二章 アンビリア(1)
■二章 アンビリア
工員との面談が約束されたその晩、居住区の中心近くに位置する少し洒落たレストランが約束の場所だった。
面談は二人、そのうち一人は少し遅れてくるとのことで、先にいたのは工員のビクター・オカダという男であった。
角ばった特徴的な顔立ちで、歳はおそらく四十を超え、上背は百七十センチメートルに足りず、やせ形で、それでも腕の筋肉だけはしっかりとついていることが長袖の上からでも分かった。
もう一人を待つ間、カクテルで乾杯をし三人は他愛のない話を楽しんだ。
ビクターは、彼の普段の暮らしを面白おかしく二人に話した。
特に、毎年四月一日には、無酸素で極寒とも言える気温の屋外に酸素マスクとパンツ一枚だけで男たちで繰り出し居住区から見える丘を巡る競争をし、一番の男に実にくだらない邪魔にしかならない賞品が贈られるという奇祭とその裏話を実にユーモアあふれる表現でビクターが語ると、二人とも腹がよじれるほど笑った。
「実のところ彼女が来る前にこの話はしておこうと思ってね、何しろ、女たちは屋内で見ているだけだろう、まさか丘の向こうで『そんな』ことをしているなんて思いもよらないだろうからね」
笑いながらビクターが言う。ラジャンはまだ笑い転げている。
「つまりもう一人は女性なんですね。奥さん?」
「職場の後輩さ。純粋アンビリア人のね」
そう言えば遅いな、と言いながら、ビクターは五回目の酒のお代わりを頼んだ。
「で、いつからここにいたんだい? この惑星、どう思う」
「いいところだと思いますよ、平和で静かで」
ジェレミーはお世辞で返す。
「地球ではありえない奇祭もね」
ラジャンも思い出し笑いをこらえながら。
「そうか。だがね、十代までを地球で暮らした俺から見るとな、やっぱり、不便だと思うんだ」
「そうですか?」
「気づかなかったか、そこいらのストアじゃ、いつも人気の食材は売り切れ、オムツの棚はいつも空っぽだ」
それを指摘するべきではないと思っていたジェレミーは、彼の言葉に、愛想笑いも消える思いがした。
指摘しなければ、彼らの不便、不満が消える、というものではないのに。
笑顔だったビクターもここにきてやや険しい表情を見せる。
「……だがここで生まれた子供は、これが当たり前の社会だと思ってるよ。今じゃ工場で働いているうちの四割は純粋なアンビリア人だ」
グラスをもてあそびながら、ビクターはため息をつく。
「僕らはコンサルタントです。改善のために僕らができることなら、なんでも協力はしますよ」
とジェレミーは当たり障りのない回答を返す。
それ以外の回答を思いつかなかったからだ。
「ぜひそうしてもらいたいよ。だがね、どうだね、こんなことを想像してみなかったかね。ここの住民は、つまり、『奴隷』なのではないかと」
その言葉に、ジェレミーはぎくりとした。
幸せな家族や夢を持った若者が暮らす街と言うには何か違う違和感を感じていた彼にとって、その言葉はこの惑星の真の姿をあぶりだす劇薬に思えた。
この居住区は、人々が幸福な生活を送る場ではなく、奴隷市場なのだとしたら。
最低限の食料だけを与えられ、地球からの嗜好品も制限されて禁欲的な生活をする彼らは。
実は、奴隷なのではないか。
その言葉は、真実を言い表しているのではないだろうか。
「ははは、そんな顔をするな。目の前にその『奴隷』がいて、さすがにそうですねとは言えないだろうし」
ビクターのその赤ら顔には笑いが浮かぶ。やや自嘲的な笑いにも見える。
「地球にいて、仕事をしていて、それで待遇が気に入らなくて辞めたくなったら、どうする? 辞めるだろう。俺たちはそうはいかない。退職願を出しても、次の仕事がないのさ。それに、この星で生まれた人はこの星の独占開発企業のどれかしか選べないのさ。ここで生まれた子供は、永遠にこの星に縛られるんだよ。こんなみじめな気持ちを表すのに一番便利な言葉が、『奴隷』だったってだけさ」
ただ嗜好品を取り上げられているだけではない。
この惑星の住民は、この惑星の表面に縛り付けられている。
逃亡防止のために柵で囲われた奴隷小屋と何が違うだろう。
「いやいや、済まなかった、つまらない愚痴を聞かせたな」
ジェレミーとラジャンの暗い顔を見て、さすがにビクターはあわてて、顔に笑みを戻した。
「とんでもない。僕らが聞きたかったのはまさにそういう話なんです。あなた方が日々の暮らしでどう感じているか、それを聞くことができれば、会社の居住地運営の考え方にも一石を投じることができるはずです」
「そう言ってもらえると愚痴った甲斐があるってもんだ――あぁ、ようやく来たか、おいニナ! 早くしろよ、俺たちゃ腹ペコだ!」
ビクターが扉のほうに新しい人影を見つけ、それが彼らの待つもう一人であると確認すると大声で呼びかけた。ジェレミーとラジャンもつられて扉のほうを振り向く。
そこには、二十代中ごろとみられる女性がいた。
飛び切りの美人とまではいかないが整った顔立ち、グリーンの瞳と赤いまっすぐな髪、割と小柄だがやはり肉体労働で鍛えられた体をしていて、しかし、ふわふわとした乳白色のワンピースがそれを覆い隠している。
「ごめんなさい遅れて。ニナ・ベルトロットです」
「ジェレミー・マーリンです。こちらはラジャン・スーリ」
ジェレミーとラジャンが手を差し出すと、ニナはそれを受けて握手した。
「よろしく、ジェレミーにラジャン」
彼女がビクターの隣の席に腰を下ろすと、それが合図となって、コース料理のオードブルが運ばれてくる。
一同はもう一度乾杯をし、それぞれ目の前の皿に手を付け始めた。
「それで、どんな話をしてたんですか?」
と問うニナに、ビクターは、この人たちは会社のコンサルタントでね、と話し始めて、彼らの来た目的などを簡単に説明してやった。
「えらいお方の接待だと聞いたんでわざわざよそ行きの服にまで着替えて来たのに、単なる意識調査ってわけね」
ニナは、あまり着慣れない服なのに、という表情でワンピースの短い袖を苦笑いしながら反対の手でつまんで見せた。
「えぇ、まぁそういうところです。よろしければ、ニナの普段感じている通りのことを、仕事でも生活のことでもいいので、聞かせてもらえないですか」
「そういうことでしたら、ビクターさんが適任ですよ、普段からぶつぶつと文句……じゃなくって、私たちの生活について随分考えてくださってますから」
とニナが促したが、ビクターは、実はもう一説ぶってしまった後で、と苦笑いした。
「みなさんが感じている不満については、ビクターからも聞いていますが、どうですニナ、それを抜きにしても、君の感じているところはないですか」
ジェレミーが促すと、ニナは少し首をかしげて考えるそぶりを見せた。
「そうね……私も、この惑星での生活が最高のものとは思ってないです。食べ物も飲み物もいつもぎりぎり、化粧品もあまりに高くて、今日みたいな特別なおめかしの日にしか使ったことがなくて。地球じゃぁ、毎日お化粧をすることは普通なんでしょう?」
「そうだな、おかげでオフィスは毎朝粉っぽくてたまらん」
ラジャンがまぜっかえす。
「そんな生活にあこがれるとは言わないけれど、なんていうのかな、不公平だな、って。食べていく、生きていくには十分だとは思うんですけど、なんだか不公平だなあ、と思ってます」
彼女は彼女自身の考えについて、不公平という言葉を二度使って説明した。
アンビリア出身者にとっては、足りない、ではなく、不公平、という感覚こそ偽らざる本音なのだろう。
それは、まるで奴隷社会の身分制度のように。
「なるほど」
ジェレミーはメモを取りながら短く相槌を打つ。
彼らが奴隷かもしれないという思いに取り付かれてから、あまり彼らの目を見ることができずにいる。
それは、無意識のうちの差別意識かもしれなかった。
そう考えると、彼自身の後ろめたさは加速する。
「ジェレミー、あなたはこんな問題を解決するアイデアを出すのがお仕事なんでしょう?」
無邪気に問うニナに、ジェレミーは何と応えるべきか、答えを得なかった。
「……それは申し訳ないが、僕が約束できるところじゃぁないんです」
ジェレミーが答えると、今度はビクターが口を開いた。
「だがなあ、工場でのストライキだとか、暴動だなんてことに発展するかもしれんぞ」
その言葉に、再びジェレミーはびくりとする。
なぜ彼らは我慢している?
なぜ彼らは暴動を起こさない?
なぜ彼らは平等な権利を求めて立ち上がらない?
違う。
それはもう、起こるかもしれないのだ。
あのジャーナリストの言葉を思い出す。
秘密の反抗組織が、どこかにあるかもしれないのだと。
「やめてくださいよ、そんな脅しは。少しだけ我慢しながら、少しだけ良くしていこう、それでいいと思います」
ビクターの過激な発言にニナは強く反発した。
「すまんすまん、脅しが過ぎた」
ビクターはあわてて弁解し、苦笑いした。
ジェレミーは、この不穏な空気を払拭したかった。
だから、話すべきは今だと感じた。
デモや暴動ではなく、平和的に彼らの不満を緩和していく方法があるかもしれない、そのことを。
本当はまだ話すべきではないことだろう。
でも、彼らには希望が必要なのだ。
「まだここだけの話として聞いてください。僕は企業コンサルタントとして、いくつか提案すべきことを考えています。たとえば、住民自ら、新しい物資工場に投資できる仕組みです。地球に輸出できるまでに事業を拡大できれば、オコナー社にとっても利益のある話でしょう」
彼は、初めて披露するこの考えが、普通の構成員に過ぎない二人にどのように受け止められるかを試してみたい、と思ったのだ。
これはラジャンにも話していないことだったが、そのラジャンがまずは反論した。
「ジェレミー、それは難しいことだよ。ものを作るってことは、簡単なことじゃない。ポテトチップスを一袋作るのにも、たくさんの生産機械が必要だろう? その生産機械はどうするんだね。技術ってのは、一番最初の手作業で作った小さな部品から順々により複雑な機械を作り上げていく、っていう長年の積み重ねそのものなんだよ。一言で言えば、技術の裾野、ってやつだ。僕が見る限り、この惑星にはその技術の裾野が無い」
工学についてはまるで無知でもないジェレミーは、そのラジャンの指摘に納得せざるを得なかった。
しかしビクターが横合いから突然言った。
「あるさ」
ほかの三人は一斉にビクターの顔に視線を上げる。
「工作機械は、ある。俺たちがこの星に住み始めて八十年、何もしなかったと思うか? 工場の産業機械はたびたび故障する。そのたびに予備品で壊れた部品を補わなきゃならない。だが、予備品を予想外に消費した時は、地球から運び込まれるのを待たなければならない。待つ間は、当然無給の休暇だ。物価が高いこの星では無給休暇は死活問題だ。壊れた部品を自分で直せないか、と考えるものが出るのは時間の問題だったよ。最初は単純な鋳造技術。旋盤やボール盤を再発明し、それから、電子制御で三次元形状を切り出す機械に発展するまでは、十年はかからなかったよ。趣味の日曜大工みたいなものだが、そういう機械はすでに再発明されて、ちょっとした部品の修理には活用されているんだ」
ビクターの、秘密の部品修理機械にかかる告白。
ジェレミーにもラジャンにも全く予想外のことだった。
つまり、その気になれば、その秘密の工作機械で新しい産業を興すことも可能だと、彼はそう言ったのだ。
ただ、最大の問題は、その工作機械が違法に所持されているものだということだ。
「ビクターさん、今の話は聞かなかったことにしましょう。もしこれが公になれば、あなたに会社からひどい処分が下るかもしれない」
「俺も問題行動だとは思うが、ジェレミー、君が俺らの話を真剣に聞いてくれて、たぶん俺らに話すべきでないことを語ってくれた、だから告白したんだよ。もし、君のアイデアが実現するなら、その次には、俺たちは自分でやっていける能力があるってことを証明しなきゃならない日が来るだろう?」
ビクターは静かに告白の真意を口にする。
エネルギーも原料もあり、そして今、技術もあることが分かった。
次にすべきことが、ほのかに見えてくる。
自分の受けた啓示は誤っていなかったかもしれない。
そう、住民自ら、だ。
オコナー社や当局にそれを認めさせることは困難かもしれない。
だが、真の公平性を真っ向から説いて、彼らがそれを否定できるだろうか?
できるわけが無い。
必要であれば、あのジャーナリストの手も借りればいい。
そうとも、僕には、コンサルタントとして彼らを救う手段をすでに手にしている。
必ずやれるだろう。
あとは、ここに住む人々の意識の話だ。
ジェレミーは、確信を深めていく。
彼がそのような思索を深めていく間も、相変わらずのビクターとラジャンの与太話にジェレミーとニナが笑いころげる時間が過ぎた。
午後十時を回って、食事も酒もなくなってミネラルウォータだけで時間を過ごしていた四人は、席を立つことにした。
標準時と自転が同期していないこの惑星のこの地方はまだ赤い太陽が照りつけていて窓の外は明るい。だが居住区内は時間に合わせて照明を落としているため、レストランを出て窓のない通路に出ると、そこはひと気のなくなった暗い夜道になっていた。
「ありがとう、ビクター、ニナ、今日は本当にためになる話でしたよ」
「こちらこそありがとう。これまでは愚痴を言うだけで終わっていたが、こうやって俺たちの話を真剣に聞いてくれる人に巡り合えてよかった」
「ビクターさんったら大げさね。でも、私も楽しかったわ」
「いや、本当さ。どうだ、少し落ち着いたら、今度はうちに来ないか。妻も紹介したい。俺が言うのもなんだが、うちのが作るメシは地球でもそうは食えない絶品だぞ。ニナ、君もどうだ」
「もちろん、その時はぜひ」
「いや、しかし、……」
「喜んでお呼ばれするよ、いいだろうジェレミー」
ジェレミーが言い淀んでいると、またもラジャンが安請け合い。
しかし、ジェレミーも、この感じの良い人たちとは、友達としてまだ付き合いを続けてもいいかもしれないな、と思っていた。