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2.食べてしまいたくなるほどに愛おしい

「残念だけど、婚約は破棄させてもらうよ」


 まるで葬儀の参列者のように、フィリップが沈んだ表情で告げた。

 ウィルディーチ王宮で竜王と出くわしたロゼッタは逃げ出した。

 その翌日、ロゼッタの元に婚約者が訪ねてきたのだ。 


「なぜですのっ? わたくしと結婚をお約束してくださったのは、あなた様ではございませんか。わたくしがあなた様の妻になる日を、どれほど心待ちにしておりますことかっ」


 撤回して欲しくて、ロゼッタは必死で言い募った。

 凛々しい秀麗な顔が、苦しげに歪む。


「僕だって愛する君を手放したくなどない。だが、相手は竜王なんだ」


「ではなにゆえ、わたくしとあの方をお引き合わせになられましたの?」


「知らなかったんだよ。カイルは公爵閣下の子息で、幼い頃からの僕の友人だったんだ。昔から人間離れした美しさや、多少変わったところもあったけど、同じ人間だと思っていたんだ。まさか幼馴染が、他種族で、しかも竜王だなんて誰も思わないよ。僕も騙されていたんだ」


 人間に同化して成りすましていたのか。

 そう思うと畏怖は増すばかりだ。

 フィリップは皮膚の色が失せるほどに拳を強く握った。


「君に友人として紹介した後で、彼は君がつけていた香水のことに口出ししてきたんだ。自分の婚約者がつける匂いだ。男なら誰でも憤慨するさ。今まで喧嘩なんてしたこともないぐらい気の合う友人であったというのに、いきなり正体を明かして。君が五百年も前に捧げられた自分のものだと、返せと迫られた。信じられない話だ」


 ロゼッタは前世の記憶を思い出して蒼白になる。

 身体が小刻みに震え、止まらない手を胸の前で重ねて嘆く。


「そんなのあんまりですわ。また食べられてしまうなんてっ。生まれ変わって愛する方と結ばれて、今度こそ幸せな人生を送りたいと願っておりましたのにっ」


「カイルは、……いや竜王は、君を食べる気はないみたいだ。五百年前に君を見つけたのに、食べてしまったことは誤りだったと悔いていた」 


「誤りも何も、わたくしは始めから食用にと竜王陛下に差し出された生贄でしたのよ」


「僕にもどういうつもりなのかはわからない」


 ロゼッタは、フィリップの腕に縋り付いて懇願する。


「竜王陛下はわたくしを狙うような恐ろしい目をなさいますのよ。わたくしにも『殺さない』とは仰ってくださいましたが、誠かどうかなどわかり兼ねますわ」


 『食べない』ではなく、『殺さない』と告げた。

 その意味するところは、まだ男を知らぬロゼッタには、汲み取ることのできない雄の欲望が満ちているのである。

 そのことにフィリップが気づき、妙に納得した顔をしたが、ロゼッタには分からない。

 

「フィリップ様、どうかなさいましたか?」


 ロゼッタは図りかねて首をかしげた。

 フィリップが誤魔化すように真顔になる。

 

「……とにかく、君は竜王に求婚されている以上、断れる立場にはない。ウィルディーチは危機を救った竜王に恩がある。国の一貴族でしかない僕には、どうすることもできないんだよ」


「そんな……」


 僅かな希望を打ち砕かれて、ロゼッタは愕然と床に座り込んだ。 

 



   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇




「陛下、花嫁の首尾はいかがでしたかな」


 人化した老竜が、長年世話をしている主人に淹れた茶を勧める。

 竜王カイルは谷に戻り、居城にある執務室で仕事をこなしていた。

 同じく人化している彼は、差し出された茶器を手に、先日ウィルディーチ王宮で再会したロゼッタのことを思い出して薄く笑う。


「最悪だな」


「そんな風にはお見受けできませぬが、楽しそうですな」


「それはそうだろ、五百も待ったのだからな。誕生から成竜までの期間に等しいのだ」


 老人は嬉しげに声を上げる。


「ほっほっほっほっ、誠に。しかし、ようやっとお相手に巡りあえてよろしゅうございました。城の者達も大層慶んでおりまする」


 カイルもくっと笑いを漏らす。


「生を受けて二千も半ばになるいい年をした王が、いつまでも子を設けるどころか、(つがい)となる雌すらおらんのだ。一族の行く末を案じたくもなろう」


 竜は気位が高く、同族であっても相性が合わなければ決して伴侶にはしない。

 また、雌竜は特に気性が激しく、繁殖期間が短いこともあり、大半の雄竜は同族よりも他種族から伴侶を選ぶ。

 子孫を残す為に、他種族間での交配は可能で、どの種族に産ませても強い血により、必ず竜が生まれる。

 しかし、上位種であるがゆえに、相手を怯えさせて気絶させることが、彼らの常である。

 そんな彼らは、選んだ相手の種族に合わせて姿を変える異能を有しているのだ。とはいえ、長であるカイルは、いつまでも伴侶を見つけられずにいた。

 大抵の雄竜は五百歳から一桁増えるまでには、比翼の相手を探し出すのだが、カイルは見つけ出せぬまま、更に千年経った二千歳を越しても独り身だった。

 

 老人がつくづくと口にする。


「五百年前の騒動が思い出されますな。食事の間から突然お出ましになられた陛下が、取り乱されて嘔吐を繰り返されたときは、どうなるかと肝を冷やしましたぞ」


 カイルにとっては思い出したくもない苦々しい出来事だ。


「ウィルディーチから他国の人間どもを排除するのに、いささか力を使いすぎたのだ」


「陛下はせっかちですからな」

 

「彼奴等が貴重な同族を贄に出してきたのだ、報いてやらねばこちらも極上の食事を堪能できまい」


「人間は我々の口には絶品。ですが、それを差し引きましても、いささか軽率としか申し上げられませぬな」


 老人とは幼い頃からの付き合いだ。平然と痛いところをついてくる。

 竜族は強者が上に立つ実力社会だ。

 王城に集うのは、屈指の強者で、その彼らの頂点に立つのがカイルだ。

 皆に恐れられ、彼に面と向かって意見ができる者は、極一握りしかいない。

 その一人である老人は、老い先が短いことをいいことに、全く遠慮がない。


「よもや、空腹時に出された食事に、花嫁が混ざっているなどと思うまい。気づくには婚期の到来が遅すぎたのだ」


 カイルは、竜が伴侶に抱く愛を知らずに過ごしてきた。

 千代ならまだ、伴侶を探そうという気もあり、そのときなら気づけたかも知れないが、二千年も生きてきて、運命の相手にめぐり合えぬのだ。諦めたくもなる。

 半ば独り身を貫く覚悟をし、伴侶を探すことさえしなくなっていた。

 出された人間の娘達は、カイルの目には極上の嗜好品以外の何ものでもなかった。

 

「ですが、他の人間の雌とは違い、気に入られたのなら食すなどありえませぬな」


 さすがのカイルも苦笑せざるを得ない。


「まったくだ」


 ネズミのように、目の前でちょろちょろと走り回るロゼッタが可愛くて、食べることよりも爪先で追いまわすことに興じていた。

 愛おしく思うあまりにもっと可愛がってみたくなり、つい口の中に入れてしまったのだ。

 舌の上で転がして味わうつもりが……。

  

「いや、あれが食べてしまいたくなるぐらいに、愛おしすぎたのだ」


 無論呑むつもりなどなかった。

 だが誤って呑み込んでしまったのだ。

 慌てて吐き出そうともがいたが、既に遅かった。

 体力を消耗した身体は早急な回復を求め、効果を上げる為に胃液は驚異的な速さで落ちたものを液状化し、吸収していた。

 もがきながら吐き出した胃液には、ロゼッタの衣服も身体の一部さえ跡形もなく消えていた。

 

 老人は呆れて白々しくほざく。


「おかげで、竜体のあなた様に暴れられた城は半壊、戻すのに何年かかったことか。おまけに撒き散らされた胃液で五十体ばかり死にましたな」  

  

「とばっちりで死ぬなど、弱小にもほどがある」


「心にもないことを申されますな」


「では、そなたは我に謝罪を求めるか」


「滅相もございませぬ。次こそは大切になさいませ、と申し上げたいのでございます」


「重々承知しておる。案じるな。間違っても口にだけは入れぬ」


 しばし逡巡すると、ふと思い出して懐から髪飾りを取り出した。

 大粒のエメラルドがはめ込まれた優美な留め具だ。

 カイルは老人に命じる。


「贈り物を選んでくれ」


「かしこまりました。……ところで陛下、鱗片はもう差し上げられたのですかな?」


 竜は定めた伴侶に己の鱗片を渡して婚姻の証とする。

 鱗片は、切り離しても魔力を持ち、離れた場所でも、鱗片から漏れる魔力でその場所を特定できる。

 嫉妬深く、執着心の強い彼らは、それを伴侶に肌身離さず持たせ、離れてもすぐに見つけ出せるようにしておくのだ。

 

「いや、まだだ」


「なにはともあれ、そちらを先に贈られるべきかと存じます」


 言うのは容易いが、果たして逃げるような相手が、素直に受け取るだろうか。

 渡したところで身に着けてはもらえず、捨てなくとも納戸の隅にでも置き去りにされかねない。

 カイルは押し黙り、一計を巡らせた。 



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