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4.真夜中にうごめく影

「この間、彼女にとびきり大きくて、美しいサファイアをあげたんだよ」


 フィリップが自宅の屋敷に招いた友人にそう話したのは、まだカイルの正体を教えられる前のことだった。

 カイルがそれを聞きながら、茶器を手に紅茶を口にする。

 澄ました顔はさして興味はないといいたげだ。

 だが話の腰を折るような無神経な奴ではない。


「それで?」 


「受け取って喜んでくれたんだけどね、なにか違うんだよ」


「今までの女のように、目を輝かせて大喜びしなかった、か?」


 フィリップは苦笑する。 

 長身で手足は長くその上、恐ろしいほどの美貌を兼ね備えた友人は、男のフィリップの目から見ても魅力的だった。

 街を歩かせればさぞ行く先々で婦人に群がられてしまうことだろう。

 だがこの男は人嫌いで滅多に出歩かない。

 フィリップが放っておくといつまでも屋敷から出てこないのである。

 しかしそのくせ洞察力に優れ、カイルに隠し事をしてもいつもすぐに見抜かれてしまう、不思議な男だ。


「そうなんだよ。たいていのご婦人は宝石をあげると、それはもう上機嫌になってくれる。……宝石意外にも、花や流行のウプランドと靴。小物類。タペストリーに絵画。白馬に馬車。……」


 何を贈っただろうかと指を折りながら挙げていく。


「何をあげても同じ反応なんだよ」

 

「要するに、その女は物欲がないのだろ?」


 顔を上げればカイルはなぜ気づかないのか、とでも言いたげに呆れていた。


「は? そんな婦人がいるわけがないだろう?」


 カイルとは物心付いたときからの幼馴染だ。

 そのフィリップが知る限り、これまでカイルに恋人がいたためしがない。

 婦人と付き合ったこともないカイルに、婦人のことが分かるわけがないと、フィリップは笑った。

 それ以上何も言わなくなったカイルを眺め、フィリップはあることを思いついた。


「そうだ、来週彼女と会うんだよ。君に紹介したい」

   

「断る。お前の女に会うとろくなことにならない。忘れたのか?」


 以前付き合っていた恋人に、一度だけカイルを会わせたことがあった。

 家に篭もりきりのモグラのような友人がいると話したところ、恋人が会ってみたいと言い出したのだ。

 恋人は、フィリップから聞いたことだけを信じていた。

 カイルを女にモテない冴えない男と思い込んでいた。驚かせるつもりでもあったのだが、会わせてみれば、フィリップの恋人は一瞬でカイルに夢中になってしまったのだ。

 以来、その恋人とは上手くいかず結局別れることになった。


「忘れてはいないよ。けど、彼女なら心配ない。僕をとても愛してくれているんだ」

 

 彼女はフィリップだけを真っ直ぐに見てくれる。他の男に目移りする考えられない。

 彼自身も心から愛している。

 まさに相思相愛。

 カイルのような目を見張るほどの美しさはないが、フィリップとて高い身分と端麗な容姿、これまで数々の婦人と恋の駆け引きを愉しんできた。

 だが、今の彼女と出会い、フィリップは冷めることのない恋があることを知った。 

 生涯を共に過ごしたいと願い、結婚を申し込み、婚約したのだ。

 彼女のことを思い出すだけで、胸が高鳴り、今すぐにでも会いたくなる。


「夜会を楽しむ華やかな婦人たちとは違う、彼女には素朴な美しさ、飾らない優しさがあるんだ。傍にいるだけで癒される。そんな人と巡り合ったんだ。。いつも僕を包み込むような温かさで傍にいてくれる。けれど時々肝心なことが抜けててね、そこがすごく可愛い……」


 気持ちよく饒舌に語っていると、急にカイルが立ち上がった。


「帰る。お前ののろけ話は飽きた」

 

「すごく良い子なんだ。結婚したら僕の友人である君も会うことになる。是非君に、ロゼッタを紹介したい」


 このときのフィリップは、恋人を作らぬ友人を心配して、恋人とはいいものだと、教えてやりたかっただけなのだ。まさかこのお節介のせいで、己の大切な婚約者が奪われることになろうとは、夢にも思っていなかった。





「使いの者に届けさせればよろしいではございませんか?」


 フィリップは突然屋敷を訪ねて来た竜王カイルに、怒りを押し殺した声で問うた。


 談話室に入るなり、カイルは手に持っている豪奢な円錐の箱をテーブルに置いた。

 開口一番彼はこう言ったのだ。


「ロゼッタにこれを届けてくれ」

 

 婚約者を奪っておいてその上一体何のつもりなのか。

 フィリップは憤るあまり言葉も継げないほどだった。

 カイルの風体はいつもと変わらぬ貴族らしいもので、口調もフィリップが良く知る友人と同じものだ。

 だがその正体は、人ならぬ竜。

 上位種であり、人間にとっては捕食者だ。

 

 竜王の意図を測りかねて、フィリップはその台詞を口にした。 

 カイルは長椅子で寛ぐと、出された紅茶を優雅な仕草で愉しむ。


「使者に届けさせる贈り物に何の意味がある? ロゼッタが物欲のない女だということは、お前から聞かされたことだろ?」 


 ああ、そうだ!


 愚かにもロゼッタの話をしたのは他ならぬフィリップ自身だ。

 奪われると知っていたら口が裂けても教えなかっただろう。

 しかし、今更悔やんでも後の祭りだ。

 

「……ご命令ですか?」


「お前は私の友人だ。命令などしない」


「ご無礼を承知で申し上げますが、あなた様が竜王陛下とお聞きした以上、友人とは思えません。ご命令でないのでしたら、どうかお引取りを」


「私に散々恋愛相談をしておきながら、いざというときは断るのか。存外冷酷なのだな」


「よく言うっ! 『冷酷』なのはお前だろうがっ!」


 我慢ならずフィリップは声を荒げた。

 しかしやってしまったと思ったのは一瞬だけのこと。

 後は野となれ山となれ。

 感情のままに治まらぬ怒りを吐き出す。


「僕がどれほど彼女を愛しているのか承知の上で、君はロゼッタを僕から取り上げたんだぞ。彼女だって今でも僕を愛してくれているのに。いくらロゼッタが五百年前に、君に差し出された供物だとしても、そんなのは前世での話じゃないかッ!」


 目の前で悠然と紅茶を楽しんでいる男は、人を食い物にする猛獣だ。 

 怒らせれば命はない。

 最愛の人を奪われて、フィリップは自暴自棄になっていた。

 ところが人の成りをする竜王は、機嫌を損ねるどころが口元に薄く笑みを浮かべた。


「どれほど愛する女がいようとも、目の前に別の麗しい女がいれば欲情する。それが人間の男ではないか」


「なっ!……」


 フィリップは言葉に詰まって動揺する。

 その様子をカイルが満足げに目を細めて眺めた。


「お前の好みに合わせて見繕ったのだ。さぞ楽しめたことだろう?」


 まるで丸裸にして何もかもを見透かすような目に、フィリップはゾッとした。

 それは記憶に新しい昨夜のことだ。

 傷心のフィリップは、気を紛らわす為に王宮で催された夜会に出席した。

 夜会には顔なじみの者が多く、中にはこれまでフィリップが付き合ったことのある貴族の令嬢も何人かいた。

 貴族の間では既にロゼッタが竜王に求婚されたことが広まり、婚約者を奪われたフィリップには皆同情的だった。

 そんな彼を皆が慰めようと優しくしてくれた。

 自然と酒の量は増え、酔う彼を婦人たちが介抱してくれていた。

 その中で気に入った婦人を、フィリップは酔った勢いで屋敷に連れ帰ったのだ。

 寝台で心行くまで慰めを求め、そして朝まで過ごした。


「また、お会いしとうございます、フィリップ様」  


 別れ際の抱擁と口づけの感触が肌に生々しく、甘い囁きが今も耳の奥に残っていた。


「まさか、君の差し金だったのか?」


「初めて会う女だっただろう? 派手さはないが、純朴な美しさと優しさを持っている。お前を包み込むような温かさで癒したことだろう」


 昨夜の女はまさにカイルが言うようにフィリップに接してくれた。

 そういう女に弱いのだ。

 一時ロゼッタを忘れて夢中にさせられたのは事実だった。

 引き裂かれたとはいえ、今もなお愛し続ける人がいながら簡単に堕ちた。

 自分がこれほど節操のない男であったことに、フィリップは己を恥じることになった。


「気に病むな。所詮、人間の恋など泡のように消える幻想に過ぎん。種族繁栄の為に本能がある。お前はそれに従ったまでのことだ。ロゼッタとて同じこと。今はお前しか見えずとも、いずれ私がきれいに忘れさせる」

 

 恐ろしいまでの美しさと揺らぐことのない絶対的な自信。

 フィリップは争う前から白旗を揚げるしかなかった。

 ただでさえ、カイルは同性であるフィリップから見ても色気漂う良い男なのだ。

 勝てる気が全くしない。

 それだけに、自分のことよりもこんな男に目を付けられたロゼッタが、哀れにさえ思えてくるのだった。


 どちらにしても、カイルの企てに見事に嵌められ、ロゼッタを裏切ってしまった。

 用意周到に仕組まれた。

 弱みを握られたのだ。

 カイルの頼みを断る余地は残されていなかった。

 

「他の者よりも、元婚約者のお前が届ける方が、まだロゼッタの目にも留まりやすいだろう」


 そんなくだらないことを頼むためか。


「怖がって嫌われている君とは違って、彼女は僕に気を許してくれているからね」


 嫌味の一つも言いたくなるというものだ。

 抜け目がない上に厚かましさも最上級ときたもんだ。

 カイルは新たに何かを画策するように 、フィリップの毒舌を微笑んで受け流した。

 

「今だけのことだ。いずれ、私なしでは生きられぬほどに溺れてゆくだろう」


 人間の恋を泡と例えた竜の恋はいかほどなのか。

 フィリップは想像すると甚だ恐ろしくなった。




   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇




「リリアンヌ」

 

「アン、アン」

  

 満面の笑みで呼ぶと、リリアンヌが高い声で甘えるように応えた。

 水面を犬掻きで泳いでロゼッタのところへと戻ってくる。

 水に濡れた毛は、華奢な体に張り付き、飾り紐のように水面に細かな毛を浮かべていた。

 両耳は、乾いたときはふわふわな毛に埋もれるようしてあるのだが、濡れて毛が頭に張り付くと、意外と大きい。

 濡れると一層貧弱な姿もなんとも言えない愛らしさだ。

 

 ロゼッタは浴室で侍女に髪を洗われながら、浸かっている湯船にリリアンヌと一緒に入っていた。

 一人で入るには充分に広い浴槽だ。

 その湯船で泳いでいるリリアンヌは、子供が湯船で遊ぶおもちゃのよう。

 いくら可愛いとはいえ、貴族の令嬢が犬と入浴することなど、ありえないことだ。

 当然、侍女に口うるさく何度も止められたのだが、ロゼッタは強行した。すっかりリリアンヌの可愛らしさに虜になっていたのだ。

 

「リリアンヌは泳ぎがとっても上手なのね」


 近づいてきた小さな体を、ロゼッタは素肌の胸に抱き寄せる。

 ロゼッタの肌は、シミ一つない美しい肌だ。

 本来の美しさに加え、侍女が毎日丹念に手入れをしている賜物である。

 嫁入り前の大事な身体だ。

 その肌を傷つけるようなことがあってはならない。

 主人の身を案じる侍女たちは、渋々了承する代わりに、リリアンヌの身体の手入れを入念に行った。

 入浴前に爪を切り揃え、丁寧にやすりをかけ、病気を染されないようにと、侍女が丁寧に洗ってからロゼッタに返された。

 リリアンヌの体を洗いたいと思っていたロゼッタは、楽しみを一つ取られてがっかりしたが、それで一緒に入れるならと諦めた。

 

 侍女はまだ何か不満なのか、厳しい目でリリアンヌを睨んでいる。  

 つぶらな瞳でそんな侍女を振り返ったが、すぐに素知らぬ顔でロゼッタを見上げた。ふるふると上機嫌で尻尾をふる。


「リリアンヌ」


 何をしても愛くるしいこの犬が、可愛くて仕方がない。

 リリアンヌの鼻先に口づけると、赤く薄い舌を出してロゼッタの唇をペロペロと嘗めてくる。 

 唇の隙間まで嘗めてくる舌に、ロゼッタは笑みを零して顔を背けた。


「くすぐったいわ」  

 

 顔を離すとリリアンヌが首筋を嘗めてくるものだから、ロゼッタはたまらず身を捩る。


「だめよ、そんなに嘗めちゃ」


 舌を出して短い呼吸を繰り返しながら、リリアンヌはロゼッタの手の中で尻尾を振り続けていた。

 侍女が仲の良い主人と犬を眺めて溜息をつく。


「よりによって竜王陛下からの贈り物にまぎれているなんて、とんでもない犬ですわ。このことが竜王陛下のお耳に入ったら……」


「やめて」


 ロゼッタは強い口調で侍女を遮った。

 リリアンヌを守るように胸に抱き寄せる。


「贈っていただいた品物はきれいなままで、傷だってついていなかったもの。この子は何も悪いことなんてしていないわ」


 品物などどうでも良い。

 ロゼッタが品物を見たのは、箱からリリアンヌを見つけたときだけだ。

 竜王からの贈り物だと思うだけで、触るのも嫌ですぐに蓋をした。

 あとは侍女たちにお任せだ。

 相変わらず竜王贔屓の侍女たちは、竜王からの初めての贈り物に喜んでいるようで、箱の中身を確めてその品を褒め称えていた。

 どの衣装と組み合わせるかの話で盛り上がり、延々と続きそうな予感に、ロゼッタは一人うんざりした。


 胸の中の頼りなげな存在を見下ろす。


「大丈夫よ。何かあったら、お前だけはわたくしが必ず逃がしてあげるわ」


 リリアンヌはロゼッタの胸の上で、体を丸めて大人しくしていた。

 

「だから、わたくしの傍にいて」


 言葉が通じたのか、リリアンヌは顔を上げた。


「アンっ」


 ロゼッタはクスリと微笑むと、リリアンヌの体をなでる。

 何にも縋れないのなら、せめてそのときが来るまで目をそむけていようと思ったのだ。



 その夜。

 ロゼッタは当然のようにリリアンヌを自分の寝台に入れた。

 一時をリリアンヌと戯れ、心地よい眠りについた。

 しばらくして、ロゼッタの腕の中に閉じ込められるように入れられていたリリアンヌが、そこからごそごそと抜け出した。

 小さな影は、ロゼッタが深い眠りについていることを確めた。

 窓から差し込む月の薄い光が、窓から差込み床を照らす。

 闇に閉ざされた寝台の上、小さな影がゆらりと動く。

 形を変え、やがてすらりと伸びた手が、眠るロゼッタの髪を優しく撫でた。




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