私の調整では、百の性能を百にしかできません。それは無意味でしょうか?
「ノエラ。また完成品をいじっているのか」
背後から声をかけられて、私はびくりと手を止めた。
作業台の上には、一本の火炎杖が置かれている。
完成品だ。
出力検査も安全検査も終わっている。あとは箱に入れて出荷するだけ。
それなのに私は、杖の柄を開いて魔力回路を触っていた。
「すみません。でも、ここが少し引っかかっていて……」
「引っかかる?」
工房長のバルドさんが眉をひそめる。
「はい。ここの流れが、ほんの少しだけ」
「故障しているのか?」
「いいえ」
「出力が足りない?」
「いえ。規定値は出ています」
「安全検査は?」
「合格しています」
バルドさんは大きなため息をついた。
「なら完成品だ」
「でも――」
「ノエラ」
低い声に、私は口を閉じた。
「その調整をすると、性能は上がるのか?」
答えは分かっている。
何度も測ったから。
「……上がりません」
「だったら触るな」
「はい……」
私は工具を置いた。
まただ。
昔から、完成した魔法道具を見ると、ときどき魔力の流れに小さな引っかかりを感じる。
目に見えるわけじゃない。
うまく説明もできない。
ただ、なんとなく気持ちが悪いのだ。
だから少し削ったり、位置を直したり、魔力回路を調整したりする。
引っかかりがなくなるまで。
けれど、完成品の性能は変わらない。
火炎杖なら、調整する前も炎の出力は百。
調整したあとも百。
だったら、私がやっていることには何の意味があるんだろう。
「ちょうどいい。話がある」
バルドさんが言った。
嫌な予感がした。
「工房の生産体制を見直すことになった。最近、注文が増えているからな。もっと効率を上げる必要がある」
「はい」
「助手の平均処理数は、一日十個だ」
胸がきゅっと縮んだ。
私の数字を知っている。
「お前は七個だ」
「……はい」
「しかも、完成品に不要な調整を加えて時間を使っている。何度注意しても直らない」
反論できなかった。
全部、本当だから。
「今日限りで辞めてもらう」
私はしばらく何も言えなかった。
それでも、なんとか頭を下げた。
「……今まで、お世話になりました」
その日の夕方。
私は三年間働いた工房を、一人で出た。
悔しいというより、情けなかった。
私なりに真面目に働いてきたつもりだった。
でも、一日十個できる仕事を七個しかできない。
しかも、その理由が何の効果もない調整なのだ。
解雇されても仕方がない。
そう思うと、怒ることさえできなかった。
◇
幸い、次の仕事は思ったより早く見つかった。
街の外れにある、小さな魔法道具工房。
職人三人と助手二人だけの工房で、ちょうど人手を探していた。
「経験三年? 十分だ」
親方のガレスさんは、私の経歴書をざっと見ただけで言った。
「前の工房を辞めた理由は?」
「その……仕事が遅くて」
「どれくらい?」
「ほかの人が十個仕上げる間に、私は七個くらいです」
「ふむ」
私は正直に話した。
完成した魔法道具に余計な調整をしてしまうことも。
性能が変わらないことも。
そのせいで何度も注意されたことも。
全部話した。
「なるほど」
ガレスさんは腕を組んだ。
「まあ、やってみれば分かるだろ」
それだけだった。
翌日から、私は新しい工房で働き始めた。
そして三日目。
また見つけてしまった。
作業台に置かれた、小型の火炎杖。
検査済みの完成品。
けれど。
「……気になる」
魔力の流れに、小さな引っかかりがある。
触らない方がいい。
前の工房を解雇された理由を忘れたわけじゃない。
箱に入れればいい。
これはもう完成している。
そう思っているのに、手が止まった。
「どうした?」
ガレスさんだった。
「いえ、その……」
「何か問題か?」
「問題というほどでは……」
私は迷った末に言った。
「少し、引っかかるんです」
「どこが?」
私は火炎杖を開いて、魔力回路の一部を指した。
「ここです」
ガレスさんが覗き込む。
「俺には分からんな」
「そうですよね……」
「直すとどうなる?」
「分かりません」
「分からないのか」
「はい……」
自分で言っていて悲しくなってきた。
「出力は?」
「変わらないと思います」
「じゃあ何が変わる?」
「それも、分かりません。ただ……ここが引っかからなくなります」
しばらく沈黙があった。
やっぱり駄目だ。
新しい職場でも、同じことをしている。
「面白いな」
「え?」
「試してみよう」
予想外の言葉に、私は顔を上げた。
ガレスさんは棚から同型の火炎杖をもう一本取り出した。
「こっちは触るな。そっちは好きにやれ」
「でも、完成品ですよ?」
「試作品に回す。壊しても構わん」
そんなことを言われたのは初めてだった。
私は恐る恐る工具を握った。
魔力回路の位置をほんの少し動かす。
接続部を削る。
魔力を流して確認する。
まだ少し引っかかる。
もう一度。
今度は――。
「あ」
消えた。
「終わりました」
「よし。測るぞ」
二本の火炎杖を試験場へ運んだ。
最初は普通の出力試験だった。
調整していない杖。
出力、百。
私が調整した杖。
出力、百。
まったく同じ。
「……やっぱり」
思わず声が漏れた。
分かっていた。
前の工房でも何度か測っている。
「すみません。材料を無駄にしてしまって」
「何を謝ってる?」
「だって、何も変わってません」
「出力はな」
ガレスさんは二本の杖を見比べた。
「お前が気にしていたのは、出力なのか?」
「……違うと思います」
「なら、別のところに差があるかもしれん」
「でも、どうやって調べるんですか?」
ガレスさんが笑った。
「簡単だ。壊れるまで使えばいい」
そこから、少し変な試験が始まった。
二本の火炎杖で、ひたすら炎を撃つ。
十回。
どちらも出力百。
二十回。
変化なし。
三十回。
「ん?」
ガレスさんが、調整していない方の杖を触った。
「少し熱いな」
私の杖も触ってみる。
こちらは、それほど熱くない。
四十回。
五十回。
調整していない杖の出力が、九十六に落ちた。
「下がりましたね」
「ああ」
私は自分が調整した杖を見る。
百。
まだ、百。
六十回。
通常品は九十二。
私の杖は百。
七十回。
通常品は八十八。
私の杖は――百。
「……ガレスさん」
「なんだ」
「ずっと百です」
「ああ」
「これ、もしかして……」
「最後までやってから喜べ」
「まだ喜んでません!」
「顔が喜んでるぞ」
私は慌てて頬を押さえた。
でも、もう駄目だった。
さっきまで試験が失敗するのが怖かったのに、今は次の数字が見たくて仕方がない。
八十回目。
ぼすっ、と鈍い音がした。
調整していない杖から炎が出なくなった。
「あっ!」
ガレスさんが中を確認する。
「魔力回路が焼けたな」
「じゃあ、こっちは?」
「続けるぞ」
私は自分が調整した杖を握った。
八十一回。
炎が出る。
八十五回。
まだ出る。
九十回。
測定器は百。
「百……」
九十五回。
百。
九十六。
九十七。
九十八。
九十九。
そして。
「百回目、いきます!」
炎が試験場の的を焼いた。
すぐに測定器を見る。
表示された数字は――
百。
「……百」
私は測定器を見た。
もう一度見た。
何度見ても同じだった。
「百です!」
「ああ」
「百回使ったのに、百です!」
「見れば分かる」
「下がってません!」
「だから分かるって」
気づけば私は、ガレスさんの袖を掴んでいた。
「私のこれ、意味あったんですよ!」
「あったな」
「三年間ずっとやってたんです! ずっと! 意味が分からないって言われても、なんか気持ち悪くて!」
「分かった、分かったから袖を離せ」
「私、仕事が遅いだけじゃなかったんだ!」
口にした瞬間、笑いが込み上げた。
なんだか、おかしくて仕方がなかった。
だって、本当に百なのだ。
何度調整しても性能は上がらなかった。
百は百。
だから、ずっと意味がないと思っていた。
違った。
上げていたんじゃない。
下がらないようにしていたんだ。
「ちゃんと意味があった……!」
もう一度言った。
今度は誰に聞かせるでもなく。
嬉しかった。
ただ、ものすごく嬉しかった。
ガレスさんが、私の手から杖を取った。
「よし。分解するぞ」
「はい!」
返事まで、いつもより大きな声になった。
そのあと、工房のみんなで二本の杖を分解した。
違いはすぐに分かった。
普通の杖は、魔力回路の一部分だけが激しく焼けていた。
私が調整した杖には、それがない。
「魔力が一か所に偏って流れてたんだ」
職人の一人が言った。
「ノエラの調整は、この偏りを消してるのか」
「でも、私、そんなこと考えてませんでした」
「感覚でやってたってことか?」
「はい。なんとなく、引っかかるから……」
三人の職人が顔を見合わせた。
ガレスさんが頭をかいた。
「そりゃ説明しても伝わらんわけだ」
「私も説明できませんでしたから」
言って、また笑った。
今までなら笑えなかった話なのに。
それから工房では、いくつもの試作品で同じ試験をした。
結果はほとんど同じだった。
私が調整すると、最大出力は上がらない。
性能も増えない。
ただ、壊れにくくなる。
ずっと同じ性能を維持する。
「全部の商品をノエラに触らせるのは無理だな」
ガレスさんは言った。
一瞬、胸がざわついた。
けれど、その続きは予想と違った。
「時間がかかりすぎる。だから高級品だけにしよう」
「高級品?」
「長く使うことを前提に買う客向けだ。多少高くても、壊れにくい方がいい」
そして工房に、新しい工程が一つ増えた。
最終調整。
担当者は私一人。
助手だった私に、初めて自分だけの仕事ができた。
最初に作業表の「最終調整」の横に自分の名前を書いたとき、少しだけ手が止まった。
今までは、七個。
それが私を表す数字だった。
人より三個少ない。
そんな数字しか持っていなかった。
でも今は、別の数字を知っている。
百回使っても、百。
私は自分の名前を、少しだけ大きく書いた。
◇
それから二か月ほど経ったころ、前の工房から手紙が届いた。
差出人は、バルドさんだった。
少し意外なことが書かれていた。
私が最終調整を担当した魔法道具が、最近よく売れているらしい。
「長く使っても性能が落ちない」と評判になり、前の工房でも一本買って調べたという。
性能は、ごく普通。
特別な材料も使っていない。
それなのに、壊れない。
分解して魔力回路を見て、ようやく気づいたそうだ。
『お前が毎日やっていた調整と、同じだった』
その一文を、私は二度読んだ。
続きには、こう書かれていた。
『あの調整には意味があった。性能が上がらないというだけで、不要な作業だと決めつけた私の判断が間違っていた。すまなかった』
そして最後に、
『あの調整について教えてほしい。できれば、もう一度うちで働いてもらいたい』
私は手紙を机の上に置いた。
不思議なくらい、迷わなかった。
返事は短く済ませた。
『お申し出ありがとうございます。ですが、今の工房で引き続き働かせていただきます』
それだけ。
書き終えたところで、工房から声がした。
「ノエラ!」
「はーい!」
戻ると、ガレスさんが一本の杖を差し出してきた。
銀細工の施された、高級な火炎杖だった。
「こいつの最後を頼む」
「はい!」
受け取って、魔力を流す。
すぐに分かった。
「あ、いました」
「いた?」
「引っかかってるところです」
私は思わず笑った。
昔は、これを見つけるたびに嫌だった。
また余計なことが気になってしまった。
また仕事が遅くなる。
また意味のないことをしてしまう。
そう思っていた。
今は違う。
引っかかりを見つけると、ちょっと嬉しい。
これは私の仕事だから。
私は作業台に座り、工具を手に取った。
少し削る。
位置を合わせる。
魔力を流す。
まだ違う。
もう少し。
そして――引っかかりが消えた。
「できました!」
ガレスさんに杖を渡す。
「どうだ?」
私は胸を張った。
「性能は変わってません」
ガレスさんが笑う。
「それでいい」
私も笑った。
性能は上がらない。
百は百のまま。
――でも今の私は、それが何の価値もないという意味ではないと知っている。




