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16.あなた様に差し上げます

「ふぅ……あふっ」


 重なる唇の隙から熱く乱れた吐息が漏れる。

 


 朝食の後、晴れ渡る空を見上げて、ロゼッタは部屋の全ての窓を開けて風を通した。

 竜の谷へ嫁ぐ日を半月後に控え、ようやく私物の整理を始める気になったのだ。

 ロゼッタが竜王と結婚することにより、自国と実家の双方に莫大な利益をもたらした。父のアルマンは国王から領地と『公』の爵位、竜王からは城を賜ることになった。

 城の建設は着工したばかりで、二年後に完成する予定だ。

 完成すれば、父はそちらに移り住むことになり、これまでの屋敷は手放すことになるだろう。

 嫁ぐ身であるロゼッタは、私物を残してはいけない。

 不要な物は処分し、必要な物は嫁ぐ時に持って行かねばならない。

 生まれてから十七年の歳月を過ごし、ロゼッタを育んでくれた屋敷。

 生んでくれた母と僅かでも一緒に過ごした場所。

 母の形見でもある猫脚の調度品を眺めて、ロゼッタは褐色の木目に触れた。

 近くの長椅子で寛いでいた人化した竜王が歩み寄る。

 背後からそっと寄り添い腰に腕が回される。

 

「いかがした?」


「……嫁いだら、もうここへは戻ってこられないのかと思うと、急に寂しくなりまして」


「しばらくは帰してやれぬだろうが、落ち着けば連れてきてやる」


「誠ですか?」


 てっきり、もう二度と戻れないと思い込んでいた。

 ずっと高い位置にある漆黒の瞳に、驚くロゼッタが映る。


「そなたが生まれ育った屋敷だ。望むのであれば、アルマンが領地エルメルへ越した後も、そなたが自由に使えるよう我が貰い受けてやろう」


「カイル様」


 込み上げる嬉しさに、滲む涙で彼の美貌が霞む。下ろされる唇を、喜びで満たされたロゼッタは快く受け入れた。 

 深められる口づけに、ロゼッタはなんの抵抗も感じずに応えられるようになっていた。

 簡単にモノにつられる単純で現金な女。

 頭の片隅で自分をそんなふうに罵ったが、すぐにそうではないと打ち消した。

 意を汲み取ってもらえた深い慈愛に、胸が歓喜で震えた。

 

カイルは、財力も権力も、何者であろうとねじ伏せることのできる武力さえ持つが、対してロゼッタは何も持っていない。

 返せるのはこの身と心のみ。

 その二つを切に望まれているのだと、ロゼッタはもう理解している。

 求めに応じても、とても足りないかもしれないけれど、それでも今差し出せる全てで応えたかった。


 目を閉じてされるままになると、ひょいと先ほどまで触れていた棚の上に乗せられた。

 視線が同じ高さになり再び本格的に濃密なキスを浴びせられる。

 無理のない姿勢に、教え込まれたキス。

 心が蕩けて、全身に力が抜けるのに、時間はかからなかった。

 

 舌に舌が絡められ、口腔内を隅々まで嘗め尽くされた。

 互いの唾液が混ざり合う水音に、ぬるぬると合わせられるカイルの舌の動きが淫靡で、ロゼッタは次第に妙な気分にさせられていった。

 様子を見に来た侍女の声も、扉を叩く音も聞こえなかった。


 ガチャリと、扉が開く音がやけに遠く、聞こえたもののロゼッタは全く反応ができなかった。

 訪ねて来た侍女が、窓際で睦み合う二人を目撃し、無言で一礼して下がっていく。


 侍女に目撃されるのは、これが始めてではなかった。

 ロゼッタが眠っている間のキスに気づいて以来、カイルは犬と人で過ごす時間を昼夜逆転させていた。 

 貴族の子息らしく衣服を纏ったカイルは、人の姿を曝したことのないロゼッタの父アルマンに正式に挨拶し、輿入れの日まで滞在する旨を告げた。

 ロゼッタの私室近くの客室に部屋は用意されたが、日中は婚約者として寄り添い、夜は飼い犬姿で添い寝する為、ほとんど使用しない。

 人化したカイルは、犬化と同様に彼の本性を完璧なまでに隠すほど、身のこなしが洗練されていた。

 人であることに違和感のないカイルに、父も侍女も彼の正体を知りながらも、自然に接するのに時間はかからなかった。 

 屋敷の中でロゼッタは侍女らも羨むほどカイルに優しく甘やかされ、私室や談話室で隙さえあれば唇を求めてくるカイルに応じるうち、幾度か見られることになってしまった。


 人前ではキスしないという新たな約束を、あくまでもカイルは守って二人きりのときにするようにしてくれている。けれど、侍女の訪問に彼も気づかないのか、あるいは気づきながら無視しているのか、侍女らに見られても平然としていた。

 それがロゼッタには、彼女自身が抵抗しないことをいいことに、カイルが侍女らに見せ付けているように思えて、堪らなく恥ずかしかった。

 かといって、見られたのなら、なぜすぐにやめないのかと、責めることもできなかった。父を含め、屋敷の者たちは二人が、清い関係であることを承知していた。どれほど大切にされていることかと、父や侍女に顔を合わせる度言われるほどだ。

激しい求愛で迫りながら、口づけだけに甘んじてくれている忍耐強さに、乙女心は波のように揺れている。

 

 昼食を終えたところで、カイルはロゼッタを部屋に残して庭に出た。

 彼は空を見あげていた。

 気になったロゼッタが、窓からその様子を眺めていると、しばらくの後、上空に竜影が現れ何かを落としていった。

 落下してきたそれを、カイルは無表情のまま片手でトンと、寸分狂わずに受け止めた。

 見るとそれは、横長の木箱だった。

 大きめの箱に衛兵が気を利かせて声をかけたが、カイルは自らロゼッタのいる談話室までそれを運んできた。


「竜の谷からのお届け物ですか?」 


 カイルは木箱の蓋を開けて見せる。


「ああ、今宵のそなたの衣裳だ」


 促されて手に取ったのは、袖の長い新緑の生地が美しいウプランドだった。

 襟元や袖口、裾には銀糸で描かれた蔦模様が縁取られ、品良く仕上げられていた。

 ドレスに合わせた靴に、髪や首元を飾る宝石類も一緒に納められている。

  

 もらわなくとも、夜会に出る衣裳ぐらいはいくらでもあった。けれど、普段から贈り物をほとんどしないカイルからの珍しい行為に、ロゼッタの口元は緩んだ。


「これほど素晴らしいウプランドを着ては、目立ってしまいますわ」

 

「竜王の花嫁に相応しき品だ。できれば我が色に染めてやりたいところであったが、どうにも黒はそなたに似合わぬ上、この国では縁起が悪い」


「お気遣い、嬉しゅうございます、カイル様」


 微笑むとカイルに抱きしめられる。

 劣情を孕む双眸を前に、ロゼッタは自ら瞼を閉ざして彼の口づけを待った。 




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