詐欺師とルイ
「——聖書?」
ルイは青年に連れられ広場からほど近い喫茶店に来ていた。
今後の食い扶持の目処が立たないので胃に入るだけフードメニューを頼む。会計は青年が持ってくれるらしい。
「そう。最近知り合った牧師に聞いたのだけれど——ああ、勿論事情は隠してね——どうやら、ここの国教の聖書の一節、ほとんどの人が見向きもしないような話の中にそういう内容のものがあるらしい。僕らのように異世界からこの世界にやって来た男の話。」
「その人はどうなったんですか。」
ハムとレタスの挟まったホットサンドを齧りながら言う。
「その宗教の、神に会って元いた世界に帰してもらったらしい。——まあ本当かどうかは定かではないけれどね。」
「それじゃあ——」呼びかけようとして、彼の名前を知らない事に気付く。「ごめんなさい、名前、なんでしたっけ。」
「ああ、こちらこそ気付かなくてごめん。
フェリックスだよ、どうぞよろしく。」
響きを聞いて気が付く。
「てことは、外国の方ですか。」
確かに、彼の髪は染めたようなところが無いし、よく見るとその瞳もヘーゼル色をしている。
言葉が通じるから日本人だと早合点していたが、外国人だったのか。
そう推理するけれど、直ちに、にべもなく否定されてしまう。
「いや、日本人だよ。ハーフだけれどね。
——田中、フェリックスというんだ、よろしくね。」
——田中。全国三位の、あの田中。
なんとなく聞いたことを後悔する。
着ぐるみの中身を見てしまった時のような、教師と道でばったり会ってしまった時のような後ろめたさ。
彼のプロフィールを反芻していると、ふと、気がつく事があった。
広場で出会った時、彼の話し方には舌足らずな印象があったが、今こうして話していると今度は上品な印象さえある。こちらの方が素なのだろうか。
その差に彼の詐欺師としての技術の末端が見えるような気がして薄寒くなる。
「それで——、なんだい。」
「ああ。」ルイは先程まで尋ねようとしていた疑問を思い出して言葉を継ぐ。
「それじゃあ、フェリックスさんは元の世界に戻りたいんですか?」
「いや。」彼は首を横に振った。
「いや、そうでもない。——詳しくは言えないけれど僕の稼業はこちらの方がやりやすいんだ。」
(あー、なるほど!)
だから彼の話し方には元の世界への愛着を感じないのだ。
ルイは納得の声を上げそうになる。そして実際に言ってしまった。
「なるほど!そうですよね、詐欺師、ですも——」
言いながら自身の過ちに気がつき、心の中で頭を抱える。「——んね……。」
詐欺師に詐欺師であることを指摘するなんて自殺行為もいいところだ。何をされてもおかしくない。ルイはまた別の理由で、声を上げそうになっていた。
恐る恐る前を向くと、フェリックスは驚くほど無表情になって、何かを考え込んでいるようだった。
判決を待つ被告人の心持ち——この場合、被告にされるべきはフェリックスの方なのだろうが——で尋ねる。
「あ、あの、どうしました。」
彼はルイの声に一度振り向いてから、「……よし。」顎に当てていた手を解いて言った。
「君、僕の仕事を手伝ってくれない。」
「……え。」
頬の筋肉が引き攣るのがわかる。彼の考えが理解できなかった。
「なに、別にずっととは言わない。一度だけ、手伝って欲しいんだ。」
彼はまた食えない微笑みを浮かべて、なおも続ける。
「実は今度、少し離れた所で大きな仕事をしたいと考えているのだけれど、その町の警官一人に睨まれてしまっていてね。」
彼がずいっとルイに迫る。
「だから、僕が疑われないよう、君には補佐をしてもらいたいんだ。」
「補佐?」詐欺の手伝い?ルイに一体何ができるのだろうか。
察するに、きっと今まで彼が詐欺をしていると、完全に見抜いた者はいなかったのだろう。だからそれが二度と起こらないようにフォローしてほしい、と。
とはいえ、ルイにも、なんとなくわかった、というだけでどこをどう直せばいいかと聞かれると困ってしまう。
「あの俺、本当に何もできないと思いますよ、フェリックスさん、の職業?もわかったの、ほとんど勘っていうか……。」
「まあ、そこは平気だよ。」彼は薄く笑う。
「大丈夫、こういうのは一度言語化してみると意外にいけるものなんだ。」
「でも……。」なんとか当たり障りのない言い訳を捻り出したい。
「それに——」
フェリックスの眼がルイを射抜く。窓から夕日が差し込んで彼の瞳孔がよく見える。
「それに君、衣食住はどうするの、ここの夜の治安はあまり良くないよ。」
思わず手元のたまごサンドを見る。痛いところをつかれた。
「僕に協力してくれればその期間の君の生活は保証するよ。成果も分けるし君はそれを元手にこれからもここで暮らしていける、そうだろう。」
そう聞かれてしまうと、頷くほかない。
実際、衣食住を保障してもらえてさらに報酬までもらえるというのは、限りなく魅力的だ。この世界で、ルイは住まいどころか戸籍も無いだろう。明日生きていられるかどうかも正直怪しい。
「さっきも言ったけれど一度だけでいいんだ。一度だけで、普通に働くよりも遥かな大金が貰える。結構、いい条件だと思うのだけれどね。」
窓の外を見ると熟れた杏子のような夕陽が一歩一歩、沈んでいる。
ルイはぎこちなく、頷いた。




