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14.愛しき雌は我のもの

 愛って何かしら。

 何をもってして愛してるというのかしら。

 


 ロゼッタは、自室の長椅子で、刺繍に没頭していた。

 不意に集中が途切れる。


「つッ……」


「どうした?」


 ロゼッタの膝で丸くなって惰眠を貪っていた竜王が顔を上げる。


「なんでもありません、誤って針を指に刺してしまっただけですわ」

 

 指先に赤い玉が出来るのをぼんやりと眺めていると、いつの間にか犬の彼が腕に飛び乗ってきて、ぺろりと血を嘗めた。

 彼の顔のすぐ近くに針先があることに気づいて、ロゼッタはすぐに刺繍の布ごと遠ざけた。

 テーブルに置いて、犬の竜王を膝上に乗せなおす。


「針を持ってますのに、刺してしまいますわ」


「そなたの針に刺される我ではない」


 それはそうだろう。

 ロゼッタよりも小さな姿でありながら、巨大な同族を投げ飛ばす。想像を絶する力の持ち主だ。


「そうでしょうが……」


 ロゼッタは言葉を濁して、カイルから視線をそらした。

 

 竜の谷から屋敷へ戻ってきて一月が過ぎていた。

 カイルの弟ユヴェニスに連れ去られて、ふと思い出すのは、竜の谷で過ごしたときのこと。

 竜王とのやり取り。

 愛を告げた竜王に同意してしまった朝。

 自分でも少しは彼に近づいたような気がした。

 けれどそうではなかった。


 朝食を終えたロゼッタは、いざ人里へ送っていってもらおうというときに、人化した竜王に額に手をあてられた直後、強い眠気に襲われた。

 気を失い、気づいたときにはアルマン邸の自室の寝台にいたのだ。

 

「悪いが魔力で眠らせた」


 目覚めたロゼッタに告げたのは犬姿の竜王だ。

 ロゼッタはまた隠し事をされているような、もやもやとした気持ちにさせられた。


 気まずい雰囲気が漂う中、侍女がやってくる。


「フィリップ様がお見えになられていますが、いかがなさいますか?」


「フィリップ様が?」


 久しぶりに聞く元婚約者の名にロゼッタは怪訝に問い返した。

 膝の上では、犬のカイルが、敏感に耳をピクリと反応させていた。





「やあ、ロゼッタ、久しぶりだね」


「お久しぶりにございます、フィリップ様」


 会わない間に、竜王と過ごした衝撃的な日々のせいか、もう何ヶ月も会っていなかったような気がした。

 彼のほうも随分と落ち着いた様子で、以前と変わらない穏やかな雰囲気を纏っていた。

 談話室の長椅子で向き合い、侍女が茶菓子を用意して退室する。


「元気、ないみたいだね」


 フィリップが気遣うように声をかけてきた。

 膝に置いた手元を見つめていたロゼッタは、慌てて視線を上げる。


「い、いえ、そんなことありませんわ」


「無理しなくていいよ。君が、竜の谷へ嫁ぐ日まで、あと一月だからね」


 竜の谷から屋敷へ戻った日を境に、ロゼッタは犬の姿に徹する竜王と距離を置くようになった。

 そんなロゼッタをカイルは様子を見るように何も問うことなく、着かず離れず傍にいた。 

 今も、先刻まで膝に乗せていた彼を、私室へ残してきた。

 罪悪感に囚われていたロゼッタは、意識をフィリップに向けた。


「ええ」


「君の友人達も心配していたよ」


 以前は王宮での夜会や、互いの屋敷を行き来してそれなりに交流していた。

 それが、竜王と婚約することになり、なんとなく外出するのも億劫になり、屋敷に篭もりがちになっていた。

 気落ちする心を誤魔化すように、微笑む。

 

「ごめんなさい。でも本当に、大丈夫ですのよ……」


「アンアンっ」

「これっ、リリアンヌッ、ロゼッタ様はご友人とお話中です。邪魔をしてはいけません」


 壁を隔てた廊下から、甲高い犬の鳴き声と、次いで侍女の制止が聞こえてきた。

 ロゼッタは閉ざされた扉を振り返ると、すぐにフィリップへ顔を戻した。


「ごめんなさい、フィリップ様、少しお待ちになって」


 穏和なフィリップに断りを入れると、ロゼッタは扉を開いた。


「アンアンっ」


 甘えるような鳴き声と共に、黄みがかった小さな物体が胸に飛び込んでくる。


「ロゼッタ様、申し訳ございません」


 主の愛犬を取り逃がした年配の侍女が、すまなそうに頭を下げた。


「いいえ、大丈夫だから下がって」


 父を含め、屋敷の者達は、リリアンヌの正体を未だに知らない。

 話せば、竜王と入浴から寝台まで共に過ごしていたことまで知られてしまう。咎めと案じに、頭を抱えるであろう父を悩ませたくはない。

 一方、カイル自身も明かす様子はなく、飽きもせずに茶番を続けている。

 今もロゼッタが受け止めた腕の中で嬉しそうにロゼッタを見上げて尻尾をふりふり。愛くるしい表情を見せていた。

 ロゼッタはそれを見てみぬふりをしてフィリップの前に戻った。


「その犬が、リリアンヌかい?」


「ご、ご存知でしたの?」


 性別も確認せずにつけてしまった名に、ドキリとさせられる。


「君が来る前に侍女たちが話してくれてね。なんでも竜王からの贈り物に紛れていたそうだね」


「え、ええ」


「僕も気づかなかったよ。てっきり帽子だけだと思っていたんだけど、彼のことだから本当の贈り物は犬の方だったのかもしれないね」 


 フィリップは茶器を手にクスリと笑った。


「ど、どうしてそう思われますの?」


 ロゼッタは動揺し、そうかもしれない、と軽い眩暈を覚えた。


「彼は君に物欲がないことを知っているんだよ。もっとも、君と婚約している間に僕がのろけて話してしまったんだけど。……竜王が君に贈り物をほとんどしないのは、そのせいかもしれない。さっき君の侍女が心配そうに話していたよ。君ももし、そのことを気に病んでいるのなら……」


 フィリップが神妙な面持ちで話している間、いつもなら膝の上で大人しくしているカイルが動き出した。

 椅子の上に降り、背もたれに飛び乗ると、何を考えているのかロゼッタの肩に移った。

 下ろそうと手を伸ばせば、それよりも速く、振り返った彼女の唇にペトリと犬の濡れた鼻先を押しつけられた。そして唇をぺろぺろと嘗められる。

 

 カ、カイル様ッ!


「ふっ……やっ、やんっ……」


 ロゼッタがぼっと頬を紅潮させて顔を逸らすと、今度はドレスの肩から覗く鎖骨をペロリと嘗められる。

 弱りきった悲鳴を上げていると、スッと肩に止まっていた小さな存在が離れていく。


「随分と破廉恥な犬だな」


 見ると犬のカイルが、フィリップに摘まみ上げられていた。


「あ、あの……」

 

 元婚約者の前であらぬ戯れに恥じたロゼッタは、止めてもらえたことはありがたかったが、犬の正体を知らないフィリップの乱雑な扱いにうろたえた。

 犬のカイルはフィリップとロゼッタの間で、軽く身体を前後させると、ひょいと後転してフィリップの指から逃れた。

 胸元目掛けて飛んでくる後ろ向きのカイルを、ロゼッタは反射的に出した掌で受け止める。


「ロゼッタは私のものだ。お前に言われる筋合いはない、フィリップ」


 背を向けたツベルク・リッツから発せられる嫌味は、身体に似合わぬ低い男の声。


 言ってしまわれるなんて……。 

 

 ロゼッタは軽いショックを受け、恐る恐る向かいの長椅子に座るフィリップを見ると、元婚約者は顔を引きつらせていた。


「……しばらく音沙汰がないと思っていたら、婚約者の屋敷に入り浸りか。しかもそんな姿で」


「風呂も閨も共にしている。お前のおかげだ、フィリップ」


 フィリップは片眉をひくつかせながら、ピキッと額に青筋を立てた。


「カ、カイル様っおやめください」


 手の上のふわふわの身体が仰け反って、つぶらな瞳が睨んでくる。  


「そなたが我を無視して、こやつとどうでも良い話に興じるからではないか」


「む、無視などしておりませんわ」


「ならば何故、我を見ぬ」


 先刻からロゼッタはカイルを見ないように視線を逸らしていた。

 元婚約者の前でうろたえ泣きたくなってくる。

 

「それは……フィリップ様がご覧になられていますから……ご容赦くださいませ」


 剣呑な空気を漂わせて今にも立ち上がりそうだったフィリップは、いつの間にやら怒りを鎮めていた。馬鹿馬鹿しいとでも言わんばかりに、菓子を摘まんで茶を飲んでいる。


「お前、まだいたのか? 用がないなら失せろ」


「用があるから居座っているんじゃないか」


 犬の竜王の売り言葉に、人間の元友人は開き直ったように、さらりと受け答えた。

 嫉妬むき出しで今にもフィリップに飛び掛りそうなカイルを、ロゼッタは冷や冷やして両手で胸に抱き寄せた。

 ロゼッタの胸に抱かれたカイルは、仕方がないというように諦めて顎を下ろしてくつろぐ。

 

 大人しくなったカイルを、フィリップが疲れたようにうんざりとした表情で眺めていた。懐から一通の手紙を取り出すと、ロゼッタの前に差し出した。


「半月後に予定しているロゼッタの友人レイチェル・ブロッサム邸で催す夜会の招待状だ。ご婚約者の竜王陛下宛だよ。レイチェルから渡すように頼まれたんだ」


「飽きもせず愚行の反復か。お前はよほど伴侶が不要と見える」


 黙っていられないのかカイルの毒舌を、ロゼッタが止める。


「カイル様っ、何を仰られているのかは存じませんが、フィリップ様はわたくしの大切な友人なのですよ。そのような挑発をなさるのはおやめください」


「こやつにそなたと二人だけの時間を邪魔されておるのだ。苛立ちが収まらぬわ。我を鎮めたければそなたが精々宥めるのだな」


「畏まりました」


 思わずクスリと笑みを零して、頭から尻尾へと小さな四肢を優しく撫でる。

 ロゼッタはふわふわなツヴェルク・リッツの毛を撫でるのが堪らなく好きだ。リリアンヌの正体を知ったときこそ、無礼な行為だとばかり思って遠慮もしたが、実はカイルもロゼッタにそうされることを、いたく気に入っていたのだ。

 撫でると彼が気持ち良さそうに目を閉じる。竜ともあろう最強生物が、人間の女に抱かれて撫でられることを気に入っているのかと思うと、滑稽で酷く愛おしくなった。


「うおふぉんっ」

 

 わざとらしい咳払いに、ロゼッタは数瞬自分がフィリップの存在を忘れていたことに気づかされる。

 ハッとして気恥ずかしさに熱が上って頬が熱くなる。


「ご、ごめんなさいフィリップ様」


「いや、誰かさんのせいで僕も非常にやりづらい。邪魔なようだから手短に話すよ」


「そ、そんなことは……」

「心得ておるなら早くしろ」


 気を利かせようにも腕の竜王陛下は片目を開いてフィリップを促した。


「僕の友人バージェス公爵の子息カイル・バージェスが、実は竜王陛下だったことが知れ渡ったんだよ。おまけに、一目見れば忘れられないほどの美形だと、社交界でもその噂で持ちきりだ。君の友人達もせっかくだからカイルを誘おうということになって、僕に白羽の矢が立てられたんだよ。彼が来たらどうなるかなんて僕だって目に見えてるさ。だから何度も断ったんだけどね、会う友人が揃って頼んでくるんだ。それで君から断りを入れてもらおうと思ってこうして訪ねたんだ」


 フィリップが訪問した理由は分かったが、竜王カイルを夜会に欠席させたがる理由が分からない。

 二人の男達の間では既に話がついているのか、犬のカイルは、夜会に全く興味を示さず、どこ吹く風だ。彼女の腕を枕に顎を乗せ、目を細めて気持ち良さそうにしている。

 ロゼッタを間に挟んでおきながらあえて話さないのであれば、聞いてはならないのだろう。


「カ、カイル様は竜王陛下であらせられますから、わたくし達とは違う風格をお持ちですし、何かと人目を引いてしまわれるのでしょうね。どちらにしても、カイル様にご出席の意向がおありでないのなら仕方がありませんわ。レイチェルにはわたくしから断りのお手紙をださせていただきますわ」


「そうしてくれると助かるよ。すまないが宜しく頼むよ」


「はい、ご安心ください」


 フィリップが安堵を浮かべると、早々に椅子から立ち上がった。

 ロゼッタは慌てて彼を呼び止める。 


「あ、あの、フィリップ様……か、カイル様がこちらにいらっしゃることは内密にお願いします。父も屋敷の者達も知らぬことですので」


「言わないよ。実際目の前でしゃべられたら驚いたけど。竜王が超小型犬になって、婚約者に飼われているなんて誰も信じないよ。話したところで笑い飛ばされるだけだ」

 

 それを聞いて、ロゼッタはほっと胸を撫で下ろした。

 カイルに追い出すように急かされてしまったフィリプに、申し訳なく思いながら、玄関先で見送った。




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