三章 星々(2)
再び屋外を歩いた。
関係を疑われることを警戒して、ビクターは一時間以上前に帰途についていたし他の幹部はまだ残っていたため、たった一人で寒い屋外を踏破し、借りていた呼吸パックと防寒着を入り口すぐのレンタルセンターで返却すると、久々の軽装になって居住区の通路を歩き始めた。
そうして通路を歩いていると、隣接した居住ビルの入り口に続く小さな交差点に差し掛かったところで、その路地から不意に見覚えのある男が歩み出てきた。男はジェレミーに気付き、笑顔で近づいてくる。
「やぁ、ジェレミーじゃないですか。こんなところで、奇遇ですね」
「……やぁアレックス。あなたこそ、こんなところで何をしているんです?」
路地から出てきたのは、アレックスだった。
「もちろん、取材です。私の取材に協力してくれる、という人は、居住区のあちらこちらに散らばっていましてね」
「なるほど、商売繁盛のようで何よりです」
「あなたこそ、こんなところに用があるとは思えませんが?」
「まぁ、僕もインタビューというところですね、ちょうど……屋外の方で作業に従事している人にいろいろと聞いておきたいこともあったし、作業内容を直接確認もしておきたかったもので」
と、ジェレミーは屋外に出るためのゲートの近くにいるもっともらしい理由を作った。
彼はすでにアレックスを警戒し始めていた。この偶然過ぎる出会いはその警戒を最大限に強化した。
「なるほど、そうだとすると、たぶん、随分長い時間、屋外にいらっしゃったんでしょうね、たとえば、隣のユンファー社の居住区との間を往復できるくらいには」
と、アレックスは、いやにひっかかる言い方をする。まるで、ジェレミーが人目を忍んでどこか別の場所をひそかに訪問していたことを示唆するような言い方。
あるいは、とジェレミーは考える。自分の直感が正しければ、アレックスは、ジェレミーのタクシー乗車記録を調べて、ここに来たことを知っていたのだと。
実は、少し前から、シンプルな答えが一つ浮かんでいた。
アレックスは、政府の送り込んだスパイであり、ジェレミーを独立運動の一員であると疑い、あるいはジェレミーを独立運動にかかわらせて運動家たちをあぶりだそうとしているのではないか。
そうすると、ジェレミーがユンファー社居住区の誰かにひそかに会っていたかもしれない、とかまをかける理由が説明できる。国家をまたがる独立運動を疑っているのだとすれば。
「そんなに時間がたっていたかな。覚えてませんよ」
とジェレミーは空とぼけてアレックスの出方をうかがう。
「そうですか。ご存知ですか、その、屋外を通るとね、隣の居住地との間も、自由に行き来できるんです、実は、ね」
「しかし、そんな必要はないでしょう。僕はいくらかの料金を支払って地上バスですぐにユンファー社を訪問できますよ」
ジェレミーの応えにも、アレックスは相変わらずにこにこと笑っている。
「これからどこへ?」
主導権を渡してはなるまい、とジェレミーから尋ねた。
「今日は店じまいですよ。ホテルに戻って一休みします。ジェレミーは?」
「もう一度工場に行く必要があるのでね、工場に寄ってから」
「そうですか、ではここで」
ジェレミーは、工場に行く必要などなかったが、嘘をついた。
嘘通りに一旦タクシーを工場に向かわせ、そこで十分に時間をつぶしてから再びタクシーでホテルへと帰った。
***
「つまり、アレックスは政府のスパイだってことかい?」
いつものようにホテルで夕食をとりながらジェレミーの話を聞いたラジャンは、その内容にもかかわらずジョークとは受け取らず、真面目に聞き返した。
「うん、僕はそう思ったよ。気にしすぎかもしれないが、それにしては偶然僕らの行動を先回りする彼の言葉や行動、いくらなんでも怪しいとは思わないか」
「いや、ありうるね。独立運動がひそかに行われているという不確かな情報、そこに地球からの身元不明の旅行者、エージェントがマークするには格好の相手だ。同じ船から来たなんてのも嘘かもしれない」
「しかし、彼は僕らの船の中の会話をしっかりと聞いていたみたいだが」
「それだって、船の防犯システムのデータをチェックできる立場なら簡単なことさ。君は知らないかもしれないが、船の防犯システムは個人識別してすべての個人がどんなことをしゃべっているかを完全に分離して記録できるんだ。どんなに小さな声でもね」
「それはまた驚いたな。確かにそう考えれば、僕らの会話だってそんなにはっきり聞き取れるほどの大声だったわけじゃないだろうし」
アレックスが地球から来たにせよこの惑星で待ち伏せしていたにせよ、船での会話をつぶさに拾っていたことは、防犯システムのデータに完全にアクセスできる権限を有しているとしたほうが説明しやすい。となると、この店は大丈夫なのか、とジェレミーは思わず声を潜めて天井の端から端までを見渡してしまったが、ラジャンはすぐにそのしぐさに気づき、大丈夫、そんなシステムがあるのはテロリズムの標的にされると困るような星間船くらいだよ、と笑い飛ばした。
「しかし、ラジャン」
ジェレミーは口調を改めた。
「その、君は厄介ごとに巻き込まれる必要はないんだよ。つまり、僕の陰謀ごっこに付き合う必要はないんだ。僕だって陰謀だの革命だのはごめんだが、だからこそ僕流の陰謀を巡らせて彼らを思いとどまらせるか、計画を遅らせようと思ってきた。だが君は違う。だから、僕は今すぐ帰りのチケットを君に渡すこともできるんだ」
「チケットのことはごめんこうむるよ、ぜひ巻き込んでくれたまえ。僕だって革命だのなんだのっていう血なまぐさいことはごめんさ。だからこそ、君を手伝おう」
ラジャンはそう言いながら、合成フィッシュのフライを口に放り込む。
「だけど、それよりも、ジェレミー、君のやっていることは実に面白そうじゃないか。ただ君と一緒に面白そうなことに首を突っ込んでいるだけでいいのさ。人生に荒波を立てるのは僕の趣味だ。気にしないで、どんどん巻き込んでくれたまえ」
最後に、ラジャンは大きな口を開けて笑った。
ジェレミーは、ラジャンの言葉がジェレミーの重荷を軽くしようという気遣いだとは気付いたが、それでも、単純にうれしく思った。
「そうか、ありがとう。だったら言うが、実を言うとね、君にもまるっきり秘密にして考えていることがいくつかあるんだ。もちろん僕の勝手な思い込みから出た陰謀に近いものなんだが、君を巻き込まなきゃならないからには君に……」
「いやいや、ジェレミー、それはやめておきたまえ。君の役目は、今も言ったように僕をわくわくさせることさ。だったら、僕は黙って君の陰謀に乗せられようじゃないか。ぜひ、黙っていてくれたまえ」
ジェレミーには、ラジャンにも黙っていることがいくつかあり、それはほかのこの星の友人たちにも同様だ。ジェレミーが思い描いているいくつかの計画を実現するには、それはたとえ味方にも知られていないほうがいい、というようなものだと考えている。
それを先回りして、いいからだましてくれたまえ、と笑うラジャン。
ジェレミーはこれにもすぐに気が付く。
ラジャンは頭の回る男だ。自分自身さえ知らないほうが都合がいい事柄があることにすぐに気が付き、それを自らの楽しみだとうそぶいて聞かないことを選んでくれたのだ。
「君がそう言うのなら、好きにさせてもらうことにするよ。ありがとう」
「かしこまるなよ、僕のほうが気を使う」
ラジャンは言って、大口を開けて巨大なパイの最後の一片を口に押し込む。そしてもぐもぐと音を立てながら、
「しかし、君も随分、この惑星の住民に肩入れするようになったものだな。それは、やっぱり、あれかい、彼女のことかい?」
ラジャンはにやつきながら言う。ジェレミーは、彼女とは一体――と考えかけて、そうか、ニナのことか、余計な勘違いを、と思ったが、好きなように想像させておくことにした。