一章 地球(3)
ジェレミーとラジャンが乗り込んだ星間船は、全身をカーボンファイバー複合素材でがっちりと覆われた、全長百二十メートル全幅四十メートル、積載時重量九千五百トンの大型貨物船だ。
船は化学燃焼による機関を搭載し、推進と電力供給の役に充てている。
一時は小型の核融合炉を積むという試みもあったらしいが、数隻の試作船が就航したっきり、あまりのコストにそのアイデアは捨てられた。
貨物船には貨客スペースあり、貨物と貨客を兼用するのが通例である。時折、コンテナ型の居住モジュールを貨物スペースに積み込んで大量貨客に対応する場合もある。こういった用途や真空に弱い貨物のためにコンテナ室は与圧されている。
ジェレミーが個人キャビンに向かって、廊下を滑った。すぐに、廊下の上下左右に、キャビンに続く小さな扉が並ぶのが目に入る。
キャビンは小さな奥行きの深いロッカーのような形状で、寝るか読書をするか船内アメニティの音楽・ビデオの鑑賞くらいしかできない程度のものだが、その分、前方の共用スペースにはカフェ、バー、売店などが充実している。
二人がキャビンに手荷物を置き、暇つぶしに共用スペースに出たとき、初めてのカノン旅行体験者向けのビデオが流されていた。
『……このように、カノンによる投擲は、着地地点を選ぶことが難しいという困難があります。目的地から数百万キロメートルも彼方に到着することもあるでしょう。しかしご心配は無用です。私どもの星間貨物船『アローズ・ワン』シリーズには、自力航行ができるロケット推進システムと十分な燃料を搭載しています。なお、もっとも不運な旅行者はわずか一日で目的に到着して、我々の提供する余暇を楽しむことができませんでした。もし皆様がそのような不運に遭われました場合でも、『アライブ・イン・ワンデイ』の記念品をお持ちいただけますので、どうぞご容赦くださいませ。続きまして、第一の到着地、バーナード星の……』
聞くとはなしに聞いていたジェレミーは、同じように隣でぼーっとビデオを眺めコーンスナックを口に放り込んでいたラジャンに顔を向ける。
「超光速での星間旅行と言っても、ほとんどの時間は、目的地を目の前にして古臭い推進方法でのろのろと進むだけってのは、実に非効率なものだ」
ラジャンはスナックをつまむ手を止めるでもなく、
「こればかりは技術の限界だね。いつかは、再反転すると目の前に次のカノン基地が見える、というような時代が来るかもしれないけどね」
とラジャンは笑って、残ったスナックを袋から直接口に流し込んだ。いつもスナック菓子を食べている割には全く太らない男だ、とジェレミーは呆れてそれを眺めた。
ビデオが退屈な星間進出の歴史に切り替わると、どこかで見たようなその映像に飽き飽きした幾人かの乗客は一人また一人とキャビンに引っ込んでいった。
食事にしようと思うのだが、と提案するジェレミーと、スナックの詰まった腹を一度さすって、そうしよう、と答えたラジャンは、二人連れ立ってカフェで軽食をテイクアウトし、テーブル――無重力下にあってはテーブルの形をしているのは風情以上の理由のないもの――に向かい合って座り、引っ込んでいく乗客たちを横目で眺めていた。
「ラジャン、どう思う、たとえば、再反転したその目の前に小惑星があって衝突したら」
飛び散らないように工夫されたサンドイッチをつまみながら、なんとなしにジェレミーは口を開いた。
「それはもちろん、一巻の終わりさ。この船とその小惑星の相対速度は秒速何キロメートルにもなるだろうから、痛くもかゆくもなく瞬時に終わり。気に病むことはないさ」
ラジャンは右手でぽんと何かがはじけるようなジェスチャーをしながら言った。
「痛くなければいいってもんでもないだろうに。それに、それは小惑星のような目に見える大きな物体についてだろう? たとえば、星間ガスは?」
ジェレミーの指摘にラジャンはまた少し楽しそうに眉を上げた。
「実にすばらしい洞察だと思うよ。確かにガスの濃い場所では、ガスの分子が占める場所に船を構成する原子が割り込む場合がある。もし、そういうことが起ころうとしても、電気反発力が再反転に打ち勝って、再反転位置が滑るようにずれる。前後左右どちらかは、量子サイコロの結果次第だ。その結果、船を構成する粒子が正しい場所からずれることになるわけだから、結晶格子に欠損ができることになる。実はね、僕が電機メーカにいたころに関わっていたのは、こういう微細レベルの欠損を効率よく検出するための検査機の開発だったんだよ」
「なんだい、しっかりとカノンにかかわる仕事をしてたんじゃないか」
「裏方さ。そういえば、もっと面白い現象もあることを思い出した。滑った結果、電気反発力をこえて他の原子核に近づきすぎている場合、核反応してしまう場合があってね。この場合は非常に強力な放射線が出て周辺の構造を傷つける。さっきの欠損に加えてこのタイプの欠損が、この二つが船の構造の寿命を決めると言ってもいい」
と、彼は砂糖たっぷりのカフェオレをボトルからすする。
「核反応? 原子核の融合なんてことかい?」
「ま、そんなところだな。もちろん規模は極めて小さい」
「それが小さいといっても、放射線はきっと僕の体の細胞のDNAに強烈な一撃を加えるだろう。僕がほどほどの不幸体質なら」
「そうだね、君がとんでもない幸運の持ち主ならそういうことも起こるだろうね」
それからもう一口サンドイッチをほおばり、カフェオレで流し込んでからラジャンは口を開く。
「こういったことは実験で経験値が分かっているんだ。なぜかと言うと、実はこの再反転時の核融合ってのは、実際の核融合炉に応用されているんだよ。小さな核融合炉が実現できたのは、まさにこの技術があってこそなんだ。だからいろんな実験結果があるんだが、僕が知っているのは、重水の塊がお互いに重なるように再反転させたときの、重水素原子が核融合を起こしてしまう確率。だいたい、十のマイナス七乗分の一から八乗分の一の間なんだよ。もし君がコーヒーカップで重水をたしなんでいて、そこに重水素原子が飛び込んだら――一千万分の一の確率で融合を起こして君に数個のアルファ線かベータ線かガンマ線を浴びせるかもしれないね」
「つまりもし一万トンの船が一万トンの同型の塊に突っ込めば、あー……一キログラムに近い質量の原子が核融合を起こして燃えるわけか」
ジェレミーは素早く桁同士の引き算をして概算して見せた。
「まぁ、核反応はそんな単純なものじゃないから、条件によって反応率は何桁か違いがあるらしいがね」
ラジャンはジェレミーの概算を訂正せず付け加え、続けて、
「だけどやっぱりこれは君が気に病むことじゃない。これに比べれば銀河宇宙線の一撃の方がよほど深刻な問題さ」
「おいおい、今度は銀河宇宙線だと?」
「もちろん対策はしてあるさ。あらゆる壁や構造を作るカーボン複合素材は当然放射線防護材としても働くようになっている機能材だし、キャビン内壁はさらにその機能を強化してある。成層圏を飛ぶ航空機よりはずっとましな程度には放射線は抑えられているはずだよ」
「そういうことこそ船内案内で安心させてくれればと思うがなあ」
ぼろぼろになっていく自らのDNAのイメージに囚われていたジェレミーは、やっといくばくかの安心を得てため息をついた。
「それほどに心配性の人間が、一瞬この世から消えるカノン旅行になんて出かけはしないだろう、え?」
「ふふっ、違いないな。では、銀河宇宙線の一撃に備えて、しっかりと栄養を取っておこう」
「睡眠もね」
二人が食事に戻りながら船内放送にもう一度耳を傾けたとき、それはまだ宇宙開拓史の初期の説明をしているところだった。
「……このようにカノンの部品を目的の星に送り込んでも、組み立てる人が必要です。組み立てる人の休養はどうするのでしょうか。答えは、巨大な貨物用のカノンを組み立てる前に、小さなシャトル用のカノンを組み立てることです。こういったカノンを『イントロダクションカノン』と呼びます。小型船用のカノンです。貨物船数隻で運搬可能で現地で調整をするだけですぐに機能するので、作業を始めてすぐに作業員は休養のために地球に帰還できるようになりました。最新の工法では……」