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6.口づけよりも恥ずかしい

「リリアンヌ、どこへいってしまったの? リリアンヌ?」


 身支度を整え、出かけようとしていた。

 誰かと約束をしているわけではない。リリアンヌと一緒に近くの花園を散策しようと思っていたのだ。

 ところが、支度をしている間に、いつの間にかリリアンヌの姿が消えていた。

 竜王の贈り物の中から見つけて以来、リリアンヌはいつもロゼッタの傍にいた。

 どこへ行ったのか、いっこうに戻ってくる気配がない。侍女たちも一緒に探すが見つからなかった。

 居室に戻ると、扉を開けた瞬間風が吹き付けてきた。

 閉ざしたはずの窓が開け放たれ、長い黒髪が風にあおられるのが見えた。

 窓の外へ向けられていた顔がゆっくりと振り返る。


「久しいな、ロゼッタ」


 竜王がそこにいた。 

 


「ロゼッタ様、よろしゅうございましたわね」


「え? あの、これは……」 


 突然の竜王の訪問にも関わらず、侍女たちは快く出迎え、出かけるために待たせていた馬車に竜王と一緒に詰め込まれた。

 確かに出かけるとは言ったし、既に支度もしていた。

 だがあくまでも一人で、いや犬のリリアンヌと出かけるつもりだったのだ。

 なのになぜこんなことになってしまったのか。

 揺れ動く狭い車内に、よりによって竜王と向かい合って座っている。

 長身の彼は、椅子に斜めに座り、組んだ長い足を横へと流している。

 膝は当たらないが、ウプランドの裾が彼の長衣に触れているのが気になった。

 

 更に気になるのは結い上げた髪に乗せているコルノだ。

 転生して初めて会ったときは彼を見るなり気絶し、王宮で二度目の再会時は逃げ出した。

 よくよく考えてみれば非礼にもほどがある。

 しかし、一度植えつけられた恐怖心がそう簡単に消えるはずもなく、父の為と思っても自分を食した竜なのだ思い出すと、身体がすくむ。

  

 竜王が窓を開ける。

 強い風が吹き込んだ。


「あっ」


 頭上のそれが風にあおられ、ロゼッタは慌てて手で押さえようとした。

 けれど彼女が手を伸ばした時にはもうそこにコルノはなかった。

 節の太い男の手がコルノを掴み、空けた窓の外へと放り投げた。


 驚いて、振り返ると、そこには穏やかに微笑む髪色と同じ漆黒の瞳があった。

 以前会ったときとは何かが違う。それが何かは漠然としてすぐには分からなかった。


「気に入らぬなら捨ててしまえ」


 何故そんなことを……。


 鋭く見透かされて、ロゼッタは冷や汗をかいてうろたえたが、取り繕うのをやめた。

 何故竜王がそんなことを言い出したのか分からないが、無理矢理フィリップから引き離されて、前世で食べられた人と婚約させられたのだ。


「申し訳ございません。……何も望んではおりません」


 走り出した輿入れ。

 竜王はロゼッタを得るために、既に方々に手を回している。

 今彼女が逃げ出し、竜王を怒らせることになれば、この国は一瞬で火炎に包まれるだろう。

 かつての敵国がそうなったように。

 五百年前、ウィルディーチが隣国に攻め入られたとき、契約を交わした竜王は、たった一晩で隣国を焼き尽くした。

 人のなりをした目の前の美しい男からは、到底想像もできない話だ。

 人間など、彼らからすれば塵に等しきか弱い生き物で、ひょいと摘まみ上げて食べてしまうのだ。

 ちっぽけな存在であるはずなのに。


「そなたに物欲がないことは承知している。アレは試しに贈ったまでのこと。物でそなたの機嫌が取れるとは思うてはおらぬ」


「き、機嫌? わ、わたくし如きの?」


 思わぬ科白に瞠目して聞き返さずにはいられなかった。

 地上最強と謳われる竜が、人界の一貴族の娘の機嫌を気にしているというのか。


「自身を卑下するのはやめよ。そなたは竜王たる我が、この地上で唯一見つけた生涯の伴侶なのだ」


 生涯?

 竜王の?


 竜は人よりもはるかに長寿だ。ロゼッタが転生してもまだ生きている。どれだけ生きるのやら。


「ご、ご冗談を。わたくしはあなた様のように長く生きられませんわ」


 威圧を感じない柔和な漆黒の双眸。

 じっと見つめながら、膝に置いた手に、竜王の手が重ねられ、ドクンと鼓動が脈打つ。


「我の伴侶となり同族となれば、姿はそのままに我とともに歩むこととなる」


 竜にされてしまうというのか?

 にわかには信じがたい。

 何をされてしまうのか、不安に陥りそうになったとき、そっと手が握られた。

 重ねられた手の温かさと大きさに、ロゼッタは奇妙な感覚に囚われた。


「あっ、あっ……あの……」


 緊張するあまりまともに話すこともできない。

 あれほど嫌っていたというのに、振りほどくことも嫌悪感も沸かない。

 戸惑うロゼッタを、くくくっと竜王がおかしそうに笑い声を溢す。


「何もしておらぬぞ。ただ手を握っておるだけではないか」


 艶のある低音が耳の奥をくすぐるように響く。

 訳も分からずひどく意識してしまう。


「ロゼッタ、そなたを好いておる」


 ドキッ、とさせられて視線を上げた。

 まるで宝石のように美しい漆黒の瞳に、時が止まったかのように釘付けられた。


 一体、わたくしは……どうしてしまったというのかしら?


 彼のもう片手がロゼッタの頤にそえられて、指先が唇に触れてくる。

 ロゼッタは動けなかった。

 胸がドクドクと煩いほどに高鳴って、今にも口づけられそうな予感に、ぼっと顔が熱くなる。

 

「だっ、だめっ! およしになって下さいませ」


 それ以上の羞恥に耐え切れず、竜王の手から逃れて、自分の胸に両手を当てた。

 鼓動が高鳴ったまま鎮まらない。

 唇に触れられたまま見つめられることが、抱きしめられたり、口づけられることよりもずっと恥ずかしいということを知らなかった。


 思えば、ロゼッタは人見知りが激しく、初恋も遅かった。

 王宮で開かれる夜会に招かれても、いつも壁際で華やかに繰り広げられる世界を眺めているだけだった。

 そんな彼女に声を掛けたのがフィリップだった。

 すぐに戸惑ってしまう彼女を、フィリップはいつも優しく抱きしめて安心させてくれた。

 そんなフィリップにゆっくり恋心を芽生えさせ、次第に愛おしさを感じるようになっていた。

 想起すれば穏やかな恋であった。

 これほどに、意識したことはなかった。

 いや、そんなことよりも、あれほど恐ろしいと思っていた竜王相手になぜ胸が高鳴るのか。

 触れられても払えず、同じ馬車に乗り続けていられるのか。

 自身のことだというのにわからない。


 目の前の男は、口元に笑みを湛えて、彼女を楽しげに眺めている。 

 以前、会ったときの彼とは何かが違う。

 脳裏の疑問を察したように竜王は答えた。


「覇気を消して、より人間に近づけてある。恐ろしくはなかろう」


 ああ、そう。

 なんて卑怯な方なのかしら、わたくしをその気にさせようとなさってらっしゃるの?


 コクリと頷きながら、思っていたことを見透かされたことに、別の恥ずかしさを覚える。

 俯いたままでいると、竜王が馬車の歩みを止めさせた。


 扉が開かれるのを見ていると、その隙にさっと唇が重ねられる。

 あまりの速さに避けることも、驚く間もなく、竜王が車外へと降りていく。


「これ以上我がいては、そなたの心臓が持つまい」


 もっとも気づかれたくないことまで言い当てられて、ロゼッタは何も言えずにかーっと逆上(のぼ)せた。

 扉が閉ざされ、馬車が再び動き出す。

 竜王が外で、御者に屋敷へ戻るように言いつけているのが聞こえた。


 一人残されたロゼッタは、どっと疲れを覚えて脱力した。

 すっかり力が抜けて、ぼんやりと窓の外を眺めた。


 『ロゼッタ、そなたを好いておる』


 脳裏によみがえってきた声に、またドキドキしてくる。

 なんて威力。

 いや、それまでに竜王がロゼッタの機嫌を取ろうとしていたことや、生涯の伴侶にと考えているとは思ってもみなかった。

 食用などではない。

 国王や父への破格の結納は、父の見解に相違ない。

 

 そうまでしてわたくしを望んでらっしゃるの?

 

 溜息をついて椅子の背に身を委ねていると、ふと、車外へ捨てられた淡紅色の帽子を思い出した。

 竜王から初めて贈られたコルノ。

 ロゼッタから取り上げて自ら捨ててしまった。


 どのようなお気持ちだったのかしら? 


 ロゼッタは小窓を開いて御者に声をかけた。


「探したいものがあるの」

 




「アン、アンっ」


 屋敷に戻ると、リリアンヌが短い尻尾を振って出迎えてくれた。

 探しても見つからなかったが、気ままに歩き回っていたのだろうか。

 無事にいてくれたのならそれでいい。


「ただいま、リリアンヌ。戻るのが遅くなってごめんなさい」


 ロゼッタはリリアンヌを今すぐ抱き上げたいのを堪えて、手にしているそれを出迎えた侍女に見せた。


「まあ、こんなに汚れて、どうされたのです?」


 形や飾りが崩れることはなかったが、真珠とレース、上質な生地のいたるところには、無残にも泥が付着して汚れていた。


「わたくしの不注意で落としてしまったの。きれいになるかしら」


 情けない気持ちになっていると、侍女が明るい声で言う。


「なりますとも」


「よかった。自分でしたいの。教えてもらえるかしら」


「はい、喜んで」


 ほっとして、目に涙が滲む。


 本当にわたくしはどうしてしまったのかしら。





 宵がふける頃、ロゼッタは程よい疲労を覚えて寝台へ上がった。

 けれど、眠る気にはならず、膝を抱えた。

 リリアンヌがロゼッタの足元で怪訝に見上げてくる。

 

「眠りたくないの。……また、あの夢を見そうで」

 

 ロゼッタはリリアンヌの小さな頭をなでた。


「わたくしにはあの方がいらっしゃるのに……」


 思い出す節の太い大きな手。ロゼッタの髪を撫で、隙間もないほどに抱きしめる逞しい腕。

 ふと、昼間の竜王に触れられた手の感触が蘇り、重なる。

 見上げても見えなかった夢の中の男の顔が、昼間会った竜王のそれになっていた。


 ロゼッタは慌てて首を左右に振る。

 熱くなる頬を両手で押さえ溜息をつく。


「何を考えているのかしら」


 一人恥ずかしさに悶え、頭からシーツを被る。

 ロゼッタは感情を隠すという高度なことができない。

 すぐに顔に出てしまうのだ。

 昼間も竜王に見透かされて恥ずかしい思いをした。


「少しでもこんなことを考えたなんて知られたら、わたくしは恥ずかしさで死んでしまうわ。……ああ、どうしてあんな夢を見てしまうのかしら」


 ごろりと転がって横になると、ロゼッタは膝を抱えて丸くなる。

 次第に睡魔が襲ってきて、ロゼッタは抵抗するように近くにいたリリアンヌを胸に抱く。


「お願いリリアンヌ。わたくしがあんな夢を見ないように起こし……て……」



 意識が遠のき、力の抜けたロゼッタの腕からリリアンヌが抜け出す。


「無理を申すな。我とて、愛しいそなたを前にこれ以上の抑制など敵わぬ」


 犬の姿から人へと変化すると、一糸纏わぬ姿でロゼッタの背に寄り添う。

 華奢なうなじに鼻先を寄せると、ほのかに香る甘い芳香に酔いしれた。

 そうしているだけでカイルの身は昂ぶらされて、自然と雌を誘う香が自身から放たれる。

 ロゼッタは寂しがりだ。

 人肌を求めて擦り寄ってくるのは彼女の本能だ。

 深い眠りにつくロゼッタは、いとも容易くカイルのほうに身体を向けて寄り添う。


 カイルにとっては理由などどうでも良いことである。

 目を閉じたままであろうと、顔を向けられれば本能の赴くままに唇を重ねる。

 それだけだ。




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