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空穿つ砲と飛べない鳥  作者: 月立淳水
空穿つ砲と飛べない鳥
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五章 アンビリア・二(2)


 ジェレミーが約一か月半ぶりにアンビリアのホテルに戻ってきたとき、アンビリアはすでに騒乱前の平穏を取り戻しており、ついひと月前まで町中を警備兵が闊歩していた余韻さえ残っていなかった。

 この一カ月は様々な調整や提案、協議に忙しく、リュシディケから一歩も動けないありさまだったが、ようやくひと段落つき、移動のための三日と追加で二日の余暇を得てアンビリアに帰ってきたのだった。この二日の余暇は、彼はある目的のためにホテルに閉じこもっているつもりだった。


 彼がホテルに到着したまさにその晩に、彼への訪問を知らせるホテルフロントからの連絡が入った。ジェレミーはその相手を確認すると、部屋に通すように指示を出して、ゲストの到着を待った。

 そうして五分ほどのちに、ノックする音が聞こえ、ジェレミーが内側から錠を外すと、その男は、挨拶をしながら入ってきた。


「まずは、お久しぶり、アレックス」


「お久しぶりです、ジェレミー」


 ジェレミーと彼を訪問してきたアレックス・エンディは、部屋に入ってすぐのところで握手を交わし、それから、部屋の奥の応接ソファに向かい合って座った。


「あの時に、私に話したいことがあると言っていたでしょう」


「僕がこのホテルに到着する日付まで完全に押さえているとは、さすがだね。もちろん、僕がさらに二日の余暇を持っていて、あなたを待っているだろうことも、把握済みというわけだろうね」


「あなたが移動に必要な三日より多くの休暇を申し出ていたことは知っていましたよ。ただ、その休息が私を待つためだけに設けられたと思うほど私は自惚れてはいませんがね」


「しかし、実のところ、それはあなたを待つために設けた休暇なんだよ」


 ジェレミーは、ここにはアルコールも無くてすまないが、と言いながら瓶入りのソーダ水をすすめた。

 アレックスは瓶を受け取って、ねじ切り式の栓を抜き、口をつける。


「それは実に光栄な話ですが、しかし、そこまでして私と話をしたいこととはなんです? 私を出し抜いた自慢話でも?」


「そう敵意をむき出しにしないで」


 ジェレミーもアレックスに合わせてソーダ水の瓶を傾けた。


「僕は、実を言うと、あらゆる意味で本心をあなたに語ってきたし、今日これからも、まだ話していない本心を語るつもりだ。だから、あなたにも本心を聞かせてほしい」


「なるほど」


 アレックスは短くつぶやくと、床に目を落とした。

 そして考える。

 諜報員という仕事をしていて、本心というものを持つことが、果たしてあっただろうか、と。この目の前の男に見事にしてやられたその原因は、その本心を裏付けにした強力な動機であった。してみれば、この自分には、もとより本心などというものはあり得ないのではないか。


「だが、私は、仮にもスパイという職業ですよ。あなたに本心を語ると思っていますか?」


「あなたの口から出た言葉を信じるよ。あなたがスパイだとしても」


 こいつは、とんでもない大馬鹿者か、稀代のペテン師かのいずれかだ。実際、ペテン師と考えた方がいいだろう、とアレックスは考える。


「いいでしょう。しかし、まずは私からいくつか、質問したいことがありますが、良いですかね?」


「もちろん、どうぞ」


「では聞きましょう。あなたはあの事件の後、どうやら行政府の偉い人にも積極的に取り入って、大変な事業を仰せつかっているようです。何隻もの貨物船を自由に動かせる権利さえ持っている。はっきり言うと、あなたは、英雄扱いです。メディアの多くもあなたを取り上げている。つまり、どこかに潜んでいるだろう革命家の一部の生き残り、彼らの目にそれが触れることは考えませんでしたか。あなたは、彼らからしてみれば不倶戴天の敵ということになりますよ。命さえ狙われかねないのです。私には、あなたにそこまでさせる動機が全く理解できないのですよ」


 ジェレミーは小さくうなずきながらアレックスの言葉を聞き、しっかりと飲み込み、それから口を開いた。


「それは、今日僕が語ろうと思っていた本心の一つだ。では、まずは動機の話からしよう」


 そして彼はもう一度炭酸水をあおり、一度深いため息をついた。


「僕の動機はね、実に小さなことで、しかも、最初から変わってないんだ。ある人が、自由に惑星から飛び立てるような社会、自由に好きな動物を飼えるような世界、それだけなんだ」


「自由に動物を……?」


 アレックスはいぶかる。

 アンビリアや、他の系外惑星では、確かに物資の不均衡による不公平は大きな問題で、社会的な不満は鬱積していた。とすれば、その社会的不満を解消するということは、たとえば物流の円滑化、といった解法を必要とするのではないのか。

 たかが宇宙旅行だの動物を飼うだのということに何の意味があるのか。


「アレックス、僕は確信しているんだが、あなたは、長い間、この惑星にいたね。僕と同じ船に乗っていたというのは、もちろん、職業上の嘘だ」


「その通り、もちろんその通りですよ」


 アレックスは強調するように二度繰り返した。


「であれば、あなたも見ているね、この惑星で暮らしている人を。では、本当に惑星の人々に触れあう機会は? 彼らが何を考えどんな気持ちでいるかを知る機会は?」


「任務の上で必要であればそうしていましたよ」


「僕もそう。ビジネスで必要であるからそうした。そして、彼らの未来が閉ざされていることに気が付いたんだ。犬猫を飼うことさえ、彼らにはできない。それはなぜか」


「もちろん知っています。それは、まだまだ制度が不公平だから。しかし、不公平な制度はいずれ是正されていくのです」


「制度を公平にしようとすることは逆なんだ」


 ジェレミーがぴしゃりというと、アレックスは不思議な顔を見せる。


「たとえば、製薬にしても、地球と同じ制度を適用すると、この惑星ではどうやっても認可に必要な条件を満たせない。制度が公平であるがために、光年という距離が、彼らの自由に不公平をもたらしているんだよ。これを是正するためには、公平な制度に特例を設けるという方向の努力が必要なんだ。だが、その特例は、多くの敵を作る。独占企業と地球の大企業との決定的な対決構図を作ってしまう。政府はジレンマで動けないんだよ」


 ジェレミーの言葉を受け、アレックスは、黙って考え込んだ。自信に満ちた表情はもはや消えている。


「いや、それは、私は……わからない。まだ理解できない。どういうことなんですか」


 アレックスは、ついに目の前の男に、説明を求めた。知る必要があることはすべて自らの能力と行動で知ることができるはずだった全知に最も近い職業を背負う男が、だ。

 そして、ジェレミーは、自らが知ることになったことをすべて話した。ビクターとニナとの会談で感じた彼らの不満、ニナの語った閉塞感と灰色の未来、そして挑戦することさえ知らずに生涯を終えていくアンビリア人、サイモンの言う公平たらんとするために行政が執らざるを得ない施策。そのすべてが、アンビリア人をアンビリアの地表と制限された未来に縛り付けていること。


 一カ月以上を経ても、彼の記憶はすべて鮮明だった。

 ニナの言葉は一言一句過たずに再現することさえできた。

 彼は、ニナにペンギンを約束したことさえ、素直に語った。


 最後に、彼は、彼自身の目標として、そのか弱い女性が青春を取り戻せる時間のうちに、約束をすべて成し遂げたいと決心したことを語った。


「……ジェレミー、それじゃ、まるで私が、あなたを、いや、この惑星の住民の自由を、ただ邪魔するために頑張っていたみたいじゃないですか」


 アレックスは、ジェレミーが口にしたそのすべてを全く知らずにいた。そんなことは誰も教えてくれなかった、上官の誰もそんなことは口にしなかったし、この惑星の誰も、それが問題だとは指摘しなかった。

 なぜ知らずにいたのか。

 答えはわかりきっている。


 自らの内から湧く動機に動かされていたわけではないからだ。

 真実を知りたいという欲求を働かせなかったからだ。

 私心を殺して任務に殉じたからだ。


 それが正しいはずだった。

 しかしこの敗北感はなんだろう。リュシディケで感じたのとは全く別の敗北感が、アレックスを打ちのめす。


「……リュシディケで、あなたに言った僕の言葉は本心なんだ。あなたも、本心では、あなたが任された惑星で、住民に平和で自由に暮らしてほしいと思っているはずだ、と。あなたが、僕をだますためとはいえ革命の必要性を説いたあの時も、その言葉の中には、いくつか、あなたの信念がにじみ出ていると感じた。僕が単純なテロリズムを軽蔑すると指摘したときのあなたの顔も覚えている。きっとあなたにも、心のうちに正義とそれを成す情熱を持っているはずだと、僕は感じたんだ。だから、あなたなら現状をどう解決するか、僕はあえて聞いてみたんだ。予想通り、あなたは答えなかった。現状を変えたい気持ちと暴力を憎む気持ち、そのジレンマがあなたの言葉を詰まらせた」


「それは……そう……だったかもしれません」


 ジェレミーの言葉に、アレックスは、改めて確信した。

 私の信念、本心とは。

 この惑星住民一人一人の幸福を願うことではなかったか。


 間違いなくそうであった、と、今は言える。

 なぜそれに気づかずにいたのか。

 任務のためという免罪符が、自らの信念を心の奥深くに封じることを許していたのだ。


 だが、今、現実を見直す。ジェレミーの言うとおりの社会は程遠い。むしろ――。


「しかし、あなた自身、彼らの希望を完全に打ち砕いた……なぜです」


 ジェレミーは、アレックスが自らの本心に気づいてくれたことを確信し、一度緊張を解いて大きく息を吐いた。そして口を開く。


「そう、僕がそれをしなければならなかった動機、という話だね」


 そして彼は床に目線を落とし、


「それに関しても、実は僕は何も嘘はついていない。彼らの多くを救う必要があったんだ。そして、今は、聞き耳を立てる警備兵もいないから本当のことを言おう。アンビリアでは次の計画が準備されていた。僕の見立てでは、それはおそらく失敗するだろう計画だ。それに備えて潜んでいた彼らを、全く無傷で救いたい、それが目的だったんだ」


「それは、あなたがさっき言った、一人の女性がそこに含まれていたから……ですか?」


「うん……それを否定するつもりはない。個人的に親しい人を助けたいと思ってしまったことは事実だよ。だけど、僕にはもう一つの計画がある。そのためには、多くの協力者と、地球とのコネクション、そして僕自身が英雄になること、これらが必要だったんだ。革命を阻止するだけならあなたと協力してもよかった。だが、それができなかったのは、多くの人が無事に助かり、かつ、僕が英雄にならなければ、次の計画に進めないからなんだ」


「そうしてあなたは英雄になって、壮大な計画のかじ取りをする立場を得た……そういうわけですね」


「ありていに言うとその通りだ。しかし、協力者、地球、いずれも、あなたに頼らなければならない。そして、あなたは、元々の意図はどうあれ、僕を訪ねてくれた。だから、まずは、ありがとう、と言わせてほしい」


 アレックスは、ジェレミーの礼の言葉に、何も返さなかった。

 彼に会い、彼の言葉を聞かなければ、一生無意味にジェレミーを恨み続けていただろう。

 そして、生涯をかけて全惑星の自由を妨げ続けていたかもしれない。


 ありがとうと言うべきは誰なのか、アレックスはもう知っていた。


「……つまるところ、あなたの計画は、大輸送船団を組織して必要な物資や自由……そう、彼女の欲しがる小動物や、惑星間旅行を、提供する、ということなのですね。それに私がどれほどの役に立つか」


 アレックスは、その上で、彼自身が何の役にも立たないことを認めざるを得なかった。


「いや、……そうじゃないんだ。僕の目的はそうじゃない」


 ジェレミーがそう言うと、アレックスは今度こそ、本当に心からの興味を示して彼の瞳を覗き込んだ。


「僕はね……本当の独立戦争をやろうと思っているんだ」



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