116 鋼女と舞姫
2019/2/1 見直し済み
自室というには些か簡素、いや、殺風景といった方がよいだろう。
そんな部屋にはベッドだけが設置されていて、その向こうには剥き出しではないが、やたらと遮蔽物の小さなトイレがあった。
――あそこで用を足すのか? くそっ! どんな嫌がらせだ? いや、それはいい……こんなところ、脱走しようと思えばいつでも可能だからな。それよりも……
憤りを感じつつも、ミルルカの頭の中は、一つの事案で一杯だった。
それは、当然ながら個人戦の結果であり、未だに納得がいかず、いつまでも悩んでいた。
あの時、ミルルカは勝利を確信した。それは自惚れでもなければ勘違いでもない。あの状況をひっくり返せる者などいるはずがないと思えたからだ。しかし、気が付くと、彼女の機体は地に這いつくばっていた。そう、彼女は物の見事に負けたのだ。
――分からん……
トトと融合した彼女は、もはや人間とは呼べない程の能力を有していた。全能ではないが、全知であるとさえ思えるほどに、何もかもを見通せていた。それほどの力を以てしても、拓哉のやったことが理解できないでいた。いや、見えなかったのだ。それは、人間あらざる者であり、人知を超える力を有したトトの力をも超えているのだ。
それ故に、ミルルカはいつまでも腕を組んだまま唸っていた。
――どうやれば、あそこで逆転できるのだ? 考えられるのは……
叔父であるダグラス将軍が、ヒュームの内通者として捕らえられ、彼女まで巻き添えで拘束されてしまったのだが、それが冤罪だと知っている彼女は、慌てることなくそれに従った。
というのも、こんな軍施設などいつでも逃げ出せるし、やろうと思えば壊滅すら可能だからだ。いや、一番の理由は、鬼神との戦いのことが頭から離れなかったからだ。
「トト、お前に解かるか?」
独りしか居ないはずの独房で、相棒に助けを求める。
もはや、彼女の考え及ばない領域だと思ったからだ。
『無理なんちゃ。ただ分かるのは、ウチを超えた存在。そう人間じゃないってことくらいなんちゃ』
――やはり、そうなるか……いや、それしかないよな。だが、人間でないとしたら……
妖精であるトトの意見と、己が導き出した答えを合わせ、その信憑性について考える。
「なあ、人間でないとしたらなんなのだ?」
『そんなん、ウチにも分からんちゃ。でも、異世界人なんやろ? だったら、そんな人間が居てもおかしくないっちゃ』
トトの返事は尤もだ。
異世界人に基準なんて存在しない。
見た目が人間のようでも、中身は全く異なることすらあり得る。
――確かにそうだが……それを人間と呼べるのか? 気になる……奴のことが無性に気になる……奴はいったい何者なのだ?
人に見えて人ならざる存在に、興味が尽きない。
そんなミルルカに向けて、トトが念話で話しかけてきた。
おそらく、彼女が気を遣ったのだろう。
『何をそんなに気にしてるんちゃ? これから沢山知る機会があるっちゃ』
トトはごく当たり前のように言ってのけるのだが、それが理解できなくて、ミルルカは思わず首を傾げた。
「ん? それは、どういうことだ?」
『だって、ミルルは奴に負けたんよ? だったら、奴のメイドなんちゃ。夜伽の相手とかもさせられるんちゃ。うきゃ! とうとうミルルも女になるんちゃ。あは!』
ミルルカは負け方が納得できなくて、思考がそこまで追いついていなかった。そう、賭けに負けたことをすっかり失念していたのだ。
しかし、他人事ということもあってか、トトはかなり興奮していた。
精霊にとっても、男女の情事があるかは不明だが、彼女にとっては、とても美味しい話のネタになっているようだ。
――ぐはっ! そうだった……私は賭けに負けた……メイド……夜伽……マジか! 私があの男と交わるのか? あの男とまぐわうのか……あぅ……優しくしてくれるかな……
今更ながらに、賭けに負けたことを考えて、ミルルカは両手で己が身体を抱いて悶える。
ただ、恥ずかしいと感じながらも、なぜか嫌だという気持ちが起らなかった。
『ミルル、顔が真っ赤なんちゃ』
「ううううう、うるさい!」
『あっ、そういえば、ご褒美もなくなったんちゃ……あぅ』
――こいつの頭の中は食べ物で一杯なのか!?
拓哉との夜伽を想像して胸を熱くしたミルルカが、相棒であるトトに呆れていると、小さな声が彼女の耳を揺さぶる。
「クアント殿、ミルルカ=クワント殿。お迎えに参りました」
その声に反応して視線を向けるが、鉄格子となっている入り口には誰も居ない。
しかし、相棒であるトトの眼は誤魔化せなかったようだ。
『入り口に、黒装束が立ってるんちゃ』
――ふむ……黒装束か……もしや……
黒装束と聞いて、ミルルカはピンときたようだ。
身悶えしていたことを隠すかのように、自慢の胸を強調するかのように腕を組む。
「迎えは良いが、お前はどこの誰だ?」
「デンローシャの配下です」
――そうか、奴が動き始めたか……ということは、何かしら大きな問題が起きているようだな。となると、叔父の拘束もそれに関連しているのか。そうか……叔父か……
予想通りの相手だと知り、すぐさま思考を巡らせる。
ただ、ここを動くわけにもいかないのだ。
「叔父が拘束されているのでな。ここを出る訳にはいくまい」
こんな臭く下品な場所など、いつでも抜け出せるのだ。
ただ、それを実行しない理由がある。それは叔父――ダグラス将軍が拘束されているからだ。
彼女が拘束される時に、「反抗するならダグラス将軍が唯ではすまんぞ」と言われ、その言葉に怒りを感じもしたが、その時の彼女は対戦結果で頭がいっぱいだったこともあり、何時でも抜け出せるという理由から、逆らうこともしなかったのだ。
だいたい、ここの連中程度で、彼女を普通に拘束することすら不可能なのだ。
「彼方には別部隊が向かいました。問題なく救出することでしょう」
ミルルカに話しかける人物は、どこか自信満々だ。
ただ、その自信の根拠が気になる。
「やたらと自信満々だが、ケルトラが出張ったか?」
不敵な笑みを作りつつ、自分の考えを口にするのだが、もたらされた返事は、彼女の想像を超えるものだった。
「いえ、鬼神が向かっております」
――なぜ、鬼神なのだ? 奴がそれに加わる理由が分からん。
返事の内容を訝しく感じるが、それを口にすることなく、ミルルカは立ち上がる。
ここに必要もない助けが来たということは、ケルトラに何らかの思惑があり、彼女に行動を始めろという合図だと感じたからだ。
そうなると、何時までもここでゴロゴロしながら腐っている訳にもいかない。
「分かった。それで、私に何をさせたいのだ?」
不敵な笑みを崩さずに鉄格子の入口へと向かうと、格子の扉が自動的に開く。
もちろん、姿を消しているケルトラの部下によるものだ。
「隊長は、少しばかり暴れて欲しいと申しておりました」
「そうか。ケルトラからの命令と思うと少しムカつくが、その内容は気に入った。私もムシャクシャしていたのだ。丁度よかろう」
拓哉との対戦で訳も分からずに負けたことで、悶々《もんもん》として欲求不満を募らせていた彼女は、望むところだと言わんばかりに頷く。
予想に反して快く受け入れてもらえた所為か、姿なき者がホッと息を吐き出す。
「よろしくお願いします。機体はこれまでと同じ場所に……」
「装備は? 訓練用で暴れるのか?」
「いえ、実戦用に換装済みです。あまり派手にやり過ぎると味方にも被害が及びますので、手加減が必要かと思います」
機体の場所を知らされたものの、ミルルカとしては装備が気になるところだった。ただ、ケルトラの部下からすると、装備よりも被害の方が気になったようだ。
しかし、ミルルカに手加減しろなどと、F-1マシンにレースで徐行しろと頼むようなものだ。
「味方には通達しておけ、死にたくなければ、赤い機体に近づくなと。近づく機体は全てスクラップにするからな」
これまで最強と呼ばれてきたミルルカがそういうと、実際、どう感じているかは不明だが、ケルトラの部下は一言だけ答える。
「御意!」
些か古臭い物言いだったが、ミルルカはそれが気に入った。
「よし、トト、憂さ晴らしにいくぞ」
『了解なんちゃ! 暴れるんちゃ!』
ミルルカは姿を消したトトを肩に乗せたまま、意気揚々と独房を後にした。
呼ばれざる客がやってきたのは、レナレがお気に入りのアニメを見ている最中だった。
「誰かしら……ぐはっ、脳タリンズだわ……」
インターホンが鳴ったことで端末を確認したガルダルが、思いっきり嫌そうな表情をみせた。それどころか、思いっきり毒を吐く。
「最悪の客だわ。今度は何を言いにきたのかしら。レナレ、塩を用意しといてね――」
レナレは透かさずベッドの下に隠れることにしたのだが、ガルダルはブツブツと毒を撒き散らしながら入り口に向かった。
もちろん、レナレに塩なんて用意する暇もなければ、準備する気もない。ただただ、ベッドの下から覗くのが関の山だ。
なにしろ、彼女はあの二人が大嫌いだった。というか、あの二人と顔を突き合わせるくらいなら、台所の悪魔と暮らした方がマシだと豪語していた。
そんな彼女がベッドの下で耳を伏せていると、脳タリンズの背の高い方が発した嫌味たらしい声が耳に届いた。
――こういう時だけは、自分の耳の良さが恨めしくなるですニャ……
尻尾を股の間に仕舞い込み、耳を伏せた彼女は、聞きたくないと言わんばかりに両手を耳の上に乗せるのだが、思いっきり無駄な抵抗だった。
「なんだ? いい歳してアニメなんて見てるのか? だから負けるんだよ」
――ニャ、ニャんですと! ウチがこよなく愛するミワオ=ハヤザキの名作アニメを馬鹿にするなんて、許せないのですニャ! 死刑決定ですニャ!
脳タリンズ二号――副会長の台詞で、彼女は思いっきり憤慨する。
それでも、面と向かって文句を言う気にはなれない。それどころか、同じ空気すら吸いたくないと思っていた。
――ガル、早く追い返すのですニャ。空気が汚れるのですニャ。公害ですニャ。PM2.5よりも有害ですニャ。
心中で悪態を吐くレナレの気持ちが届いたのか、ガルダルがすぐさま本題に入るように促す。
「今日はどうされたのですか?」
「どうしたかだと! それが――」
「まあまあ、それよりも、今日はお願いがあってやって来たんだ」
「お願い? それは何でしょうか?」
ガルダルの対応に副会長が憤慨するが、脳タリンズ一号――会長が、それを宥める。
ただ、問題なのは、その後の台詞だ。
願いと聞いたガルダルが訝しげな表情を見せる。
しかし、レナレからすれば、聞くのが間違いだという結論だ。
――が、ガルはバカですニャ。どうせロクでもない頼みごとですニャ。聞く方がバカですニャ。
レナレ的には不満タラタラなのだが、ガルダルには断れない理由があるのだ。
そう、それは、レナレの存在だった。
レナレ自身、それを知っていることもあって、すぐさま申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
――ごめんですニャ。ガル……ウチの所為で……
レナレがベッドの下で涙ぐむ。
実際、ガルダルは気にするなと言うのだが、彼女はいつも気にしていた。それ故に、何があってもガルダルを助けたいと思っているのも事実だった。
そんな悲しい気分になっているレナレを他所に、会長がつらつらと話を進める。
「実を言うとね。ダグラス将軍やあの鬼神達が、ヒュームのスパイだと分かったんだ。道理で私達の話に耳を傾けない訳だ。なんとも困ったことだね」
「それが頼み事と何の関係が?」
遠回しな物言いに、ガルダルが驚きの表情を押し殺しつつ問い返す。
彼女からすれば、全く信憑性に欠ける話だけに、次に出てくる言葉が不安なのだろう。少し引き攣った表情となっている。
しかし、会長は嫌な顔を見せることなく話を続ける。
「まあまあ、そう焦らなくてもいいよ。不穏分子の粗方は捕らえたから。ただね、どうやら鬼神達は黙っていうことを聞きそうにないんだ。今も飛空艦に閉じこもったままのようだし……」
実は、当の昔に飛空艦から抜け出しているのだが、会長はその事実を知らなかった。
もちろん、ガルダルがそれを知るはずもない。ただ、彼女は直ぐに願い事を察した。
「私に飛空艦を攻めろと?」
奥歯に物が詰まったような物言いが気に入らなかったのか、ガルダルは先読みした内容を口にする。
すると、会長は笑顔で手を叩きながら、大袈裟に褒め称える。
「さすがは舞姫だ。なかなかの洞察力だね。そう、頼み事というのはそれだ。ちょっと潰してきてくれないかな?」
馬鹿な話だ。そんな愚かな願い事など誰も聞かないだろう。しかし、ガルダルに拒否権はない。
そう、ガルダルにとっては、なによりもレナレが大切なのだ。ここで断れば、間違いなくとんでもないことを言い出すはずだ。
そんなガルダルの考えを見越しているのか、その対価だと言わんばかりに、嫌らしい笑みを浮かべた会長が取引材料を用意した。
「もちろん、タダでとはいわないよ。君の可愛い相棒が幸せに過ごせる居場所を用意しよう。それでどうかな?」
その言葉は、一ミリも信用ならない。少なからず、レナレはそう感じる。
――ガル、そんなの嘘っぱちなのですニャ。頷いちゃダメですニャ。
レナレが必死に首を横に振るが、当然ながら彼女はベッドの下だ。ガルダルに見えようはずもない。
そして、ガルダルは大切な友達を守るために頷くことになる。
「それは本当ですか? 幸せに過ごせる場所が、監獄なんてオチはなしですよ」
「勿論だとも。私は約束を違えたことなどないよ。そんな罠なんて用意するのも面倒だし」
――嘘ですニャ。騙されちゃダメですニャ。ガル! お願いだから頷いちゃダメですニャ。
「分かりました。その役目を引き受けましょう」
――あう……ダメだって言ったのにニャ……やっぱり、ウチの所為……
悲しいかな、レナレの願いが届くことはなかった。そして、脳タリンズの二人は、この部屋から去っていく。
それを見計らって、レナレはベッドの下から這い出す。そして、ガルダルに抱き着いた。
「ダメですニャ。これ以上、奴らのいうことを聞いちゃダメですニャ」
「大丈夫よ。これが終わったら二人で幸せに暮らしましょう」
「そんなの無理ですニャ。奴らは、そんなに温くないですニャ」
「大丈夫、大丈夫。もし約束を違えたら私が始末するわ。間違いなく地獄に送ってやるわよ」
ガルダルは笑顔を見せると、レナレの頭を優しく撫でる。
普段はガサツなガルダルだが、こういう時は、とても優しいのだ。
――ん? さっきから気になってたんだけど、これって、何ですかニャ……
ガルダルの優しさに感動しつつも、レナレは鼻をピクピクと動かす。
そう、彼女には、気になることがあった。
それは、脳タリンズが入ってきた時から感じていた。
奴等と一緒に嗅ぎ慣れない臭いが入ってきたことを。そして、その臭いは、いまも部屋に留まっている。
――さて、どうしたものですかニャ。嫌な臭いではないような気がするのですけどニャ……それに、奴等が約束を守るはずはないですしニャ……
レナレは何もない空間をチラリと見やり、これからについて考えるのだった。