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空穿つ砲と飛べない鳥  作者: 月立淳水
空穿つ砲と飛べない鳥
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二章 アンビリア(2)

 翌日、ジェレミーは単独で、ビクターらが働く職場を再び訪れていた。

 ジェレミーが次にすべきこと、それは、そこにいる人々がどんな表情で働いているのかをしっかり見ることだ、と思ったのだ。

 作業場内に入ってほどなく、ジェレミーはビクターとニナがいるのを発見した。


 またも渋い顔をするボスコの了解をなんとか取って、ビクターを先頭にその区画の作業員に順次インタビューをすることとした。彼らがどんな仕事をしているのか、から始まって、仕事に対する考え方や、話が広がった場合は彼らの人生プランにまで、そのインタビューは及んだ。

 ジェレミーは、ひそかにいくつかの属性で回答の傾向がないかを調べながらインタビューを進めていった。そのうち、特に回答の傾向に強い傾向が出たのは、その人の出身地であった。


 地球出身で就職を機にアンビリアに移住した人々は、口々に生活や社会に対する不満を述べた。食糧が高価であることはまさに生活に直結することであり、食費が可処分所得の大半を食いつぶしていることに強い不満を感じている。加えて、その他の生活必需品は地球にいたころには考えられないほどの節約を強いられていた。


 対して、アンビリア出身者は、そういった不満の声をほとんど上げなかった。

 まず、仕事に対する考え方がジェレミーには理解できないものだった。それでも何とか彼らの言葉から再構築した彼らの考え方は、つまり『社会への奉仕』だった。アンビリアで生まれ、学校を義務的に通り抜け最終的には開発企業の社員となること、それは、単に社会の一員としてそうあるべきだからだ。


 生活に対する不満が少ない理由についてもいくつかの言葉から彼らの共通する性向を見て取ることができた。地球がどのような場所かはぼんやりと、映画の中の風景のように知っているだけで、自分の生活と比べるという意識が働かない。

 彼らにとっての地球はうらやましいお伽の国。地球と生活に違いがあることにもあまり疑問を感じないのだ。


 実はジェレミーにもその感覚は、少しだけだが、理解できた。


 小さいころ、辺鄙な田舎町に住んでいた彼にとって、その田舎町こそが世界のすべてだった。都市高速道路が空中を縦横無尽に走り、そびえたつビルディングが雲を突き抜け、きらびやかなファッションショップをビデオスターが訪れ、そこかしこの路上で新進気鋭のパフォーマーがストリートカメラを観客に技を競い合う、そんな都会の風景は、完全に自分とはかかわりのない世界だった。

 それらは、カメラのレンズとスクリーンを経た向こうの世界に過ぎず、自分自身の世界は田舎町の果てまでだった。

 その最果て、手入れされていない森を潜り抜けて百年以上前に建てられた無人の山荘を独力で発見し征服した時には、間違いなく世界を統べたと感じた。無上の万能感を味わった。

 その時、自分の住む田舎町に摩天楼がないことを不満と感じただろうか? 純粋なアンビリア人が感じているのは、それだった。


 ジェレミーは、直接不満を訴える人々よりも、この現状に不満を感じていない彼らの存在こそ危惧すべきものであると感じた。集団的無気力とも言うべき症状、これは、代を重ねれば重ねるほど蓄積されていくだろう。

 住民自らの起業という彼のアイデアにとって、これはとても危険な兆候だと感じ始めていた。


 何人目かの面談が終わり、次の人を呼ぶと、ニナが入ってきた。長い赤毛はまとめて帽子に畳み込んでいる。


 本社からの要請で面談がある、という情報から、ここにいるのがジェレミーだと推測していたようで、ジェレミーの顔を見てもさほど驚くでもなく、にこりと笑って会釈し、すっと椅子に座った。


「こんにちは。ディナーは楽しかったわ」


 ジェレミーが口火を切るより先にニナが挨拶をした。


「僕もだよ」


 と、型通りの世辞を応酬し、では、とジェレミーがインタビューを開始する。


「では、あなたの名前、年齢と所属を。あぁ、一応、型通りにやらせてもらうよ」


 ニナはくすりと笑うと、


「はい、ニナ・ベルトロット、二十三歳です。そういえばジェレミーのお歳を聞いていなかったわね。――えーと、第一工区資源処理部間接処理課、薬液濾過第六チーム所属です」


「ありがとう。では君の具体的な仕事を教えてください。――ちなみに僕の歳は三十一」


「もっと若いかと思っていたわ。――処理液はいくつかあるんですが、その中の一つの……液の名前は舌を噛みそうだからいいかしら。その液の再生工程のうち、第四系統の監視とフィルターのメンテナンスです」


 ジェレミーは間の無駄話をうまくカットするように手早く巧みに端末を操作しながら、


「よろしい。今の仕事は満足していますか?」


「私は、仕事内容に不満はないです。ただ、いつまでもこの仕事が続くのかと思うと、時々、暗い気分になります」


「暗い気分……それは、たとえば、もっと自分に向いている仕事があるかもしれないのに抜け出せない、そういうことかな」


 ジェレミーが重ねて問うと、ニナはわずかにうつむいた。


「そうね。こんなことを考え始めたのはあなたに会ってからなの。ごめんなさい、ジェレミー、あなたが悪いんじゃないんだけど。もちろん、あなたはとても優秀で、だから、自分で仕事を作り出すことができたんだと思うわ。私は、もし同じチャンスを与えられても、きっとあなたと同じようにはできないと思う」


 ニナは、さらにうつむいて考えるようなそぶりを見せた。

 それから、大きくため息をついて、


「でも、働いただけのお給料はいただいているし、ちょっと手に入らないものは多いし値段も高いけど、だからって、とんでもない大富豪でもない限り、手に入らないものがあるなんて当たり前のことでしょう? この気持ちは、選べないことを理由にわがままを言ってるだけだわ」


 おそらく先日のインタビューの後、ニナなりにいろいろと考えることがあったのだろう。彼女の自己分析に、ジェレミーは思わず、ふむ、と唸った。


「が、だからと言ってすべてのわがままが許されないってこととは違うと思う。きっとかなえられるべき要望もあるはずなんだ」


 ジェレミーの言葉に、ニナもうなずく。


「うん、ありがとう。じゃ、もう少しだけ。たとえば、いつか、私が誰かと結婚して子供を産んだとき、その子供が、私と同じ仕事をしなきゃいけない理由なんてないし、もっとたくさんの学校や仕事の中から好きなものを選んでほしいって思うわ」


 考え考え、ニナは言葉を継いでいく。


「子供の娯楽も、そう。何年も代わり映えのしない遊園地くらい。私が無能で我慢するのはしょうがないけど、我慢した先の次の世代にやっぱり何も楽しみをあげられないかもしれない、って思うことがあるのよ」


「確かに娯楽に力を入れているとは見えないね」


「そりゃね、ちょっと貯まったお金で友達集めて豪勢なパーティでも開く、くらいの楽しみはあるんだけどね」


 ジェレミーの言葉に、かすかに笑ってニナは答える。


「仕事の話に戻るけど、もし機会があったら、別の仕事をしてみたいと思うかい?」


「どちらとも言えないわ。やってみたいとも思うし、今さら新しい仕事なんて、とも思うし」


「だけど君はまだ若い。いろいろなことに挑戦してみたいと思う頃なんじゃないかな」


 ほかの人のインタビューではこんなことは言わなかったな、とジェレミーは思いながら問うた。気心が知れた相手だから無防備に言葉を選んでしまっているところは否定できない。


「……もしあなたに会わなかったら、『挑戦』なんて言葉、知らなかったと思う。だってそうでしょう、挑戦は、その先の変化と成功をつかむためのものじゃない」


 たしかに、成功のイメージあってこその挑戦、と言うニナの言葉はよくわかる。もしジェレミーが、独立の果ての成功が否定されていたとしたら、果たして、このビジネスに挑戦しただろうか。むしろ、それを挑戦と呼んでよかったものだろうか。


「いや、君の言う通りかもしれない。僕の方が今気づかされたよ」


 ……選べない不自由、挑戦と呼べるような機会の不在、そして代わり映えのしない娯楽や物資……。


 企業改革だけで解決できるものだろうか。


 彼らは、選択の自由を知らない。

 彼らは、挑戦という言葉の意味を知らない。

 彼らは、変化するという概念を知らない。


 社会の根本的な改革が必要かもしれない、とジェレミーは思う。


 たとえば、企業内ベンチャーの仕組みが認められさえすれば、おそらく今得られない選択の自由と機会と成功と娯楽、そして物資の問題は解決する糸口となりうる。しかし――


「あとね、もうちょっとわがままを言えば、私、一度でいいから、この惑星を出てみたいわ。これもあなたのせいよ。もしジェレミーがこのお仕事で大成功してたくさんの社員を雇うことになったら、私を雇って、連れて行ってくれる?」


 冗談めかしてはいるが、そう言うニナを見て、ジェレミーは思う。


 自らの力で惑星を飛び立とう、と思うことができないニナ。

 誰かに連れ出して欲しいと。


 社内起業の仕組みで一部のベンチャー成功者は生まれるかもしれない。けれども、アンビリア人にとっては、それもまた、遥か遠い世界の話。田舎者が都会人を映像越しに見る感覚。

 アンビリアで生まれ、挑戦という言葉の意味も知らない人々、成功への足掛かりさえ踏むことのできない人々は、一体どうやって誇りと自由を得るのだろう、と。

 ただ、宇宙に飛び出すという夢さえ、人に託さざるを得ないほど、自らの可能性をあきらめきった人々。


 今目の前にいるたった一人の女性の、本人さえ自覚の乏しい鎖――彼女を限られた未来に縛り付ける鎖――を解くことはできるのだろうか。『十年、百年後の多くの人々を』ではなく『ニナを』、彼女の生涯のうちの、出来ればまだ若く情熱を取り戻せる時代に、それを実現できるだろうか。


 突然彼の中に湧いた不思議な感情。

 不可能なことかもしれないが、期待に応えてあげたい、と思う。

 僕は、ニナという小さな生涯の多くを明るいものにすることを目標としよう、と考える。


 いつかきっと――。


「そうだね、いつかきっと、必ず君を宇宙に連れ出そう」


 ジェレミーは思索にふけるうちにこう口に出して、それから、ニナが言葉を失い見開いた両眼で自分を見つめているのに気が付いた。


「ジェレミー、あの、それって……」


 驚きの顔のニナを前に、彼は先ほどの自分の言葉を思い返して、あれはまるでプロポーズじゃないか、と気が付くと、思わず赤面してしまった。


「ち、違うんだ、すまない」


 ニナはそんなジェレミーを見てくすりと笑い、


「違わなくても結構よ、ふふ、期待してるわ」


 とあたふたしているジェレミーに言った。


 顔を赤くしてあわてているジェレミーを見るのは、ニナにとってはとても楽しい気分だった。

 だからと言って、ひとめぼれだとか恋だとか、そんな気分でもない。


 自分は、アンビリアで生まれ、平凡に育ち、みんなと同じ会社に入社し、きっと平凡に家族を持って、平凡に人生を終えるだろう、と思っていた。でも、気が付いたら、周りの誰も持てなかった友人ができた。地球から来たハンサムな友人。こんな友人に巡り合うという幸運に遭った今こそが、自分の人生の一番輝いている瞬間に違いない、と思う。

 だったら、この楽しみをもう少し引き延ばすくらいのわがままは、今の私になら許されるんじゃないかしら。


「ねえ、ジェレミー、今日のディナーは先約おあり? もしよかったら」


 ジェレミーに会わなければ、きっとこんなことを自分から口に出すこともなかっただろう、と思いながら。


「ああ、えーと、ラジャンの都合はまだわからないが」


 突然の誘いに戸惑うジェレミー。


「ふふっ、ラジャンがいると確かに楽しいけれど、きっと二人だけなら話せることってあると思うの」


 そんなニナの積極的な振る舞いを見ていて、ジェレミーも、彼女の気分がいくらかでも晴れるなら、まずはこんな身近なところから、活動を始めるのもいいかもしれない、と思う。


「そうだね、僕も仕事をわきに置いてみよう。この前のレストランで良いかな」


「その隣に小さなお店があったでしょう? 女の子同士ではよく行くのよ。落ち着いたお店だし」


「わかった、そこで、……標準時十九時になら行けるよ」


「ええ、よろしく。――それで調査官どの、質問は以上?」


「うん、以上だ。ありがとう。それじゃ、仕事に戻ってください」


「じゃあね、楽しみにしてる」


 そう言って、ニナは席を立ち、一度だけ振り返って手を振り、その小さなスペースから出て行った。



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