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3.ふわふわもふもふちびちゃん

「これなどいかがでしょう?」


 商人が上機嫌で珍しい生地を広げてみせる。


「まあ、なんて美しいのでしょう」


 目を輝かせて感嘆の声をあげたのは、ロゼッタの侍女の一人だ。

 商人とロゼッタの間には、王都にさえ出回ることのない貴重な品々が並び、どれも最高級のものばかりだ。

 けれども、ロゼッタの心はまるで動かない。

 泣き出さぬよう、気を張り詰めるので精一杯だった。

 そんな主人とは対照的に、二人の侍女は美しい品々に見入り、商人の説明に耳を傾けていた。


「さすがは王家御用達。見たことのない素晴らしい品々ですわ」 


 ロゼッタは、一人明日をも知れぬ死の宣告を受けた病人のように暗く沈んでいる。

 侍女の『王家御用達』の一言に、ピクリと眉が動いた。


 王宮から彼女の元に正式な使いが来たのは、一週間前のこと。

 フィリップから婚約破棄を言い渡された直後で、この世の終わりのように絶望に打ちひしがれていた。そこへ追い討ちをかけるように、国王から急な呼び出しを受けたのだ。

 

「ロゼッタ・アルマン、そなたに竜王への輿入れを命じる」


 謁見の間で、玉座の国王より告げられた。 

 ロゼッタは笑みを作る余裕さえ失い、血の気を失い手足を小刻みに震わせた。


「へ、陛下、お伺いしても宜しいでしょうか?」


「許す、申してみよ」


「こ、この国にはわたくしなどよりも、美しく高貴な方々がいらっしゃるというのに、何故、……何故、わたくしなのでしょう?」


「竜王たっての要望だ。経緯は余の与り知るところではない」


 三十八歳の国王は、落ち着きと風格を兼ね備えていた。

 堂々たる声は威厳に満ち、人を従わせる眼光は力強い。 


「竜王は世界の覇者だ。望めば人一人連れ去るなど造作もなかろうが。そなたへの求婚に諸国同様の形式を踏まえてきている」


 強者たる力を振りかざすことなく、ウィルディーチ王へ正式な婚姻の申し入れを行っていたのだ。

 

「それも側妃ではなく正妃にとな。そなたの輿入れは、かつてこの国を守りし竜族との盟約にも等しいのだ。我が国の安寧の為にも、是が非でも嫁いで貰わねばなぬ」 


 国の平和の為に……。

 

 不安と恐れに宛てていた胸元の手に、憤りで力がこもる。


 また生贄になれ、とわたくしに仰るのですか、陛下ッ!


 こうなるともう道はない。

 

 ああ、神よ。ならばわたくしは何の為に、生まれ変わったのでしょう?


 『五百年前よりそなたは我のもの。迎えに来た、我が花嫁よ』


 嘘よ。

 あの金の光は、わたくしを食べようとする五百年前の目と同じだもの。


 

 並べられた贅を尽くした品々を前に、高齢のベテラン侍女が夢見る乙女のように語る。


「この国をお救いくださった竜王陛下に嫁がれるのですもの。国王陛下も大層お慶びになられておられるとか」


 生贄のわたくしを差し出すことで国が守られるのですもの。

 他国に攻められても竜王が守ってくれる。

 自国民を駆りだして、命を散らせることもない。

 

「はい、それはもう。わたくし共は国王陛下より直々にお声をいただき、ロゼッタ様のお役に立つよう遣わされたのですわ」

 

 誇らしげに女商人が語る。

 貴族でさえも手に入れることのできない貴重な素材ばかり。

 見慣れぬせいか、ロゼッタにはさっぱりその良さが分からない。

 いや、仮に良さが分かったとしても、欲しいとも思わない。

 何もいらない。

 何もいらないから、婚約者を、フィリップ様を返して欲しい。

 声を大にして叫びたかった。 


 今にも嗚咽しそうになる己の鼓舞して、ロゼッタは侍女たちが薦めるものを選んだ。そうしなければ、王家御用達の商人らも、その背後にいる国王陛下の面目も潰しかねない。強いては父まで困らせることになるだろう。

 一人親だが精一杯愛情を注いでくれた優しい父だ。

 困らせたくはない。 


 採寸を終え、ようやく開放されたロゼッタは、逃げるように庭に出た。

 気がつくと朝からずっと溜息ばかりついている。


 どうしてこんなことになったのかしら。

 ついこの間まで、フィリップ様の奥方になれると、あの方の傍で幸せになれると信じていたのに。

 どうして私だけがこんなことになるの。


 そう思うと、涙が止まらなくなる。


「くぅーん」


 声のした足元を見ると、黒い短毛の大型犬が、心配そうにつぶらな瞳でロゼッタを見あげていた。

 庭に放たれた警備犬だ。 


「カールっ」


 屈むと犬の首に抱きつく。

 数十匹いる警備犬の中でも特にロゼッタに懐いている犬だ。

 カールは生後三ヶ月で伯爵家にやってきて、そのときからロゼッタが遊び相手をしていた。

 一人娘であるロゼッタにとって、カールは家族であり友人だった。


「私、竜王となんて結婚したくない」


 耐え切れずに嗚咽すると、カールが濡れた鼻先をロゼッタの髪に寄せてくる。

 

「くぅーん」


 主人を案じるように鳴き声をあげた。

 つい気が緩んでしまったのだ。


「ごめんなさいカール、あなたにまで心配をかけて」


 涙を拭い、黒く美しい毛を撫でる。 

 不意に、カールの耳がピクリと動いて振り返った。

 ロゼッタはどうしたのかと同じ方向を見やる。


「やあ、ロゼッタ」


 現れたのは元婚約者のフィリップだった。

 



   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇




「もう、お会いできないものと思っておりました」


 温かい紅茶の入った茶器を手に、ロゼッタは目の前の凛々しい青年を見つめた。

 二人は談話室の長椅子に腰掛けて向かい合っていた。 


「僕もそのつもりでいたよ」


 沈痛な面持ちでフィリップは、二人の間に置かれたテーブルの端に目を向けた。

 卓上には、円柱の箱が置かれている。

 木製の箱に緋色のビロードが張られた豪華な箱だ。

 フィリップが談話室に入る際、侍従に持たせていたその箱を、テーブルの上に置かせたのである。

 箱の形や大きさからして、恐らく中身が帽子であることぐらいは、ロゼッタにも容易に察せられた。


 フィリップが憂鬱そうに告げる。


「竜王から君への贈り物だよ」


 いらない、そんなもの!


 顔を強張らせながら、同時に心の中で叫んでいた。

 自分でも分かるほどに拒絶反応が酷くなっている。

 そんなロゼッタの反応をフィリップがじっと見つめていた。

 ロゼッタは淡いラベンダーのウプランドの裾をぎゅっと握り締め、涙を溢れさせた。


「わ、わたくしは今でもあなた様をお慕いしているというのに、このような仕打ちはあまりにも惨うございます」


「僕もご本人から頼まれたときは同じことを思ったよ」


「ならば何ゆえこのようなことをなさいますの?」


 フィリップが嘆息を零す。


「……すまない、断りきれなかった」


 相手は竜王なのだ。断れる人間など地上には存在しないだろう。

 改めて、誰にも救いを求められないのだと、ロゼッタは落胆する。


「そう……ですか」


「……僕のことはもう忘れた方がいい。それが君のためだ」


 溢れる涙が頬を伝う。

 フィリップが部屋を出て一人になった後も、茫然とするロゼッタは泣き続けた。

 拭っても拭っても、涙は止まらない。


 カタッ。

 突然、ビロードの箱の蓋が動いた。


「アン、アン」


 くぐもった動物の鳴き声

 聞こえてきたのは箱の中からだ。


「犬?」


 ロゼッタは立ち上がるとすぐに箱の蓋を開けた。

 箱の中には、真珠とレースの美しく可愛らしい飾りの付いた淡紅色のコルノが納められていた。

 高さのある帽子がカタカタと動いている。


「アン、アン」


 帽子の下から小型犬特有の高い鳴き声が聞こえてくる。


「こんなところに?」


 怪訝に思いながら帽子を箱の中から取り出すと、そこには小さな犬がいた。

 密集して生えた毛は中毛で、黄色がかった白に近い色をしている。

 その間から尖った耳と鼻が覗く。

 前足を揃えて行儀よく座り、黒いつぶらな瞳でロゼッタを見上げていた。

 

「まぁ、なんて可愛らしいのっ!」

 

 これほど小さく可愛らしい生き物を目にするのは、生まれて初めてだった。

 まるで綿毛のようにふわふわとしている。

 両手で掴んで抱き上げてみると、見た目よりもずっと小さい。婦人の両手の平に優に納まる。

 先ほどまで涙が止まらぬほど泣いていたこともすっかり忘れて、ロゼッタは満面の笑みになった。


「あなた、ツヴェルク・リッツね」

 

 小さな犬は口をあけて舌を出し、ふわふわとした毛の巻尾をふるふると振るばかりだ。

 普段から独り言の多いロゼッタは、何も答えない犬に笑みを深めた。


 ツヴェルク・リッツは小さなリッツという意味で、リッツは地方名からつけられた犬の種類だ。

 リッツは友好的で活発的な性質、愛くるしい姿でこの国では広く飼われている。また、リッツの中でも一際体が小さく、成犬になっても大きくならないのが特徴だ。

 近頃、王宮で噂になるほど人気が高まっている種類だが、希少種の為王侯貴族でも手に入れるのは難しい。

 そんな希少価値の高い犬がどうしてこんなところに入っていたのか。


「あなたどこからきたの?」

 

 犬が答えるはずもなく、ロゼッタは胸に抱く。

 小さな可愛らしい存在に、頬は緩みっぱなしだ。


「こんなに小さいのだもの、きっと紛れ込んでしまったのね」


 柔らかな毛の覆う頭を優しく撫でる。


「飼い主が見つかるまで、私と一緒にいましょうね」


 本音は飼いたくて仕方がない。

 飼い主など見つからなければいいのに。

 そんなことを内心で思いつつ、うっとりと見つめた。


「名前がないと不便ね。……リリアンヌ、というのはどうかしら?」


 ツヴェルク・リッツは、一瞬空けていた口を閉じて物言いたげな顔をしたかに見えた。

 だが、すぐに口を開いて短い呼吸を繰り返す。 

 

「気に入ってくれた? 可愛らしいあなたにとってもよく似合うわ、リリアンヌ」


 こうして犬の性別を確めることなく名付けた。





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