119 異変
2019/2/2 見直し済み
特殊素材で覆われた灰色の通路は、拓哉が想像していた脱出とは異なる様相を見せていた。
幾多の戦闘の痕跡こそあるが、誰一人として存在しない空間だった。
その痕跡は、進入時に残したものであり、彼方此方に戦闘によるダメージが残っている。
ただ、その戦いで蹲っていた者達は、きれいさっぱりと居なくなっていた。
唯一そこに残るのは、兵士が装着していたであるだろう、システムベルトの切れ端だったり、破れたポシェットだった。
その光景から、余程に慌てて撤退したのだと考えた。
しかし、追手が現れないのは不自然だとも感じていた。
「どういうつもりなのかしら」
その光景を眺め、クラリッサが訝しげな表情を見せた。
しかし、その問いに対して、正しい解答を出せる者は居ない。
それでも、少なからず予測できることはある。
「考えられることは、大きく二つだな。一つは、人が居ては拙い攻撃を仕掛けてくる。例えばガス類だ。二つ目は安心させておいて、何処かで罠を張って待っているパターンだな。この状況から考えると、おそらく後者だろうな」
思い付いた事をそのまま口にすると、この基地の指令であるダグラスが頷いた。
「それで間違いないだろう。この基地にガス系の設備はないからな」
――そうなると、考えられるのは後者しかない。
周囲に視線を向けつつ、拓哉が警戒の色を濃くする。
すると、先程まで赤裸々で派手な喘ぎ声を上げていたアーガスが、それを無かったことにしたのか、真剣な表情で警告する。
「完全に防火シャッタが降りてますし、私達を罠に誘い込むつもりでしょう」
「そうなると、何が出ると思います?」
拓哉としては、自分の方が罠に嵌ったような気分だったが、それに黙ってそれに頷くと、アーガスの言葉で怖気づいたのか、キャスリンが不安な表情をみせた。
そんな彼女の背中をティートが叩く。
「おら! ビクビクするな。どうせ、PBAが出てくるだけだ」
「いたっ! ティト、痛いわよ!」
痛みのお陰か、キャスリンの表情がいつもの調子に戻る。
ただ、渋い顔をしたリディアルが、少し前に話した件をぶり返す。
「やっぱり、アームズを奪ってくれば良かったな」
「そうは言っても、全部壊れてたじゃないか」
「そうよ。まともに使える機体なんてなかったわ」
「そ、そうだけどさ……」
諦めの悪いリディアルに向けて、ティートとキャスリンが否定の言葉を口にする。
というか、彼女達が言う通り、アームズは恐ろしいほどに破壊されていた。
それを確かめて、誰もが拓哉の力に唖然としたばかりだ。
ただ、その戦闘を目にしていないダグラスとアーガスは、自慢げにするクラリッサの言葉を信じられなかったようだ。
二人とも信じがたいという表情を浮かべていた。
「それにしても、生身の人間がアームズをサイキックだけで倒すとはな……」
「人外ですね。そんな芸当なんて聞いたこともないです」
未だに信じられないのか、ダグラスが肩を竦めると、アーガスも首を横に振った。
自分の目で見た者達でも、夢か幻のように感じたのだ。見ていない者が素直に頷けるわけもない。
ただ、拓哉からすれば、あの状況でエッチな気分になれる二人の方が、よほど人外だと思えた。
――監禁されてるのに、ハァハァだもんな……俺達の入室にも気付いていなかったし、よっぽど熱中してたんだろうな。くそっ、なんて羨ましい……
色々と思うところはあったが、さすがに、それを口にする訳にもいかず、気分を切り替える。
これからについて考えた方が建設的だと判断した拓哉は、話を元に戻すことにした。
「そうなると、どこかでPBAないしアームズが待ち構えているとして、どうやって切り抜けますか?」
当たり前と言えば当たり前の問題なのだが、誰一人として、それに答える者はいない。
というか、答えられるはずがない。なにしろ、生身の人間がPBAと戦うなど、素手で戦車に立ち向かうようなものだ。
しかし、誰もがチラリと拓哉に視線を向ける。
その視線が何を意味しているのかを直ぐに悟り、拓哉は溜息を吐く。
「分かりました。俺が前に出ますよ」
「ダメよ! 幾らなんでも危険だわ」
拓哉の能力を知るクラリッサだが、さすがにPBAとの戦いには賛成しなかった。
PBAを倒せる力があるのと、面と向かって戦うのでは、そもそも意味が違う。
向こうは兵器であり、人間なんて一瞬にして消し炭にできる武器を装備しているのだ。
それに立ち向かうなど、無謀の極みだと理解しているのだ。
「みんなも少しおかしいわ。いくらタクヤが最強のサイキッカーだとしても、PBAは生身の人間が立ち向かう相手ではないわ」
彼女の想いは当然だ。愛する者をむざむざと死地に追いやる者などいるはずがない。
そんな彼女の想いを感じて、拓哉は胸が熱くなる思いだった。
そして、包帯がわりにハンカチを撒いた左手に視線を向ける。
そのハンカチの下には、戒めとして刻み込んだ傷がある。
――ありがとう。クラレ。俺が必ず守るからな。
ハンカチで見えない自分の左手を眺め、そして、視線をあげる。
ただそれだけの動作だが、拓哉の表情は一瞬にして変化していた。
そう、決意が表情に刻まれているのだ。
「大丈夫だ。クラレ。俺がお前を守るからな」
身の内で燃え上がる炎を感じつつ、拓哉は彼女を見つめた。
それに気付くと、彼女は、その綺麗な瞳を潤ませて抱き着いた。
「いいえ、私もあなたを守るわ。絶対に、あなたに傷一つ負わせないわ」
感極まったクラリッサが、再び拓哉に口付けしようとする。
今日何度目の結界だろうか。
それでも、二人は周りのことなど気にならないほど、自分達の世界を作ってしまう。
しかし、その結界に入り込む存在があった。
「あたしも頑張ります。あたしも、タクヤ君を守ってみせます」
何を思ったのか、キャスリンが猛烈な勢いで拓哉に抱き着くと、思いっきり唇を押し付けた。
まさに横取りだった。その速さたるや、クラリッサが唖然とするほどであり、まさに恋の成せる業だと言えるだろう。
――あ、あ、ヤバい、また女の戦いが……
柔らかな唇の感触を感じながらも、拓哉はすぐさま危機感を抱く。しかし、なぜか、キャスリンを拒絶することができない。
少し拓哉をフォローするなら、それは唇の気持ち良さが影響している訳ではない。キャスリンの想いを拒めなかったのだ。
しかし、先約のクラリッサからすれば、馬に蹴られて死んでしまえと叫びたくなる心境だ。
「キャスリン、いい加減にしなさいよ! 本当に怒るわよ」
「クラリッサばかりズルいです。良いとこ取りです。あたしだってタクヤ君の力になります」
クラリッサが怒りの表情を剥き出しにして罵声を轟かせるのだが、唇を離したキャスは負けじと言い放った。
二人はそのまま、瞳に炎を宿して睨み合う。
ところが、その背後では、アーガスとカリナが、ぼそぼそと独り言を口にする。
「若いっていいわね……」
「羨ましい……私もあの方に……」
――いやいや、それどころじゃないだろ。誰かこの場を何とか収めてくれ。
全く無責任としか言いようがないのだが、今の拓哉には二人を止める術がなかった。
藁にも縋る思いで、ティートに視線を向けると、無情にも、彼女はガッツボーズをしている。
――だめだこりゃ……リディ、リディなら……
ティートが当てにならないと知って、リディアルに助けを求めようとするのだが、彼は合掌のポーズで首を横に振った。
――ぬう~! それは、俺に南無れということか……仕方ない……こうなれば……
リディアルから引導を渡された拓哉は、ダメだと思いつつも、暇だからといってエッチで時間を潰すようなおっさんに視線を向ける。
すると、エッチな将軍――ダグラスが力強く頷く。
――おお、これって、期待できるのか?
僅かな希望に夢膨らませながら、ダグラスの言葉を待つ。
ところが、ダグラスは一つ咳払いをすると、持論を展開した。
「うほん! いつの世も強き男に女は群がるものだ。故に、それだけの甲斐性を身に着けるのだな。うむ。羨ましい……」
――羨ましいって……おい! エロおっさん! 言いたいことはそれだけか? だめだこりゃ……少しでも期待した俺がバカだった……
色々と不満を抱きながらも、助けが絶望的だと知って、拓哉は自分で何となするしかなかった。
「と、とにかく、こんなところで揉めている場合じゃないぞ。先に進もう。な! な!」
「そんなことを言って……有耶無耶は、許さないわよ?」
「も、もちろんだ。だから、帰ってからにしような。な!」
とにかく、この場を乗り切るために、角を生やしたクラリッサを宥める。
ただ、適当に流したのだが、クラレはそれほど甘くないだろう。きっと、戻ったら責め立てられるに違いない。
そう、それが後々の波乱となるとも知らずに、この場を収めることだけ考えた拓哉は、自滅の道へと脚を踏み入れたのだった。
敵の罠を警戒して、慎重に進んだ拓哉達だったが、予想に反して何も起こらなかった。
なにゆえ罠かというと、さすがに、PBAが基地を壊してまで地下に降りてくるとは思えないからだ。
それでも、何らかの罠があるかと、気を付けてみたのだが、まるっきり無駄骨だった。
既に、地下二階まで戻ってきたのだが、その間、人っ子一人出てきていない。
そんな現在の状況から察したのか、クラリッサが自分の考えを口にした。
「こうなると、やはり一階でPBAが待ち構えていると考えた方が良さそうね」
彼女がそう考えるのも当然だ。
というのも、敵も地下四階の惨状に気づいているはずだと考えたからだ。
それ故に、今更以てアームズで襲ってくるとは思えなかったのだ。
「何機くらいが待ち構えていると思う?」
「てか、外じゃ、鋼女が暴れてるんだろ? 本当に一階にPBAがいるのか?」
「もしかして、鋼女のお陰で、こちらに割く人員がないとか?」
キャスリンが敵の規模を気にすると、ティートが今更ながらに否定的な意見を口にした。
それに便乗するかのように、リディアルが同調するのだが、それは希望的観測でしかない。
「何が出るかは分からないが、罠がないはずがない。もう直ぐ一階に辿り着くからな。気を抜くなよ」
ここにきて油断の見え始めた三人に喝を入れた。どうやら彼等の緊張感は、いつの間にか消え去ってしまったようだ。
――ヤバいな。こんなことじゃ、相手が唯の兵士でも足元をすくわれそうだぞ。
気の抜けた三人をチラ見しながら、頭を悩ませる。
というのも、戦いにおける一番の敵が自分自身だということを、彼等が忘れているからだ。
――油断こそが大敵になるというのに、この状態で進んでも良いのだろうか……
少し拙い状況だと感じて、クラリッサに視線を向けたのだが、彼女は黙って首を横に振った。
どうやら、処置なしと言いたいらしい。
それを察した拓哉は、もう一度だけ注意を喚起して先に進むことにする。
「油断が一番の大敵だからな。それを忘れるなよ」
念を押すと、三人とも頷いたものの、やはりどこか緊張感に欠けた面持ちだった。
そう感じた拓哉は、大きな溜息を一つこぼすと、クラリッサに頼みごとをする。
「クラレ、悪いけど、カバーは頼む」
「もちろんよ。任せてちょうだい。それにしても困った人達ね」
クラリッサは二つ返事で了承してきたが、少し困った表情で三人を見やった。
それでも、脱出するには、前に進むしかない。
実は、飛空艦と何度も連絡を取っているのだが、通信が妨害されているのか、全く反応がないのだ。
それ故に、拓哉達は援助を望めない状況だったのだ。
――なにも起きなければいいんだが……
拓哉は不安を抱きながらも、用心深く脚を進める。
そして、一階に辿り着いた時だった。想定外の問題にぶち当たった。
「おい! しっかりしろ! リディ、キャス、ティト」
「三人ともどうしたの? 何があったの?」
突然の事態に、拓哉とクラリッサが声をあげる。
そう、先程から緊張感がないと思っていたのだが、一階の出口に近づいたところで、リディアル、キャスリン、ティート、三人が膝を突いてしまったのだ。
突如として膝を突いた三人に驚く拓哉とクラリッサだったが、どうやら問題は三人だけではなかったようだ。
「ダグラス将軍、大丈夫ですか?」
「ああ、私は何とか……アーガス、大丈夫か?」
「ええ、少し頭がくらくらしますが……」
三人の背後では、将軍とアーガスまでが膝を突いているのだ。
「どういうことだ? 俺とクラレ、カリナさんの三人だけが無事なのはなぜだ?」
「いえ、私も少し頭が痛いわ」
「私もちょっと……」
五人の異常を訝しく思ったのだが、次の瞬間、クラリッサとカリナもヨロヨロと膝を折ってしまった。
「クラレ! これはどういうことだ?」
「それは、こういうことさ!」
拓哉を残して全員が倒れたことで、動揺を隠せないでいると、怪しい返事と共に鋭い閃光が放たれた。