五章 アンビリア・二(4)
「ジェレミー、勘違いするなよ。君の演説が、私の心を打ったなどと。私が君を憎む気持ちに変わりはない。だが、我々の悲願である惑星の独立、それを成し遂げる最後の機会を君が示した、そのことだけが私を動かしているのだよ。ここに潜んでもいずれ座して死を待つ身になるだろうが、さもなくば、とにかく動けと、私の心が私に訴えているだけなのだ。君がどんな道を示すのか、私はまだ知らないが、ともかくも、君は道を示すつもりなのだろう? それ以外に我々の進む道がないから、そうするだけなのだ。そして、その決定は私の決定であり、最高責任は私のものだ。間違っても、君のような矮小な目的を持った裏切り者が、この計画の全責任を負えるなどと、思わないことだ」
辛辣な言葉を並べるアキレスの、その表情は、なぜかジェレミーには、優しさをたたえているように見えた。
ややあって、ジェレミーはアキレスの真意を理解した、と感じた。
それに気づくと同時に、彼はアキレスに向けて深々と頭を下げていた。
「よろしい。ほかに異議のあるものは? ……よろしい。では、指示したまえ、作戦立案者ジェレミー・マーリン君。まず、この部屋から誰を追い出すかね? それとも、全員を追い出すかね?」
そのアキレスの言葉に対して、真っ先に腰を上げたのは、またもやもっとも意外な人物だった。
「どうやら僕は役立たずのようだ。君の矮小な計画には、僕の理想は高すぎる。せいぜい、頑張るんだね」
立ち上がったのサミュエルだった。副議長にして連盟における作戦立案の最高責任者である彼が最後まで残るだろうと誰もが思っていた。その予想は完全に裏切られた形となった。
彼は全員の視線を浴びながら、会議机を迂回し、そして、ジェレミーの立つ壁際を通って外に向かった。
ジェレミーの前を通り過ぎようというその瞬間、彼は、立ち止まり、小さくつぶやいた。
僕は少しやりすぎる癖がある、君はそれを心配してるんだろう? と。
彼は、ジェレミーの懸念を、完全にかつ客観的に理解していたのだった。
サミュエルが立ち去るのを見送った他の幹部の間には、しばらくは動揺が走り、続いて、一部のサミュエルの意図を見抜いた幹部の離席が始まり、最後にはアキレスを残しすべての幹部が立ち去るという事態になっていた。
それは、アキレスのカリスマ、求心力、そして何よりも信頼がなした業なのだ。信頼すべきリーダーが、言外にジェレミーの動機を彼自身が信用したことを匂わせ、他のものはジェレミーの指示に従うこと、と示したのである。
ビクターも、さすがに自分が残るのは筋違いかもしれない、と、ニナを連れて出て行こうとしたが、アキレスがすぐにそれをとがめた。少なくともニナには残ってもらうし、ニナの直属の幹部であるビクターも相応の責任を負うように、と。
最後に、アキレスは残った四人、ジェレミー、アレックス、ビクター、そしてニナに席に着くよう命じ、彼らが座ったのを確かめてから、本題に入った。
「これでいいかな、ジェレミー。では、改めて聞こう。君がどのような形で、独立という大事業を成そうとしているのかを」
ジェレミーは促されてうなずくと、まず、この惑星が独立を果たすためのもっとも核となる一つのアイデアを話した。
それは、単純なアイデアではあったが、パラダイムシフトと呼んでもいいだろうものであった。
このジェレミーの恐るべきアイデアに、それを最初に聞いたアレックスがそうであったようにアキレスは驚愕し、次いで、それ以外の考え方はあり得ないだろう、という確信に取りつかれた。アレックスがたやすく転向したのも、この驚愕と確信による心理操作によるものだった。
もちろんジェレミーが意図してそのような心理戦術を駆使したわけではない。
むしろ、それは、ジェレミーがそのアイデアの啓示を受けた瞬間に彼自身が感じた心理をそのままトレースしたものなのであった。
次に、それを実現するための戦略、戦術に話は移行していった。戦略はアイデアと同じく極めてシンプルであり、その一方、それを実現するための戦術には数々の困難が伴っていた。
「……つまり、こういうわけか。その作戦に必要な多数の貨物船や物資を得るために、君自身が英雄になる必要があった、と」
「その通りです。あるいは、それは人類史上初の宇宙艦隊と呼んでもいいかもしれませんね」
「つまり、この作戦は人類史上初の宇宙戦争というわけだな。先人たちが想像したものとはずいぶん違いようだが」
と、アキレスは笑った。
そして、彼は、ずいぶん久しぶりに笑ったものだ、と思った。敗北、挫折、憤怒、絶望、そして責任、彼から笑いを奪うものは常に怒涛となって襲いかかってきた。その彼に笑いを取り戻したのは、やはり希望であった。
「ここまで完全に、しかもこれだけ短期間に、僕の希望がかなえられるとは思わなかったのですが、それがそろったからこそ、最後の仕上げとして、ここに来たのです。ここには、僕には用意できなかった、士気の高い兵士がいます。これで全てのピースがそろいました」
ジェレミーの言葉にアキレスはうなずき、
「君が我々に協力を要すると言った意味を理解したよ」
そう答えてから思う。
もしこの計画が失敗してしまえば、そこに参加した人々は、単なる工場での騒乱騒ぎどころではなく、山のような罪状で訴追されるだろうな、と。とすれば、難を逃れてこの坑道に集まった者たちは、ある意味で最もつらい運命と隣り合わせの道を歩くことになろう。
「……ともかく、作戦準備のために、二週間はくれたまえ。大掛かりな作業と隠ぺい工作が必要だろうし、作戦に必要な大勢のメンバーに出発日に集まるようひそかに伝えて歩かなければならん」
「結構です。僕の方も、船団の割り当てを受けてはいますが、実際の船の多くはまだ他の業務のために運行中ですので、二週間後をめどに、アンビリアに集結して行動に移れるようにしましょう」
そうして、もう一度確認するように、ジェレミーが立ち上がって机越しにアキレスに握手を求めた。
アキレスもそれを快く受ける。
この瞬間において、彼らの作戦行動の開始が決定されたのである。
***
細かい打合せを終わらせると、アキレスは、この会議室は標準時十八時までそのままにしておくから自由に使い、ここにいる必要がなくなったら自由に出て行きたまえ、と言って去って行った。おそらくこれから、サミュエルなど他の幹部と、小さな会議室を使って秘密会合を行うのだろう。
取り残された四人ではあったが、やおらビクターが立ち上がると、おいスパイのアレックス、俺は貴様と殴り合いをしなきゃならん、と言ってアレックスを引きずって外に出て行ってしまった。もちろん、外で殴り合いの喧騒が起こらなかったことは言うまでもない。
「……つまらない気の利かせ方をさせてしまったようだね」
ジェレミーは苦笑しながら、最後に彼の前に残ったニナにしゃべりかけた。
「ふふ、彼の勘違いが本当のことになっても私は一向に構わないのだけれど」
そう言いながらニナは満面の笑顔を浮かべ、隣り合って座っていたジェレミーに正面から向き合った。
「ともかく、ありがとう、ニナ。君が彼らをここに導いてくれたおかげで、僕の計画も前に進むことが出来そうだ」
「お礼を言わなきゃならないのは私の方よ。私との約束を覚えていてくれたこと」
ニナは笑顔で答えた。
「いや、それも僕がお礼を言わなければならないことだと思う。君の何気ない言葉が、僕のやるべきことを見出す大切なヒントだったんだから」
「ペンギンね。でも、まだ信じられないわ、あんなかわいい生き物が、ペットとして飼おうって人がそんなにいないなんて」
「あれから、僕も随分考えてみたんだけど、そんなに希少な生き物ってわけでもないんだ。ただ、気候には敏感かもしれない。あれは、寒い地方の生き物なんだ」
「だったら、それこそアンビリアにぴったりじゃない。外はいつも零下の寒さだもの」
と、アンビリアのペットとして最適なものを見つけたことにニナは興奮の色を見せる。あんな寄り集まりの居住区ばかりじゃなく、いろんな人が好きなところに一軒家を建て、好きな広さの庭を持つようになれば、寒さを好むペンギンには一番の環境じゃなくて? と想像のままに語った。
「いくらなんでも外で飼うわけにはいかないさ、酸素が必要だ」
ニナの想像を一通り聞いてから、しかし、ジェレミーは笑いながら指摘した。
「忘れてた。危うくペンギンの大虐殺をしちゃうところだったわ」
「そんなにたくさん飼うつもりかい?」
ジェレミーが言うと、ニナは大きな声で笑った。
ニナにとって、ただこれだけのつまらない会話が本当に楽しいと思えた。それはきっと、ジェレミーがもう帰ってこられないかもしれない、と思ったあの時に気づいた気持ち、つまり、ジェレミーをただの友達以上の大切な存在として意識するその気持ちのせいに違いない、と確信している。
「でも、ジェレミーの考え、きっとうまくいくのよね」
「もちろんそうだ、と答えられればいいんだけどね。絶対にうまくいくとは言えない。だから、僕の大それた計画には、あまりたくさんの人を巻き込みたくなかったんだ」
「それは、……私も?」
ニナは言った。きっと彼は、そう考えている。
「もちろん、その通りだ。君を危険にさらしたくない、と思ってる」
「でも、私はもっとあなたの役に立ちたい」
すがるような視線で。
「それは違うよ、ニナ。僕は、いろんな人の助けがあって、ここまで歩いてくることができたと思ってるけど、中でも、君の助けはもっとも大きかった。君がいなければ、僕は自分が何をすべきかも見つけられずにいたと思うよ」
「あなたならきっとそう言うと思ってたわ」
ニナは、わざとくすりと笑って見せた。
「たとえあなたがそう言っても、私のやったことなんて何の役にも立ってない、って私は思ってるの。自分に何ができるかわからないけど、役に立ちたいのよ」
そして彼女は、少し顔を伏せる。
「私はね、ジェレミー、あなたが私を置いてどこかに行ってしまうのが怖くて。あなたの目指しているものがあまりに大きくて。道端の小石みたいな私のことなんて放っていくんじゃないかと思って」
「僕は約束したよ。君を、ほかのすべての人を、放り出して行きはしない、と」
「それでも、あなたがこれからどうするか、私は分かっているのよ。私の気持ち、分からない? あなたと一秒でも離れていたくない、っていう気持ち。なんでもいいの、私に手伝わせてほしいの。そうすれば、あなたと離れずに済むもの」
素直に、彼女は自らの思いを告げた。あの日気が付いた、自分の気持ちを。
ジェレミーも、ニナの気持ちには気が付いている。だが、彼自身、自分がニナをそういう目で見ることができるか、まだ確信がなかった。
もちろん大切なアンビリアの友人だとは思うし、とても強い絆、ジェレミーが人生をかけてでも果たしたいと思う約束の絆で結ばれている。
だが、彼が過去に経験してきたいくつかの恋と同じような気持ちにはなれないということにも気が付いていた。他人に獲られたくないとか体を触れ合わせたいとか、そういう直情的な欲求を感じないこと。
それは、彼女を女性として意識していないということだろう、とジェレミーは思う。だから、彼女の気持ちに安易に応えることは、今は慎もう、と。
「今度の僕の仕事が終わったら、僕はきっと戻ってくるよ。僕の気持ちにもしっかり向き合って、ね。だから、それまでの間、君はこの惑星で――」
「それよ! 私が何を言いたいか、あなたはちっとも分かってない!」
ニナはついに大声でジェレミーの言葉を遮った。
「え? いや、君は僕のことを――」
「愛していると? もちろん、そうよ! だけどそんなことより、私は、今度の旅に、連れて行ってほしいって言ってるの! 回りくどい色仕掛けなんてするんじゃなかったわ!」
そう大きな声で言うと、ニナは演技の寂しげな顔を怒り顔に一変させた。
「それは、いや、ニナ、ちょっとそれはずるいんじゃないか、僕は本気で悩んだんだぞ」
「もちろん、どうぞ本気で悩んで! だけどね、私は、黙って待ってるような人生と決別するって決めたの。目の前に、ひょっとすると生涯訪れないかもしれない宇宙旅行のチャンスがちらついているのに、それをふいになんてしない。ここから、私の人生が始まるのよ」
さらにニナはジェレミーの眼前に、鼻が触れ合わんばかりに詰め寄った。
「あなたのことだから、必ず私を置いて行くって言うと思ったのよ。危険だからとか巻き込みたくないとかなんとか言ってね。冗談じゃないわよ。必ず行きますからね。愛してるだの寂しいだのなんて言えばひょっとすると、とも思ったけれど、あなたちっとも女の心ってものが分かってないのね。そんなだからあんな振られ方するのよ」
「おい、それを今言うのはひどいじゃないか……」
ニナとのデートで、昔の恋の話を聞かれるままにしゃべってしまったのは、手ひどい失敗だった、とジェレミーは思った。すべてが奇跡的にうまく運んだ計画の中で、これが最大の失敗かもしれない。
顔を真っ赤にして口ごもってしまったジェレミーを見て、ニナは心から楽しくなり、真っ白な歯を見せて笑った。
「それで、さあどうするの? アキレスさんが私にも責任があると言った以上、私を連れて行ってもらうわよ」
「いやそれでも……」
ニナの迫力に押されたジェレミーは、顔を数センチ後ろに引く。
「いいえ。あなたが仕事のすべてを終えるとき、私は必ずそばにいるの。それが私の負う責任よ」
ニナは、下がったジェレミーをさらに追い、二人の視線の交差する長さを十五センチメートルに保った。
「だけど、とても危険なんだよ、君を――」
「巻き込みたくない、って? じゃあ、とっておきよ」
そういって、ニナは、視線交差距離をさらに五センチメートル縮めた。
「ジェレミー、いつか必ず私をこの惑星から連れ出してくれるって約束したよね。それが今よ。さあ、約束を果たして!」
これにはジェレミーもたじろぎ、彼の瞳を射抜くニナの視線を思わずかわしてしまった。それから数瞬の逡巡があり、もう一度視線を交差させる。
「……駄目だと言っても、無理のようだね。それじゃ、一緒に行こうか。僕らの目的地、地球へ」
ジェレミーが答えると、ニナはこれ以上ない笑顔を満面に浮かべてうなずき、そして、残り十センチメートルの距離をゼロにした。




