107 確信
2019/1/28 見直し済み
機体の右手に持つ高周波ブレードが、赤い拳に弾かれるが、即座に側方に回り込んで左のブレードをぶち込む。
赤い機体は堪らず距離を取ろうとするが、そうは問屋が卸さない。
すかさず、赤い機体の懐に飛び込むと、右のブレードを叩き込む。
その途端、宙に浮く装甲――フライトシールドが割って入る。その間に、赤い機体は速やかに距離をとった。
――どうやら、接近戦の軍配は俺に上がったようだな。この調子でいけば、ブーストモードを使う必要もなさそうだ。
接近戦を繰り返し、拓哉は自分が優勢であることを認識していた。
しかし、それは、直ぐに誤りだったと判明する。
「隙あり! だが……」
赤い機体が決定的な隙を見せた。
ところが、拓哉は、その隙を突くことをしなかった。
「今の……わざと? 誘い込むつもりだったのかしら」
思考を読んだかのように、クラリッサが自分の考えを口にした。
拓哉も直感的にそう感じた。というのも、その隙が、あからさまだったからだ。
しかし、それは拓哉達の勘繰り過ぎだった。
実は、完全なる隙だった。そこを突けば、間違いなく戦いが終わっていたであろう。
なぜなら、赤い機体の中では、壮絶な内輪揉めが行われていたのだ。
そのことを知らない拓哉は、それが最大のチャンスだったとも知らずに、決定的な攻撃の機会を失ってしまった。
「でも、この調子だと、このまま押し込めそうね」
ミルルカが絶望を覚悟して奥の手を決意したとも知らずに、これまでの戦闘から観察した結果から、クラリッサは安易に楽勝だと判断してしまう。
ただ、拓哉としては、これで終わるとは思えなかった。
「ああ、このままならそうかもな。だが、あれだけ派手な演出をしたんだ。これで終わるとは思えんが……」
「確かにそうね。このまま終わったら、本当に唯の脳筋。いえ、お笑い芸人だわ」
――おいおい、凄い言われようだな。今頃、鋼女は鼻がムズムズしてるんじゃないのか?
今頃はクシャミを連発しているかもしれないと思いつつも、再び動きを見せ始めた赤い機体に向けて、容赦なく攻撃を仕掛ける。
しかし、そこですぐさま異変に気付く。
「な、なんだと!」
「ちょっ、ちょっとなに!? 今の動き!」
赤い機体は、背後からの攻撃を一瞬で躱してみせた。
避けられてしまったこと自体は、大した問題ではない。
問題は、一瞬にして背後に回り込まれてしまったことだ。
「ちっ、これまでの動きは、フェイクだったのか……」
愚痴をこぼしつつも、機体の向きを変えることなく、すぐさま距離を取ったのだが、即座にその背後を取られてしまった。
さすがの拓哉も、これには絶句してしまう。
――くそっ! いくらなんでも速過ぎるだろ! あれで機体が持つのか?
その動きは、まさに拓哉達のブーストモードと引けを取らない。いや、もしかすると、それを上回る速さかも知れない。
「拙いわね……」
――いやいや、拙いなんてもんじゃないぞ! クラレ……
拓哉にとって、彼女の想いには同感だったが、この状況は、そんな言葉で片付けられるほど、生易しいものではなかった。
しかし、赤い機体は、躊躇する暇すら与えてくれそうにない。
即座に、攻撃を仕掛けてきた。
――どうやら、これが向こうの本気モードらしいな。さて、どうしたものか……
赤い機体から繰り出される連続攻撃を避けつつ、対処方法に思考をフル回転させる。
「くそっ! はえ~! 集中できん……」
思わず愚痴をこぼした時だった。ミルルカから放たれた左からの蹴りが、機体の肩を直撃する。
「くっ! シールドが突破されたわ。損害率十パーセント。大丈夫、まだ動くわ」
――とうとう、避けきれなくなってきたぞ……ここでこっちもブーストモードに入るか……いや、それだと、もし向こうに奥の手が残っていたら、その時点で終了だ……
ブーストモードの起動を考えるが、この後の展開を考えて躊躇する。
しかし、彼のナビゲーターにとっては、考える余地などないのかもしれない。
「タクヤ、ここは、一か八か、やるしかないわ」
拓哉の躊躇いを見抜いたのか、はたまた、このままでは勝てないと判断したのか、クラリッサが決断を迫った。
――確かに、迷っている間にやられるのが、一番阿呆だとは思うが……
「タクヤ! このままでは負けるわ」
「ぬぐっ!」
――くそっ、痛いところを突かれた……だが、ここでブーストモードは……
クラリッサの忠告に唸り声をあげる。
決断を迫られた拓哉は、直ぐに判断することができなかった。
さすがだと感じた。これは、さすがだとしか思えなかった。
戦いに集中しつつも、ミルルカは心中で歓喜の声をあげていた。
確かに、色々と痛々しい状況ではあるが、この攻撃力と機動力は、彼女にとって最高だった。
ちょっと――かなり恥ずかしい恰好ではあるが、この力との引き換えなら、我慢するしかないと思えてくるほどだ。
そう、それは、酔いしれるほどに隔絶した力だった。
――さて、この後の展開をどうしたものか……奴の動きは完全に見切れる。サクッと終わらせるべきだろうな。
トトと融合することで、神の如き力を手に入れたミルルカは、拓哉を倒すためのシナリオを考え始めた。
というのも、既に彼女が優位に立ち、黒い機体の彼方此方にダメージを与えていたからだ。
未だ決定的なダメージこそ与えてはいないが、拓哉の機体は、既にかなりの損害が蓄積されていた。
『向こうはもう一段階ギアを上げてくるんちゃ』
融合したことで、トトの言葉が肉声ではなく、頭に直接響いてくる。
そう、後部座席はもぬけの殻だ。トトは、ミルルカと融合することで、自分の姿を失っている。
ただ、間違っても、ミルルカが身につけている恥ずかしい服になっている訳ではない。
そのトトからの指摘に対して、ミルルカは首を横に振る。
「だが、今の私なら、奴が一段階パワーアップしても対処できるぞ。それに私の考えだと、奴はギアを上げてこないだろう」
『どうしてそう思うん?』
「こちらの奥の手が、これで終わりだという結論が出せないからな。もしパワーアップするにしても、いよいよ切羽詰まってからだろう。そして、奴がギアを上げた瞬間が、この戦いの終わりになるだろう」
『じゃ、どうするん?』
「奴がギアを上げたくなるようにすればいい。という訳で、ガンガンいくぞ!」
『了解なんちゃ!』
――悪いな、鬼神。ちょっとインチキ臭い手だったが、これで終わりにしてやろう。だが、ドライバーとしての技量は、私よりもお前の方が上だったのは間違いない。この対戦では敗北するだろうが、己の技量を誇るがいい。いや、私が褒めてやる。
視線の先で必死に攻撃を避けている黒い機体に、そんな手向けの言葉を抱きつつ、更に苛烈な攻撃を繰り出してく。
――さあ、これで決着だ! 楽しかったぞ! 鬼神! 次はお前の本領を発揮できる機体を用意するといい。その時が、本当の勝負だ。
ミルルカは既に勝利を確信していた。それほどまでに、自分の力が隔絶していると感じていた。
――ピンチ……そう、ピンチなのよ。大ピンチだわ。このままだと、私が火炎女のメイドに……
戦闘とは全く関係のない考えが、クラリッサの思考を遮った。
そう、この戦いで負けた方が、メイドになるという賭けをしてしまったのは、誰でもないクラリッサ本人なのだ。
最悪の状況を前にして、彼女は顔を青くしていた。
ただ、それも、コックピット内の照明で掻き消されている。
――ダメダメ。今は戦闘中よ。集中しないと。
頭を振り、必死に雑念を振り払う。
そんな彼女の瞳が、また一つ嫌な報告を映す。
――ちょっ、また……
「左腹部にダメージ。損害率三十パーセントを超えたわ」
避けきれない攻撃を必死にカバーするのだが、サイキックシールドでは、直接攻撃を完全に遮断することができない。
それは、初めから分かっていることだ。しかし、拓哉の力を信じていた彼女は、まさか、こんな展開になるとは想像もしていなかった。
それ故に、より一層、彼女に焦燥感を抱かせる。
――タクヤ……早く、早く決断しないと手遅れになるわ。
雨水が貯水池に貯まるように、クラリッサの中で不安が募っていく。
しかし、いよいよ不満を口にする余裕がなくなっていた。
なにしろ、ミルルカの攻撃は、これまでに見たことがないほどの速度と威力で襲い掛かるのだ。
それは、クラリッサの全力を以てしても、防ぎ切れなくなっていた。
ところが、そんな状況で、ミルルカの攻撃は、これでもかと言わんばかりに苛烈さを増した。
――どうやら、止めを刺しにきたようね。
あまりの劣勢に、思わず諦めそうになった時だった。
拓哉の声が耳に届いた。
「クラレ、ブーストモード起動!」
「やっとだわ。遅いわよ、タクヤ! ブーストモード起動」
最悪の展開で、拓哉がブーストモード起動の判断をくだした。
イライラとしていたクラリッサは、思わず愚痴をこぼすが、即座にブーストモードを起動させる。
次の瞬間、コックピット内が真っ赤に染まる。まさに、緊急事態だと言わんばかりだ。
クラリッサの前に並べられた複数のモニターに、ブーストモード完了のサインが表示される。
「起動完了!」
クラリッサがそういうや否や、機体のモーターが、これまでと打って変わって悲鳴のような唸り声を上げる。
それを気にすることなく、我が身のように機体を操作する拓哉は、連続して繰り出されるミルルカの攻撃を避けると、即座に赤い機体の碗部をブレードで切りつけた。
ところが、ダメージ判定は、彼女の望むものではなかった。
――マジなの? これでもダメなの?
眼が追いつかないほどの速度で繰り出された拓哉の攻撃は、物の見事に避けられてしまったのだ。
この時、クラリッサは敗北を覚悟した。いや、敗北することを確信してしまった。
――勝った……あの異常とも言える黒い機体をとうとう仕留めた。私が勝利したんだ。
あの殲滅の舞姫を打倒した鬼神を、自分の手で打ち負かしたと確信した。
ミルルカは、思わず歓喜の声をあげそうになってしまう。
「やった――」
吐き出されそうになった彼女の言葉は、途中で飲み込まれる。
ミルルカの攻撃の苛烈さに限界を感じたのか、黒い機体が一気に加速した。
それを目の当たりにして、奴がギアを上げてきたのだと直ぐに気付いた。
それこそが、自分の待ちに待ったチャンスだった。
そう、ギアを上げた拓哉のスピードは、彼女の想定を超えるものではなく、予定通りにことを進めた。
拓哉は、ミルルカが放った蹴りと突きのコンビネーションを神懸った俊敏さで躱すと、すかさず右に装備している高周波ブレードで反撃した。
その攻撃は、今の彼女にとって、全く脅威になっていなかった。
笑みを浮かべて、その攻撃を苦もなく躱わす。そして、止めの一撃をぶち込んだはずだった。
終止符を打つべく機体を操作したはずだ。ところが――
――どうしてだ……
次の瞬間、吹き飛んでいたのは、ミルルカだった。いや、ミルルカの赤い機体だった。
吹き飛んだ先では、背後からのダメージを食らい、前に吹き飛ばされた。そこには、なぜか黒い機体が待ち構えていた。
ミルルカは完全に状況を見失っていた。それは、彼女のみならず、トトも同様だった。
「インチキなんちゃ。あの黒い奴は、一機じゃないんちゃ」
かなり動転しているのだろう。支離滅裂な苦言を口にした。
ただ、その気持ちは、ミルルカに理解できるものだった。いや、彼女も同感だった。
ただ、何を言おうとも、目の前の表示は変わらない。
そう、全てのモニターに表示された『戦闘不能』の文字は、彼女達に敗北の二文字を刻み付けた。