孤独少年時雨くん
私の名前は渡辺さん。卓越したバランス感覚で赤点を回避し続ける現役女子高校生だ。
「12月かぁ……」
「12月だね……」
「ところでお二人さん、クリスマスのご予定はお決まりかなー?」
「東谷さん、唐突に言葉のナイフ投げんのやめよ? ないよ?」
「え、茅吹くんは?」
「いや順調だよ? 順調だけどさ、肝心な所はまだぼんやりふわっとでやってるから……クリスマスに一緒するって、それもう完全にそういうアレじゃん。ダメだって。まだ。経験値足りてないよ」
「めっちゃ早口になったな」
「ちなみに当日予定ない子は東谷主任とクリスマスデート確定ねー。ランドかなー? シーかなー?」
「うわっ、やめなよそれめっちゃ惨めになるやつ! で、でも東谷さんが誘ってくれるなら私は……!」
「私は予定あるよ。期待薄だけどね」
消極的に肯定したのは宮内さん。まぁ彼氏持ちとしては当然だけど、この場合はだいぶ事情が異なってくる。
「へぇ……あの時雨くんにしては手が早いね。ギリギリまでごねるかと思ってたけど」
「そりゃあひと月も前から催促しまくるうるさいのが1人いるしね」
「ねぇ神田さんがめっちゃ笑顔でこっち見てるんだけど……聞こえてるぞって顔が言ってる……」
「聞かせてんだよ。ほっとけ」
「こっわ……」
「でもハーレムともなるとこういう時大変だねー。みんなに平等にってのも無理だし、誰か1人に優しくしようにも他2人の顔色が気になるし」
「どうせ逃げるよ、あのヘタレは。いっつもそうなんだから……すぐ気が滅入るようなことばっかり並べて、言い訳して……いいじゃん、好きなんだから……!」
「ねぇ宮内さんスイッチ入ってる所悪いんだけど、すぐそこで時雨くんが居心地悪そうな顔してるからやめてあげて……っていうかやめよう? 教室でこんな話……」
「そっちも聞かせてるんだからいいんだよ! 普段いじり回して遊んでるくせに、いざ許したら日和りやがって……生殺しかよ!」
「そういう生々しい話もやめよっか……」
どうやら宮内さんは相当に溜め込んでるらしい。私といちゃいちゃすることで、少しでも発散できていればいいんだが……
「それよりナベちゃん? クリスマスのこと、茅吹くんにちゃんと言わなきゃダメなんだからねー。来年は3年生だし、色々あるんだから……」
「ぐっ……! う、うるさいっ! 私は宮内さんと違って、あいつじゃなくたっていいし! 相手なんていくらでもいるんだからな!」
「ちょっと待って。私のこと、あいつがいないと生きていけないみたいに言うのやめて」
「事実じゃん! 最近はちょっと不安になるたびに私に泣きついてくるくせに! 逃げられたらどうしようー、愛想尽かされたら私死ぬー、って、ダメ男に貢ぐ女みたいに!」
「ちょ……っ!? やめろよ教室でそんなこと言うの!!」
「事実じゃーん!」
「いや、じ、っ事実だけど!! 事実だけど言うなよぉ……!」
「おぉー。時雨くんがすごい形容しがたい顔してるー」
「そうだよな……自分ではよくいじるけど、他人にいじられてるの見るのは複雑だよな」
「……私トイレ」
宮内さんはあまりのいたたまれなさに教室を逃げ出してしまった。ちょっとやりすぎたかもしれない。最近よく頼ってきてくれるのが嬉しくて、魔が差してしまった。
「……ナベちゃん?」
「あぁ、後で謝っとくよ」
「そうじゃなくて、茅吹くんのこと。嫌いな訳じゃないんでしょ?」
「そりゃ、何度も言ってるだろ。素直な後輩を嫌いになる訳ないって」
「ナベちゃん?」
「……あいつ、私のことすごく褒めてくれるんだよ。私のこと好きって、何度も言おうとしてくれるんだけど、私が困るから言わないんだ。いつもニコニコ笑って……私はあいつに何もしてやれてないのに……」
「それは優しいんじゃなくて、単に駆け引き上手なだけじゃないかなー……」
「そうなのか? 私、あいつのこと、よく分からなくて……」
「でも、ナベちゃんとしても……嫌いじゃない、だけじゃないんでしょ?」
「……好きだよ……好きだけどさぁ……」
言葉にした途端、自分の中に渦巻く様々な感情に飲み込まれそうになって、口をつぐむ。難しいんだ。とにかく、難しい。当たって砕けるのは、臆病者の私にはとても……
「……そういうの、ミヤちゃんにも打ち明けられれば言うことなしなんだけどねー」
「東谷さんだから言えるんだって。……ひょっとして宮内さんにもこんな風に相談されてたり……?」
「最近はナベちゃんに行くけどねー。あたしにしてみれば、嬉しくもあり、寂しくもありって感じだよー……」
「東谷さん……私、絶対東谷さんのこと1人になんてしないから。彼氏ができても東谷さんを一番に考えるから」
「それはダメだよ……嬉しいけど」
苦笑ぎみに笑う東谷さんは、やっぱり私なんかよりずっといい女だった。切実に幸せになってほしい。
その日の放課後、日直の仕事を終え、帰路につく私の前に現れたのは、意外な人物だった。
「よう、タナベ」
「……渡辺だよ」
「おう。渡辺」
「時雨くん、まだ帰ってなかったんだ。てっきり……」
「宮内はさっさと1人で帰ったし、神田は撒いてきた」
「それで、私に何か用?」
「いや。偶然見かけたから声をかけただけだ」
……おかしい。時雨くんと私は全く仲良くないし、むしろ険悪と言っても良いくらいだ。私から宮内さんを奪うにっくきあんにゃろうなんて、私は大嫌いだ。
そんな私に、お世辞にも社交的とは言えない時雨くんが、用もないのに声をかけてくるなんて……明らかに不自然だ。
「休み時間に話してたのが聞こえて、ちょっと気になってな」
「……そんなに声、大きかった?」
「知らなかったのか? ぼっちは耳が良いんだ。自分への陰口がちゃんと聞こえるようにな」
「…………」
「……あぁ。言いたい事は分かる。ぼっちってのは言葉の綾だ。いや、そんな事はいい。それより……」
時雨くんは辺りに誰もいないことを確認すると、小声で言った。
「……好きな奴がいるって、マジか?」
……何だろう。今無性にこの男を殴りたくなった。これはもう……いいよね、殴っても……?
そんな私の顔を見て、時雨くんが慌てて説明を付け加える。
「い、いや! 待て、違う! 俺はただアドバイスをしに来ただけなんだ! いや、それも変な話だが……宮内が……! あ、いや違う! ……いや、やっぱり違わない! そう! 宮内がいつも世話になってるみたいだからな!」
「はぁ……で? 言いたいことは何?」
「あ、あぁ、そうだな……俺は昔、女の子と混浴した事が……」
「それは前に聞いた」
「す、すまん……あれ、話したっけ?」
「話の引き出しが少ないやつは嫌われるよ」
「なんせぼっちだからな……ってあぁ、すまん……」
「……はぁ」
彼を前にため息をつく。なぜこんな男がモテているんだ……分からない。世の中が分からない……
時雨くんが大げさに咳払いをして仕切り直す。格好ついてないからな、それ。
「つまり俺が言いたいのは……好きな奴にはぐいぐい行けって事だ」
「ごめん。私帰っていい?」
「まぁ聞けよ」
うるさい。今私の中で巻き起こっている、『お前が言うな』の大合唱を叩きつけないだけ、私は温情がある方なんだぞ……!
もはやイライラを隠そうともしない私を前に、時雨くんは飄々としている。こいつ、分かってないのか……?
「考えてもみろ。お前、好きだなんて言える奴に、今まで何人出会った?」
「そんなやつ滅多にいないって言うんでしょ」
「違うな。いたはずなんだ。でも今はもう忘れてる。そいつの顔や、名前すらな」
「時雨くんはそうかもね」
「そうだな。俺なんて恋愛慣れしてない上惚れっぽいから、今まで何人そんな奴がいたか分からん」
「……は?」
「そういうもんだって事だ。この歳でこんな事言う奴は少ないだろうがな、人生は長い。飽きるほど長い。それでいて俺たちが知覚できるのは、この今だけなんだよ」
……突然何を言い出すんだこいつは?
私は内心、時雨くんに対する認識を根暗から変人へとシフトする。正直ドン引きだ。危ない人なんじゃなかろうか。
それでも、無視して立ち去る事はできなかった。なぜなら……彼の言うことは間違っていない、そう感じたからだ。説明できないけど、でも、確かにそんな気がする……忘れているんだ。好きだった誰かのことを……
「過去の事なんて、どんどん遠ざかる。好きな奴がいつしか、好きだった奴になり、忘れるのなんてすぐなんだよ」
「……だから忘れない内に告白しとけって?」
「そうだ。別れはいつかやって来る。それは想いが通じようが、そうでなかろうが、必ず来る。そういうものだと納得できるくらいの好意なら、それでいい。別れが嫌なら、せめて足掻け。いつか忘れてしまわないように。それだけだ」
「……お前が言うな」
「俺は良いんだよ。あいつらを手放すつもりなんてないからな。忘れる訳がない」
「別れは来るんでしょ?」
「そう思ってる奴にはな」
あっ、悔しい……! 少しだけ笑ってしまった……
「……引き止めて悪かった。そろそろ神田に見つかりそうだから、俺は帰るよ。じゃあな」
「うん。宮内さんにお礼、言っといて」
「……何の事やら」
時雨くんは隠し事が下手だ。デリカシーもない。でもたぶん、優しいんだろうなと、そう思った。宮内さんとも、きっと上手くやって行けるはずだ。きっと……
私は、どうなんだろう……
「……なぁ、茅吹くん」
「何です? 先輩」
「私って、優しいかね?」
「先輩は優しいですよ。友達付き合いとか、普通はもっと冷めてるものだと思います」
「あれは違うよ。優しさなんかじゃない。本当に優しいってのは、君みたいなやつのことを言うんだぞ、茅吹くん?」
「僕は違いますよ。特に先輩には、優しくした事ないです」
「じゃあ君のそれは何だって言うんだい?」
「100%下心ですね」
「君ならそう言うと思ったよ……」
相変わらずつかみどころのないやつ……いや、きっと本心なんだろうけど、それを意識したらダメだ。考えちゃダメだ。こっちがやられる……!
「……なぁ、私たち、上手くやれると思うか?」
「また先輩はそんな……今でも十分上手くやれてるじゃないですか」
「いーや。現に君には下心があるじゃあないか! いや、それが悪いって訳じゃなくて、悪いのはむしろ私の方だけど……! でも……一方に不満のある関係ってことだろ?」
「そうですか? 僕は割と満足してますけど。人間である以上、全部欲望に従ってたらもちませんよ。主に先輩の体が」
「いや、だからってこのままって訳にもいかないだろ。いつかはその……別れは……っ」
思わず、小さく出かかって俯いた。これは、言っちゃダメだ。言葉にしてしまったら、本当に……
「……あの、先輩が誰に何を吹き込まれたのか知りませんが、先輩がそんな事を怖がる必要はないんですよ」
「分かってるけど……! 私は……忘れられたくない……」
「忘れませんよ。でも、そうですね……」
茅吹くんは諭すように私に語りかける。顔を上げた私に、今日の日付を訊ねるような気軽さで、言った。
「先輩、クリスマスの予定、空いてます?」
「……空いてる」
そこにあるのは、優しさか。はたまた、愛か。