一章 地球(1)
空穿つ砲と飛べない鳥
■一章 地球
モンタナ州の北部カナダ国境近くの山岳地帯の地下深くに『発射場』がある。
発射場の正式名称は『モンタナ・ランド・カノン基地』。米国内に二つある『地上カノン』のうちの一基だ。
五十キロメートル離れた都市から基地までの道のりを高速鉄道がつないでいる。途中停車駅は一切無いにもかかわらず二十両を超える編成は乗客も貨物も常に満載で、たった二つの駅のプラットフォームへの入場は連日長蛇の列ができている。
その列を横目に、ジェレミー・マーリンとラジャン・スーリは落ち合った。
二人が長い時間かけて駅に入り、指定時刻の列車の指定席に座ると、列車は静かに発車し、瞬く間に加速した。
列車は、次第に深い山に分け入った。
いくつかの深いトンネルを抜けると、突如、山地を削り平らげられた広大な人工の地面の上に出る。軌道上から帰還するシャトルの受け入れのために設けられた広大な着陸滑走路だ。
その着陸滑走路からさらに数キロメートルを走り、列車は駅に到着する。
それは『発射場』である。
地上から上空、百万キロメートルの彼方へ。
その百万キロメートルの軌道上から、何光年もの彼方へ。
いずれ人類を星界の果てまでいざなう、偉大なる星間航行システムの起点であった。
二人の乗客は、発射場でシャトルの搭乗手続きを終え、ゲートをくぐる。
ゲートの先の搭乗待合室では、窓を通して全長三十メートル、全幅五メートル程度の円筒に三角翼を付けたような簡素な形のシャトルが見えている。午後の太陽光を受け、キラキラと輝きながら、コンベアに乗ってゆっくりと射点に向けて滑っていた。
「それにしても、僕も以前はあんな仕事をしていたのに、実際に『カノン』を利用するのは初めてなんだよ」
ラジャンはきれいに剃った褐色の頬を撫でながら言った。太い眉も真っ黒な短髪も、門出に際してきれいに整えられている。
その語りかけた先の男、ジェレミーも、やや茶色がかった黒髪を丁寧にセットし、やや赤みがかった白い頬を綺麗にそり上げている。ラジャンよりやや上背のある全身は、趣味のジム通いで鍛えられ、シャツとジャケットの上からでもその筋肉の動きをあらわにしている。
「系外惑星の管理事務官のような仕事をしていた僕だってそうさ。『カノン』を利用することはまだまだ一般的なことじゃないからね」
答えたジェレミーは改めてこの偉大な星間航行システムに畏敬の念を抱く。
星間航行システムの最重要構成物である『カノン』。
まるで長大な大砲のような姿で、星間船をはるか数光年の彼方に向けて『射ち出す』さまからこう呼びならわされ、早くから正式名称として定着した。
最初は素粒子実験中の例外だった。
ある検出器を使用したとき粒子の飛跡がわずかに途切れることが発見された。それが、当時の素粒子理論からのわずかな逸脱として注目を浴びるまでほんのわずかの間だった。
飛跡の途切れ部分で粒子が超光速運動していることが立証されるまで数年。
星間航行への応用は、発表翌日に新聞のコラムで語られた。
そして、数十年後、現代物理学開闢以来何世紀ものあいだ神の領域に丁寧に隠されていたこの現象は、人類の尽きせぬ欲望を満たす資源運搬の手段にまで引きずりおろされたのである。
地球や月の重力による潮汐力の影響を避けて百万キロメートル以上の超高高度軌道を周回する二基の星間カノンは、どちらも全長百キロメートルをゆうに超える長大さを誇る。ここから、はるかバーナード星まで六光年近く、一万トンの巨大な輸送船を打ち出す能力を持っている。
地表に這いつくばる人類がその基地までの距離を詰めるために考案したのが、『地上カノン』、つまり、ジェレミーたちが今立っている基地に設置された全長三キロメートルの小型カノンなのである。
彼らの乗り込んだシャトル艇の貨物スペースは満載。いずれのコンテナの中身も、彼らの向かう系外惑星『アンビリア』に輸出される食料と生活必需品であり、その需要は貨物スペースが常に満載であることを求めていた。
まもなくプラットフォームで乗客と貨物を積み込んだシャトル艇は、彼らを乗せ、深さ千メートル近くにある発射起点に降りていく。ここから、カノンの砲身は斜めに空を仰いでいる。
シャトルの列は尽きない。
もっとも効率的な星間カノンへのトランスファー軌道を得られるこの時間帯は、地上カノンのラッシュアワーなのだ。
斜めに掘られたトンネルを滑り降り、シャトルは底部にたどり着くと、準備位置にその躯体を据えた。シャトルを加速するためのリニアモーターシャーシに固定される音と衝撃が、船内に伝わってくる。
やがて、発射が間もなくであることが船内アナウンスされる。
ジェレミーが肘掛をつかみ、身じろぎして発射に備えて身構える。
「緊張する必要はないさ、加速も安全性もジェットコースターよりよほどましさ」
ジェレミーの仕草に気付いたラジャンは笑いながら言ったが、ベルトを掴んだ彼の左手に節が白くなるほど力が入っていることをジェレミーは見逃さなかった。
「先月、マイアミの遊園地でジェットコースター死亡事故がなかったかな」
「先々月だ。それに事故はジェットコースターじゃなくて海賊船さ」
船内アナウンスがシートベルトを再確認するよう促す。発射までの秒数が前方の壁面の上のほうに輝いて表示され、それが三十から一秒に一つずつ規則正しく減っていく。
やがて、その数字は一を指し、最後にゼロを示した瞬間に、二人の体は座席に押し付けられた。
巨大な電磁加速器で加速されるシャトル艇はみるみる速度を上げた。その時間が十五秒にも満たぬところで、今度は加速度が突然ゼロとなり、二人の体は完全に重力から解放された。
途端に、二人に強烈な落下感が襲い掛かる。
「ははっは、まさにジェットコースターだ」
ラジャンが妙な声を上げて笑う。
「……しかしこれは落ちてるわけじゃなく無重力だぞ、どうやら」
胃が逆流してくるような不快感に耐えながらジェレミーが口を開くと、
「……のようだ。僕らは、もう地球からはるか彼方に再反転したというわけだろうね、失敗じゃなければ」
ラジャンが説明くさく答える。
カノンの先端部には最初に粒子の飛跡をジャンプさせた検出器の成れの果てである装置『タキオナイザー』がある。これはあるロマンチストな技術者の命名であるが、この装置により、その内側のすべての粒子は『反転』され、与えられたパラメータに従った距離を超光速で走行したのち、『再反転』し、反転前の速度を回復するのである。
「出発からほんの一分で、僕らはカノン旅行の真髄をすべて体験してしまったわけだ」
ようやく無重力の不快感に慣れてきたジェレミーが笑う。
「もちろん、本当の星間カノンはもっと加速はきついし、加速時間も長いぞ」
乗ったこともないくせにラジャンは鼻を鳴らす。
そんなラジャンを見て、ジェレミーはくすりと笑った。
そして、改めて船内を見回し、続けて、やがて来る大きな加速に思いをはせる。
「思うんだが、なぜ星間カノンはそれほどに大きな加速を必要とするんだい?」
「君がそれを知らないとは意外だね」
ジェレミーの問いに、ラジャンは残念というよりもむしろ技術者としての知識披露の機会の訪れに喜ぶような表情で返した。
「いいかい、カノンでの発射時、船はどちらに飛ぶと思う?」
「そうだな、もちろんカノンの砲身の向いている方向だ」
「一般論的には正解。だが、タキオナイザーそのものには指向性がない。意味が分かるかね? タキオナイザーは、単に内側の物質を一時的に虚数時間タイマー付きで反転させるだけの装置なのさ。反転した物体は、それまで持っていた速度のまま虚数時間内を突き進み、タイマー切れと同時に再反転して通常運動に戻る。実時間で経過する時間はゼロ秒だ。虚数時間内では実時間が経過しないから、いかなるコントロールも受けない。つまり、重要なのは、反転の瞬間の速度の方位なんだよ。そして、星間カノンで飛ばなければならない距離は非常に長い。地球から次の中継基地バーナード星までの距離は知っているね」
「もちろん、六光年だ」
ジェレミーは即答した。むしろ系外惑星担当行政官としては専門分野、常識と言っていい。
「そう、六光年、おなじみの距離で表すと六十兆キロメートル弱だ。この距離で、正確に目的の惑星に星間船を飛ばすには、速度の方位に途方もない精度が必要になる。方位の精度を増すのに最も容易い方法は、速度の大きさを増すことで相対的に誤差を小さくすることだ。だから、馬鹿でかい大砲で加速して速度が大きくした方が有利というわけだ」
ここでラジャンは手持ちのポーチから手書きボードを取り出し、簡単な式を書きながら、
「おおざっぱに言って、目的の惑星と『着弾点』の距離が、五百万キロメートルを大きく超えるような距離になってしまうと、目的地までの航行には長い時間がかかってしまう。現地でものを言うのは結局ロケット噴射による加減速だからね。六十兆キロメートルに対して五百万キロメートルだ。誤差の大きさとして許されるのは一千万分の一だ。たとえば秒速十メートル程度でこの精度を実現する場合、横方向の誤差の大きさは一ミクロン毎秒だ。もし秒速五千メートルまで加速されるなら、許される誤差は五百ミクロン毎秒と大きく緩和される。その上、加速時間が長ければ、長い距離を走る間にレーザー測定で誤差を修正するチャンスもたくさん得られる」
一息に説明を終えると、ラジャンはジェレミーが理解したかどうか、顔を覗き込んだ。
ジェレミーはラジャンの示したボードの簡単な計算式を見ながら顔をしかめ、
「そうか、確かに考えたことがなかったな。あれだけ巨大な大砲でミクロン単位の制御か」
その難度にジェレミーが理解を示したことに、ラジャンは満足そうに唸った。
「君も元は僕と同じ工学科の出身だ、この技術的な挑戦の価値が分からないでもないだろう?」
「もちろんだとも。僕はただそれを忘れていただけだ。だが君が思い出させてくれたおかげで、僕は次の星間ジャンプのときには、今以上の恐怖に身を縮めなければならないだろうね」
「ようこそジェレミー。僕はそれを共有する相手が欲しかっただけなのさ」
ラジャンが笑い、ジェレミーは苦笑した。