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11.可愛らしさになでなでしたくなります

「なんて、美味しいのかしら」


 食卓に出された前菜を一口食べたロゼッタは、舌鼓を打った。


 全身ずぶ濡れにされたロゼッタだったが、竜王カイルは彼女に必要なものを揃えてくれていた。

 世話係に、ドレス一式。

 着せ付けられたのは、淡い空色の裾がふわりと広がる優美なウプランドだった。

 ドレスに合わせた白い靴に、宝飾品。

 どれも値が張りそうな高級品ばかりだった。

 自分の服を貸してやろうって言っていたくせに、意地悪なひとだ。


 着替えの後で案内されたのは、岩を穿っただけの空間だった。

 ロゼッタには洞窟にしか見えない。

 燭蝋の灯りが 荒削りの壁を茜色に染めていた。

 天井が高く、広々とした空間は、窓がなくとも空気が流れ、息苦しさはない。

 その一角に十人がけのテーブルと椅子が置かれていた。

 テーブルには刺繍とレースの美しいクロスがかけられ、添えられた花瓶にはみずみずしい花々が生けられていた。

 野生的な空間とはなんとも相反した食卓である。

 ロゼッタの日常では、お目にかかることのない不思議な光景だった。

 どことなく落ち着かないのは、多くの竜が住む城であるからだろうか。

 食欲も沸かない。

 だからといって、好意を無下にできるほど身勝手に振舞うこともできない。

 小心者のロゼッタは渋々席についた。

 自分の口に合うものが少しでもあれば良いのだけど。

 そんなことを考えていただけに、いざ運ばれてきた料理に驚いた。

 意外にも普通だった。

 いや、一般庶民が口にするものよりずっと豪勢な食事だった。

 

「生肉の盛り合わせでも出てくると思ったか」


 同席する竜王が、面白がるようにロゼッタを見た。

 彼は相変わらず犬の姿だ。

 椅子には座らずテーブルに陣取る。

 ロゼッタは以前からリリアンヌをテーブルの上で食事させていた。

 皮肉にもそれだけはおなじみの光景だ。


 図星を言い当てられて、ロゼッタはばつの悪さに俯いた。


「失礼を致しました」

 

「くくくっ、良い。そなたの口に合うよう配慮はさせてある、食してみよ」


 目の前に並べられた料理は、どれもきれいに盛り付けられ、漂う香りは食欲をそそる。

 肉や魚介類、野菜、多種の食材が少しずつ使われ、実にバランスの良い内容になっていた。

 中には高級食材も用いられ、実家の食卓より豪華だ。

 しかもどれもが食べきれる少量。

 そして味はどうなのかと口にして、前述の科白が零れた。

 ロゼッタは思わず蕩け落ちそうになる頬を押さえた。


 そこへ、城門でバトラーと呼ばれていた老紳士がやって来た。


「お褒め頂恐縮にございます。人界に同胞を、修行に出しておいたかいがございました」


「まあ、そうでしたの、どおりで。我が屋敷でも、これほどの料理を出せる者はおりませんわ。さぞ腕の良い方のところで修行をされていたのですね」


「ウィルディーチ王の料理番にございます」


「まあっ、国王陛下の」


 国王の口に入れる料理を作る者たちだ。

 身元が明らかであり、王の信頼がなければ入れないであろう王宮の調理場。

 そんなところに、よく彼らが入れたものだ。

 どんな手を使ったのやら、想像するは恐ろしくやめておいた。

 バトラーは笑みを深めてこう言った。


「奥方様となられたあなた様をお出迎えする為にございます」


「え?」


 奥方様となられた。

 そう聞こえた。


「あの、わたくしはまだ竜王陛下の婚約者にすぎませんわ」


 結婚式もまだ挙げておらず、身も清いままだ。


「何をもってしてそのように仰られておられるかは存じ上げませぬが、我々竜は、雄竜の鱗片を雌に身につけさせることで、伴侶と致します。人界で言うところの婚姻の儀式ですな」


 婚姻……儀式? 


 ロゼッタは目を瞬かせた。

 何を言われたのか、さっぱりわからない。


 バトラーがじっとロゼッタの胸元を凝視する。

 そこには、細い白金の鎖に通された、菱形の漆黒の石があった。



「我はそなたに誓った。ゆえにそなたを尊重し、約束を守ってやろう。ただし一つ条件がある」


 浴場で竜王はそう言った。

 出された条件とは……。


「我が授けた石を、肌身離さず持っておけ」


「こちらの石のことでしょうか?」


 胸元にある菱形の石を手に乗せた。

 緑竜ユヴェニスの巣穴に連れ込まれたとき、犬の彼がどこからともなく持ってきて、ロゼッタに渡したのだ。

 触れた瞬間、それまでの息苦しさや、鼻を覆いたくなるほどの腐臭が、嘘のように消えた。

 不思議な石だ。


「そうだ」


 そんなこと。


 何を言われるのかと、ロゼッタは内心で身構えていた。

 それだけに、露骨にほうっと胸を撫で下ろした。

 竜王がほくそ笑んでいるとも知らずに。


「身に着けているだけで宜しいのでしたら」


「着替えのときもだ。いついかようなときであろうと、決して外してはならぬ」  


「承知いたしました」


 念を押されて少々怪訝に思ったものだ。

 しかし、それで約束を守ってもらえるなら安いものだと安易に考えていたのだが……。


 

 世間知らずで、人を疑うということを知らない。

 黒い石を半身半疑で見下ろした。


「鱗片って……この石のことですの?」


 目の前で食事をしている竜王は、彼女と同じ食事を黙ってはむはむと食べ進めている。 

 自分の口から説明する気は全くないようだ。


「いかにも。黒竜であらせられる陛下の鱗片にございます、奥方様」


 バトラーは爆弾を投下すると、丁寧に頭を垂れて静かに退散していった。


 知らなかった。

 彼は一言もそんなことを言わなかった。

 リリアンヌの正体が竜王だと知ったばかりだというのに。

 また大事なことを隠していたらしい。


 ロゼッタは俯くと、泣きたい気持ちを堪えて涙目で犬の竜王を睨んだ。


 なんて卑怯なひとなのかしら。


「なにゆえご説明くださらなかったのですか?」


 ロゼッタが一人思い悩まされている間、彼は素知らぬ顔で食事を平らげていた。

 薄い舌で、汚れた口元をペロリときれいに嘗め取る。

 

「説明すれば、そなたが鱗片を突き返すと思うたがゆえだ」 


 ではあれが、結婚式。


 ロゼッタとて乙女だ。

 フィリップと婚約していたときは、結婚式に甘い夢や幻想を思い描いていた。それが婚約破棄をされて竜王との結婚が決まってからは、期待などしていなかった。

 食されると、最悪なことばかり考えていたのだ。

 まさか、婚姻の儀式が、他の竜の陰湿な巣穴で、ただの雌犬と信じていた竜王と、しかもそうとは知らず行われたとは。

 きっと死ぬまで忘れえぬ思い出となることだろう。 

 雰囲気も何もあったものではない。

 乙女の生涯に一度の夢は塵となった。


 知らぬうちに終わっていたとはいえ、鱗片を受け取り結婚は成立した。

 ならばその逆はどうなのだろう。

 鱗片を返せば、離婚ということになるのだろうか。

 

 ロゼッタからすれば、了承もせぬうちからいきなり結婚したと言われては、驚きもするし抵抗も感じる。

 けれど、それでもまだ竜王は段階を踏んでくれているといえる。

 前世の貧しい村では、若い娘が村の男と無理矢理結婚させられ、夫婦の営みを強要されることも珍しくなかった。

 竜王はロゼッタを突然浚うことも、無理強いすることもしない。

 既に彼の婚約者だ。

 求婚の申し入れは国家間でなされ、ロゼッタを娶る為に王家に対してもロゼッタの父に対しても彼は充分な対価を支払っている。

 同時に幾重にも囲われて完全包囲にされたわけだが、王を納得させ、父を喜ばせてくれた竜王に、ロゼッタは決心を固めつつあった。

 その上で、尊重するとまで約束もしてくれたのである。

 ロゼッタの勇気を振り絞った我侭を聞いてくれたのだ。

 勝手に夫婦にされて思うところはあるが、怒る気はしなかった。

 それどころか、呆れてしまう。

 

 ここにきて黙って婚姻を成立させ、離婚されたくないなんて。

 わたくしなど貴方様からすれば、ただの人間ですのに。

 

 狩猟犬のカールに嫉妬したり、臆病になったり。


「そうまでして、わたくしを妻になさりたいの?」


「ぶはっ、げほっ」

 

 ぺろぺろと皿の水を飲んでいた犬の竜王が、突然むせた。

 苦しげに咳き込んでいる。


「まあ、どうなさいましたの?」


 ロゼッタは慌てて小さな体を抱き上げて、背中を撫でてやる。

  

「げほっ、げほっ……もうよい、そなたもはよう食え」


「はい」


 テーブルに戻すと、彼は行儀悪く寝そべった。


「ごほっ」 


 咳をしながら気まずそうにそっぽを向く様がおかしい。


 なんて可愛らしい方なのかしら。


 撫でてあげたい衝動に駆られつつ、ロゼッタはそんな竜王を眺めて食事をした。




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