二章 アンビリア(4)
まず、オコナー社の上層部。
二日後にアポイントを取り、オコナー社アンビリア統括部の担当者である銀髪長身のハンス・セーデルグレーンに会った。
狭いが清潔な応接室で一通りの挨拶を済ませると、ジェレミーは、率直に、現地生産が限られている理由についての疑問を彼にぶつけた。
「……なるほど。確かに、様々な物品を生産したいとは考えていますが、実のところ、私どもにもどうしようもないことは多い。特に、政府の規制です。酒、タバコ、薬は明確に規制されています」
ハンスは、穏やかに手を組みながら答えた。
税や安全に関わるものだから、酒や薬の規制は、理解できる。
だが、問題はそこではないのだ。
そういったものは貨物室を空ければいくらでも運べるのだから。
問題の本質は、そう、『食糧問題』なのだ。
そこでジェレミーは思い切ったことを口にする。
「ですが、たとえばこの惑星で食料を十分に生産すれば、地球からの貨物室は空く。そうすれば、様々な必需品や娯楽品を積む余地も増える。作業員の意欲も高まる」
「もちろん現地生産は拡大したいと思っていますが、私どもも営利企業として無軌道に投資を拡大するわけにもいきません」
ハンスは、そう言いながら、地球産のコーヒーを口に運ぶ。この星では大層高価なものだ。
「それは、あなたがこれから我が社に提案しようとしていることですか?」
ハンスの鋭い視線。
ジェレミーは一瞬目を逸らすが、再び正面から視線を受け止める。
「ある意味で、その通りです」
「であれば、私は一つ、助言ができるでしょう」
ハンスはため息をつく。
「実をいうと、明文化されてはいないものの、食料や必需品についても、当局からは『節度ある投資を』との内々の通達が出ているんです」
その言葉は、ジェレミーの脳内を反響し、彼を落胆させるに十分だった。
節度ある投資、だって?
生産するなと?
酒や薬ならまだ分かる。
だが、生命の本質に関わる食料に関してさえも、政府からの、内々の規制。
「その理由は、ご存知ですか」
「残念ながら、いいえ。想像はついていますが……私の口からそれを申し上げることはできません」
「それは……機密事項というような意味で?」
「むしろ、この惑星、この地域における独占企業の社員として、です」
***
ハンスの歯切れの悪い言葉は、ジェレミーに次の行動をとらせた。
オコナー社を通して行政府の担当官との面会を申し込んでいたのだった。
ジェレミーが行政府のロビーで手荷物検査を受けセキュリティゲートをくぐり、案内に従って応接室に入ると、すでに約束相手――『系外惑星運営局調査官』の肩書を持つ――サイモン・ゴールドはソファに腰かけて待っていた。
彼の秘書官らしき女性が安物の合成紅茶をトレーに乗せて、ジェレミーの前に、次いでサイモンの前に置いた。最後に、小さなビニール袋に入った合成砂糖を置いて去って行った。ジェレミーはミルクがないことを少し残念に思った。
「どのような用件かは、オコナー社の幹部からあらまし聞いているよ。君はオコナー社のコンサルタントらしいが、惑星の行政改革にまで口を出そうとは、ずいぶん熱心のようだね」
その彼の言葉が示すところによると、どうやら、直前のハンスとの面会の状況まで正しく伝わっているようだった。
「行政改革なんてとんでもない、僕はただ、工員の不満がどういうものなのかをしっかりと学びたいと思ってここに来たのです」
ジェレミーははっきりとした言葉で、彼がここで何を聞き取りたいかを宣言した。
「つまり私に講師を頼みに来たわけかい、え? ――まぁそれもいいだろう、君は必ずしも道理のわからない男じゃないと私は見ているよ、私の長年の勘でね」
年のころは五十を超えているだろうか、彼が『長年』と強調するところも、彼の白髪と顔のしわが十分に証明している。
「私が無料で講師を買って出る理由は簡単だ。まずこのアポイントメントの時間が非常に限られていること、それから、最も重要なのは、君に、私の……我々合衆国の言い分を聞いてもらえれば、君はよい広報官になるだろうということだ。どちらの言い分も理解し分析し、バランスのとれた考えを持つことができると信じているよ」
これは褒められているのだろうか、と悩みはしたが、
「……お褒めに預かり光栄です」
ジェレミーはまずは善意に解釈してぎこちなく礼を述べた。
「では、問の一、合衆国がなぜ、系外惑星に様々な規制を課すのか、かね?」
ジェレミーの質問を待たずにサイモンはジェレミーが聞きたいことを先回りして口にした。その通りです、とジェレミーは答える。
「難しい質問だ。品目ごとにそれがなぜ規制されるのか、一つ一つ説明してもよいのだが、そうだな、たとえば医薬品だろう。医薬品は人の命に係わる品物だ。地球でさえ製造工場は定期的な第三者の査察により品質と安全を保っている。これは系外惑星だからと言って例外にするわけにはいかん。基準をクリアできる生産工場の申請がないのだよ」
息継ぎをするように、サイモンは紅茶を口にする。
「酒。これらはアルコール比率に対する税率は厳密に決まっている。公平性を保つために民間の審査会社を使ってはいるが、審査会社はここまで飛んでくることができん。コストの問題でね。無理強いすれば『不公平』が生じる。にもかかわらず、条約のくびきのために、審査会社がアンビリアにオフィスを構えるわけにもいかん。ジレンマだよ、我々にとっても」
サイモンはここまでしゃべると、言葉を切ってジェレミーの反応を待っている。
もう一つ、『具体的な例』を質問すべきかどうか。
しかしあれこれ悩むのはまさに時間の無駄だ。口を開く。
「ゴールドさん、政府が常に難題を抱えていることはある程度理解しました。しかし、たとえば、単純な食料品や必需品の生産に関しても『指導』をしていると伺いましたが?」
ジェレミーが問うと、サイモンは鼻を鳴らしてうなずいた。
「なるほど、『指導』か、うまいことを言う。その通り、政府は企業に対して、その他の非規制生産品についても指導をしている。系外惑星における食糧生産は、実のところ、問題なのだよ。地球ではその安全性や表示に関して厳しく法で定めていることはご存じの通りだが、系外惑星では例外的にそういった厳しい規制がほとんど課されない、すなわち独占企業の良心に安全性のすべてをゆだねるという大変な優遇策がとられている。一方、地球で生産されるものはたとえ系外惑星向け輸出品であっても、従前の厳しい基準に準拠する必要がある。分かるかね、ここでも『不公平』なのだよ。この市場においては、独占開発権を持つ企業だけが有利にならざるを得ないのだ。だから、競争環境を健全に保つためには、系外惑星に進出した独占企業には必要以上の生産を慎むよう指導している」
彼は、ニナが言ったのとは全く違う意味で『不公平』という同じ言葉を二度、印象的に使った。
こうやって言い分を聞いてみればなるほど、企業や行政の言っていることにも分がある。
多額の金銭で鉱業独占権を得たとは言え、住民の消耗品の独占までを認められたわけではない。
地球の企業は星々に広がって行った人々をも顧客とする権利があるし、人々は競争の結果の洗練された商品を得る権利がある。
独占企業による生産拡大は、そのすべて突き崩してしまうだろう。
そして、ハンスが、独占企業側の人間がそれを口にはできないと言った意味も理解した。
彼らはそもそも、あまりに大きな優遇利権を得ているのだ。
それと引き換えに、ある程度の競争のための、ほんのわずかな譲歩。
そのわずかな譲歩にさえ拒否の意思を示せば、次に政府が取るべき方策は、優遇策の締め付けしかなくなるだろう。
「ありがとうございます、ゴールドさん。安全と公平性に行政がどれだけ心を砕いているかが理解できたと思います」
ジェレミーは礼を言った。まずインタビューとしては上出来だ。
しかし、サイモンはさらに続けた。
「ふむ、君は聡明だと思ったが、考え違いかな? 君は、これだけの答えで満足する人間ではあるまい。問の二。つまり、今後、政府がどうやって、経済と安全性に関する公平性を保ちながら、君の考えている『問題』を解決していくかを知りたいのではないのかね」
ジェレミーは、どのことを言われているのか答えに迷った。
「ジェレミー君。私は君の考えている『問題』を聞かせたまえと言ったのだよ。それとも、私に言わせたいのかね? つまり、今のまま不満を放置すれば、反乱なり暴動なりが起こるのではないかと、その可能性を考えて今打つ手を考えるべきではないのか、と」
その問いは、ジェレミーは狼狽させた。
彼は、サイモンは、どこまで知っていて、自分に何を言わせたいのだろう。
アレックスに示唆されたその可能性が、彼の心に重く沈んでいることを、この男は見抜いていたのだ。
「何らかの反抗運動があるかもしれないと、この惑星に来てから一度も聞いたことがないかね?」
「……あります」
ジェレミーはそのことについては素直に認めた。
「もしかするとより具体的な計画があるかもしれない、ということをほのめかす人はいました」
「よろしい。それで、私とのコネクションを得て何かを進めようと考えていたのだろう?」
「……もちろん、物資不足を和らげる何らかの建設的な行動をお願いしたいということもありますし、目の前の何らかの暴力的な活動を防ぐための行政的な手段を考えてもらえないか、と思っています」
ジェレミーは、今考えていることを伝えた。サイモンはきれいに剃った顎を撫でる。、
「ふむ……前者に関しては、私には難しい問題だな。もちろん地球の議員につてがないわけではないが、そうは言っても、私などは地方の一官僚にすぎん。私の発言力など、あってないようなものだろう。しかし、君が私の今後の施策に協力してくれるなら、私も君の要望に応えるために最大限の努力はするよ。持ちつ持たれつというやつだ」
意外な言葉に、ジェレミーは思わず目を丸くする。
「あなたの施策……?」
サイモンは、やおらソファから立ち上がると、惑星時間的には真夜中で真っ暗な地表が見える窓のブラインドの隙間を指で開き、外を眺める。
「どんな施策であれ民間の協力は必要で、だからこそ、独占企業から独立した君と協力関係を築いておきたい。そのためには、私も努力を惜しまない、そういう意味だととらえておいてくれたまえ」
「もちろん、合衆国市民として、全市民の安全のための協力は惜しみません」
ジェレミーはほっと胸をなでおろし、ついで、自分が本来ここに来た目的が自然を達成されていることに気がついた。行政との協力関係こそ、彼が求めていたものなのだ。
そして、サイモンという男が、ただジェレミーを困らせようとしているのではないと正しく理解した。
「よろしい。二つ目の問題については、私が対処しなければならない問題だろうな、合衆国におけるこの惑星の行政官として。たとえば、系外惑星には治安のための別枠の特別予算がある。この予算の執行申請をすることも考えているよ」
「つまり、不満解消のために物資供給などの手段を講じるということですか」
「ジェレミー君、その通りだ、と言いたいところだがね、しかし、その予算はむしろ、問題が起こったときにこそ執行されるものと思っていただきたい」
「……暴動計画があれば武力で排除することもあると」
「市民の安全のために必要なら私はためらわずにそうする」
そう言って、サイモンは窓から離れ、ジェレミーのそばまで歩み寄ってくる。
「もしかすると、本当に暴力革命は計画されているかもしれん。実のところ、それはおそらく存在する、と私は考えているのだよ。だがね、ジェレミー君、たとえそれがテロリストだとしても、私は犠牲者など出したくないのだ」




