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初シフト

賑わいをみせる吉祥寺の駅より多少離れた、吉祥寺の住民の縄張りに、その店はある。

大手とは言えない、チェーン店のコンビニエンスストアだ。

古く寂れたマンションの一階部分に位置し、通りをはさんだ斜め向かいには、ミュージシャンの為のリハスタジオがある。

店の隣には、個人経営の大きな古本屋があり、店の後ろ側は井の頭公園の端部分が寝そべっている。


日中、夜間ともに、買い物ラッシュというものが存在せず、

付近の住民が朝の出勤前に缶コーヒーと朝刊を買い、

昼には志高いミュージシャンの卵や、ペンキまみれの土方の労働者が弁当を買い、

夕刻には食事の支度に意義を見出せない疲れた大人や若者が、酒と弁当、ポルノ雑誌を買っていく。


その中で、暇で中途半端をもてあましている人間が働いている。


コンビニエンスストアの中には、世界の全てが詰まっていると豪語したのは、柳という男だった。


「日常生活も暇なのに、仕事まで暇だったらもう、暇が原因で死んでしまうよな。

<暇死に>って死因が新たに学会で発表されたら、現場はこの店に違いないよ。」


そんなこと言いつつ、夜勤専門の柳は嬉しそうに笑う。

柳は、コンビニ店員メンバーの勤務暦の、輝くべき最長老だった。

十八の年で上京し、現在の齢二十八にして、すでに十年、ここで働いているという。

勤務暦十年で二十八歳のコンビニ店員は、憶測するまでもなく、社会的地位は最低のランクに位置するのだろう。


しかし、柳はこの店のことをよく知っていた。

人事でしょっちゅう入れ替わるサラリーマン店長よりも、誰よりも店を理解していた。


常連の客の動向、各季節に応じた売れ筋の品、細かい帳簿あわせまで、この店内の中のことであれば知らぬ事など何もないといった風情だ。


店長の意見をまるで無視し、入荷物の決定や棚卸し、商品棚の移動までそつなくこなす。

最長老らしく要領もよく、何事も勝手知ったるといった風情から、

元は京都の名家出身で、おっとりとしたサラリーマン店長は、強く柳を諌められない。


そんなことから、社会的地位が最低ランクだが、このコンビニエンスストアの中にいる限り、柳は王者だった。



その、柳という男と初めてシフトに入った時、真人は困惑した。

緊張もしたが、色々と違和感を感じたのだ。

コンビニの中で最初に顔を合わせたのは、在庫のダンボールが山積みになっているバックヤードで、出勤のタイムカードを押す時だった。

その時は柳の二重の目に、軽く一瞥されただけだったので、真人も特に何もいわなかった。

羽織っていたジャケットを従業員用のロッカーに収め、制服である地味な灰色と白のチェック柄の上着を着て、レジカウンターへ出る。


後を追うようにレジカウンターの中へ入ってきた柳は、真人を斜めに見据えて、こう言ったのだ。




「どうせすぐ辞めるんだろ、使い捨てアルバイト君?」




意味がよくわからず、その時の真人は、先輩である柳にお辞儀をした。

アルバイトとはいえ、新人が心地よく業務に溶け込むには、礼節が一番大事に思えたからだ。

今思えば柳の言葉は、勤務し始めて一週間も経っていない真人と、十年店を回している自分とで、格の違いを暗に訴えたかったのかもしれない。


社会の地位で言えば、柳も真人も一介のアルバイト店員に過ぎず、違いは勤務暦だけだ。


この年にしてフリーターとは情けない。

いや、十年選手だから、素晴らしい経歴だ。などなど。


その時の言葉が虚勢だったのか、脅しだったのか、軽口だったのかは、いまだにわかっていない。



「あの、新人の新藤です。よろしくお願いします」



緊張している真人に対して、柳は特に愛想も見せず、「下の名前、俺と一緒」と言った。


「え?」


「俺もナオヒトっていうの。お前<真の人>って書くだろ。俺は<尚更、人>って書く。俺もお前も、ナオトじゃなくて、ナオヒトって読む。一緒だ。」


柳はレジカウンターの影にあるゴミ箱から、客が持って帰らなかった短いレシートを取り出し、ボールペンで<尚人>と書いた。


「だけど俺は、真の人より、なお、さらに、人であるわけ。だから俺の方がすげえ人ってことだな。意味わかる?」


「あ、はい」


突然の解説に泳いだ真人の視線は、柳の左胸の安っぽいプラスチックのプレートの上に止まる。

乱暴な字で、<柳>とだけ書いてあった。


次に自分の左胸のプレートに視線を移す。

あまり綺麗とは言いがたいが、明朝体で<新藤>とだけ書いてある。

初めてシフトに入った時に、店長に書かされた自筆のネームプレートだ。


ふと、苗字しか明記されていないプレートで、自分の姓名以外が相手に知れていることが、薄気味悪く感じた。

真人のその表情を読み取ったのであろう、柳は不敵に笑う。


「バックヤードの店長のデスク、上から三番目の引き出しに、店員の履歴書が入っているんだよ」


「え、見たんですか」


真人は目を丸くする。

上司である店長の引き出しを勝手に開けるとは、あまり上品とは思えない。

まがりにもなにも、個人情報だ。

この人は、たちの悪い素質がありそうだと、嫌な予感を抱く。


「仲良くなりたければ、相手を知れってな」


柳は言う。

まずは情報収集からだ、ゲームのRPGでも、最初は村人から聞き込みをするだろう、と。


「仲良くなる為の最初の会話は、天気の話題が一番最適だけど。悲しくも、コンビニに天気は存在しない」


柳が、無愛想な蛍光灯の灯る、天井に指を向ける。


「コンビニの蛍光灯の色は何色に見えるか。明るいから天気で言えば晴れか?いや、この陰湿な感じは雨か、曇りにも見えるな。風はないから台風ではない。夜でもないし、昼でもない」


そこまで言って、柳は「天気の話題はコンビニ店員に相応しくない」と締めくくった。


「だから、コンビニのアルバイト仲間と仲良くなりたければ、下準備として履歴書漁りが最適だ。

休憩中の暇つぶしにもなるし、もしかしたら相手の弱点だって掴めるかもしれない」


新人アルバイトの個人情報と弱点を掴んで、この人はどうするつもりだろう、と真人は思う。


しかもいきなり天気の演説をされて、少し困惑する。

「なんだかこの人、変人なのかもしれないなあ」と早くも本日の業務に暗雲が立ち込めた気がした。

コンビニには天気がないのに、変な話だった。

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