12.ツヴェルク・リッツの虜
「陛下、宜しいですかな」
「申せ」
「城の改修工事について少々ご相談したきことがございまして」
ロゼッタが食事を終える頃に再び参上したバトラーが、主君を呼びに来た。
「寝床へ案内させる。そなたはゆるりと休むがよい」
竜王は侍女にロゼッタを預けると、バトラーと別の場所へと向かった。
寝衣に着替え、案内されたのは、これまただだっ広い空間だった。
周囲を高い岩壁が囲い、部屋と庭が併設されていた。
囲いの前面の床には、他とは違い、磨き上げられた御影石が敷き詰められ、そこが特別に設えられた場所なのだということは、明らかだった。
「ごゆっくりお休みくださいませ、奥方様」
え?
ここで?
侍女は終始無言でロゼッタの世話をし、距離を保つように目も合わせなかった。
親しく話しかけられる雰囲気はなく、うろたえている間に、侍女は音もなくすっと消えていた。
引き返せばすぐに追いついたかもしれないが、見失うことを考えれば寝所から出ることの方が躊躇われた。
扉の向こうは、明かりもない薄暗い岩窟の通路が複雑に入り組んでいる。
おまけにロゼッタは方向音痴だ。
通ってきた通路すら戻れる自信がない。
頼みの竜王陛下もおらず途方にくれて、辺りを見回すが薄闇でよく見えない。
奥に、なにやらきらきらと光るものが山のように積み上げられいた。それは大小様々な鉱石や金銀の財宝だった。
ロゼッタが物欲のある女であれば、目を輝かせて眺めただろうが、何の感慨も沸かない。
ここは竜王の城だ。貢物などで蓄えられた財宝があっても不思議ではない。
ただ気になったのは、置き方と場所ぐらいだ。
床に直置きされ、見上げるほどに渦高く積み上げられているのだ。
台に置かれたランタンの光がそれらを異様に照らし、一帯を明るくしている。
「なぜ、このような置き方をなさってらっしゃるのかしら? それに、人をお通しになるようなところにこんなにも沢山」
飾るのであれば、棚などに並べても良さそうなものだが、どう見ても無造作に積み上げられているようにしか見えない。
あえて光を当てているあたり、いかに多く収集したかを誇示しているようにも見受けられる。
思い返せば、ロゼッタを竜の谷につれてきたユヴェニスの巣穴にも、宝石類があった。
彼も、同じように積み上げていた。
「そういえば、竜は宝石を好むと本で読んだことがあるわ」
誰に言うともなく、ロゼッタは独り言を呟いた。
「飾って楽しむというより、集めているだけなのかしら」
ウィルディーチにも、宝飾品や絵画など、収集癖を持つ貴族は多い。
かくいうロゼッタの父も収集癖を持っている。
何がそんなに惹かれるのか、様々な杯を見つけては買ってくる。
部屋には幾つもの棚が置かれ、杯が飾られているのだ。
それに、何も収集癖を持つのは人間ばかりではない。
鳥や犬、他の動物にも見られる行動だ。
竜も同じなのだろう。
気に入ったものを手に入れると、彼らは巣に持ち帰る。
「竜王陛下も、持ち帰られて、こちらに置かれているということなのかしら……」
そこが竜王の巣であるなら……。
ロゼッタは、竜王とは別々の部屋に案内されたものと、勝手に思い込んでいたが、ようやく間違いに気づく。
ふと巡らせた視線の先には、大きな寝台があった。
人化した竜王と添い寝する自分を想像してしまい、熱が顔に集まる。
怒りでも、嫌悪でもない。
少し前までは、傍にもいられないほど恐ろしく嫌悪を抱いていたというのに、そんな自分が信じられない。
食事の席で、いつの間にか結婚させられていたと聞いたときもそうだ。
正体を隠して犬の振りをしていたことですら、怒りは継続しなかった。
拒みながらも、受け入れている自分がいた。
『あなた様の下へ、正式に嫁ぐその日までお待ちください。約束を守ってくださるのであれば、私を差し上げます』
ロゼッタが告げた「正式に嫁ぐその日」とは、竜王城へ輿入れする日のことだ。しかし、竜族の流儀からすれば、彼の鱗片を受け取った時点で、二人の婚姻は成立する。
となれば今夜は……。
「そ、そんな、急すぎますわ」
ロゼッタは火照る頬を両手で押さえ、ふるふると首を横に振る。
『我はそなたに誓った。ゆえにそなたを尊重し、約束を守ってやろう。……』
竜王は宣言してくれた。
ああ、だけど……。
『ロゼッタ、そなたが欲しい』
優しく痺れるほどに甘い声がまだ耳の奥に残っている。
望みながらも、何もしないでロゼッタの我侭を聞いてくれた。
誠意を見せてくれた竜王が、どれほども経たぬうちに、掌を返したように襲ってくるとは思えない。
正体を隠してリリアンヌとして傍にいても、彼は何もしなかったのだ。
だから……。
「大丈夫、きっと待っていて下さる」
自分に言い聞かせて寝台から離れる。
それにしても何もない部屋だった。
調度品らしきものもなく、部屋が広すぎて、どうにも落ち着かない。
しかも、ロゼッタ以外誰もいない。
けれど、不思議と不安も心細さもなかった。
まるで誰かが常に傍にいるようで、何か大きなものに守られているようなそんな感覚があった。
それでも、手元が寂しい。
いつも触れていた小さな存在がない。
無意識に、胸元にある漆黒の石を掴んだ。そうしているとなぜだか落ち着いてくる。
ロゼッタはまだ知る由もなかった。毎夜嗅がされていた匂いが、意中にさせられるフェロモンであることも、鱗片が半身の如くカイルの気配を醸し出していることも。
手持ち無沙汰になったロゼッタはすることもなく、庭へと出てみる。
床からは一段下がっており、岩の天井もそこで切れて、細い弓月と星屑の夜空を望むことができた。
噴水があり、ガゼボ(四阿)まで設けられている。
ただ花壇には、草花は植えられておらず、片隅に肥料と思われる麻袋や、道具などが置かれて、いかにも作業中といった感じだ。
「次にそなたがここを訪れるときには、花で満たしておこう」
男らしい艶のある低音に、ロゼッタの胸がきゅんっと締め付けられる。
そんな自身にうろたえながら、声のした方に振り返ったが誰もいなかった。
「なんだ、人の成りを期待しておったのか?」
ハッとして、上げていた視線を真逆の足元に向ければ、超小型犬ツヴェルク・リッツが行儀よく座って見上げていた。
立ち上がり、軽やかな跳躍で飛び込んでくる。
反射的に手を出してしまう。リリアンヌとして過ごしてきた習慣が抜けない。
彼女の両の手平に降りた犬のカイルが、見透かすように凝視する。
ロゼッタは逃げるように顔をそらした。
「い、いいえ」
竜王の声に、ロゼッタが無意識に探したのは、犬の姿ではなかった。
寝台で添い寝を想像してしまったからか、ここで会うなら人の姿だと思い込んでいた。
そして、整えようとしている庭を見てようやく確信した。
愛されていると。
見覚えのある様式が、ロゼッタの屋敷の庭と同じだった。
竜王城は、ロゼッタが過ごしてきた場所とは何もかもが違う。
その中に、彼女が慣れ親しんだ場所と同じものを造ろうとしてくれている。
優しい気遣いが感じ取れて、それがたまらなく嬉しく、自然と人の姿の彼と寄り添う自分をを想像していた。
素直に認めたくなくて、否定はしたものの、ドクドクと鼓動が脈打つ。
「二月後にそなたを貰い受ける手筈になっておる。もう少し、そなたにも馴染めるような城になるまではと思うてな。だが怯えずに我の傍で過ごせるのなら、このまま留め置くが」
着る物に食べる物、寝る場所に世話係までつけてくれていた。
不自由は感じなかった。
ロゼッタが愛したリリアンヌはもうどこにもいないけれど……。
薄闇の中で漆黒に光るツッヴェルクの瞳に見つめられて、ロゼッタの心は揺れた。
一刻も早く、屋敷に帰りたいと思っていたはずなのに。
谷底からは魔物が現れ、常に竜に囲まれ、いつまたユヴェニスのような竜や、魔物に襲われるともしれない。
城といっても巨大生物の棲み処に変わらず、中は迷路のように入り組み、恐ろしく広い。
何より五百年前、この城のどこかで竜の彼に食されたではないか。
あのときの恐怖はどこに?
竜体ではなく、人の姿でもなく、ロゼッタが愛したリリアンヌの姿でいてくれることが、ロゼッタは嬉しかった。
このままずっと愛らしい姿の彼となら、一緒にいられる気がした。
そこまで考えて我に返る。
だめよ、ロゼッタ。
流される自分に気づいて、懸命に言い訳を紡ぐ。
「ま、まだこちらには……。お、お父様に何もお話できておりませんし、それに、お友達にお茶会のお誘いを受けておりますの。最後にお別れを言いたいですわ」
「良かろう、望むように致せ」
仕方がないとでもいうように溜息をつき、犬の竜王はロゼッタの手の上で寝そべると丸くなった。
寛大な言葉と、正体を感じさせない犬らしい仕草に、彼女の胸はまたきゅんっとなる。
「ご恩寵感謝いたします、竜王陛下」
心を込めて告げると、軽く睨まれた。
「名を呼べ。間違っても伸ばすなよ」
カールのことかしら?
屋敷で飼っている狩猟犬の名。
この雄犬に、竜王は嫉妬しているのだ。
呼ぶ前から釘を刺すあたり、よほど気に入らないらしい。
リリアンヌが竜王とも知らず、彼がいるところで狩猟犬の『カール』の名を幾度か呼んだ。
その度に地上の覇者ともあろう竜王が嫉妬し、まだ気にしているのかと思うとおかしい。
ロゼッタは思わずクスリと笑みを零す。
「心得ております、カイル様」
つぶらかな犬の目がぼうとロゼッタを見つめた。
「どうか、なさいまして?」
「い、いや」
慌てたように言葉を詰まらせ、ふんと鼻を鳴らして前足の上に顎を乗せた。
「もう一度、我が名を呼べ」
不機嫌な物言いがかえって可愛らしい。
掌に感じる温もりや重さ、柔らかな毛。
無性に撫でたくて手が疼く。
「カイル様、……あの、カイル様」
小さな頭、ふわふわの柔らかな毛。
触りたい。
「なんだ」
「その……あの……」
ロゼッタは無礼なことを頼もうとしている。
そんなことを願ってはいけないと思うものの。
「はっきり申せ」
「あ、あの、御身体を撫でても宜しいかしら」
きらりと、カイルの目が妖しく光るが、ロゼッタは気づかない。
「好きに致せ。ただし、触るときは我が名を呼べ。心行くまで愛でるが良い」
可愛らしいツヴェルク・リッツを、また撫でさせてもらえると思うと、ロゼッタの頭の中はお花畑になる。
「ありがとうございます、カイルさま」
うっとりと目を細めると、もう愛くるしい犬にしか見えない竜王を、ロゼッタは片腕に抱いて胸に引寄せる。
もう片手で獣毛に触れた。
ほんの少し触れなかっただけだというのに、もう何日も触れていなかったかのように懐かしくて、 柔らかな毛が気持ちよくて、何度も撫でた。
ああ、なんて可愛らしいのかしら。
犬になりきって大人しくしている竜王が、澄ました犬顔の下で舌嘗めずりをしているとも知らずに、ロゼッタは無自覚に満ち足りた笑みを向けた。
ふわふわとした柔らかな毛並みを堪能し、撫でているうちに、手元に戻ってきた存在にすっかり安心してしまう。
いつもの癖で、足は自然と寝台へ向かった。
胸に寄り添う、小さく温かな存在。
それだけなのに、落ち着かないと思えた場所が、まるで嘘のように居心地が良い。
僅か半日の間に何度も衝撃と緊張を強いられた心と体は癒されて、休息を求めて寝台へと向かった。
竜王がいつ何時奥方を連れ込んでも良いように設えられた寝具は、温かく極上の心地よさでロゼッタを包み込み、深い眠りへと誘った。




