三章 星々(4)
二日後の晩、ジェレミーは、ニナを呼び出していた。待ち合わせ場所にニナの自宅からほど近い簡易レストランを指定し、彼は早めにその店に入ってニナを待った。
この日の午前、彼はアキレスの指定したクレーンオペレーターの男に会った。アキレスの伝言は明確だった。アレックスが諜報員だと確信できた、ジェレミーの提案はすべて承認された、決起はアンビリア以外が二十一日後の始業時間、アンビリアが二十四日後、ただしアンビリアの警備の空白化次第で前後する、というものであった。
出発が決まり、旅支度を整え、それからニナに連絡を取って待ち合わせをしているのである。
彼がしばらく二人掛けの奥まった席で安物のワインを飲んでいるうち、約束の時間から十分近く遅れて、ニナの姿が見えた。
「こんばんはジェレミー。遅れてごめんなさい」
ニナは座りながら言った。以前会った時とは異なり、シャツにスラックスという動きやすそうな軽装だ。
「いや、こちらこそ突然呼び出して済まなかったね」
そう言うと、ジェレミーはウェイターを呼び、自分とニナにそれぞれ飲み物を頼んだ。
「ひとつ、話をしておかなきゃならないことがあってね。実は、あの連盟の件なんだが……」
ジェレミーが言うと、ニナは体を乗り出した。
「あれからいろいろとお話をされたんでしょう? ……何か変わりがあったのかしら」
その明るい表情にジェレミーは一瞬言いよどんだが、しかし意を決して口を開いた。
「実は、決起は早まった。三週間後なんだ」
「そんなっ!」
ニナは声のボリュームを抑えることも忘れて叫び、腰を浮かせた。店の中にいたほかの食事客がちらりと二人のほうを見やり、再び興味なさそうに自分の食事に戻った。
「だって……だって、ジェレミーも反対だって言っていたし、そうやって働きかけてたんでしょう? どうしてそんなことに……」
浮かせた腰を戻しながら、顔を青ざめさせ、ジェレミーに質問しているのか独り言を言っているのか、どちらともとれるような声色でつぶやいた。
ジェレミーは、これに関しては隠し事をするつもりはなかった。
「実は、この惑星にはすでにスパイが入っていて、君たちの動きを探っているんだ。その男が、どうやら最重要人物として僕をマークしている。このまま放置すれば間もなく一網打尽にされてしまうだろう。だから、計画を早めるよう進言したんだ。この僕が」
「だってジェレミーがそんなことをするはずがないわ! あなただって、暴力的な手段は嫌だって……言ってたじゃない」
「もちろん……そうだ。だけど僕は、連盟の力は、この惑星に自由をもたらす最後のよすがだとも思っている。それが失われることも恐れているんだ」
「でも、もし失敗したら……いいえ、きっと失敗するわ。ジェレミーだってそう信じているでしょう。そうなったら、やっぱりみんな捕まってしまうのよ……」
ニナは声のトーンを落としながら呟いた。
「……うん、僕もそのことは考えたよ。だから、できるだけ犠牲者を少なくしようと……」
「少ないだけじゃだめなのよ……一人の犠牲者も出てほしくない……」
ニナは今にも泣きそうな顔でうつむいてしまった。
ジェレミーはここで気休めを言うべきかどうか迷ったが、それよりも伝えておくべきことがあることを思い出した。出発時間は迫っている。
「聞いてくれ、君だけにひそかに伝えておきたいことがある。この惑星での決起は、ほかの惑星での決起より三日ほど遅れるんだ。おそらくほかの惑星での決起のニュースは必ずこちらにも伝えられる。その時の君の行動についてだ」
「それは、ビクターさんにも、アキレスさんにも従うのではなく、私自身が行動するということ?」
ジェレミーはしっかりとうなずいてそれに答えた。
「そう。その二人も、幹部たちも、僕の真意を話したとしても素直に従ってくれるかわからない。何しろ血の気の多い人たちだから。冷静に僕の考えを実行してくれる人が必要なんだ。その時、日程から言っておそらく僕は、ほかの惑星、今考えている旅程ではリュシディケだが、そこで決起の日を迎えると思う。だから、君だ」
ジェレミーの真剣な目に、ニナも、どうやらジェレミーには単に独立戦争を起こすことばかりでなくそれ以外のことも考えているのかもしれないと察し、深くうなずいた。
「リュシディケ、マエラ、シリウスで暴動が起こる、だけど、それは失敗するかもしれない。その時は、暴動は鎮圧された、というニュースがすぐに届く。もしそれを聞いたら、君はすぐにどんな手段を使ってでもビクターやアキレスに連絡を取り、この惑星の連盟メンバーをできるだけ多く引き連れて、逃げてほしい。幹部は全員だし、構成員もできるだけたくさんだ。逃げる先は、ビクターに聞けばいい。幹部会が開かれる場所と言えば分かる、当面生活できる設備がある。そこで、僕から連絡があるまで待ってほしい」
ニナは、ジェレミーが一体何を考えているのだろう、と考えた。彼が、反乱は失敗すると強く主張し続けていたことは事実だ。だとすれば、この反乱も必ず失敗すると考えているのかもしれない。だから、反乱失敗後のニナの……皆の安全を考えた準備をしようとしているのかもしれない。
だとすれば、なぜ反乱を急かすようなことをしたのか。
ニナの考えはまとまらなかった。
何が起こっているのか全く分からなくなってしまった。
しかし、頼れるのは、目の前にいる地球から来た友人だけなのだ。
「ジェレミー、あなたを……信頼していいの?」
「……僕は君を信頼するしかないから」
「……分かったわ」
彼女はうなずいた。
「それじゃぁ、僕は出発の準備があるから行くよ。気を付けて」
「あなたも気を付けて……本当に」
ニナの心配そうな視線を受け、ジェレミーは一瞬立ち去るのをためらったが、もう一度ニナの瞳を強く見つめ返した。
「失敗しても……工場で暴れただけの罪だ。たとえ捕まっても戦争をして殺し合いになるよりは……」
ジェレミーが最後にかすかにつぶやいた言葉をニナは聞き逃さなかったが、それが何を意味していているのか、彼女にはまだはっきりとは見えていなかった。
***
翌日夜遅く、地上カノンによる発射を経て、ジェレミーとラジャンは軌道上のカノン基地で星間船への乗り込み中だった。
搭乗の案内に従い、ラジャンとともに待合室の手すりを伝って星間カノンのゲートをくぐりぬけた。
星間船に乗り込んだ後、ジェレミーとラジャンはそれぞれのキャビンで発射の強烈な荷重に耐える準備を整えた。個室同士は、簡単に接続可能な音響共有装置でつながれている。そのスイッチを入れ、ジェレミーとラジャンは最後の退屈な待ち時間を過ごすことにした。
「これで僕らもすっかり宇宙旅行のベテランだな」
ラジャンは個室のどこかにあるマイクに向かって話しかけた。
「さあね、このくらいでベテランと呼んでいいものやら。もっと未来には、もっと遠くの星系に何十回ものカノン投擲を繰り返してハネムーン旅行に行くのが流行りなんてことにもなっているかもしれないぞ。僕らはまだ、商会のバックアップで命がけで水平線の向こうへ漕ぎ出した大航海時代の冒険家にすぎないのかもしれない」
「ただ彼らと違うのは、僕らは彼らよりずっと安全だということだ。カノン旅行が始まって以来、その事故で惜しくも世を去った冒険者の数は、地球上で自動車事故で亡くなった人数の何百万分の一だ。これほど安全な冒険もあるまい」
そこからややジェレミーの声が途切れた。無機質なカプセル型キャビンの、手を伸ばせば届く距離にある向かいの壁をぼんやりと見ながら待っていると、やがてジェレミーの声で、
「しかし、危険は相変わらず存在する。宇宙線の一撃、未知の小惑星との衝突、再反転時に体内に核爆弾を作ってしまう可能性……ほかに何があるかな?」
「そのどれをとってみても、当たる可能性はほぼゼロだよ」
ラジャンは即答する。
「当たらないことを祈りたいね」
「ははは、随分弱気じゃないか」
思えば、コンサルタント風情が、随分出過ぎたことを始めたもんだ、とラジャンは思う。
いずれはこういったことが起こるのは、惑星住民の現状を見ていれば自明だったし、それがたまたま僕らが来ていたこの時期だったということさ。そして何より、僕のサラリーを握っているボスは、このジェレミーという正義漢なんだからな。
と、今は見えないジェレミーが、どんな表情をしているのかをぼんやりと想像する。きっと、精悍な顔の口元を引き締めているに違いない。息苦しい生き方だろうが、その熱意と真面目さは、自分にはない好ましいものだ、とラジャンは思う。
船内放送が、一分後の加速開始をアナウンスした。ラジャンは自らのベルトを締め、スピーカーの向こうからもベルトをしめなおす音が聞こえるのを確認して、それじゃ、切るよ、と声をかけて、接続を切り、加速に備える態勢をとった。
ややあって、彼の体は耐荷重ベッドに強く押し付けられ、数十秒後には再び重力から解放されて、惑星マエラのあるプロキオン星系の虚空にあった。




