115 愛の結界
2019/1/31 見直し済み
四階の空気は、生温かった。
恐ろしいほどに、異様に、凄まじく、生温い空気が流れている。
実際は。空調がきちんと作動していて、適切な温度設定となっているはずだ。
それでも、生温い空気と、それに相反して凍り付くような視線を感じた。
どうやら、この生温い空気を作り出した原因は、拓哉にあるようだ。いや、この場合、クラリッサも同罪だろう。
それに気づいたのは、どこからともなく聞こえてきた咳払いによるものだった。
「ごほんっ! ごほんっ!」
熱い口付けを長々と交わし、温かい気持ちでクラリッサと見つめ合う。
そこで彼女の瞳に映る情愛を感じ、燃え上がるような親愛の情を抱いた拓哉は、再び唇を交わそうとしていたのだが、そこで、いかにもわざとらしい咳払いが聞こえてきた。
それに気付いて視線を背後に向けると、そこには様々な表情を浮かべた者達がいた。
「す、少し、空気を読んで欲しいんですけど……」
かなり冷たい態度で、苦言を口にしたのは、顔を顰めたキャスリンだった。
どうやら、トリガハッピータイムは終了したようだが、かなり機嫌が悪そうだ。
「まあ、ダメとは言わんが、場所と状況は考えて欲しいかな。どこでも盛るのは良くないぞ?」
腕を組んだ状態まま、優しげな雰囲気で窘めてきたのはティートだ。
彼女としては、あまり邪魔したくないという気持ちがあるのかもしれない。それが言葉と態度に表れていた。
「いいですね……幸せそうで……私も……」
キラキラと瞳を輝かせて、ぼそぼそと独り言を口にしたのはカリナだったが、彼女も色々と思うところがあるようだ。責めるどころか、羨ましそうにしている。
「て、て、手は大丈夫か?」
気まずそうな表情で頬を掻きながらリディアルが、拓哉の手を気にしていた。
彼としては、自分達が邪魔ものだと感じている様子だ。明らかに、申し訳なさそうにしている。
仲間から、様々な態度を向けられ、拓哉とクラリッサが作り上げたラブラブという結界が解かれる。
――あぅ……みんなが居たんだった……めっちゃ恥ずかしい……
羞恥を感じたのは拓哉だけではなかった。クラリッサもゆっくりと拓哉の胸から離れると、思いっきり顔を赤らめていた。
それを名残惜しく思いつつも、拓哉はこの場を打開する方法を考える。
――な、なんて言い訳をすればいいんだ? ちょっとした出来心だったんだ……って、それじゃまるで浮気現場を見つかった男みたいだし……
周囲の目を気にした拓哉が色々と言い訳を考えるのだが、二人が作り上げた愛の結界について、誰も追及はなかった。いや、それよりも拓哉の状態が気になったようだ。
それを真っ先に口にしたのは、転がるアームズを眺めるリディアルだった。
「なあ、タクヤ、さっきのって、サイキックなのか?」
「そ、そうよ。こんなに強烈なサイキックなんて、聞いたことがないわ」
「確かに、アームズを生身の人間がサイキックで倒すなんて、さすがに、そんなサイキッカーの話は耳にしたことがないな」
リディアルに続き、キャスリン、ティートが驚いていた。
しかし、拓哉は周囲に転がるアームズを眺めて息を呑んだ。
というのも、その惨状が余りにも凄惨だったからだ。
――これを俺がやったのか……決意はしたが……
誓いを立てたものの、やはりやるせなさは消せなかった。
今更ながらに、その惨状を作り出したことに罪悪感を抱いていると、それを窘める声が耳に届いた。
「ダメよ。ここで同情なんて以ての外だわ。だって、彼等は私達を殺すつもりで攻撃してきたのだから。気を緩めれば、私達かああなるのよ?」
真剣な表情を浮かべたクラリッサから窘められて、拓哉は自分の左手に視線を向けて、自分自身に言い聞かせる。
――そうだな。相手を倒すということは、自分が倒されることを覚悟する必要があるんだ。気を許せば、リディが死ぬかもしれない。キャスが死ぬかもしれない。ティトが死ぬかもしれない。クラレが……それはダメだ。だから、これで良いとは言わないが、俺達を殺すつもりで向かってくる者に、情けを掛けてはいけないんだ。でなければ、俺が、いや、俺の大切な者達がこうなってしまうんだ。
ジッと自分の左手を見詰めていた拓哉が、ゆっくりと顔を上げる。
「すまない。でも、もう大丈夫だ」
再び落ち込んでいた拓哉は、自分の中でその問題の決着をつけて頭を下げる。
すると、クラリッサが少し寂しそうな表情で、コクリと頷いた。
「それなら良かったわ……さっきも言ったけど、あなたが罪悪感を抱く必要はないのよ。全ては、私の所為なんだから」
クラリッサからすれば、何もかもが自分の所為だと感じている。
ドライバーの件のみならず、戦いに巻き込んだのは、自分だと考えていた。
しかし、拓哉は違うと感じてしまう。
「いや、それは違うぞ。切っ掛けこそ、クラレに関係があるけど、俺の為すことは自分自身の責任だ。お前が背負い込むことじゃない。クラレこそ自分を責めるのを止めてくれ」
「でも……」
クラリッサが俯いたまま逡巡する。
それでも、全ては自分の責任だという彼女の考えが気に入らない。
「ダメだぞ! 約束してくれ。そんな考えは止めると。俺は自分の意思で行動しているんだ。周りの所為にするような情けない男にさせないでくれ」
「わ、分かったわ。でも、本当にごめんなさい」
クラリッサは不満そうにしながらも、直ぐに笑顔を作って頷くと、再び拓哉の胸に顔を埋めようとした。
拓哉も条件反射の如く、それを受け止めようとしたのだが、そこで再び咳払いが聞こえてくる。
「うほん! うほん!」
――ぬぬ……そうだった。みんなが居たんだ……また結界を作り出してしまうところだった……
拓哉としては、それを拙いと感じたのだが、クラリッサは違ったようで、眦を吊り上げて、不機嫌な表情を作り出した。
おそらく、私達の幸せな一時に茶々をいれるなと、言いたいのだろう。
その気持ちは同じなのだが、キャスリンの空気を読めという視線も解からなくもない。
それ故に、拓哉は直ぐに話を戻すことにした。
「あれはサイキックだ。今なら解かる。あれはリカルラが睡眠学習で、強制的に植え付けたサイキックの使用方法なんだ」
「さすがは、リカルラ先生……恐ろしいものを植え付けますね」
カリナが納得の表情で頷いているが、確かにその通りだ。
使用した拓哉自身が慄くほどの力なのだから。
しかし、クラリッサがすかさずカリナの意見を否定する。
「違います。植え付けたサイキックが凄いのではなくて。使用するタクヤのサイキック能力が凄いのです」
「確かにそうだろうな。オレ達にあれを教えられても……絶対に、あんな威力は出せないだろうし、いや、サイキックの枯渇でぶっ倒れるかもな」
否定の声に、ティートが同意する。
納得の表情で、何度も頷いていた。
すると、キャスリンがそれに賛同する。
「そうよね。あたし達なら、あのアームズを浮かすことすらできないわよね」
――どうだろう。クラレなら使えるかもしれないけど……
疑問を抱きつつ、生きているのかも定かではないアームズに視線を向ける。
その眼差しから何を感じ取ったのか、カリナが状況を口にする。
「これくらいの怪我なら問題なく元通りになりますよ。恐らく死んだりしていないでしょう。アームズはこう見えても、かなり丈夫ですからね」
「そうよ。タクヤの世界とは医療技術が段違いなのよ。だから、タクヤや私の傷なんて、一瞬で元に戻るわよ。だから、気にしなくていいわよ。綺麗な体のまま、あなたのものになるわ」
カリナの言葉に便乗するかのように、クラリッサがフォローするのだが、その内容は些か場違いかもしれない。
そんなカリナやクラリッサが口にした言葉は、拓哉を安堵させるための台詞だった。
ただ、それを聞いたリディアルが、今更ながらに感心する。
「ま、まあ、誰のものになるかは良いとして、その丈夫なアームズがこのざまか……リカルラ博士が言っていた最強という台詞は、冗談じゃなかったみたいだな」
リディアルとしては、自分が目にしたことで、初めてそれに気付いたようだが、それが面白くなかったようだ。クラリッサが即座に食らいついた。
「何を言っているの? そんなことは、初めから分かっていることだわ。タクヤは人類最強のサイキッカーであり、この世界最強のPBAドライバーなのよ」
――おいおい、持ち上げ過ぎだ。幾ら公認の仲とはいえ、それは言いすぎだろ。いや、そういう仲だからこそ気を付けないと……
「バカップルだな!」
拓哉が懸念していた言葉を、呆れた様子のティートが口にした。
しかし、それもクラリッサが否定する。
「な、なにがバカップルよ! 事実を口にしただけよ。だって、タクヤに勝てる者などいないのだから」
「く、クラレ、も、もういいから、もう分かったからな。な! いや、こんなことをしてる場合じゃないだろ?」
これ以上は、ティートの発言を確固たる事実に変えてしまうだけだ。
そう考えた拓哉は、直ぐに話を変えることにした。
すると、ティートが隣のキャスリンに、ぼそぼそと何かを告げる。
ただ、サイキックの使用方法を理解した拓哉は、無意識にその会話を全て聞き取ることになる。
「キャス、お前、あのバカップルに割り込めるのか?」
「あぅ……どんどん自信がなくなる……でも、負けないわ」
その会話の内容が何を意味するのか、さすがに鈍感な拓哉でも分かろうというものだ。
しかし、拓哉は敢えて無かったことにする。
――聞かなかったことにしよう……今の俺には荷が重い……
彼女達の話の内容を把握した拓哉は、取り敢えず敵前逃亡を決断した。そして、ダグラス将軍の居る特別収監室に向かうことにした。