3.オートマティックの墓場
仕事帰り、スーパーで買い物をしているルナールを見かけた。
彼は貸してあげた男物の洋服を着ていた。セーターにジーンズ。靴はないから、細部がほつれかけているルームスリッパを履いていた。もう肌寒い季節だというのに、そういえばコートがない。精肉コーナーをぐるぐる歩き回る彼はきっと裸足だから、きっと足先から冷えてしまうだろう。ちゃんとした靴と上着を用意してあげないと。
「よっ」
鶏胸肉のパックを2つ取って、矯めつ眇めつ見比べていたルナールの背中にポンと手を置いた。
「やあ、おかえり」
「ただいま。私はこっちが良いと思うなあ」
「いいや、こっちだね」
私の意見をあっさり却下して、ルナールは鶏胸肉のパックをかごに入れる。こと食べ物に関しては彼のセンスの方が私よりも優れているようなので、特段憤慨もせず肩を竦めるだけにしておいた。
会計を済ませ、二人並んで帰路に就く。誰かと一緒に自分の住処に向かうというのは、なんだかとても久しぶりで、妙にくすぐったい。まあ、相手はキツネ姿の女の子以外に、そういう気持ちにはならないようだけれど。
フラットに着いて、早速ルナールは晩ご飯の準備を始めた。その間に私は化粧を落とし、部屋着に着替える。今日は何か面白いニュースでもあっただろうかと、テレビのスイッチを入れた途端、キンコーンというインターホンが鳴る音がする。
こんな時間になんだろう。私は矢継ぎ早にいろいろな拒否の言葉を思い浮かべた。
新聞いりません牛乳配達いりませんお水いりません化粧水いりません通信講座は受けません!
どうだ! と半ば挑みかかるような気持ちで、チェーンをかけたままドアを開けると、外には予想外の格好をした男が立っていた。しかも二人。男たちは、見たことのないデザインだけど、一見して「公的機関に所属している」ことを表すような制服を着ていた。公的機関、すなわち警察のような。
「こんばんはシニョーラ」
ひええ。シニョーラなんて呼ばれたのは初めてだ。
警官のような男たちの一人がにっこりと人好きのする笑みを浮かべ、ずいっと身体を前に出す。
「今少しお時間を宜しいですか?」
「はあ」
「私はテウメッソス人居住区域を担当している警察の者ですが」
ぴくりと眉毛が動いた。テウメッソス人の警官?
咄嗟にルナールのことが思い浮かんだ。もしかして彼、悪いことでもして追われてるのかしら。
「あなたが先日テウメッソス人の一人を保護したという情報を得たのですが、それは本当ですか?」
「えーと、まあ、そのう」
「こういう男です」
人相なんて覚えて無くても、自分がテウメッソス人を拾ったかどうかなんて忘れようもなさそうだ。けれど警官は私に写真を見せた。予感していたとおり、映っていたのはルナールの顔だ。カメラに真っ直ぐ視線を向ける茶色の目と、キツネ色の髪。
「あー」
ちらっと後ろを見る。もう白状したようなものだけれど、ルナールを彼らに引き合わせるのは何となく抵抗があった。言葉にはならない、直感のようなもので。ピッキーン。
視線を向けた先で、息を潜めたルナールがじっとこちらを見つめていた。私と目が合うなり、「やばい」という表情をする。一瞬後に彼はくるりと背を向け、奥に引っ込んだ。
「おい! 待て!」
シニョーラと恭しく呼びかけてきた時とは一転し、警官は乱暴な動作でドアをグイッと引っ張った。壊れちゃう! と思った時には手遅れで、チェーンは弾け、千切れてしまう。
テウメッソス人って、腕力すごいんだな。頭が真っ白になっている私の横を、二人の警官が断りもなしにドカドカと通り過ぎる。
「くそっ、取り逃がした!」
またドカドカ言いながら警官は嵐のように部屋から出ていく。ドアのチェーンを壊したことを謝っていかなかった、というのは全く気にならなかった。リビングに行くと、彼が着ていた洋服が脱皮したみたいにクタッと落ちている。多分キツネに変身して逃げたのだ。
ひゅーひゅーと風が部屋の中に吹き込んでいる。開け放たれた窓を閉め、しっかりと鍵を閉めた。いや、もしかしたら開けておくべきだろうか。
こんなことを悩むなんて馬鹿げている。彼はもうここには戻ってこないだろう。それだけははっきりしていた。
部屋の中に取り残された料理は冷め始め、テレビから流れてくる音声だけが、虚ろに響いた。
ルナールを一週間とはいえ住まわせていたのだから、警官が彼を追っているなら何かしらの事情聴取なるものが為されるのでは、と思っていたけれど、うんともすんとも聞かれなかった。別に不満であるわけではないけれど、おかげでこの一週間が、私の中でぽっかりと浮遊している。まるで夢の中の出来事のように。
まあでも良いじゃない、と自分に言い聞かせてみた。テウメッソス人にはテウメッソス人の事情があるわけで、それと同じように私には私の仕事やプライベートが――たとえ軽んじられる日々の積み重ねだとしても――あるわけで。気持ちの整理をつけるために、私はクローゼットの中のものを掃除した。シャツやらズボンやら下着やら、よくもまあ着もしない服を取っておいたものだ。
そういえば、どうして捨てなかったのだろう。多分、しまっていることを忘れていただけなのだ。そう思おうとして、ふと、これをかつて着ていた人の顔が、上手く頭の中で像を結ばないことに気がつく。私はあの人の顔も忘れてしまったんだなあ。
人が他人について、最初に忘れてしまうものは声だと聞いた。声から忘れて、顔を忘れて、仕草や温度や、思い出も記憶から薄れていく。そうやって他人は、己の中で死んでいく。逆に匂いだけは何度でも記憶から蘇るらしい。試しに鼻を服の中に埋めてみたけれど、埃っぽさでくしゃみを誘発しただけで終わった。なんだ。あの人は、私の中からはとっくにいなくなっていたんだなあ。
ゴミ袋に一切合財を詰め込んで、フラットに備え付けてあるダストボックスに投げ入れた。ああスッキリ。
部屋に戻ってテレビをつけ、ニュースをダラダラ眺める仕事に専念した。最近はあまり大きな事件がない。地元のどこそこで何とかフェスティバルをしたとかいう話を、キャスターが微笑みを交えて読み上げている。
もう寝ようかな、と思った矢先、そのニュースが飛び込んできた。
『……先日から報じられております“テウメッソス型アムネスティックシンドローム”について、新たな情報が入りました』
テウメッソス、という言葉に注意を引かれた。
『現在この“テウメッソス型アムネスティックシンドローム”は、テウメッソス人が保有するウイルスに感染することにより、多くの人に影響を及ぼしているようです。医学界ではこの新型ウイルスに対抗するため、様々な試みがなされていますが、現段階では予防措置やワクチンなど、すぐに用意することはできないとのことです』
テウメッソス人が保有するウイルス?
まじまじとキャスターの顔を見つめる。まるで見つめれば私の疑問に答えてくれると思っているかのように。
『また、アムネスティックシンドロームを引き起こすウイルスを保有している個体は、一体のみ判明しており』
画面にパッと見知った顔が現れた。
「ルナール!?」
思わず声に出してしまった。
『このテウメッソス人にお心あたりのある方は、お近くの交番、警察署、または下記研究施設までご連絡下さい』
猛然と小型端末機のネット画面を立ち上げて、かつて無いほど俊敏にキーを叩いた。
テウメッソス型アムネスティックシンドローム。キャスターの口ぶりでは、少し前から取り上げられているらしい。玉石混交とは言え、情報の量は地上波よりもネット回線の中の方が潤沢なのは明白だ。とにかくそれらしいページを開きまくり、内容を読み漁る。
調べてみると、それは感染型の健忘症ということが分かった。先月辺りからテウメッソス人居住区域を中心に感染が広まり、今や大流行を催しているらしい。ウイルスは空気感染するものだが、発熱や下痢など体に不調を来す類のものではなかった為、発見しづらい。「最近やたら忘れっぽい」と若年性健忘症を疑った患者が、医療機関に診てもらったところ、脳に“妙なところ”を発見した医者が新種の病気であることに気づいたのだ。
――確かに最近周りの人たちが忘れっぽいと思ったけど。
まさかウイルスが原因だなんて。
そして最も注目するべき点は、今のところウイルスを抱えているのはルナールただ一人で、テウメッソスの警官やら医療者やらがこぞって保護しようと躍起になっているということ。めちゃくちゃ私に関わりあるじゃないか。なんで誰も私に事情を聞きに来ないんだ?
もしかして、それも忘れられた?
連絡先とされた研究施設の場所は、ネットにも記載されていた。それをパシャッとスクリーンショットに納め、トレンチコートを羽織って車に飛び乗る。メールや電話で済ますつもりは毛頭ない。嫌がらせみたいにあれこれ聞いてやる。
行き先を入力するが、どうやらテウメッソス人の研究機関は、地球人の車ではナビゲート出来ない場所に設定されているらしい。仕方なく、私は自動運転モードではなく手動運転モードに替える。
とても久しぶりに、私は自分の手でハンドルを切った。




