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7.助けて欲しいの、竜王陛下

 ウィルディーチ王国の中央には、『大陸のへそ』と呼ばれる深い谷がある。

 人も獣さえも踏み入れぬ谷は、覗き込んでも底が見えぬほどどこまでも深い。

 時折、谷底から強風が吹き上げ、切り立つ岩壁を侵食していく。

 岩壁には横穴が無数にあり、洞を竜は住処としていた。

 上層部は城として竜王をはじめとする強者が住まい、中層へ行くほど弱者の住処になる。

 最下層は掟破りの無法者を幽閉する牢獄として設けてある。


 その日、谷底から唸りをあげて、いつになく激しく風が吹き上がった。

 塵にまぎれていくつもの黒い影が空へと放たれる。

 

「今日はまた一段と派手じゃな」


 竜王城の改修作業を取り仕切る老竜のバトラーは、天を仰いでひとりごちた。

 作業員の竜たちが各々変化を解いて飛び立つ。

 そのうちの二体が、上空を旋回し、その後谷の下層へと降下した。

 やがて、バトラーの元へと報告に戻ってくる。


「岩牢が破られ、ユヴェニス様が逃亡されました」


「獄卒まで借り出しておったからのう。猫の手も借りたいというに、全く手を焼かせおる。急ぎ陛下にお伝えし、早々に連れ戻すのじゃ」


「承知致しました」


 頭を垂れて再びニ体は空へと上がった。

 バトラーはやれやれと溜息をつくと、背後の城を振り返る。

 そこには、岩壁から見事に美しく彫り出された城門が構えていた。

 竜体のままでも通れるほどの巨大な門だ。

 数週間前は、ただの岩壁にぽっかり口をあけただけの洞穴であったのだが、見違えるほどの出来栄えである。

 

 もともと彼らの城は、絶壁を穿ち、各部屋を最低限に整えただけのものだった。

 部屋には窓もなければ灯りもない。

 彼らにはそれで何の不自由もないのだ。

 しかし、王が人間から奥方を迎えるとあっては、そうもいかない。

 まして、奥方は王を酷く怖がり、人化した姿でさえ怯えるらしい。

 獣じみた城ではさぞ住みにくかろうと、王命を受け、バトラーは改装に着手したのである。

 しかし何分、手を加える範囲が広大ゆえに思うように進まない。

 集められる限りの作業員を招集してようやく外観を整えたところだ。


 そんなわけですぐに花嫁を迎えられぬ王は、留守をバトラーに預けたままいっこうに戻ってこない。 

 

「何事もなければ良いが……」


 呟いてバトラーは溜息をついた。



 

   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇




「行くわよ、カール」


 庭に出たロゼッタは、短く切った太めの木の枝を狩猟犬に見せた。

 名を呼ばれたカールはピクリと耳を震わせる。

 ロゼッタが手にした木の枝を投げてやる。

 同時にカールが駆け出し、回転しながら宙を飛ぶ木の枝を追いかけた。

 それより遅れて小さな影がロゼッタの足元から駆け出した。


「リリアンヌ?」


 小さな体に敏速に動く足。

 瞬く間にカールに追いつく。

 地を蹴り、軽やかに跳躍すると、狩猟犬の頭部を踏み台に、回転しながら宙を舞う。

 見事に口で枝を咥えると、カールの頭上に降りた。


「まあ、リリアンヌ、凄いわね」


 ロゼッタは感嘆して、リリアンヌの頭を撫でた。

 嬉しげに尻尾を振るリリアンヌから木の枝を受け取った。

 その下にいるカールが、「くぅん」と情けなくうなだれている。

 獰猛で活発な狩猟犬が、得意技で超小型犬に遅れを取ったのだ。

 形無しの上に、挙句頭に乗られるという屈辱。

 牙を剥かないのは、本能でリリアンヌの本性を敏感に感じ取っていたからだ。

 そうとは知らず、ロゼッタはリリアンヌを片手で胸に抱き上げると、気を取り直して声をかけた。


「カール、次はあなたの番よ」


 狩猟犬が嬉しげに吼えて立ち上がる。


「それっ」


 先ほどよりも高く遠くへと枝を飛ばす。

 カールが吼えながら走っていく。

 と、その後ろから、小さな犬が疾走し追い上げる。

 腕を見下ろせばいつの間にかリリアンヌが消えていた。


「リリアンヌ、あなたが素晴らしいことは分かったわ。でもカールにも取らせてあげて、可哀想でしょう?」

 

 飼い犬の躾けも主人の務めだ。

 枝を取って戻ってきたリリアンヌに厳しい表情で言い聞かせる。

 分かっているのかそうでないのか、リリアンヌはふるふると尻尾を振るばかりだ。


「いらっしゃい、リリアンヌ」


 ロゼッタはリリアンヌを胸に抱くと、カールの為にもう一度枝を投げてやる。

 カールが枝を追っていくのを確めてから胸元を見下ろすと、リリアンヌがまたいない。

 

「リリアンヌったら」


 溜息をついてカールの方を見ると、調度カールが飛び上がって木の枝を咥えているところだった。

 しかし、そこにもリリアンヌはいなかった。


「リリアンヌ?」


 周囲を見回すがツヴェルク・リッツの姿はどこにもなかった。





 リリアンヌは裏庭に来ていた。

 空を仰ぐと、緋色の生物が滑空している。

 悠然と飛行する姿は竜のものだ。

 こちらに向かってくると、リリアンヌのいるはるか上空から何かを落とした。

 手足を広げてバランスを取る姿は人間のものだ。

 地上近くで四肢を折りたたんで回転すると、優雅に降り立った。

 緋色の長い巻き毛に褐色の外套を纏った男が、リリアンヌを前に膝をついて頭を下げた。


「御前失礼致します。ご報告に参上仕りました」


 人化した男は竜王カイルの側近の一体だ。


「申せ」


「一刻前に、王弟殿下が牢を破り逃亡なさいました。ご不在中にこのような不手際申し開きのしようもございませぬ。バトラー様のもと捜索中にございます」


「親衛を投入し早急に対処せよ、と爺に申し伝えよ」


「仰せのままに」


 側近は頭を垂れたまま後方へと素早く下がると、踵を返す。

 人ならざるものの力で空へと跳躍する。

 一定の高さで竜体へ戻るとはるか上空へと舞い上がった。

 

 超小型犬ツヴェルク・リッツに化した竜王カイルは、すぐさまロゼッタの元へと引き返した。




 

 カイルが庭から離れた直後にそれは起きていた。

 手元にいたはずのリリアンヌが消えて、ロゼッタが辺りを見回していると、そこへ十歳前後の少年がやってきた。

 顔に見覚えはなかったが、屋敷には時折侍女や衛兵の子が訪ねてくる。

 シャツにズボンと簡素な装いもそれらしく見えた。

 ただ、髪と目の色が見たことももない珍しい黒に近い緑色であることが気になった。

 誰の子だろう、と声をかけてみる。


「いらっしゃい。わたくしはアルマンの娘のロゼッタよ。あなたのお名前を教えてちょうだい」


「ユヴェニス。僕と一緒に来て。お姉さん」


 笑った目は、はおよそ少年には似つかわしくないほど悪意に満ちていた。


 この子、なにかしら?


 戸惑う腕を掴まれる。

 刹那、ロゼッタの身体は浮き上がった。


「なっ、なに?」


 ロゼッタは怖くなってそこから逃げようとしたが、見えない壁に周囲を囲まれていた。

 シャボン玉のような無色透明の珠の中に入れられて、それを抱きかかえた怪力少年が垂直に飛び上がる。

 足元の地面があっという間に離れていき、ロゼッタの真上を大きな影が覆う。

 よく見れば、それは暗緑色の鱗にびっしりと覆われていた。

 ロゼッタの身体よりも大きな鋭い爪が伸びてきて、ロゼッタを閉じ込めた珠を掴んだ。

 屋根のように広げられた羽は蝙蝠のような形状で、疑いようもなく竜のものだ。

 その上、足元には何もない。

 屋敷がゴマ粒のような小ささになっている。

 恐ろしすぎて、ロゼッタは激しい眩暈に襲われて気絶した。

 




 嫌な臭いが鼻腔を掠めていた。

 呼吸しても空気が上手く吸い込めず息苦しい。

 ロゼッタは胸を押さえて目を覚ました。

 暗緑色の髪が見える。

 顔は暗くてよく見えなかったが、すぐに先ほどの少年だと思い出す。


「あなたはっ……はぁ、はぁ」


 少し声を出しただけで息が切れる。


「話さない方が良いよ。ここは竜の谷だ。人間のお前には瘴気が強すぎて、呼吸するのがやっとだろう」


「どうして……きゅう、に、はぁ……りゅうおう……陛下、はぁ」


 竜の谷であることは理解できたが、瘴気とはなんなのか。

 話すたびに呼吸ができず胸が苦しくなる。


「ああ、竜王の命じゃないよ。お前を餌にあいつをおびき出すんだ。この僕を千年もの間閉じ込めたんだ。今度こそ決着をつけて族長の座を奪ってやる」


 言いながら少年は、背後に光の射す入り口から奥へと進んでいく。

 


 ロゼッタは洞穴の最奥に横たえられた。

 周りにはあらゆる宝石が山となって積みあがっていた。

 離れていく少年を見ていると、宙が歪んで見えた。

 少年が振り返り、壁に触れるような手つきで掌を見せる。


「ここに障壁が張ってある。外から見れば、ただの岩壁にしか見えないんだ。竜王にだって見破れない。その証拠に、僕がしばらくここを空けていたのに、集めた宝物が手付かずのままだ。つまり、カイルが君を探しにここへ来ても、見つけられないってことだよ」


 不安と絶望がロゼッタを襲う。

 胸を押さえながら目に涙が溢れる。


「おねが……い、やしき……かえら……せて、」


「馬鹿だな。出すわけないだろう。竜王を倒した後に食べるんだから。餌は大人しくしてれば良いんだ」

 

 少年の姿をした竜は薄く笑うと背を向けて去っていった。

 

 どうして、また食べられなければいけないの?


 つい先日会ったばかりの竜王を思い出す。

 穏やかで優しくて、怖くなかった。


 『ロゼッタ、そなたを好いておる』 


 ただ手を重ねて見詰め合った。

 あんなにもドキドキしたのは初めてだった。


 ロゼッタは身体を丸めて顔を伏せると嗚咽した。


「たす……けて、……りゅう……おう……へい、か」




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