どういうこと? 少女? 隠れているのは少女なの?」
レナレの言葉に、カティーシャのみならず、ガルダルも驚かされた。
どうやら、ガルダルを騙すことはできても、レナレの鼻は誤魔化せなかったようだ。
その素晴らしい鼻を持つレナレが、自慢げに話し始める。
「匂いで解かるですニャ。前にも嗅いだ匂いですニャ。確か、カーティス=モルビスだったですニャ。女の子の名前にしてはおかしいと思ってたですがニャ」
さすがのカティーシャも、獣人の感覚には敵わないと感じたのか、溜息を一つ吐くと正体を現した。そして、ガルダルに色々な話を聞かせた。
それを聞いたガルダルは、すぐさま決断した。誘いに乗ることにしたのだ。カティーシャの話ではなく、レナレの勘を信用したからだ。
そう決意した途端、彼女の中に詰まっていた不純物が、一気に消え去ったような気がした。
あの腐った訓練校から出られること、レナレが差別なく受け入れられること、それだけで、彼女は心が洗われるような気分になったのだった。
その後の判断は早かった。直ぐに機体に乗り込み、司令部に向かった。そう、奴等の裏を掻くために、拓哉のところに向かったのだ。しかし、そこで目玉が飛び出るほどに驚くことになった。
「PBAの攻撃を生身の人間が防いでるですニャ。在り得ないですニャ!」
丁度良いところに駆けつけたと思ったのだが、そこでは信じられない光景が作り上げられていた。
「もう開いた口が塞がらないわ。私達って、あんな恐ろしい相手と戦ってたのね……」
「脅威ですニャ。あんなの人間じゃないですニャ」
――レナレの言う通りだわ。あれはもう人の範疇には収まらないでしょ。でも、そんな存在を受け入れる人達なら……
カティーシャを信用していなかった訳ではない。ただ、その光景を目の当たりにして、ガルダルはレナレが幸せに暮らせることを期待してしまった。
「それじゃ、悪いけど集まっている兵隊さん達には、少しお休みしてもらいましょうか」
「了解ですニャ! さあ、鰹節ご飯が私を呼んでるですニャ~!」
――もしかすると、彼女には鰹節だけがあれば幸せなのかも……
ガルダルは肩を竦めつつも、ムチ状にした武器を振るう。
それだけで、ズラリと並ぶPBA達が吹き飛んで動かなくなる。しかし、色々と苦言が聞こえてくる。
――まあ、それも仕方ないわね……味方だと思った機体から襲われているのだから。でも、悪いわね。あなた達に恨みはないけど、私達の明るい未来のためにやられてちょうだい。
卑怯な行為だと思いつつも、PBA部隊を軽く片付ける。
彼女にとっては、レナレや自分の幸せの方が大切なのだ。
そのレナレの声が、ヘッドシステムから聞こえてくる。
「あちゃ~ですニャ。鬼神が倒れたですニャ~」
「なんですって!?」
直ぐにサイドモニターで確認すると、そこには拓哉を抱くクラリッサの姿があった。
「あちゃ~、きっとサイキックの使い過ぎね。てか、あれだけの力を放出すれば倒れるわよ」
「バイタルが異常値を示してるですニャ。急がないと拙いですニャ」
倒れた原因がサイキックの使い過ぎだと、瞬時に判断したのだが、レナレから拙い情報が耳に届いた。
彼女は機体に装備されている外部スキャンシステムで、拓哉の状態を確認したのだ。
「それじゃ、ここは、一肌脱ぎますか」
「それよりも、早く鰹節ご飯を食べたいですニャ」
――あなたはそればっかりね……
レナレの返事に脱力しつつも、ガルダルは機体を操作しつつ、モニターに映る者達に呼びかけた。