共通の話題で一気に親密になるのは紙一重だという話
「実は俺、自分の名前を呼んでみたいって思ってたんだよな。
いい名前だし、音もいい感じだろ、ナオヒトって。
個性的だけれど自己主張もあまりなくて、なんとも耳ざわりのいい名前だと思うわけだ。
でもさ、自分で自分を呼ぶって気持ち悪いだろ?
返事も自分でしなきゃいけないしさ、やったら変態だよな。
そうしたら、お前が新人で入ってきた。
念願の、俺と同じナオヒト君だ。神様は俺の素朴な願いを叶えてくれたってわけで」
柳と真人の初シフトはなかなかに充実していた。
コンビニ内を牛耳っている柳の指示は、新人の真人にもわかりやすく的確で、さくさくと仕事をこなせる感触が嬉しかった。
しかし、夜勤の勤務時間は夜の二十二時から朝の八時までと長く、やたらと時間をもてあます。
夜中の零時を過ぎれば客足も途絶えがちになる為、特にすることもなくなった柳はひたすら喋り続けていた。
店内のBGMは相変わらずジャズだった。
いまは曲名も知らない、しっとりとしたバラードが流れている。
カウンターと対峙している雑誌置き場には、立ち読みしている暇人が二人いた。
あとは自分と柳のみ。
レジカウンターの中の妙な店員のやり取りを、立ち読みの暇人は、実は立ち読みのふりをしながら立ち聞きしているのかもしれない。
そんなことを頭の端で考えていると、柳が「そういうわけで、お前のこと、下の名前呼ぶからよろしく」と演説を締めくくった。
「あ、はい」
半分聞いていなかった真人は、慌てて顔を柳に向ける。
「俺のことは柳でいいよ。何に関しても柳に風で、なおさら人である、柳尚人さん」
「柳さんですね」
「さんを付けるなよ。柳、でいいよ。柳さんって言われると<柳産>みたいじゃないか」
柳産て、そんな地名ないじゃないか、と真人は思う。
このコンビニは、深夜二時に夜の入荷物が店舗に届く。
今は深夜零時を回った所だから、特に何もすることがない。
一通り自分の主張を話し、ちらりと時計をみた柳は、「俺、休憩」と言った。
まだ勤務になれてない真人がレジで一人になるのは心細かったが、柳も人間なので休憩は欲しいだろう。
なので、その言葉に頷いた。
「わかりました、レジが混んだら応援お願いします」
真人が言うと、柳は「防犯カメラでみておくから大丈夫だよ」と、雑誌置き場の立ち読み客を押しのけて、週刊の少年漫画誌を取ろうとしていた。
見守る気なんかないんじゃないか、と真人は憮然とする。
柳が再度レジカウンターに回り込んで、レジの背面にあるシンクや揚げ物をする機材の下の戸棚を開いた。
中から一リットルの紙パックの飲み物を取り出して、
「アイスティーだ」
と言った。
どうやらレジの後ろの一番右の戸棚は、フリーザーだったらしい。
ただの物入れだとばかり思っていた真人は、瞬間的に
「それ、冷蔵庫だったの」
と呟いた。
端からみれば何の変哲もないやり取りだが、柳が驚いたかのように顔を上げる。
「いまなんつった?」
「え、いや、冷蔵庫だったんだなって」
真人も驚いてうろたえながら返事をすると、柳は少し考える様子を見せて、意外な言葉を放ってきた。
「おいマクフライ、ここには来るなと言っといたはずだぜ」
その言葉に真人もピンと来る。
柳が言ったのは台詞だ。
しかも、何度もみて、頭にこびりついている、真人の好きな映画のもの。
「もしかして…」
「はい真人君、発言を許可する」
仰々しく腕を組んでこちらを見ている柳は、何かを期待しているように見えた。
そして自分はその期待に答えられるであろう核心もあって、ついつい真人は口元が緩んでしまう。
「デロリアンが過去に行ったり未来に行ったりするアレですね」
「正解!」
ピンポン、と柳が指をさしてくる。
「<アイスティーだ>と言えば、その答えは<これ、冷蔵庫だったの>に決まってる」
柳が嬉しそうに近寄ってくる。
まるで、世知辛い世の中で、素晴らしい運命共同体を見つけたかのようなきらきらした笑顔だ。
飄々としていて掴み所のなさそうな雰囲気の柳が、いきなり無邪気な子供に見えてきて、なんだかおかしい。
そして、少し嬉しくも感じた。
真人は記憶を掘り返しながら、応える。
「ええと、そのやり取りは三作目の、博士が西武開拓時代にタイムスリップした時の」
「そうそう」
有名なロバートゼメキスの、タイムトラベル映画三部作。
「ドク」と呼ばれる、タイムマシンを発明した博士が、トラブルから西部開拓時代へいってしまう。
それを追いかけた主人公のマーティー・マクフライが、西部開拓時代で鍛冶屋として生活をしている博士の家へ訪ねた時の台詞だ。
「俺、あれ大好きなんだよね」
「映画ですか?」
「うん、世界で一番の映画だ」
柳はその映画があまりに好きすぎて、大体の台詞は頭に残っているという。
もちろん、日本語吹き替え版の台詞だが。
「映画っていうのは、とにかく面白くて、子供や大人が一体になって興奮できるものがいいんだ。
あの映画は変に気取っていないし、子供が見ても面白いし、大人の俺が見ると小細工が色々効いていて更に痺れるんだよなあ。
脚本も役者も、演出も音楽も、全部素晴らしいのはあの作品くらいじゃないかな」
休憩をするといった宣言はどこかに消え去ってしまったのか、柳はしっかりとレジカウンターの中におさまりなおって、真人を試すかのように更に問いかけてくる。
「第二問。<そいつはヘビーだなあ>のいう言葉に対してのドクの回答を答えよ。どの場面のでもいいぞ」
真人はその台詞を受けて、笑う。
シリーズ内で何パターンもあるお決まりのドクとマーティーのやり取りだ。
きっとこう返せば、柳は大喜びするはずだ。
「ヘビーだと?地球上の重力変化が起きて、未来ではそんなに物が重いのか?」
「…お前、最っ高!」
歓喜した柳が真人の背中をバシンとはたく。
衝撃でよろめいたが、柳はそれを気にする事も無く、レジ横の揚げ物ディスプレイの中から、五個で百円のから揚げの包みを取り出し、差し出してきた。
「意気投合記念。食えよ、休憩も先に取っていい」
「え、奢ってくれるんですか」
たった百円のおやつ唐揚げではあるが、先輩店員にいきなり可愛がられるとびっくりしてしまう。
柳は、恐縮している真人の手に唐揚げをしっかり持たせると、声を潜める。
「おごらねえよ、仲間にしてやるんだ。」
「はい?」
意味がわかりかねて真人が聞き返すと、柳は真人の肩に手を置き、さも親しげに、そして軍隊の上官でもあるかのように、こう宣言した。
「新藤真人、お前を共犯者に認定する。」