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5.生々しく残る感触

 ロゼッタはぱちりと目を開くと、何度か瞬きを繰り返した。

 黄色がかった白っぽい細かな毛が見えた。

 つぶらな瞳がロゼッタを覗き込んでくる。

 上体を起こすと、リリアンヌが膝の上に乗ってきた。  

 抱き上げながら、室内を見渡すと、そこはいつもの彼女の寝室だ。

 昨夜、リリアンヌと一緒に寝台へ入って眠った。

 どこも変わったところはない。

 けれど、ロゼッタは奇妙な感覚に囚われていた。


 夜中に目を覚ました感覚はないのだが、ロゼッタには意識があった。

 いつからそこにいたのか、すぐ背後に誰かがいて、大きな手が、ロゼッタの髪を梳くように何度も撫でていた。 


 お父様?


 幼い頃、ロゼッタは早くに母を亡くし、一人で眠れない彼女を父がよく寝かしつけてくれた。

 大きな手に優しく頭を撫でられていると、不思議と安心できた。

 寝返りを打って身を寄せれば、腕が背に回されて、自分よりも大きな体に包まれ、その温かさと安心感が心地よく、思わず頬を摺り寄せた。

 仰向けにされたかと思うと、刹那、ふわりと花のような甘い香りが漂い鼻腔をくすぐる。

 刹那、唇に柔らかな感触が触れた。

 

 お父様? ……違う。


 頬へキスをすることはあるが、親子で唇にキスをすることはない。

 唇へのキスは特別な行為だ。

 愛する人としか交わさない。

 ロゼッタの父は、亡くなった母を想いつづけ、ずっと独り身を貫いてきた。

 しかし、近頃は想う人ができて、どこか楽しげに帰ってくる日が増えた。

 そんな父が、ロゼッタの唇を奪うとはとても考えられない。

 

 誰?


 ロゼッタは顔を見ようとしたが、暗くて見ることはできなかった。

 唇が離されると、正体不明の不埒な何者かはスッと離れて消えた。



 目覚めたロゼッタは、ぼんやりと指先で唇に触れた。

 柔らかな感触がまだ唇に残っていた。

 


 


 つい数日前まで何もなかった二部屋が物で埋まっていた。

 

「これ全部、お父様がわたくしの為に揃えてくださった花嫁道具なのよ。こんなにも沢山。でもまだこれで半分だそうよ。そしてこちらが、国王陛下やお友達の方々から頂いた祝いの品々」


 ロゼッタは、腕に抱いたリリアンヌに、部屋を案内していた。

 侍女たちが、品を納めた箱を手に、次々と運び込むのを眺めて、ロゼッタは悲しくなってくる。


「……きっと、全て無駄になってしまうわ」


 腕の中からリリアンヌが見上げる。

 口元に笑みを浮かべてみるが、上手く笑えない。

 誤魔化すように小さな頭を優しく撫でた。

 

 ロゼッタは向かい側の部屋を見やった。

 婚約者から届く贈り物を、一時的に置く為の部屋だ。

 以前、フィリップと婚約したときは、持参金とは別に山のような贈り物がロゼッタに届けられた。

 王侯貴族の間では良くあることで別段珍しいことではなかった。

 侍女たちは今回も大量に贈られてくるだろうと、部屋を設けていたのだ。

 しかし、部屋には、先日贈られた帽子の箱が一つ、テーブルの上に置かれているだけだった。


「竜王陛下はきっとお品を選ばれるのに、時がかかっていらっしゃるのでしょう。今に素晴らしい品々をお贈り下さいますわ」


 他の部屋の品々を整理していた侍女が、励ますように微笑んで去っていく。

 ロゼッタはどっと疲れを覚え、侍女に聞こえない声で呟いた。


「竜王からなんて、何もいらないわ」


 溜息をつきながら廊下を歩いていると、城から戻ってきた父と出くわした。


「おかえりなさいませ」


「ああ、ロゼッタ、聞いてくれ」


 アルマンが、娘の顔を見るなり、興奮した様子で腕を掴んだ。

 嬉しげな父の顔を見ると、ロゼッタも嬉しくなる。


「何か良いことでもございましたの?」


「聞いて驚け、なんと陛下よりありがたくも、爵位と領地エルメルを賜った。爵位は『マルキオー』ではなく『ドゥクス』だ」 


「……っ!」

 

 ロゼッタは驚きのあまり絶句する。

 伯爵からいきなり、王族の縁戚にあたる『公』の爵位を賜ったのだ。

 これ以上はない最上の誉れである。


「王族でもないこの私がだ。全てお前のおかげだよ」

 

 ロゼッタ自身は何もしていない。

 何かあるとすれば……。

 ロゼッタは無意識の内にリリアンヌを抱く腕に力をこめていた。


「竜王……陛下が何かなさったの?」


「そうだ。我が国王陛下が、竜王陛下へお前の輿入れのお返事をなさったところ、返礼があったのだよ。王宮の一室を埋め尽くすほどの財宝を頂かれたそうだ。持参金の意味もある上、そなたが嫁ぐことにより王家と竜族に結束が生まれる。その褒賞に、爵位と領地をくださった。しかし、私は一度お断りしたのだよ」


「まあ、なぜですの?」


「後継ぎがいなくてはね。お前が嫁いでしまったら、誰も残らない」


 ウィルディーチでは家督を継ぐ婦人はいるが、手腕がなければ没落していく。

 ロゼッタは一人娘である上、どこか抜けていて頼りない。

 アルマンは娘を常々案じ、以前から家を残すことよりも娘の幸せを願い、己の代までと決めていたのだ。

 ロゼッタは、父に甘えるばかりで役に立てないことを気に病んでいた。

 俯くロゼッタにアルマンは語り続ける。


「国王陛下にお伝えすると、『諦めるには、そなたはまだ若い。今からでも子を設けよ』と、再婚を勧められてね。……以前、エルザ殿のことはお前にも話したが、良い機会だから、求婚しようと思う」


「まあ、それは素敵なことですわ、お父様。きっとおば様もお喜びになられて、お受けしてくださるわ」


 エルザとは、アルマンが以前から気にかけている女性で、ロゼッタを生んだ母の妹だ。

 アルマンは照れたように頭をかき、どこか自信のなさを窺わせた。


「そうだと良いんだが。……エルザ殿は、三年前にご夫君を亡くされて未亡人になられた。その後は、子爵家当主に立たれたばかりのご令息の為に奮闘されて、あと十年は再婚など考えられないとおっしゃられていたからね」


「ロゼッタは、お父様の幸せを祈っておりますわ」 


「ありがとう、頑張ってみるよ」

 

 自信なさげに俯く父がなんだか可愛らしい。

 アルマンが更に付け加える。


「もう一つ。頂いた領地のエルメルに、竜王陛下より私のためにと、築城計画をなさっているようだ」


 父の顔は真顔になって、ロゼッタの肩に手を置く。


「お前はあまり乗り気ではないようだが、竜王は国王陛下や私にこれほどのことをしてくださるのだ。お前のことをよほど大切に思っておられるのだよ。自信を持ちなさい、ロゼッタ。お前はきっと誰よりも幸せになれる」


 ロゼッタは書斎へ向かうアルマンを見送ると、ぼんやりと廊下を歩いた。

 父の台詞が何度も脳裏を巡り、ずっと食されるものと決め付けていたロゼッタは、分からなくなっていた。

 竜王とは一ヶ月前に王宮で会って以来だ。

 それ以外は、元婚約者のフィリップを通じて帽子が贈られてきた。

 ロゼッタは先刻覗いたばかりの部屋に戻ってきていた。

 部屋のテーブルには箱が一つ。


「なぜ、帽子なのかしら?」

 

 ロゼッタの独り言に答えてくれる者はいない。

 竜王が何を考えているのか、彼女にはさっぱり理解できない。

 ただでさえ、まともに話などしたこともないのだ。

 それでは例え同じ人間だとしても、分かるわけがない。


 ロゼッタはふと顔を上げて窓の外を眺めた。

 雲ひとつない清清しい青空が広がっていた。

 まるで父の笑顔のように明るい。

 大好きな父の為にもできることをしたい。

 ロゼッタは、腕に抱いていたリリアンヌを下ろすと、贈り物の箱を開く。

 中に納められたコルノを取り出すと、侍女を呼んだ。


「明日、こちらのコルノで外出するわ。他の衣裳を合わせてもらえないかしら」


「はい、お任せくださいませ」


 竜王からの贈り物をようやく身につける気になったロゼッタに、侍女は待っていましたと言わんばかりに嬉しそうに微笑んだ。





 身体を丸めていると、大きな手がロゼッタの背を優しく撫でる。

 包むように寄り添う身体に、ロゼッタは無意識に身を寄せていた。

 花のような甘い香りが鼻腔をくすぐり、ロゼッタは顔を上げる。

 無骨な手がロゼッタの頬を撫で、指先が唇に触れる。

 なぞるようにゆっくりと触れた後、柔らかな感触がロゼッタのそれに重ねられた。


 いけないっ。


 婚約中の身で、誰とも分からない者にそんなことをされて良いはずがない。

 そう思うのに、身体が思うように動かせない。

 すぐに唇が離され、逃げようと思えば逃がれる隙はあった。しかし、いいように触れられて、下唇をちゅっと吸い上げられ、身体がピクリと跳ねた。

 そんな風に反応してしまったことが信じられず恥ずかしくなる。

 けれど、ロゼッタを抱きしめる彼は、彼女の反応をまるで愉しむように、身体をますます密着させて、啄ばむキスを繰り返した。



 ハッとしてロゼッタは勢いよく起き上がった。

 部屋は陽光が差し込んで明るく、鳥のさえずりが聞こえた。

 どうやら、また夢を見たらしい。

 起き出したリリアンヌが膝の上にやってきて、ロゼッタは無意識に抱き上げる。

 

 視線に気づいて見下ろすと、リリアンヌが後ろ足だけで立ち上がる。

 伸び上がってきたリリアンヌの鼻先が迫り、薄い舌で唇を嘗められた。


「だ、だめっ」


 見ていた夢が生々しく蘇り、ロゼッタは慌ててリリアンヌを離した。

 花のような甘い香りと抱きしめる腕の温かさと強さ。

 唇に何度も触れられた感触が生々しく残っていた。

 顔どころか身体までがカッと熱くなる。


「どうしてしまったのかしら?」


 戸惑いを覚えずにはいられなかった。 




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