4.とにかく走って行くのです
久しぶりに自分の足でアクセルを踏み、手でハンドルを握ると気持ちが少し落ち着いた。免許を取って5年ほど経つが、最後に手動運転で車を走らせたのはいつだっただろう。楽なのにかまけてすっかりサボっていたから、動かし方を忘れていたら嫌だなと思ったものの、身体は存外スムーズに動いた。脳みそが運転の仕方を忘れても、身体は覚えていてくれるかもしれない。実体験を得たいわけでは全くないけれど。
連絡先に指定されていた研究施設は、自宅から車でおよそ30分程度でつく距離にあるようだ。なんという僥倖。とんでもなく遠いところじゃなくて良かった。
テウメッソス人の居住区域はいろんなところに点在していて、私の住む町の近くにもちんまりとはあったようだ。研究施設もその居住区域の中にあるわけだが、よっぽど物好きな人でないかぎり家を建てようなんて気にはならないような、山の中だったり森の中だったり、とにかく辺鄙な場所が選ばれている。地球人に遠慮でもしているのだろうか。あるいは、地球人がそういう生活を強いたのか。
外灯がどんどん少なくなり、明かりはほとんど車のヘッドライトしかない状態で、森の奥深くへと入る。本当に場所は合っているのかと不安になりながらも、そういえばここは一度通ったことがあると気づいた。そうだ、初めてルナールと出会った時通っていた道だ。彼はこの辺りから逃げてきたんだろうか? それにしても何のために?
「あった……」
鬱蒼と茂る木々の葉は、眼前に重苦しく垂れさがっていたが、ふっと開いた場所に出た。柵が張り巡らされた中心には巨大な白い建物があり、煌々と光が灯っている。私には読めないミミズののたくったような文字――恐らくテウメッソス人の使うもの――で何か書かれているが、多分施設の名前なのだろう。明るい場所に導かれるようにして車を進めると、警備員が現れ前方に立ちふさがった。
ウィンドウを下げ、私は頭をひょいっと突き出す。
「どんなご用件です?」
警戒心もあらわに、男にじろっと見下ろされた。まあそりゃ警戒するか。冷静に考えると、訪問するには常識を疑われるような時間なのだ。
「責任者の方と話したいんですけど」
私にしては上出来なくらい高飛車な態度だった。警備員は当然ながら面食らう。
「一体なぜ?」
「ルナール……えっと、テウメッソス型なんとかシンドロームについて知っていることを話したいの。だから」
「だから、それはどんな話なんです?」
「それあなたに言って理解できるのかしら?」
かなり失礼な物言いだったけれど、警備員はごもっとも、といった顔で「少々お待ちを」と言い置き、インカムで何か話し始めた。
「……担当者が話します」
憮然としながら、警備員はゲートを開けてくれた。ごめんね警備員さん、私も必死なんだ。
ゆっくりと車を前に進め、玄関口のように思える場所の近くに停める。ロックをかけると、ちょうど中から人がやって来た。頭の禿げあがった、でも両脇にちょびちょび白髪が残っているおじいちゃんだ。
この人もテウメッソス人なのかしら。キツネになったらどんな毛並みになるんだろう、失礼だけど。
「やあこんばんは、シニョーラ」
テウメッソス人は挨拶する時、シニョールないしはシニョーラと呼びかけるのが普通なのかしら。先ほどの無遠慮なイメージをパパッと取り払い、なるべく愛想よく見えるように笑ってみせる。
「ごめんなさい、こんな夜遅くに押しかけちゃって。そのう、ニュースでやってたの見たら、つい黙っていられなくて」
「どんな時でも客人というのは嬉しいものじゃて。さあ中へ」
人懐っこい笑みで、老人は建物の中へと誘った。
促されるまま、ポーチを通って研究施設の中に入る。不思議なほど無臭な場所だった。白一色で塗り固められた、人工的で、機械的なまでに清潔な廊下。人の気配はほとんどしない。
老人は、スタスタと軽い足取りで私の前を歩いた。それにくっついて行くと、大きなエレベーターに乗せられる。とてもゆっくり動いているのだろう。上に行ってるのか下に行ってるのか分からない。それでも液晶の表示はどんどん数字を大きくしていくから、多分上昇中だ。
するーっと滑るようにエレベーターの扉が左右に流れた。例のスタスタした歩き方で、老人は私の前を行く。相変わらず目に沁みるくらい真っ白な廊下を進み、ある一室のドアを開けた。
「さあどうぞ」
見たところ、老人の仕事部屋、みたいなところだろうと察した。こじんまりとした棚の中にはぎっしりと何かが仕舞われているが、恐らくはデータを書き込んでいるディスクだ。下ろされたブラインドも壁も真っ白。けれど机はステンレス製なのか銀色で、床のタイルは薄緑色をしていた。
「狭いところじゃが、どうぞお掛けになって」
黒い革張りのソファに、私は腰を下ろした。このまま埋まっちゃうんじゃないかと心配になるくらい身体が沈んだが、別に私が重いせいではない……と信じたい。
老人は部屋の隅に設置されたコーヒーメーカーをちょこちょこいじり、温かいコーヒーを出してくれた。一口飲むと、砂糖の甘さが身体にじんわりと広がる。久しぶりに自分で運転したから、ちょっと疲れているのかもしれない。
「それで、シニョーラ。テウメッソス型アムネスティックシンドロームについて何かご存じだとか?」
「はい、そうなんです」
コーヒーカップをローテーブルに置いて、居住まいを正す。
「あ、いえ違うんです」
老人は首を傾げた。
「待って、えーと、そうなんですけどちょっと違うんです。実は、アムネスティックシンドロームのウイルスを保有していると言われている、テウメッソス人について訊ねたいんです」
パチパチと茶色の目を瞬きさせながら、老人はふむふむと低く呟いた。
「つまりわしらがシニョーラに教えを乞うのではなく、シニョーラがわしらから情報を得ると」
「知っていることはあります。そのテウメッソス人を、私は一度保護したことがあるんです」
私はルナールと出会ったこと、一週間ほど同棲のようなものをしたことを老人に告げた。
「教えて下さい、ルナール……彼は今どういう状況なんですか? ウイルスは彼自身に何か影響あります?」
老人は自分のコーヒーを一口飲んで、喉の調子を整えた。
「テウメッソス型アムネスティックシンドロームが感染型の病気であることはもうご存じじゃろう。これはまっこと不思議な病でな、100年前、わしらの母星で流行ったが、その後根絶したと思われていたものなんじゃ」
「根絶した……ってことは、じゃあ治療法はあるんですか?」
「ある。あるが、地球ではできん。母星に帰ってワクチンをウイルス保菌者に投与せにゃ治らん」
「そんな! あなた方の星に帰る方法はあるんですか?」
「うむ……15年前この星に来た時に使った宇宙船がまだ使えるでな」
宇宙船。
私は物語の中でしか聞いたことのないようなものを耳にした。それくらい現実感の伴わない単語だった。
「ワクチンがないと、ルナール……ウイルス保菌者はどうなるんです? 他の感染者は?」
「他の感染者はじゃな、一定期間時間を置くと自然に治癒する。もともと保菌していたウイルスは、長くは他者の身体で生きて行けんのじゃよ」
「放っておいて大丈夫なんですか?」
「当面は物忘れで悩むじゃろうが、まあ軽微なもんじゃ。あの感染病の健忘の特徴は、本人が“どうでも良い”と思っていることから徐々に忘れていく。大事なことを忘れそうになる頃にはまあ大体治ってることが多いのう」
その事実は少なからず私に動揺をもたらした。じゃあ職場の上司は私にどうでも良いと思っている仕事を頼み、友人は私との約束をごく些細なことと思っていて、ババアは私の名前なんて洟もひっかけない。つまりそういうことなのだ。
「だが、ウイルス保菌者は違う。何から忘れていくか見当もつかん。身体のどこかで保菌者はウイルスを増殖させ、まき散らし、失った記憶は二度と戻らん」
「え……」
言葉を失ってしまった。ルナールは、私と会った時名前を忘れたと言っていた。あれもウイルスのせいなのだろうか。
「ワクチンを打っても記憶は戻らんが、これ以上被害を拡大させることもなくなる。そういうわけで、彼を我々は追っているのじゃよ」
老人はどこか憐れみを込めた眼差しをしていた。
でも、憐れまれたって彼の失われたものは戻ってこないのだ。
「彼をここに連れてくれば、何とかしてくれます?」
「もちろんじゃ。100年ぶりに見た症例、久しぶりに腕が鳴るわい」
私はきょとんとした。この老人、せいぜい70歳程度かと思っていたけれど、見た目以上にお歳を召しているらしい。
「……いろいろと教えて下さってありがとうございます。私なりに、彼のこと探してみます」
老人のにこにこ顔に見送られ、研究施設を後にした。出る時に例の警備員さんに胡乱な目をされたけれど、今はそれどころではない。相変わらず私は手動運転モードで、暗い森を突っ切った。
待っていてね、ルナール。




