一章 地球(4)
出発準備の二時間ほどが経過し、巨大な貨物船は、ついに発射のときを迎えた。
星間カノンに身を収めた貨物船の中で、けたたましいアラームが鳴り響く。その三十分前には、乗務員の優しいアナウンスで誘導された乗客は、それぞれのキャビンでそれを聞くことになった。
窓もなくモニターもオフにされている。
彼らの発射を示唆するものは、アラーム以外、何も無かった。
突如として、彼らを加速が襲った。
その加速度は、地上カノンによる投擲を数倍に増し、継続時間も数倍に届いた。
加速度による重圧はすさまじいものの、しかし、振動を一切感じない。まるで突然重力だけがかかったかのようで、突き進むというよりは優しくベッドに押し付けられているだけの加速感は、巨大なジェットコースターを想像していたジェレミーには意外な感覚だった。
光年の距離を走り抜ける反転航行はまさに一瞬で終わり、再反転した時に船を照らす太陽はすでにバーナード星であった。
赤く暗いその星の光がカメラ映像として船内に表示されたとき、誰もが、休日が終わる夕暮れ時のような陰鬱な気持ちを呼び起こされずにはいられなかった。
主星は近かったが、本当の目的地であるバーナード中継星間カノン基地への道のりはまだ遠かった。貨物船の主機関は大量の燃焼ガスを前方に吹き出しながら船と目的の中継基地の相対速度をゼロに合わせていく。
幸い船の着弾位置は無理のない速度調整で中継基地にランデブーできる位置だったため、この行程は再反転から三日と六時間余りと見積もられた。
三日間は、キャビンと共用スペースの往復で費やされた。
ビジネスマンにとっては、貴重な作業時間になるはずなのだが、きわめて高額な費用によって通信から隔てられた星間貨物船内では、それも全く手が付かないのだった。
結局、ジェレミーもラジャンも、事前に持ち込んでおいた山のような雑誌とビデオで暇を潰し、それでも暇をもてあました。
見積もりどおり三日と六時間後、彼らの乗る星間船はバーナード中継基地のプラットフォームに接続した。外部モニターに映し出された巨大な補給設備は、この星系が、彼らが今来た道を引き返すための地球への六光年という長大なジャンプをするための最大の中継拠点であることを物語っていた。この星系には、これと同等の中継基地がさらにもう一つ存在するのである。
バーナード星系からジャンプする先は、ウォルフ359という非常に暗い星である。
単に中継基地を虚空につなぎとめるための重力源としての意味しかないこの赤黒い星までのジャンプ距離は2.2光年であり、バーナード中継カノンの持つ最大航続距離六光年の能力から見ればあまりにたやすいジャンプである。
事実、バーナード中継基地からエリダヌス座ε星の惑星アンビリアまでは直接ジャンプも可能である。
しかし、長距離ジャンプは着弾精度のために大きな初速度を必要とする、すなわち、消費エネルギーはジャンプ距離の二乗に比例するのだ。ある距離を一度にジャンプするよりはそれを半々に分けて二度ジャンプするほうがエネルギー効率は高いことになる。
すなわち、ウォルフ359の中継基地は航行時間を犠牲にしてコストを削減するために建設されたものであった。
バーナードで撃ち出され、ウォルフ359で再反転したとき、中継基地までの行程はわずか十八時間であった。
そして基地での補給四時間を加えたわずか二十二時間で、二人の星間旅行初心者はその星系を駆け抜けていく。
ウォルフ359からは三光年余りの距離にあるのが最終目的地、エリダヌス座ε星系である。
二人の旅行者は、人類が初めて太陽系外の惑星上に営巣地を得た、惑星アンビリアに到達していた。
***
太陽よりもやや暗いエリダヌス座ε星に照らされたアンビリアと、アンビリアの三つの星間カノン基地のうちのひとつが目前に広がっていた。
着弾点から二日半の飛行でここまでたどり着いた星間船にとっては、その距離はもはやゼロに等しい。
一時間もたたぬうちに星間船はアンビリア星間カノン基地にゆっくりと接続した。
地上への途は再び地上軌道往還シャトル(略して地上シャトルと呼ばれる)を使う。シャトルを惑星低軌道に送り出す簡易カノンは、わずか二百メートル長。大雑把に低軌道へ移行するだけの用途であればこの程度で済む。と言って、カノンを使わなければ百万キロメートルの軌道から地上まではひどく長い行程を必要とする。
地上シャトルが打ち出された先は、地上わずか八百キロメートルの低軌道であり、真っ暗な中に小さな点としか見えなかったアンビリアが、モニターの半分を突然覆って、黄色く輝くと、客席から歓声にもため息にも似た声が上がった。
地上シャトルは濃い二酸化炭素の大気に突入したのち翼によるコントロールを得て、長い長い距離を滑空し、地上カノン基地の滑走路に静かに着地した。
地球よりやや弱い0.7Gの重力を一週間ぶりに体に受け、床にしっかりと足が張り付くことを確かめると、ジェレミーは伸びを大いに楽しんだ。やがて気密ハッチがシャトルに接続され、基地ロビーへと続く通路を歩くこととなった。
ロビーには、橙色の日差しが差し込んでいた。太陽のスペクトルは地球のそれに近いのだが、濃すぎる二酸化炭素濃度が、それを赤みがからせてしまう。
ここから滞在地まで、さらにバスででこぼこの道路をのろのろと走り、降りたバス停でタクシーを呼んだ。無人タクシーは電動モーターを唸らせ郊外のホテルに向かった。
アンビリアの街は、居住用ビルディングがほぼ密接して作り上げられ、居住ビルのロビー同士がつながって街路を形作っていた。
そのロビー街路はある意味で地球の街路と共通していた。街路に配置されたたくさんの照明や防犯システム、その両脇に、時々現れるカフェや服飾店。カフェの前にはテラス席が広がりお茶を楽しむ人があり、食料品店ではバスケット一杯の品物をカートに積み下ろしする人。
タクシーは約二キロメートルの距離を走り、ホテルのエントランスに横付けした。二人は重い荷物を自分で引っ張ってフロントでチェックインを済ませ、自分で荷物を部屋に運んだ。
***
夕方、二人はホテルのロビー横のレストランで再び落ち合った。シンプルな四角いテーブルが十五台にそれぞれ椅子が四脚、カウンターが六席という田舎町の個人レストランような作り。
ジェレミーはサラダとピザとポークグリル、ラジャンは現地調査はまず食い物から、と言いながら、現地産合成肉のソテーと合成魚肉のポワレ、合成デンプンを使ったマッシュドポテトに加え、ピザとポテトフライを頼んだ。残念ながら合成魚肉が在庫切れだったため、しぶしぶその注文を地球産豚肉のカツレツに切り替える。一品我慢するという選択は無いのだな、とジェレミーはそれを見て思ったものだ。
それらの皿が席に運ばれてくるのを待っていると、彼らの席に見慣れぬ男が近づいてくるのが見えた。
ボーダーのシャツにスラックス、足元はスニーカーという格好。左手には何かのボトルのようなものを持っている。真っ黒な髪と人懐っこそうな細い目が特徴的な顔で、背丈は百七十前後に見えた。
先に気がついたラジャンがジェレミーに顔を寄せ、
「ジェレミー、知り合いかい?」
と訪ねるものの、当然ジェレミーにアンビリアの知り合いはいない。
二人が不安そうに目配せし合っている間もその男はにこにこと笑いながら彼らの席に近づいてきた。
「失礼、確か、今日午後の星間船でこちらに着いたお二人かと思いますが、あー、ミスター……」
「ジェレミー・マーリンです、あなたは?」
「あぁ、ミスター・マーリン、こちらから名乗るべきでした、アレックス・エンディと言います。アレックスで結構です、私もジェレミーと呼びますので」
彼、アレックスは、左手に持った今はワインボトルとわかるそれをテーブルに差し出した。
「星間船の中でもあなたたちを見かけていたんですよ。同じ船でたどり着いたよしみに、と思いまして」
地球の欧州で製造されたそれは、この星では高価な代物である。
「わけもなくそんなものをいただくわけには」
当然、ジェレミーは一旦遠慮する。
「ああ、いいんです、このために持ってきたんです。ちょっとした物書きと言いますか、格好良く言えば、ジャーナリストを自称していましてね、現地で友人を作るためにいつも持ち歩いている七つ道具の一つです」
そこまで言われて固辞するのもおかしかろう、と観念したジェレミーはうなずき、
「それじゃぁ遠慮なくいただきましょう。ラジャン、君もいける口だったかな」
と言うと、ジェレミーがいつ遠慮の態度を解くかと待ちわびていたラジャンは、
「もちろんだとも、消毒用エタノールだってジョッキでいけるよ。あぁ、僕はラジャン・スーリ」
と、右手をアレックスに差し出した。
「ありがとう、ジェレミー、ラジャン、それじゃぁ、遠い異星の地で新しい友に出会えた喜びに、乾杯!」
アレックスの声に合わせて三人はグラスを打ち合わせてワインを口に運んだ。
アレックスはウェイターを呼んで自分の料理をこの席に運ぶようにオーダーしてから、改めてグラスを傾けた。
「お二方とも、カノンシステムの話だとか系外惑星の話だとかを盛んにしていたでしょう。失礼、つい聞こえてしまいましてね。内容を聞くに単なる新規雇用の工員とは思えなかったので、少しだけ気になっていたんです。そうしたらちょうど同じホテルで同じ時間に夕食の席にいらっしゃるものですから」
「ラジャン、僕らは随分大声で話していたらしいな」
「だったかもね」
とうわの空で答えながら、ラジャンは運ばれてくる山盛りのポテトフライに視線を奪われていた。
「失礼ですが、どういった用件でこちらの惑星にいらしたんでしょう」
アレックスはどちらにとも無くたずねた。
「まぁ、お仕事ですね、ここにいるということで、オコナー社がらみということはご想像通りですが」
「ははぁ、社員でもなく、となると、さしずめ生産コンサルタントってところですね」
アレックスはずばりとジェレミーの職業を言い当てて、もう一度グラスに口をつけた。
こうやって少ない情報から新しい情報を引き出して推論をしていくのは、もはや職業病なのだろうな、とジェレミーは思った。
そうしている間に、ジェレミーとアレックスの前にも次々に皿が運ばれてきた。ジェレミーは切り分けられたピザの一切れを口に運び、スープを頼み忘れたな、と言いながら、ウェイターを呼ぶ。アレックスはジェレミーと同じポークグリルを頼んでいた。
「もしそうだとすると、私の取材テーマとも関連がありそうですね。これは私の持論ですがね、系外惑星での鉱工業生産性を向上させる、このためには避けて通れない問題があるのですよ」
行儀よく小分けにして料理を口に運びながら、アレックスは話題の舵を切った。
「もぐもぐ……ふむ、それは?」
ラジャンが興味を持って聞き返す。
「食べ物が足りないんです」
相手の驚きを引き出そうと効果的なもったいぶりをつけたアレックスに対し、さすがにジェレミーも手を止めて彼の瞳を覗き込む。
「食料問題? そんなものがあるとは思えませんが」
言いながらジェレミーは目の前いっぱいに並べられた料理の数々を改めて眺める。
「順を追って説明しましょう。この星の食料がどのように調達されているかご存知で?」
アレックスはフォークでポークを指し示すようにつつきながら尋ねる。
「地球からの輸入に加えて現地生産。僕はそう聞いていますよ」
ジェレミーは当然の知識を簡潔に答える。
「そうですね。しかしここに問題があります。地球からの輸送力。それは、カノンの発射能力に完全に依存しています。四惑星で人口は増え続けているのに、輸送力、つまり地球の星間カノン基地は、実に三十年近く、増えていないのですよ」
「……なるほど、それは道理です」
ジェレミーはそれを認めたが、続けて、
「だからこそ現地生産が始まっているのでは?」
「その通り、けれども、食料の現地生産は十分ではないのです。合成食料がすべて潤沢に行き渡っているとは言いがたい」
言われて、ラジャンは合成魚肉の注文を取り下げたことを思い出す。
「むしろ合成食料は事実上の価格統制が義務付けられています。安い、けれども入手しにくい、ある意味で大変な高級品です」
「……たしかに、合成魚肉は楽しみにしていたんだがなあ」
とたんに、何光年を旅してきたはずの地球産の豚肉が、ひどく無価値なものに見えてくるラジャン。
「だから実質的に、この惑星の食料は地球に依存しているのです。すると、貨物室は食料に圧迫され、さて、そのとき貨物室から追い出されるものは? ……僕が持ってきたこのワインのような嗜好品です。衣服、衛生用品、医薬品といった必需品まで時には追い出されるのですよ」
ジェレミーとラジャンは、黙ってアレックスの言葉を聞いている。
「医薬品や嗜好品が足りないというのは、深刻な問題です。何しろ、人はパンのみに生きるに非ず、ですからね。楽しみも必要だし苦しみを和らげるものも必要です。そういったものが厳しく制限されているために、ここに暮らす人々は鬱屈した気分を抱えています。これが、私の考える食糧問題なのです」
「しかし、なぜ現地生産は拡大しないんだい」
ラジャンが自らの不満の代弁をアレックスにぶつける。
「さあ、なぜでしょう。ただはっきり言えるのは、たとえばここオコナー社地区内は、便宜上米国の統治下にあり、にもかかわらず、国際条約に裏付けられた独占区域ということです。つまり、制度的なひずみが生じているのです。これは、国際的な問題なのかもしれないのですよ」
「確かに、そういう考え方は新しいかもしれないですね。僕は考え付きもしませんでした」
ジェレミーは返した。
系外惑星開発機構とその基本条約による縛りと、米国行政制度の衝突。機構にいたときには、交渉相手は常に開発企業だったから、そのことには思い至りもしなかった。
そんなひずみが生じている可能性があるのかもしれない、もしそうなら、これは、生産性拡大における最も重要な課題とも言えるんじゃないか、とジェレミーは一人思う。
「そしてもう一つ」
アレックスは言って顔を二人に近づけた。
「こういった不満に抗して、反抗運動をしようという人々がひそかに組織を広げている、といううわさがあるんです。私は最後はそこにたどり着きたいと思っていましてね」
「反抗運動ですか」
ジェレミーが目を丸くして問い返す。
「ええ。戦うことが必要だという一つの結論にたどり着いた人々がいるかもしれない、ということです」
アレックスが目を輝かせながら言う。
「もしそうであればエキサイティングです」
「しかし、そうなれば、この惑星の治安も危ないかもしれないな」
ジェレミーはラジャンに振り向きながら言った。
「ふむ、デモかストライキか、今の話を聞くと、確かにそういうことくらいは起こってもおかしくないのかもね。ジェレミー、そうなったら僕らは一大事だぞ、生産性アップを請け合った二人が惑星に行ってみたらストライキで生産ゼロじゃぁ、どんな大目玉を食らうか」
「とはいえ、ストライキは労働者の正当な権利だからね」
各々食事も半ばに差し掛かっている。アレックスが空になったグラスに順にワインを注ぐ。
「もしそれを記事にできたとすりゃぁ、大変な値打ちものだ。僕らが地球に帰るころには、アレックスが新進気鋭の大物フリージャーナリストとして名をとどろかせているかもな。いい記事期待してるよ」
ラジャンはそういって自分のグラスをもう一度アレックスのグラスにぶつけた。
「だが安全には気をつけたいね、無事に地球に帰って懐かしの狭い我が家でとっておきのスコッチを飲めるかどうか、という瀬戸際だ」
「どうだいアレックス、あなたなら事前にそんな情報をつかめるんじゃ?」
「請け合えはしませんが、もちろん、私が何か掴んだら、必ず新しい友人のお二方にはお知らせしますよ」
それから、ふふっ、と笑って付け加える。
「私より先に記事にしないと誓ってくださるならね」
そのアレックスの言葉を最後に、彼らの話題の舵は再び別方向に切られ、初めての無重力での失敗談の応酬に明け暮れた。
そんな食事も終わりに近づき、それじゃそろそろ、と言いながらアレックスが立った。
「またお会いしましょう、楽しい夕食でした」
アレックスは右手を差し出した。
ジェレミーとラジャンが順々にその右手をとり、お礼を言いながら握手を交わした。
「こちらこそ、楽しい時間をありがとう」
ラジャンが最後にそういって見送る中、アレックスは鞄を肩にかけて、レストランから歩いて出て行った。